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2010年3月31日 (水)

町屋でご飯

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 京都の修了式後の懇親會は裏方なので、とても一緒に飲み食ひする餘裕はなささう。そこで、友人とふたり式前に一足先に慰勞會。丸太町橋近くの町屋を利用した佛蘭西料理屋「アーム・ドゥ・ギャルソン」。その友人が奧さんと時折利用するだけあつて、お座敷でのフレンチがいい。附き出しからして京野菜が使はれてゐるのが嬉しい。フォア・グラのソテーと大根のブイヨン煮、ぺりぐーソースも絶妙に合ふので疲れも吹ッ飛ぶこと。續いて口直しのジュレがあり、主菜は佛産マグレ鴨のロースト。竹の子が添へられて春らしさも演出。それまでパンも食べてゐたにも拘はらず、ここでお茶漬けとなる。京漬物が美味くてつひ全部食べてしまひ、そろそろ滿腹感が…。デザートの果物、アイスにクレーム・ドゥ・ブリュレが別皿で添へられて、量が多すぎて殘してしまつたのが殘念。胃袋が小さいのは自分の所爲だが、これで3,000圓とは、企業努力の賜物でせう。また、是非行きたい店が増えた。
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2010年3月30日 (火)

京都

 京都造形藝術大學での修了式。これで晴れて學藝員となった。修了生を代表しての挨拶には困った。一週間位前に依頼を受けてから、頭の中でぐるぐる考へてゐるだけで、他の原稿に追はれてなかなか書けない。やっと前泊のホテルで書き出したが、ホテルのPCが若人に占領されてゐて印刷できない爲、早朝に起きて優雅にプリント・アウトする筈が紙詰まりに泣かされた。

 師匠の要望に應へる形で盛装。暑かった。自分の番の來る迄手に汗握り、証書を授與されるよりも緊張した。話し出すとすらすらと讀めるどころか、即興で話を加へたり、大いに沸いたので助かった。もう少し早く書けてゐれば、義母に巻紙に清書して貰へたのだが…。

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2010年3月29日 (月)

給食

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 今年も墨田區の中學校で職業講話會に呼ばれ、飲食店經營やソムリエの仕事に就いて話して來た。今時の生徒さんたちは直ぐに儲かるかとか、只なんとなくこの話を選んだとか、私語するけど指される何も發言しなかつたり、昨年より大人しく、また二駒とも雰圍氣が違ふのにも驚いた。併し、話藝だけで40分の間惹き附ける程の技術がないだけに、毎度勉強になる。
 その際、給食も一緒に頂くのだが、瓶の牛乳は久し振りで懐かしくなる。併し、もう長年牛乳を飲んでゐないので、お腹がグルグルしたのには參った。

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2010年3月26日 (金)

3月名殘公演

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 木挽町の歌舞伎座、さやうなら公演3月夜は《菅原傳授手習鑑》より二段目〈道明寺〉。うちの娘は道明寺と聞くとすぐにハナダン(映畫「花より男子」)になるらしいのが殘念。
 この二段目は菅丞相(菅原道真)役をやれる役者が居ないと全く成立しない。以前、文樂公演では故吉田玉男さんを記念したもので、玉女さんで觀たことがある。どうも角張つた人形遣ひが氣に入らなかつたが、大役であること位はよく分かった。

 この段には、折檻、殺人、トリック、仇討、奇跡、親子の別れと、盛り澤山なので難しい、。今回の仁左衛門はお父さん(13世仁左衛門)のやうな名人藝は見られない(聞き傳へによるも)ものの、見應へがあった。また、覺壽役の玉三郎は老女の品格、氣丈さがよく現はれ、納得が行った。

 そして、後半は能から得られた『石橋(しゃっきょう)』。富十郎が幼い息子、鷹之資の爲に一流奏者を揃へ、親子舞臺を見せてくれた。ここまで派手にしてしまふと、高齢な富十郎の後ろ盾を失つた際に、鷹之資がどうなるか、非常に気にかかる。こんな程度なら、もっと上手にできる役者も居るだらうが、その邊りは難しい梨園の大人の力學なのであらう。

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2010年3月25日 (木)

