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2010年2月26日 (金)

町内會

Masao_3 弊社の在る「東新橋一丁目町會」の新年會に出席した。地元の方を大事にしないで、商賣なんかできゃしないと思ふのだが、親父が不義理にしてゐた分、挽回せねばならず、參加してみれば「若旦那」が來たと大歡迎された。

 櫻田公園横のふぐ割烹「まさお」の地下座敷に地元の方々15名が集まり、有事の際の避難所が狭すぎるので港區に對應を求めたにも拘はらず進んでゐないことや、汐留から虎ノ門へ抜けるマッカーサー道路の進捗具合、日比谷神社の移轉の際に鳥居を廣げずに濟んだので區有地に掛からなかった等、會長から報告があり、その後、宴會。鰭酒も美味しく頂き、各人の自己紹介並びに現状報告をしてお開きになった。お土産に頂いた「鶏味噌」が滅法美味くて、朝食に欠かせなくなつた。


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2010年2月25日 (木)

相對死

 江戸時代に最も流行ったものに「心中」がある。この世で結ばれない二人があの世で結ばれると信じて情死することなので、ハッピーエンドの芝居となる。現實には埋葬もされず、非道い扱ひをされ、武士が一番大事にした「忠」の字に通じることから、江戸時代は心中と云ふ言葉自體を禁止して、「相對死」と呼ばせたらしい。

 現在の我々が知る最も有名なのが、近松門左衛門《曽根崎心中》だらう。今まで映畫、テレビでは觀てゐたものの、實際の文樂公演は今回初めて觀た。ご存知の通り、醤油屋の手代徳兵衛は大事な金を親友だと思つてゐた油屋九平次に騙し盗られ、馴染みの遊女、天滿屋のお初と心中する話。1703(元禄16)年に大阪、竹本座で初演され大當たりを取つたものの、暫く忘れられてゐたものを、1955(昭和30)年に野澤松之輔により脚色、新たに作曲されて蘇演されてから、文樂屈指の人氣作となり、海外公演にも必ず持つてゐかれる。短い時間で簡潔な脚本故、非常に解り易く、旋律も耳に入つて來易いのだらう。

 〈生玉社前の段〉を演じた英大夫は減り張りがよくなくて、くぐもって聞こえて聞き辛い。それに比べると〈天滿屋の段〉の切り場を演じた嶋大夫の方が抑揚があり、言葉が頭に入つて來る。お初は縁の下で打掛に隠した德兵衛に死の覺悟を尋ねると、聲を出せば皆に知られる爲、お初の可愛いらしい足先を使つて、自分の喉笛に當てて横に切るやうにして知らせる。そして、皆が寝靜まった頃合ひを見計らつて逃げるのに、行燈の火を消し、掛け金を外して扉を開けるのに、もたつくのでもう見てゐる方はハラハラしてしまふ。早く逃げて欲しいと、すっかり人形に氣持ちが入り込んでゐた。
 昨年文化功勞者顕彰を受賞した蓑助は、1998年に腦出血で倒れたとは思へない程、可憐でゐて寂しいお初を演じ、弟子の勘十郎の生真面目一本槍にも拘はらず、陥れてられて行き場を失ひ死を覺悟する徳兵衛を演じてくれた。

 そして、〈天神の森の段〉の津駒大夫は顔を真ッ赤にして聲を上げてゐるが、聽き取り易くて、情に訴へて來る。しんみりとした死の場面に連レの三味線が重なり、アルページオが激しく、却つて哀れさを際立たせてゐる。最期に刺して死ぬ場面を見せず、殺し直前で止める演出もあるが、今回は潔く殺し、帶を結んだ二人が重なり合ふところで幕。

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2010年2月24日 (水)

考へる樂しみ

 昔は献立表に挿繪を描き入れ、自分でレタリングして手書きで書いたものだが、今はPC任せとなり、随分と便利になつた代はりに餘り技巧に拘らなくなつた。手書きの良さが出ないので仕方がない。店からのお知らせも煮た月に一度になつたので、文章量は減つた筈なのに、常にネタ探しの毎日だ。連載をさせて頂いてゐるので、締め切りを意識し乍ら、あれこれ考へる。駄文にお金を出して下さるので、少しでもよいものに仕上げたいのだが、なかなか考へが纏まらない。

