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2009年3月 6日 (金)

女神凱旋

 バイロイト音樂祭でも活躍中のメゾ・ソプラノ、藤村實穂子の「獨逸歌曲の夕べ」を聽きに、氷雨降る中、紀尾井ホールへ赴く。ロングドレスに短髪で洋琴の前へスッくと立つと、もう曲は始まりぬ。ロジャー・ヴィニョールズの輕快であり乍ら、溜めはたっぷりと取つたシューベルトは身近な存在。とりすましたところのない、農婦のやうな親しみが籠もる。女神の發音はとても聞き取り易く、文字面が頭の中に浮かぶやう。それでゐて、深い息に支へられた聲が會場一杯に響き渡る心地良さ。

 今まで生演奏で聽いた〈ヴェーゼンドンクの歌〉が嘘のやう。これが本物と云ふ存在感。フラグスタートのやうな高貴な感じこそしないものの、トリープシェンのワーグナーの館を思ひ出し、女泣かせのワーグナーも好きな女には尽くす體質なのであらう、彼女の名前はかうして殘つてゐる。ムーアの洋琴よりやや早めのテムポでも、曲のもつ奥行きはしっかりと傳はつて來る。どっぷりワーグナーに浸ると云ふよりは、半身浴でもするやうに、心に染みいつて來る暖かさ。

 若い頃のリヒャルト・シュトラウスの歌曲は音粒は多いものの、簡潔として、清々しさがある。初めての曲も原詩と共に聽くと言葉がスルリと入り、意味と共に頭の中で反芻して鳴り響く。そして、マーラーも輝きのある若々しさが全面に出て、青春の惱みや挫折がくっきりと描き出される。

 何と美しいことか。洋琴は飽くまで伴奏に徹して邪魔をせず、歌聲を引き立て、豐かな重奏となる。アンコールには、フラグスタートの持ち歌であつたシューベルトの「夕映へに」と、リヒャルトの「明日の朝」。靜かな餘韻の中、霙(ミゾレ)降りしきる中、樂屋口で待つこと小一時間。自筆署名を貰ひ、藤村さんの温かい人柄に接し、雪中歸途へ。

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