東博で等伯

 没後400年記念の特別展「長谷川等伯」が東京、國立博物館の平成館で開かれてゐる。既に20萬人が見に來たと云ふ大人氣。自分も山下裕二さんが本の中で紹介したのを知らなければ行かなかったかも知れない。

 能登出身と云ふのも勝手に親しみを覺へる。佛畫を描いた初期から、年代順に並べられ、新しい雇ひ主を捜しに京都へ上り、肖像畫、絢爛豪華な金碧畫、超どでかい涅槃圖や信仰畫等、次々に編み出したことがよく判る。何と凄まじい上昇志向。狩野派から敵對意識をもたれても仕方ない。
 そして、晩年の水墨畫への傾倒、そして「松林圖」へと等伯の人生そのものを辿るやうなよく考えられた配置に感心した。筆一本で秀吉に認められる最高位迄出世したのに、作品はどちらかと云ふと繊細さが目立つ。決してパワー全面ではないのが面白い。

 特に氣に入つたのは、大黒樣が惠比壽様に顎ヒゲを引ッ張られる「惠比壽大黒・花鳥圖」は、微笑ましい。併し、髭を生やす身としては、惡巫山戯に痛いだらううなと大黒樣に同情してしまふ。何とも、怖ろしい人混みなのだが、ばったり知人に出くわしたり、思はぬ慶事もあつた。

 最後を飾る「松林圖」は墨の濃淡だけで松を描いて遠近感を出し、霧の中にぼんやりと浮かぶ樣が素晴らしい。しかし、山下裕二さんがこれは下繪を後の人が屏風に仕立てたのだらうと言つてゐた通り、未完に終わった印象が殘る。よく見ると左端には釣りをしているやうな人影らしきものも有り、右端にはぼんやり山も描かれてゐた。こればかりは印刷では分からなかった。

 賣店も人でごった返してゐたが、一枚の厚紙に印刷され、自分で折りたたんで飾ることのできるミニチュア屏風を見附けた。これhが、學藝員課程の課題で普及事業の一案と全く一緒だった。嬉しい反面、こちらが先に考へ出したのか、それとも東博か気になった。

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2010年3月24日 (水)

文樂地方公演

 名殘りの雪の日、文樂地方公演の内夜の部を聽きに、大田區民プラザへ赴く。國立劇場でしか人形淨瑠璃に接して來なかつただけに樂しいであつた。
 開演前に錦糸さんに樂屋へ挨拶へ行くと、國立劇場とは違ひ廊下に大きな荷物箱が置かれ、人形遣ひさん、大夫さん、三味線さんそれぞれくつろいでらして、何処が三味線さんの樂屋か判らず、その場に居合はせた簑次郎さんにお尋ねすると丁寧に教へて下さり、大部屋行き着くことができた。部屋には弟子の錦吾さんと丁度二人だった。ほんの立ち話だけしかできなかったが、旅から旅への旅烏ではご苦勞も多いだらうに、そんなことは氣にせず、多くの人に聞いて貰ひたいと云ふ力強いオーラが出てゐた。さすがはプロフェッショナル。

 まづ、一輔さんによる粗筋解説が早口の大阪辯ですらすら語られ、前半は《繪本太功記》より〈夕顔棚の段〉〈尼崎の段〉と大曲。床は回轉しない急拵への装置故、御簾が掛かり、定式幕ではなく上に上がる緞帳と云ふ何とも見慣れないもの。然も床が檜ではない爲、足遣ひさんの踏ん張りが響かない。また、大夫の聲が普通のホール故に、餘計に響きすぎる感じが何とも違和感があった。併し、次第にそれでも上演できると云ふありがたうさをかみしめて聽くこととなった。

 津國大夫は齒切れがよくなく、津駒大夫はビブラートが倍増したやうで普段と違つて大げさに聞こえ、文字久大夫は減り張りはあるものの、妙に張り切り過ぎの場面と全く聞こえない箇所もあり、まだまだ名人藝には遠く感じた。そこへ行くと安定感のある錦糸さんが一番よかった。途中、糸が切れたのか取り替へる「糸送り」も餘裕綽々で、逆にこちらは勝手に間に合ふにかとハラハラしてゐた。