 もう1年以上前から机上にあつたのに、全然、手附かずであつた 外山滋比古 『思考の整理学』 ちくま文庫 は考へる樂しさを教へてくれた。初版は1986年なのに、既に59刷という100萬部を突破した流行本。東大生、京大生に一番讀まれた本だと帶に書いてある。

 色々と知識を仕入れてから、暫く違ふことを考へてみる。この醗酵期間があると、或る時、ふと閃いてすらすら書けることがあると云ふ。中國の欧陽修の文章を作る際に、優れた考へが浮かぶ場所として、「三上」があると紹介してゐる。卽ち、馬上、枕上、厠上!今なら、移動手段の中、起き掛けの朝、そしてトイレと云ふことだらうか。
 白耳義のミント系菓子「フリスク」の宣傳でも閃きの場所を%で示してゐるが、寝る前に考へるのが一番駄目なやうだ。寝附きも惡くなるし、一晩寝るとすっきり頭の中が整理されてゐることもある。ところが自分は夜更かし大好きで、深夜映畫で朝方まで起きてゐることもざらなので、反省せねばなるまい。けふは早寝して、明日の朝の閃きに期待しよう。

思考の整理学 (ちくま文庫)Book思考の整理学 (ちくま文庫)


著者:外山 滋比古

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2010年2月23日 (火)

藤原景清

 源平の合戰で勇猛な大將として知られ「惡七兵衛」の威名を持つ藤原景清の傳説に基づいた人形淨瑠璃《嬢景清八嶋日記》を聽く。

 頼朝暗殺を企てて捕らへられ、源氏の榮える世は見たくないと自ら兩眼をえぐつたと云ふ景清と二歳で別れた娘、糸瀧が育ての親となつた乳母が亡くなり、日向で盲目の流人となつてゐる父親に檢校の位を買ひ樂をさせてやりたいと、身賣りを申し出ます。〈花菱屋の段〉
 そして、〈日向嶋の段〉では、親子の對面を果たすも頑な父親、景清に追ひ返されるも、書置で娘が自分の爲に身を賣つたと知り、頼朝の臣下に下り、味方になることを受け入れ、歸還の船に乘る。女郎屋のやり手婆とおっとりとした老主人との對比、盲人の手探りの動きと激しい怒り等、減り張りの多い作品なので、すんなりと作品に入つて行ける。

 〈花菱屋の段〉の千歳大夫は相變はらず元氣一杯で始めても、段々聲が嗄れて何を言つてゐるのか分からなくなる。〈日向嶋の段〉の切り場の咲大夫ももごもごして聽き取り辛い。その點、前座とも云ふべき踊り中心の《花競四季壽》の呂勢大夫は高らかに朗々と語つてくれて、意味明瞭にして清々しくてよかった。

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2010年2月22日 (月)

山梨産

 日本ワインを愛する會主催の「和食にぴったり 甲州ワイン試飲會」が如水會館で行はれた。すき燒を食べにいらっしゃる海外のお客樣には、まづ國産ワインをお勸めしてゐるので、かう云ふ機會は嬉しい。併し、定員割れをした爲、急遽問屋から聯絡が入り行ったのだ。まだまだ、日本のワインに就いて認知されてゐないし、宣傳も足りないのであらう。この會の理事のひとりは、その昔、アカデミー・デュ・ヴァンで一緒に机を並べた仲なので、久し振りに顔を會はせ、「ヒゲが立派になつた」と云はれたが、自覺症状なし。試飲會には珍しく、寿司、天麩羅、焼き鳥、煮物、茶碗蒸しなども食べられるやうになつてをり、ワインを片手に相性を確かめられる。

 山梨の主立つた醸造所が一堂に會してゐる爲、順繰りに試飲すると、それぞれの個性が如實に判る。
 同じ地區の同じ甲州種にも拘はらず、
  果實味を全面に出したもの、
  さっぱりとした酸味を主體としたもの、
  皮の灰色を抽出してロゼワインのやうな雰圍氣のもの、
  水楢(オーク)樽で寝かせて、木樽の風味を附けたもの、
  熟成した實から醸した芳醇な味はひのもの、
  完熟させてたっぷりと甘味を殘したもの、
  兎に角安さが信条のもの…
それぞれの良さがある。

