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2009年3月16日 (月)

スーパー歌舞伎

Kabuk 猿之助一門得意演目のひとつ「独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」を觀ました。

 これは、四世鶴屋南北が1827(文政10)年に初演した作品を、大幅に短縮して現代風に改めたもの。丹波の國の由留木(ユルギ)家にお家騷動が起き、家督に必要な「九重(ココノエ)の印」「寶劍雷丸(イカヅチマル)」を取られまいとして京都の三条大橋から日本橋まで、双六のやうに次々宿場町を變へ乍ら、事件が起きて行きます。
 それをパノラマの如く背景を右から左へ流し、人々が上手へ向かつて歩いてるやうにして、テンポよく物語も進み、時折現在のギャグや風刺を混ぜて、初めて觀る人にも理解し易い内容となつてゐるのは素晴らしい。

 但し、古典に慣れた人には正直早過ぎて何だかよく理解できないうちに進行してしまふ。言葉が聞き取れない人が居たり、感情の高まりなどを表す際、演技の途中で一瞬形を決めて靜止し、繪畫的な見せ場をつくる「見得(みえ)」も多すぎて、盛り上がらない。

 それでも、前評判通り化け猫の宙吊り、本物の水を使つた滝下での果たし合ひ、市川右近の一人12役早變はり等の見どころは澤山あり、最先端舞台装置が活きてゐます。十二単を着た化け猫が、手を拱(こまね)き、袴の足を優雅に漕いで進む樣は怖いより痛快でした。

 歌舞伎の義太夫節を擔當する「竹本連中」は文樂と違ひ、がな切り聲を張り上げ、常々「情」が感じられないのでしたが、今回の竹本幹太夫と豐澤長一郎の淨瑠璃は御簾越しでも十分に聞こえ、甚だ効果的でありました。

 役者はやや顔のでかい右近を筆頭に、笑也の女形姿、長身の段治郎、春猿の艶(あで)姿も樂しい。所謂エンターテイメントとしては、非常に上質なのです。だからこそ、全體としては、まるでカラヤンのクラシック音樂のやうに、目を見張り、耳を凝らし、存分に樂しませてくれますが、見終はつた後に何も殘りません。痛快娯樂劇でしかない。主人公に感情移入したり、自分が犠牲になり人助けをできるか等、色々と考へる暇すら餘へてくれません。かういふ萬人向けの歌舞伎を否定するつもりは全くありません。寧ろ、十分に存在價値を見い出しましたが、生憎、自分好みでないことが分かりました。

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 ある広さの土地に囲いを作って、これはわたしのものだと宣言することを思いつき、それを信じてしまうほど素朴な人々をみいだした最初の人こそ、市民社会を創設した人なのである。そのときに、杭を引き抜き、溝を埋め、同胞たちに「この詐欺師の言うことに耳を貸すな。果実はみんなのものだし、土地は誰のものでもない。それを忘れたら、お前たちの身の破滅だ」と叫ぶ人がいたとしたら、人類はどれほど多くの犯罪、戦争、殺戮を免れることができただろう。――ルソー『人間不平等起源論』... [続きを読む]

受信: 2009年3月18日 (水) 10時35分

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