 後半は《日高川入相花王》より〈渡し場の段〉。安珍に捨てられたと逆上し、清姫が大蛇となつて日高側を渡る場面だ。昨年五月の公演の際は紋壽の清姫で華麗さ、不憫さが表現されてゐたが、今回の簑次郎は憎しみが勝り、激流を渡る際の何と激しいこと。上へ下へ、稲光と共に途中大蛇に變身してしまふのもあり得る話だと思ふ程。迫真の演技だった。ここまで情念の塊となる女は怖いと云ふ話だ。

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2010年3月23日 (火)

天翔る馬

Walkure

 フルトヴェングラー・センターのレクチャー・コンサートに參加した。いつもなら、戸澤式の吸音紙風船の附いたスピーカーだが、事前の試驗で壊れてしまひ、急遽沖ミュージックサロン備へ附けのものを代用としてゐた。

 今回は翻譯や音樂評論で頭角を現している若手の廣瀬大介さんによる解説が最初にあつた。以前、ベルランでリヒャルト・シュトラウス協會の例會があつた折にお會ひしたことのある、眼鏡と髭のお似合ひの先生である。

 曲はワーグナーの樂劇《ワルキューレ》第三幕を、1954年の維納フィルとの録音LP盤で鑑賞した。フルトヴェングラー最晩年の録音であり、音質は優れてゐるが、スタジオ録音なだけに實況録音のやうな燃えるやうな推進力がないとの批判もあるが、じっくり聽かせ所を響かせる意味では優れた録音である。

 廣瀬先生は單に口で説明するだけでなく、鑑賞の要點となる主導動機を自ら洋琴で彈き、何処でそれが聞こえて來るか、何故そこで響かす必要があったのか、作曲家の意圖を探る。
 有名な〈ワルキューレの騎行〉ではバスのやうな低音がなく、浮ついた地に足が附かない感じを出して、ホルンやチェロが跳躍音程を奏でて風を切る天翔る馬を表現してゐるなど、音樂構造から曲の成り立ちを考へた。原始霧の最初の和音が根元となつてゐること、「愛と救済の動機」が初めて此処に出て來て、《神々の黄昏》の第三幕終幕にしか出て來ないが一番大事だと云ふ。

 歌の内容と後ろで奏でる音樂は違ふことを示す具體例を幾つか擧げ、例へば〈ヴォータンの別れ〉では「槍の動機」が出て來て、ローゲが自由に炎を操れない樣を示唆するなど、音樂表現としても卓越してゐることなど、ワーグナーの重層的な構築に驚かされた。
 そして、指揮者により強調する動機が違ふので、何を一番大事に表現したかったのか、指揮者の感じ方、表現方法と云ふものを考へるとより面白いと云ふ。

 そして、凡そ70分の鑑賞。廣瀬先生には會場ですれ違つた先月の《ジークフリート》公演をふと思ひだす。壓倒的な音の渦に身を沈め、ワーグナーのどっぷり浸かる至福の時間。

 今年はバイロイト詣でをすると先生はとても嬉しさうであった。


これは歌無し版♪

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2010年3月19日 (金)

句會

 自分は三十一文字の方が好きなので、十七文字の俳句は言ひ足りない氣がして、下の句を附けたくなつてしまふ。先日の「すきや連」では恒例にしようと云ふ二回目の句會に參加した。ご指導頂く繪硝子の和田先生から、前回は季語ないとこてんぱんに言はれてしまつたので、それを肝に銘じて捻つてみた。

  すき燒きを囲む幸せ鍋の中

  ふつふつと肉色變はるすきやきの

 各々事前に二句を送り、自分以外のものを當日四句選んで、最高得點を特選とした。五點入つた特選

  百年の驛舎におはす雛(ひいな)かな   千恵子

  子ら巣立ちすき燒きの肉上等に        幸子

と同點二句は女性が詠んだものだった。老舗すき燒屋の若旦那らしいと好評ではあつたが、どうも自分の場合、真ッつぐ詠み過ぎるやうだ。
 

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2010年3月18日 (木)

玉子の話

 すきや連では、富山の鶏卵業者、セイ アグリーシステムの伊勢社長の講演もあった。我々一般消費者が玉子について、いかに間違った情報に踊らされているか知ることとなった。

 1. 有精卵というのはただのブランドであって「受精卵ではない」。
  だから、温めても雛にならない!