 昔は薄い(輕い)ワインを莫迦にしてゐたが、さっぱりとした和食、鮎料理に個性的なワインを合はせて邪魔されて大失敗したことがあり、今は仄かな味はひも吟味するやうになつた。でも、うちはすき燒屋なので、さう輕いものばかりを選んでは、濃厚な松阪牛や割り下に負けてしまふ。技術革新もあり、造り手の氣持ちも晩酌ワインから世界に通じるワインに變はり、年々よくなつてゐるのも事實である。毎年、ワイナリーを訪ねても、必ず新しい取り組みをされて、よりよいものを造らうと云ふ強い意志を感じる。

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2010年2月19日 (金)

近松もの

 近松の通稱「おさん、茂兵衛」、卽ち《大經師昔暦》を聽く。1683(天和3)年に實際に起きた、皇室に暦を献上する經師屋の妻おさんと手代の茂兵衛が下女お玉の仲介で不義密通をして、三人とも処刑になつた事件を元に、33回忌に人形淨瑠璃に仕立てられた作品だ。

 物語は實家に金を都合して貰ふのに、主人には内緒にする爲、手代の茂兵衛にお願ひするが、それがばれてしまひ、茂兵衛に心を寄せるお玉が咄嗟に庇ひ立てる。實はこの下女お玉は主人のセクハラに遭ひ毎晩辛い目に遭つてゐた。そんな中で、お玉の氣持ちを知った茂兵衛が、それに應じやうと寝所に入ると、實は主人に痛い目を遭はせやうと、お玉と入れ替はつたおさんであつたのを知らず、真ッ暗闇の中での間違ひから悲劇が始まります。

 次の〈岡崎村梅龍内の段〉の山場に當たる「切り場」はご存知、住大夫&錦糸が演じてくれたのだが、元の話が山もなく劇的な變化の少ない場面なだけに、全然頭に入つて來ない。氣附くと寝入つて仕舞ふ。目を開けても、話が進んでゐない。

 そして、最後も証人となる筈のお玉は責任を取る形で伯父に殺され、二人は密通の罪が確定して死罪となる。全く救ひのない話で、心も沈む。錦糸さんが、近松にはよい作品も駄作もあると言つてゐたのが、よくわかった。

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2010年2月18日 (木)

アート・ランダム作品展

 銀座畫廊へアート・ランダム作品展を觀に行く。これは山梨縣大月市に本拠地をもつ特定非營利活動法人(NPO) 藝術文化振興センター主催故、山梨縁の新鋭作家から著名人迄、様々な作風、技法の作品が並ぶ。知人が主催者として關はつてゐた爲、手を抜かず、ジックリと鑑賞した。
 折しも、お茶會の時間に重なり、ビシッと和服を着こなし、きびきびと動くお師匠さんと、無理して着て苦しさうなお弟子さんが準備をしてゐたが、雰圍氣としてはとても和やかであつた。展示には各々の作家に割り振られた箇所に、小振りな作品を中心に飾られ、數で壓倒する感じ。

 木版畫家の河内成幸さん、書家の石原太流さんを紹介されたが、他の人のご接待に忙しく、片時も座ってのんびり語らう餘裕はなく、忙しなく挨拶回りをされてゐた。それでも、言葉を交はすことができたのが嬉しい。作家ご本人の考へを知る貴重な機會であった。結構、壮大な構想をお持ちなので、へえと感心した。

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2010年2月17日 (水)

外國語對應

Gaikoku_2
 レス協関東支部主催、「外國語メニュー作成」セミナーを受ける。東京都では外國人觀光客受け入れの爲に飲食店での外國語による献立表作成を支援してゐるのだ。

 都の調べでは、訪日目的の3位に必ず「食」が入り、接客態度の良さ、おしぼりや水のサービスは特に氣に入られてゐる反面、どんな料理か分からない、宗教的な理由乃至アレルギーの心配から食材が氣になるのに表示がない、食べ方すら分からない、日本語しかできないなど苦情も寄せられてゐると云ふ。

 外國人旅行者へ訴へることが重要であり、意思疎通の工夫のひとつとして利用し、最初から完璧を目指さず、まづは始めてみようと云ふのである。それでやってみた。各料理に冩眞があると理解し易いことが改めて判明した。すき燒今朝では松定食の冩眞はあるが、竹定食や梅定食は撮つてゐない。日本人なら口頭で説明すれば理解できるだらうが、外國人ならどうであらう。今後、増やしていく必要がありさうだ。

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2010年2月16日 (火)

