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2009年4月13日 (月)

ワルキューレ

 新國でキース・ウォーナー演出の樂劇《ワルキューレ》を觀る。今まで自分にとつてこの作品は、映畫《地獄の黙示録》以來、特別なものだと思つてゐましたが、前衛美術(ポップアート)に見慣れた所爲か、受け手の過剰な意氣込みが消え、肩肘張らず自然體で聽くことができました。

 最初にヴォータンが現れ、小さな鑓を地圖に刺すと、現實社會にも空から大きな赤い鑓が降るやうな演出となり、ヴォータンの意思が世界を動かしてゐる感じを現してゐます。木造の四角四面なフンディングの館が、映寫されてゐる構圖の續きなのでせう、やや歪んでをり、巨大な卓子と椅子が並び、天井から鑓が刺さつてゐて、そこに神劍ノートゥングが刺さつてゐます。寝室前の扉横にフンディングとジークリンデの大きな結婚寫眞が飾られ、略奪された花嫁かも知れないが、秩序ある犬族の長だと表現されます。

 狼族の生き殘りとしてお尋ね者のジークムントが一夜の宿を借りに這入つたのが敵方の長フンディングの館でした。翌朝決闘を申し渡され、絶對絶命の中、生き別れた双子の妹ジークリンデがその妻だと分かり、父が託した劍を抜き、その場でフンディングを殺すことなく二人で驅け落ちするのでした。ジークリンデ(マルティーナ・セラフィン)の聲量餘りあるのに對して、ジークムント(エンドリック・ヴォトリッヒ)は筋肉質な割に聲は通らず殘念でしたが見榮えはよい冒險活劇。

 第二幕はヴァルハラの入り口として描かれた飛行機の搭乘口のやうな真っ白な通路が在り、そこから天空に出られ、足下には地上圖が廣がつてゐます。ヴォータン(ユッカ・ラジライネン)のところへ愛馬グラーネ(木馬)に跨つたブリュンヒルデがやって來たり、ジークムントがお告げを聞くのは夢の中であつたり、割と自然に解釈できる内容でした。此処では正妻フリッカ(エレナ・ツィトコーワ)のヒステリックな怒りが見事、家長としてのヴォータンも結婚の契りの前に本意を翻して息子ジークムントを殺させねばならない夫婦愛憎劇。ブリュンヒルデ(ユディト・ツィトコーワ)はやや太め乍ら、力強い聲は女神らしく猛々しい。

 第三幕は父の命に背いたブリュンヒルデを罰する爲ヴォータンがやって來るのは、ワルキューレ達が居る病院の中央廊下。戰上で傷附き、此処に擔ぎ込まれ、死者として敷布の掛けられた勇者は、移動寝臺から突然、ワルハラへ連なる奧の廊下へ歩き出す樣はまるでゾンビのやうです。ワルキューレたちは赤十字の盾にフェンシングの防具のやうなものを身に附け、劍道の面を被り、白衣を着て手術用エプロンを下げてをり、看護婦と云ふよりは危ない研究員のやうな出で立ちです。
 ヴォータンとブリュンヒルデだけになると、場面は遠ざかり、大きなグラーネが地下から出て來て、親子二人のカ過去を思ひ起こす構圖です。やがて彼女の希望を受け入れ、金屬寝臺に寝かされると周りに火を燈し、映寫を繰り返すヴォータンだけが殘り、指環奪還の夢をジークフリートに託すのでした。父娘親愛劇。

 色使ひがややけばけばしいものの、嚙み砕いたやうに意圖が汲み取れる演出もなかなかのものでした。エッティンガーは聽かせ所はたっぷり伸ばして(或ひは遅すぎるところも)、オケだけで進むテムポは齒切れよく、規模(スケール)の大きな表現でしたが、ややもすると東フィルの金管が附いて往けず足並みの亂れもあるものの、相對的によくやってました。師匠の重々しさが抜けるときっとエッティンガーらしさが出るのでせうが、まだまだ模倣故獨創的ではないものの、職人らしさが宿った高得點の演奏に大滿足でした。《ジークフリート》が來年と云ふのは間を空け過ぎですね。

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