 2. 放し飼いは決して自然ではない。
  草木も生えない、蟲もゐないところは自然ではない。

 3. 赤玉は白玉と栄養価に差はない。
  どうも騙されてゐた。

 4. 玉子の賞味期限、保管温度は意味がない。
  サルモネラ菌が繁殖しない内に食へ!但し、サルモネラ菌に汚染していない健康な玉子には関係がない。

 5. 自家配合飼料が安全という保証はない。
  誰も檢査してゐないのでわからない。

 6. 放し飼いはストレスが高く、喧嘩やストレスが絶えない。
  本來の廣さを確保できない上、交尾により鶏は病氣になり易い。

 7. ケージ飼いがすべていけないのではなく、規模が問題。
  窓もない超巨大な鶏舎では機械のやうに扱はれてゐる。

 8. 健康な玉子は洗う必要がない。
  サルモネラ菌の汚染が心配なので、さう吹聽してゐるに過ぎない。

 9. 本来バランス栄養食の玉子なのに、成分を強調している特殊玉子は意味がないどころか、食べ過ぎると弊害が出る。

10. 植物飼料だけだから安全なわけではない。
  必須アミノ酸はどこから摂るのか。

 HPにも書かれてゐるが、餘りに身近な玉子を全然知らかなつた。何年も玉子の値段が變はらないのは、安い飼料で効率よく、窓もない大型鶏舎で數萬羽も飼つてゐるのであつて、本來の玉子の味がする譯がないと云ふ。
玉子を使ふすき燒屋だけでなく、消費者も賢くならないといけないだらう。お土産に頂いた玉子を翌朝、玉子掛けご飯にして頂いたところ、確かに殻が厚く、割ると黄身の盛り上がりが違ふ。食べてみると、案外あっさりして、いけるのだ。これは文句なしに美味い。

 さて、鶏卵は何故か、料理に使ふ時は「玉子」と表記する。他の卵にはまづこの字は使はない。聞くところに依ると、大和言葉で形が球状なので「玉の子」から「玉子」となり、江戸時代に紐を通した玉飾りの玉を呼んだのが始まりだとか。

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2010年3月17日 (水)

縄暖簾

Nawa1
 新年最初の「すきや連」の例會は横濱の〈太田なわのれん〉さんで行はれた。此処は今ではすっかり珍しくなつた、味噌仕立てのぶつ切り牛肉の牛鍋屋だ。數々の文献にも出て來る、明治元年創業だから、今朝よりも勿論古い。

 入り口の縄暖簾は金網ができる前、江戸時代の唯一の蠅除けであつたらしい。そして、牛の臭ひ消しに味噌を味附けし、呑兵衛な主人が薄切りが面倒だと角切りにしたのが最初らしい。然も、今でも炭火なのが立派。
 一瞬、八丁味噌かと思ひきや江戸前の甘味噌だと云ふ。先の大戰で東京の味噌は壊滅したと聞いてゐたが、どっこい在りました。調べてみたら、あぶまた味噌が作つてます。

Nawa2
 天こ盛りなので、肉を少し外して白葱、椎茸、焼き豆腐を入れ、煮立ったところに白瀧、春菊まで全部入れて、グツグツのところを頂く。こればかりは仲居さんにお任せとなるが、慣れた手附きで、次々に載せるので問題なし。燒鳥の備長炭と違ひ、火力が差程強くないので、じんわり火が通るやうだ。玉子に附けて食べると、少しくどいのでなしで食べた方が輕く、ご飯の載せて食べる尚更よい。近江牛のロース肉なので、元々柔らかく、生でも食べられるものだが、程よく味噌に絡まり、いい感じなのだ。八丁味噌の味噌田樂とか好きな人なら大喜びするだらう。
 現在殘る牛鍋では創初期の姿のまま食べられるが何よりも嬉しい。感動ものであった。