野禽料理

Fruits
 かう寒い日々が續くと、野禽料理が食べたくなる。娘のバレヱの練習が終はつてから、その近場で食べられる所をネットで探し出して行った。車でよく通る筈なのに全く氣附かなかつた。此処は北海道の姉妹ホテル(マナーハウス)があり、そこから直送される山の幸、海の幸が名物らしい。
 ブラッスリー・マノワは白黒石疊の床にテーブルクロスの掛かつた上品な店で、野禽料理が得意だと云ふ。今回は定食にせず、まづ、氷の上に散りばめられた「海の幸」の前菜・白耳義(ベルギー)や佛蘭西(フランス)でよく食べたので、懐かしい。然も、こちらの方が器も綺麗だし、牡蠣だけでなく、蟹、牡丹海老、縞海老、天邊には粒貝等盛り附けも美しい。アイヲリソース(ニンニク風味のマヨネーズ)、エシャロットの入った赤ワインヴィネガー、山葵の入つた香辛料を僅かに附けても美味しい。その上、牡蠣は1個單位でお替はりが注文できるきめこまやかな對應も嬉しい。

Sangiler
 主菜は伊豆産の猪レバーと背肉のグリル。パリッとした外側にジューシーな内側の肉。鐵分の多い濃厚な味はひ。見た目以上に量があり、脂身を全部頂けなかったのが口惜しい。家族は子羊のクスクスや牛頬肉の赤ワイン煮込み等を頼み、皆大滿足。

Desert
 食後の甘味は別腹と云ふ女性陣から、自分は一口貰へばそれで十分。とろける甘味が優しい。
是非、また訪ねたい店だ。機會があれば、北海道にも泊まりに行ってみたい。


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2010年2月15日 (月)

舊正月

Tiger 昨日は聖ヴァレンタインでもあるが、舊正月でもある。本來、この太陰暦で暦を考へないと、季節感がずれる。確かに、この季節なら梅も咲き出し、新春と云ふ感じがする。干支もこの日から數へないといけないのだ。

 昨年、池上秀畝の月下で水を飲む虎の圖を、まくりの絹生地だけで手に入れたので、根本さんにお願ひして軸装した。これは勿論自腹なのだが、繪の回りを囲む裂(キレ)が夜の雰圍氣を醸し出し、とてもよい服を着せて貰つた感じである。

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2010年2月12日 (金)

三階席

Teisiki
 愈、四月の閉館迄、歌舞伎座もおお賑はひを見せてゐる。今回は友人のお誘ひで、初めての三階席。天井桟敷と雖も、意外と廣く天井の壓迫感はない。カレースタンドが在つたり、鯛燒きを賣つてゐたり、階下とはやや趣が異なるが、普段着の儘鑑賞できるのが嬉しい。然も、一階席と違ひ、花道は全く見えないが、舞臺奧がはっきり見え、繪巻物を觀てゐるやうな俯瞰圖とnなのが面白い。

 戸川幸夫作、平岩弓枝脚色 「爪王」
 鷹(七之助)と狐(勘太郎)の舞踊が美しい。

 近松門左衛門作 平家女護島「俊寛」
 謀反の企てが發覺し、喜界ヶ嶋に嶋流しになった3人の内、俊寛だけが嶋に殘ることになり別れを惜しむ。高校の恩師から繰り返し聞かされた話は知ってゐたが、觀るのは初めて。勘三郎演じる俊寛が秀逸であった。

 17代目中村勘三郎23回忌追善「口上」
 中村屋一門の中にあって、玉三郎は何か異色だった。

 森鴎外作「ぢいさんばあさん」
 仲睦まじい夫婦が出張中の夫がふとした彈みで人を殺め、37年後に再會を果たす物語。仁左衛門と玉三郎の組み合はせは幾度となく共演してゐる所爲か、しっとりとしてとてもよい。

 來月も觀られるだらうか。

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2010年2月10日 (水)

オレゴン&ワシントン

Oregon 1月末に北米太平洋側、オレゴン州産ワインのみ、翌週2月初めにオレゴンとワシントン州のワインの試飲會があつた。

 加州(カリフォルニア)に比べると、まだ知名度は低いものの、良質なワインを造り出す醸造家が目白押しだ。但し、最新の設備と意欲的な醸造家により地元品種がない爲、歐州系主要品種ばかりなので、どれもこれも大きな差がない。加州より幾分まだ安價が魅力だが、これからどうなるのであらう。新大陸系のワインは、これだと云ふ大きな魅力がないと、わざわざ其処から取り寄せなくても、既存のワインだけでも十分だと思はれがちとなる。暫く目の離せないワイン産地だ。

