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2010年2月 9日 (火)

メルヘン

Germannibelungen
 新國でワーグナーの樂劇《ジークフリート》を觀る。いつもの三階正面ではなく、二階正面端であった。このオペラには小人族、恐れを知らぬ英雄、大蛇、絶世の美女が出て來るので、これはメルヘンだと云へる。ご存知の通り、本來は序夜と三日間の爲の舞臺祝典劇「ニーベルングの指環」の一部なのだが、前作迄のおさらひも臺詞に混ぜてしまふので、ここだけ觀ても十分に樂しめる。

 初めて觀たのは大學生の時、二期會公演で確か若杉弘の指揮であった。舞臺上でステンレスの劍を真ッ赤にし、大蛇が出て來て、必死に覺へた音樂と共に樂しめた。
 さて、今回のキース・ウォーナー演出の「東京リング」再演だが、初演の時は餘りに斬新な演出に絶句した人も多かつたが、昨年の《ラインの黄金》から順繰りに一作ずつ観て來ると、既に新鮮味は薄れたものの奧深い重層的な意味附けが理解できて樂しい。

 ナチスの所爲で、戰後は一貫してできるだけゲルマン色を排した演出となつてゐるが、大蛇ファーフナーの傍にいる小人族のアルベリヒとさすらい人が居るモーテルのTVで映し出されるのはフリッツ・ラング監督作品、1924年の無聲映畫「ニーベルンゲン・ジークフリート」の一場面。これは演出家キース・ウォーナーのラングに対するオマージュなのだらう。壁の在る頃の伯林の映畫館で洋琴(ピアノ)伴奏附で觀たことがある。115分の長丁場なので、ワーグナーは忘れて欲しいと最初に斷はつてから始めたので記憶に殘る。
 また、大蛇の血を浴びてから鳥の言葉を理解し、相手の心が讀めるやうになったジークフリートに對し、育ての親、小人族のミーメの心の内は、テレビに映し出される演出も工夫がされているのに、説明がましくなくてよい。

 また、大蛇そのものは出て來ないもの、巨人族ファーフナーの手下が槍をもって立ち向かつて來るところなど、單純に蛇ではなく、抵抗勢力だとも考へられて樂しい。そして、舊社會を代表するさすらい人(神ヴォータン)の槍は赤なのに對し、新時代の英雄、ジークフリートの剣は緑。この色の對比は、森の洞穴に住む大蛇に化けたファーフナーが緑の光に照らし出されてゐるのに、刺されると血を流して赤い光の中に浮き上がる。それがまた炎の柵を越えて美女ブリュンヒルデの元へ行く時には緑から赤となり、初めて女に接するジークフリートの男としての心の葛藤をも描き出したのは秀逸。

 ジークフリートは手に負えないやんちゃ坊主らしく、スーパーマンのTシャツペインターパンツ、権力を失ったアルベリヒが車椅子の障害者、運命を操る三人の女神ノルンは映畫フヰルムを解きほぐしたり、象徴としての役割を擔はされ、映畫「カリガリ博士」のやうに少し歪んだ中に住まわされてゐる。

 エッティンガーの指揮は以前にも増して、東フィルから大きなうねりを生み、自然な流れを作り出したので、滯滞らずスムーズな運びとなった。どの歌手も實に伸び伸びと歌ってくれたので、久し振りにワーグナーにどっぷりと浸れた正味4時間であった。

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