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2010年3月16日 (火)

またしても雪岱

Settai
 湯嶋の羽黒洞で「小村雪岱展」を觀る。この間、埼玉近代美術館で觀て以來、先月の『藝術新潮』でも取り上げられてゐたし、山下裕二さんの努力が功を奏したのか、ヒタヒタと流行の兆しがある。

 此処では、聯載小説『忠臣藏』の挿繪原畫や下繪が並ぶ。おかみさんに聞けば、畫廊創設者の木村東介は數寄者で何処へでも顔を出したらしく、交友範圍も廣い人で、雪岱最後のモデル、下谷の藝者とも仲が良く雪岱縁の品を譲つて貰つたり、幾つかの作品は埼玉近代美術館へも卸したと云ふ。その方は瓜實顔で繪のやうに華奢であったと云ふ。お茶を頂きながら、つひ泉鏡花や歌舞伎の話で盛り上がってしまった。元の小説を讀んでゐないので、どの場面を描いたのか全くわからないが、デザイン畫のやうな釣り合ひの配置、障子や襖の斜めの直線、繊細な雪岱の特徴がよく出てゐる。

 畫廊では、美術館で觀るのと違ひ、顔を近附けたり、やや離れて觀たり、じっくり觀察できた。作品の良さは畫廊の方の人柄で倍増し、いつか手にしたいと思はせるのであつた。既に幾つかの作品が賣れてゐてよかったと思ふ。

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2010年3月15日 (月)

東西の雄

 山種美術館で「大觀と栖鳳 -東西の日本畫-」展を觀る。開館早々の時間の上、小雨の所爲でとても空いてゐて助かった。狭い割に人が多く、作品の前だらうと、解説の前だらうと、賣店だらうと黒山の人だかりで、過去二回ともうんざりさせられたからだ。

 日經新聞にも紹介されてゐたが、東西二人の巨匠の館藏品を中心に、東京畫壇と京都畫壇の系譜も一緒に觀られる非常に優れた展示であつた。大觀が新しい日本畫の方向性として、印象派から採り入れた輪郭を曖昧にした「朦朧體」の模索、師匠や親交のあつた菱田春草、弟子たちの作品も飾られ、畫壇の特徴も浮かび上がる。

 大觀と栖鳳は好きな作家だ。中學校の時、近所の駒澤ロイヤル庭球倶樂部で庭球を習つてゐたが、その時の先生に日本初のプロテニスプレイヤー、故佐藤俵太郎さん(1904-2006)がゐた。直接習ふことは殆どなかつたが、既に70代の筈なのに矍鑠(カクシャク)として、よく喋り、嚴しい指導をして、宴會ではタップダンスも踊る元氣な先生であつた。その先生が初めての歐州遠征の際、大觀も同船しててゐたと云ふ。船酔ひが酷くて船室を出られず、寝臺の上で一人、一斗樽の酒を抱えて飲んでゐたのを、開いた扉から見たと話してくれたことがある。佐藤先生は1930(昭和5)年と翌年、全佛と全英庭球大會に出場してゐるから、その頃の話であらうか。若い頃は酒が飲めなかったのに、岡倉天心に鍛へられて飲めるやうになつたらしい。酒好きの大觀の挿話としてよく覺へてゐる。

 そして、栖鳳も實は身近な存在なのだ。栖鳳は小學校の時の校長の祖父に當たる。基督教の私立の學校として、いち早くランドセルは子供の成長を妨げになると止め、土曜日を休みにして週休二日を導入し、木曜日に食堂で特別食を頂く「木曜ランチョン」を始めたり、温水プールを造ったり、劃期的な人であった。この先生は京都辯のままのやんわりとした話し方が特徴で、いつも朗らかな人で、私と同じ字で同じ名前なので特に可愛がってくれた。栖鳳がどんなお爺さんであつたかは知らないが、先生ご本人は80歳を過ぎてからスキューバダイビングの免許を取るなど、今も元氣な姿を見せてくれる。「いやあ、髭がまた立派になつたなあ」と京都訛りで聲を掛けてくれるので、照れくさい。