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線香の穴

 先日、日經新聞文化欄で紹介された市川孝典作品展「murmur(木々のざわめき)」を觀に、馬喰町のFOIL GALLEYへ。此処は古いマンションの二階の一室をぶち抜きにし、タイルを剥がしたままの地の床、天井も空調の配管が剥き出しで、白壁と照明だけのずいぶんとシンプルな畫廊。

 今回は市川さん初めての個展であり、新作15点が並ぶ。この人の絵畫はどれも白い和紙に線香で穴を空け、煤で陰影を附け、裏に黒い紙を置いた全く新しい描き方の作品であつた。遠くから觀ると白黒冩眞でもあり、やや近附くと水墨畫のやうでもあり、更に近寄ると小さな焦げ穴がたくさん空いてゐる、不思議な感覺だ。すべて心に浮かぶ風景を記憶のままに描いてゐるといふ。それにも拘はらず冩眞を元に描いてゐるやうな錯覺を覺える程現實味がある。

 然も、寸分違はぬ同じやうな煉瓦塀に蔦の絡まる作品が並べて掛けてあったが、この二作品は重ねて描いたものではなく、次期もずれているにも拘はらず、出來上がつてみたらこの記憶の繪が全く一緒だったと云ふ。それも出來上がつてから氣附いたので、同じ記憶の抽斗から出したのだらうと畫廊の方の辯。白黒の畫面は一寸、映畫「2001年宇宙の旅」で唯一生き殘つたボーマン船長がモノリス(黒い板)から刺戟を受けて心象風景が續く時のやうな感じにも見える。これを觀た我々も進化できるのだらうか。

 佛蘭西を旅した際に夜、懐中電灯で森を歩いた時の記憶の風景だと云ふのだが、どこかで見たことのあるやうな木々や森、草や根元の絵。他にも靜物畫も描くさうだが、今回は「木々のざわめき」の題の通り、そよ風を感じさせるやうな作品ばかりであった。

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2010年2月 9日 (火)

メルヘン

Germannibelungen
 新國でワーグナーの樂劇《ジークフリート》を觀る。いつもの三階正面ではなく、二階正面端であった。このオペラには小人族、恐れを知らぬ英雄、大蛇、絶世の美女が出て來るので、これはメルヘンだと云へる。ご存知の通り、本來は序夜と三日間の爲の舞臺祝典劇「ニーベルングの指環」の一部なのだが、前作迄のおさらひも臺詞に混ぜてしまふので、ここだけ觀ても十分に樂しめる。

 初めて觀たのは大學生の時、二期會公演で確か若杉弘の指揮であった。舞臺上でステンレスの劍を真ッ赤にし、大蛇が出て來て、必死に覺へた音樂と共に樂しめた。
 さて、今回のキース・ウォーナー演出の「東京リング」再演だが、初演の時は餘りに斬新な演出に絶句した人も多かつたが、昨年の《ラインの黄金》から順繰りに一作ずつ観て來ると、既に新鮮味は薄れたものの奧深い重層的な意味附けが理解できて樂しい。

 ナチスの所爲で、戰後は一貫してできるだけゲルマン色を排した演出となつてゐるが、大蛇ファーフナーの傍にいる小人族のアルベリヒとさすらい人が居るモーテルのTVで映し出されるのはフリッツ・ラング監督作品、1924年の無聲映畫「ニーベルンゲン・ジークフリート」の一場面。これは演出家キース・ウォーナーのラングに対するオマージュなのだらう。壁の在る頃の伯林の映畫館で洋琴(ピアノ)伴奏附で觀たことがある。115分の長丁場なので、ワーグナーは忘れて欲しいと最初に斷はつてから始めたので記憶に殘る。
 また、大蛇の血を浴びてから鳥の言葉を理解し、相手の心が讀めるやうになったジークフリートに對し、育ての親、小人族のミーメの心の内は、テレビに映し出される演出も工夫がされているのに、説明がましくなくてよい。

