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2009年8月 3日 (月)

草鹿龍之介

 霞ヶ浦から羅府(ロス・アンゼルス)までツェッペリン伯號に乘船した海軍少佐、草鹿龍之介は自叙傳の中で、その印象を記してゐます。

  「飛行中の食事は大體豪華であつた。東京の帝國ホテルが丹精を込めて作つたものを、ドライアイスで包んだものを積み込み、これを料理室で適當に温めたり、若干手を加へて出した。酒も豐富であつた。私はラインワインを愛用した。全飛行を通じて快適であつた。エンヂンの位置が居住區より遠く、從つてその騷音も餘り氣にならず、震動は殆どなく、食卓その他の机には、一箇所も縁を高くしてないのが自慢であつた。」(『一海軍士官の半世紀』光和堂、1985新訂・増補版)

 羅府には1929年8月26日、05五時16分着陸。飛行時間、79時間03分、距離にして9,653粁(キロメートル)、平均時速122粁を記録し、氣温が高いのでやや水素瓦斯を抜き、無事に到着しました。

 ところが、この草鹿少佐は羅府に到着後、歡迎疲れが出たのか、急性肺炎に罹り入院する羽目となりました。明るい病室で、榮養のあるものを食べさせる療治は日本と違ひ、毎朝、決まって出される油臭いスープに閉口し、お粥に梅干しが食べたいと心細さを感じました。

 併し、手厚い看護により、三週間で退院し、「大洋丸」で同年10月11日に横濱へ歸着。東京へ戻ると、帝國ホテルの犬丸支配人から「料理に對する批評を聞かれたりした」(「ツェッペリン伯號飛行船での太平洋横斷」『日本民間航空史話』日本航空協會、1966年)が、何と應へたのか記録はありません。料理に興味がなかつたのでせう。

 この草鹿龍之介は古流武術の達人であり、その後も海軍航空畑を歩き、大東亞戰爭の初戰、真珠灣攻撃で「手練の一撃を加へれば殘心することなく退くべし」と云ふ理念に基づき南雲忠一中將に具申した爲、第二次攻撃をしなかつたことが、後々非難されます。
 また、終戰間近の天一號作戰(水上特攻)が出された際に、実行を渋る第2艦隊長官伊藤整一中将に対し、「一億総特攻の魁となつて頂きたい」と説得したと云はれます。これも、當時の帝國海軍の状況を端的に表してたとして有名になり、度々映畫の科白にも使はれますね。

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