 大分脱線したが、それ故、東西兩雄は遠くの巨匠ではなく、自分にとつては身近な存在。既に觀たことのある作品もあるが、大觀の富士はいつも雄大だし、機知に富んだ栖鳳の「」なんか、今にもぺろりと舌を出しさうな生々しさがある。それで二人の作品は凄いで終はるといいのだけれども、今回は弟子たちの大作の方に目が行つてしまつた。

 昨年、蓼科の實習で触れる程近くで觀た下村觀山にも愛着が沸いたのだが、その觀山の「老松白藤」屏風は金地にど~んとまん真ん中に太い老松が立ち、枝に白い藤の花房が下がる、廣がりや奥行きに壓倒された。そして、川端龍子の「鳴門」の六曲二隻の屏風は全面群青色に白波が立ち渦が巻く豪快な作品であつた。師匠も作品群も素敵だが、大きい作品は兎に角目に附く。だから、素晴らしい展示であったと思ふ。

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2010年3月12日 (金)

能装束

 ホテル・オークラの創設者大倉喜七郎の父で、明治の實業家、大倉喜八郎が本邦初の私立美術館として建てた、大倉集古館で、新春を壽ぐ大倉コレクション「能面・能装束展」を觀る。

 鳥取、池田家傳來の能面と備前・池田家の能装束が存分に見られた。薄暗い館内のショウケースの淡い明かりの中、作品解説が多すぎず少なすぎず、丁度よい。空いてゐるので、多少人と前後してもゆったりと觀られる。
 能を舞ふ時にだけ着る特別な衣装である爲、きらびやかさ、意匠の優れたところなど、普通ではない。能舞臺で舞つてゐる時に見ても、餘り氣にしないのかも知れない。かうして、飾られ、解説を讀み乍ら觀ると、動く樣を想像し乍ら觀ることになる。

 △模様が蛇の鱗の意匠であることを知り、護符の意味ももつ籠目模様に花丸が重ねてある大胆なデザイン、菱形模樣の重ね方などとても新鮮。藤色の薄い生地に錦糸で刺繍が施された面妖な衣装は、先日、表具屋で見掛けた最高級の裂(キレ)にそっくりであつた。古くなつた袈裟や衣装が裂に使はれると聞いた氣がするが、そのものずばりの衣装が飾られてゐつので吃驚した。すると、こんな裂を使つて表装してみたら、どれ程立派な掛軸になるものかと、密かにひとりニタリと笑つてみたものの、肝心のそれに見合つただけ繪もないし、表装の技術もないので非現實的なのだが、想像力を掻き立てられた。

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2010年3月11日 (木)

名家の逸品

 先週末はホテル・オークラで開かれてゐた「名家の逸品 禮の家・宴の美」へ。近衛家、竹田家、松平家、そして鳩山家に受け繼がれて來た家紋入りの銀器や磁器に漆器に硝子器の逸品を使ひ、まるで各家毎の部屋のやうに區切られて展示されてゐた。それぞれ、逸品をさりげなく使ひ、卓上の豐かさを表現。和洋の傳統を織り交ぜ、品よく配置され、あたかもこちらが招かれたやうな氣になる。
 竹田家の血筋の方はすき燒今朝のお客さんでもあるが、實に品よく、お洒落で如才のない會話の妙があり、さりげなく心配りのできる素敵な方。かう云ふ環境で育つたのなら、自然と物の良し惡しもわかるだらうし、社交的になるのだらうと感心した。でも、根底には温かいもてなしの心があるのが素敵。

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2010年3月10日 (水)

もてなしの心

 先日、レス協の「調理師マネージャーセミナー」に參加した。新宿、京懐石・柿傳の安田眞一社長の「茶の心とおもてなしの心、その極意とは…」と、瓢亭の高橋英一社長の「京料理の基本 -世界へ發信-」の二つであつた。