 また、大蛇そのものは出て來ないもの、巨人族ファーフナーの手下が槍をもって立ち向かつて來るところなど、單純に蛇ではなく、抵抗勢力だとも考へられて樂しい。そして、舊社會を代表するさすらい人(神ヴォータン)の槍は赤なのに對し、新時代の英雄、ジークフリートの剣は緑。この色の對比は、森の洞穴に住む大蛇に化けたファーフナーが緑の光に照らし出されてゐるのに、刺されると血を流して赤い光の中に浮き上がる。それがまた炎の柵を越えて美女ブリュンヒルデの元へ行く時には緑から赤となり、初めて女に接するジークフリートの男としての心の葛藤をも描き出したのは秀逸。

 ジークフリートは手に負えないやんちゃ坊主らしく、スーパーマンのTシャツペインターパンツ、権力を失ったアルベリヒが車椅子の障害者、運命を操る三人の女神ノルンは映畫フヰルムを解きほぐしたり、象徴としての役割を擔はされ、映畫「カリガリ博士」のやうに少し歪んだ中に住まわされてゐる。

 エッティンガーの指揮は以前にも増して、東フィルから大きなうねりを生み、自然な流れを作り出したので、滯滞らずスムーズな運びとなった。どの歌手も實に伸び伸びと歌ってくれたので、久し振りにワーグナーにどっぷりと浸れた正味4時間であった。

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決まり手

 相撲でも定まった勝ち方があるやうに、文樂三味線にも樣々な型があると云ふ。朝日カルチャーセンターでの野澤錦糸さんの公開講座「文樂・三味線の魅力」を聞いた。

 ぐるりと床が回る前の最後の語り部分を「送り」と云ふが、次の「送り」に同じやうな節回しでないと、前後関係が傳はらず滅茶苦茶になつてしまひます。今月の出し物《大經師昔暦》の〈岡崎村梅龍内の段〉では、中の最後が

  」とへらず

で終はり、切りは

 口(グチ)して歸へりけり。結ぼれて…

と繋がる爲、言葉としても「減らず口して歸へりけり。」と續けられるやうに、節も決まり手に從つて演奏するのだとか。張る節、二つゆり、三つゆり、四つゆり、上盛り、下盛り、中落とし、大落とし… 等實演を交へて教へてくれたものの、床本のト書きに書く程度ではどんな感じであつたかすっかり忘れてゐます。そんな舞臺裏が知ることができただけでも良しとしてをきませう。きっと、弟子の錦吾さんに一番傳へたかつたのでせう。

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2010年2月 8日 (月)

平成の平安化

 『源氏物語』には、思ひ詰めて拒食症で死ぬ『宇治十帖』の大君のやうな人が出て來る。或ひは家の奧、御簾の中でじっと靜かに暮らすだけでも不健康なのに、食べもしない。通つて來る男を待ち續けるだけ。

  「愛では飯が食えない。しかも身分でも飯が食えない。
 となると人々は結果的に、富を選ぶことになって、社會で
 の經濟のウエイトは、うなぎ登りに高くなっていく。」

 これは大塚ひかり『カラダで感じる源氏物語』ちくま文庫、2002年 の一節。『源氏』は「平安末期のトレンディな小説」であり、「世紀末の世相を反映しつつ、若者の心の不安を見事に描いた現代小説」だった譯だ。戀愛至上主義の貴族社會では、母系的な價値觀でセックスは惡いものではないし、子供が帝に嫁ぎ、跡取りを生めば家は榮えるから、奨励してゐる位。併し、氣持ちは疎かに感じるセックスや寂しさを埋める爲の性行爲が心と體のバランスを崩し、宗教に走ったり、自殺へ辿り着いてしまふ。

 平安時代の貴族は土地の上がりで生活してるので、身體を動かし汗水垂らす勞働は何もせず、いい相手を見附けるのが一番大切なこととなってしまった。宮廷内は足の引っ張り合ひで、罵詈雑言が飛び交ひ、氣に入らないと嫌がらせも平氣でする。何だか、飽食日本、平成の御代にそっくり。

 便利で何でも手に入る世の中になつた爲、何処で作られた野菜なのか、何処の海から運ばれたのか、よく判らないものを食べ、非現實のネット情報に踊らされ、テレビゲームの畫面にのめり込み、身體的な現實感を失った今、經濟成長は望めず、既存のシステムが崩壊し、會社に達成感を求めたとしても、何も得られず、幸せは自分で探す時代となった。

   「一見、なにを考へてゐるか分からない今の若者は、
 實は誰よりも生き生きと生きたいのではないか。生きる
 實感を得たいのではないか。」

 身體が生きる實感を得たい若者は平安貴族と同じだったのかあ。何度も挫折した『源氏』が身近に感じられると共に、生きる根元を考へさせられる。經濟力のある武士が實権を握つたやうに、平成日本人は中國の屬國となるのであらうか。

カラダで感じる源氏物語 (ちくま文庫)Bookカラダで感じる源氏物語 (ちくま文庫)


著者:大塚 ひかり

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2010年2月 5日 (金)

粋でモダンで繊細で

 埼玉近代美術館で開催中の「小村雪岱とその時代」展の催し、山下裕二先生による講演「昭和の春信・小村雪岱を応援する」を聞く。

 前回、サントリー美術館で鏑木清方の講演を聞いて、すっかりファンになり、今回は無料でもあり、また小一時間掛けて、北浦和まで参上した。定員100名の講堂に20席増やしても立ち見が出るほど盛況であつた。

 既に熱心なファンも居ることが判り話辛いと言ふが、まづ散らしの「粋でモダンで繊細で」と云ふ文章が、全くその通りだと。名前の讀み難い名前はとても、損をしてゐる。それだけで飛ばされてしまふ。
 泉鏡花が磁場のやうにして、清方、雪岱、英朋が吸ひ寄せられ、それぞれ挿繪や装幀から發展したが、この挿繪は畫壇から輕視されて來たのが、やっと美術として認められて來た。

 雪岱特有なモディリアのように首が細く、一寸田中絹代のような切れ目の細面の女性像が若い頃から描かれた譯ではなく、模冩を通じて日本美術を學んだことが活かされていること。背景に斜線の細かい線(障子や畳など)が並ぶこと、女性の鬢(びん:耳際の髪)が必用に描かれている特徴や、春信を始め琳派の影響、で描かれたのか詳しく説明してくれた。

 「心中天網嶋」から「河庄」の別れの場面を描いた肉筆畫は表装もよく、斜めの裂(キレ)の使ひ方など、文樂の内容をよく知る人が手掛けたのだらうとのお話。夢二は紙屋治兵衛が頬被りをして顔だけしか描いてゐないが、偽りの愛想を尽かした治兵衛と遊女・小春の別れの場面を靜かに描いてゐる。

 そして「見立寒山拾得」はレズビアン的な女性二人が顔を寄せて、箒と落ち葉に佛典を描いてゐる圖だ。この元となる寒山と拾得は中國の僧で、襤褸切れを着た寒山が經巻を開き、拾得が箒を持つ禪畫の畫題として、昔からあるもの。春信は結構野暮ったいが、こちらの雪岱の方が洗練された感じ。更に時代を突き進めば、バカボンのパパとレレレのおじさんはこの畫題に沿つてゐるとのお話。面白い解釈!

決して上手な筆運びではないが、江戸時代の絵画のエッセンスを汲み取り、雪岱が濾して、独自の味付けで上品な作品になっていると、途中冗談も含め、分かり易い言葉や喩へ話で會場は何度も湧いた。

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2010年2月 4日 (木)

懇談會

Burner_2
Motegi_2
 空氣より輕い乘り物、ブイヤント航空の懇談會へ參加した。今回は熱氣球操縱士、バルーニストの水上孝雄さんのお話。ツインリンクもてぎで繋留氣球にしか乘つたことはないものの、動力がないだけで飛行船に近い乘り物だ。
 熱氣球構造、上下運動の操作方法、競技に就いて伺ふ。バーナーの上の渦巻きは燃料のプロパン瓦斯を温める爲のもので、專用の航空地圖は丁度、茂木のレース場が見える。
 風任せ故、朝凪、夕凪の時間帶にしか飛べず、上空の風の向きを肌で感じて、指定された目的地を目指し、畑の中に置かれた10米の×印に目掛けてマーカーを落下させ、近い人から得點を貰へると云ふ。今年の10月は洪牙利で國際大會があり、日本代表として自腹で行くさうです。應援してあげたいものです。

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2010年2月 3日 (水)

原畫展

Kageyama 福音館書店が出版してゐる子供向け月刊誌『たくさんのふしぎ』2009年11月號は飛行船特集で、ツェッペリンNTの搭乘の樣子が丁寧に描かれてゐる。この繪を描いた影山徹さんの「飛行船に乗って」の原畫展が、表參道のピンポイントギャラリーで開かれてゐる。

 青山通りと骨董通りの交差點角、狭い階段を下りた所に在る5坪位の小さな畫廊の白い壁面が飛行船の繪で埋まつてゐる。まる冩眞のやうな細密なイラストだが、板にアクリル絵具で描かれて、ほんわかとした雰圍氣を醸し出してゐる。子供向けの雑誌だからと云つて繪は手を抜かない。職人氣質(カタギ)が表れ、解説が何もなくとも、搭乗の様子が順繰りに分かる仕組み。昨年末の搭乗した際の昂奮がじわじわと思ひ出される。

 その場に居らしたご本人に尋ねると締め切りに追はれて一枚3日位で描いたと云ふが、さすがに西新宿摩天樓の上空繪だけは細かい故に一週間は掛つたのだとか。根氣の要る作業だと思ふが、ご本人はとても樂しんでゐる風である。繪の下地は特に均してはをらず、合板の細かい木目も見えるがかえってそれが優しさを現してゐる。かう云ふ繪を眺めてゐるだけで、空を飛ぶ感覺が蘇り、また乘船したくなる。今後は是非、夜景だとか、昔の飛行船だとかも描いて欲しいもの。

 畫像は作家ご本人の許可を取りました!念の爲。

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2010年2月 2日 (火)

アートソムリエ

 以前このブログで 山本冬彦 『週末はギャラリーめぐり』 ちくま新書、2009年 を取り上げたら、お禮にコレクション展覧會の入場券を差し上げたいとご本人からメールを頂き、吃驚した。精々一日50名程度の讀者しかゐないブログなど目に停まるとは端から思つてゐなかつただけに、感激すると共に多くの人が見てゐると思ふと手が抜けない。

 さて、その「山本冬彦 コレクション展」を觀に、千駄ヶ谷の佐藤美術館へ。副題に「サラリーマンコレクターの30年の軌跡」とある通り、ご自身が蒐集された作品が並ぶ。小さな會場故、建物の3~5階部分を使ひ、壁一面に小さな華が咲き誇るやうに、色々な繪畫(一部立體造形)が所狭しと飾つてあつた。
 美術館や畫廊に見られるやうな大版な作品はなく、壁に何げに飾りたくなるやうなものばかり。ご自身も自宅の空いた壁に何かを飾らうと考へて集めて來られたと云ふ、主張し過ぎない、邪魔しないやうな作品が多い。併し、佐藤さんの審美眼によつて選別された個性溢れたものなのだ。かうして見渡すとそこには個性がはっきりと浮かび上がり、蒐集家の視線と云ふものを意識せざるを得ない。

 今まで現代美術を飾らうと云ふ氣は全く自分にはなかつたが、唯一、智内兄助は知ってゐた。この人の和紙にアクリル絵具で描いた外人受けしさうな作品を銀座の畫廊で觀たことがある爲。但し、初期の作品なのであらう、今とは作風が違ふ。
 石居麻耶 「鳥の風景」 2005 は、青空に鴎の飛ぶ川沿ひの土手だか、海際の繪なのだが、細密に描き、油彩なのか、横に細長いでこぼこが聯續して、飽きの來ない繪であつた。これが一番氣に入つた。
 敬遠しがちな現代美術も、随分と身近に感じ、作品の理解とは別に、心地よさに溢れてゐた。

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著者:山本 冬彦

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2010年2月 1日 (月)

韋駄天お正

 今も靜かな流行が續く白州正子は貴族生まれのお姫樣の筈が随分とお轉婆であつたらしい。幼少より能を習ひ、白州次郎と結婚するも家庭を顧みず、家事や子育てもせずに文章と骨董に夢中になる。青山二郎や小林秀雄に徹底的に審美眼を鍛へられ、二度も胃潰瘍で血を吐き、やっと己好みの美を見出したと云ふ凄まじい人。

 それが故に若い頃は「韋駄天お正」と呼ばれたとか。その正子との對談集、『日本の傳統美を訪ねて』2009年ン、河出文庫を讀むと話し振りからその人柄が炙り出されてゐる。縁遠い能樂も實はそんなしゃちこ張ったものではないとか、自分の感性で良い物を選べばよいなど、骨董だけでなく成る程と思ふことも多い。
 特に相手に合はせて、言葉を操る妙は見習ひたいもの。難しいものをさも難しいさうに語る衒學趣味ではなく、分かり易く生きた言葉を使ふのが本物だと、作家、車谷長吉と語り合つてゐる。耳が痛い指摘を受けた。

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著者:白洲 正子

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