 安田さんからは川端康成の勸めでお茶の爲の食事処を造り、茶の製法から、歴史、家元等の話から、「一期一會」のもてなしの大切さ、肩を抱くやうに、心から温かい氣持ちで接することを學んだ。
 そして、高橋さんからは、京料理の特殊性、生ひ立ち、総合的なもてなし文化であること、包丁文化、箸ひとつにも色々あることや、「出汁」と天然「鹽」への拘り、世界に發信する爲に「日本料理アカデミー」を設立して、佛蘭西の三つ星レストランシェフを招き、日本料理店での研修を受け入れ、食育問題に取り組み等の話を伺った。

 業態は違ふものの、おもてなしの心は皆同じなのである。レストランの語源の通り、食事を終へて元氣になつて歸へつて貰ひたいものだ。

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2010年3月 9日 (火)

町人文化

Toguri
 戸栗美術館で開催中の「町人文化と伊万里燒展」~器からみる江戸の食~へ行った。

 館蔵の素燒きの器に描いた「染附」や、釉藥を掛けて燒いてから、色を重ねて描いた「色繪」の磁器食器の數々が分類されて展示されてゐる。平和が續いた江戸時代には、庶民も食を樂しむゆとりが生まれ、花見、觀劇にはお辨當を持ち、仕出しを頼んだ。色繪は鍋嶋藩の贈答品であつたが、元禄時代には豪商の派手好みから金襴手(キンランデ)が使はれ、文化文政時代には青一色の染附が流行し、庶民が普段にも使へた爲、同じ「網目文」で大鉢から小鉢に至るまで作られたり、自家用に造らせたり、樂しみ方も樣々であった。

 浮世繪に描かれている作品と同じ形の器や、豪商の大皿、茶漬屋、蕎麦屋、料理茶屋の器なども分類されて展示され、江戸時代の食文化がよくわかった。解説も丁寧で讀み易いが、唯一殘念なのは、展示されてゐる浮世繪が複冩もので、實物ではないこと。もう一工夫されると、もっと來客も増えるのではないか。

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2010年3月 8日 (月)

獨逸村

 千葉縣には何故か「東京」と名附けられたものが多い。新東京國際空港(成田)、東京ネズミーランド(浦安)、それに袖ヶ浦に在る「東京獨逸村」。廣い芝生と花畑、それに幾つか遊具や小動物に触れ合へる遊園地である。
 さう云へば、昨年11月に新車を購入してから、まだ遠出もしてゐないことだし、いきなりアクアラインを通つて行くことに。以前春先に行った時は菜の花が咲き亂れ、筍掘りもできたが、まだ芝生も土色して、菜の花もほんの一部に植ゑられてゐるだけ。それでも、吹き曝しの寒風の中、娘と排球(バレーボール)をしたり、蹴球(サッカー)をしたり、柔らかい芝生の上で遊べた。
 廣場に隣接する建物では簡易食堂とバーべーキューができ、その横の建物では獨逸麦酒(ビール)、腸詰め、お菓子等輸入品から、千葉縣特産品もあり、買物もできる。豚肉の味がしっかりするヴルスト(腸詰め)、小麦の白ビールの酵母入り「ヴァイツェンビール」など、麦酒專門店でもなかなか飲めない故、つひ懐かしさから買つてしまつた。
Nanohana


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2010年3月 5日 (金)

収録

 先日、日本テレビ放送網のサンデーネクスト収録に今朝の座敷をお貸しした。司會の徳光さんと市原隼人さんの對談であつた。放送は3月7日(日)とのこと。雛祭り用の掛軸から、市原さんに合はせて、 池上秀畝の「虎繪」に掛け替えた。

 徳光さんはテレビのままであつたけれど、市原さんは顔が小さく、折しも拳闘映畫がクランク・アップしたばかりの所爲か、非常に精悍でシャープに締まった體形の外人のやうな印象であった。
 座敷しか映らないが、是非ご覧下さい。

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2010年3月 4日 (木)

塗り繪

 散歩がてらに澁谷の文化村へ立ち寄ると、「大人の塗り絵コンテスト展覧會」が行はれてゐた。
 これは河出書房新社刊『大人の塗り繪』集収録作品を課題としたもので、應募者は小學生から101歳迄と、かなり幅廣い。作風としては原畫に忠實な繪とかなり自由に描いてゐるものとあった。畫材も色鉛筆、パステル、水彩と様々なものを用ひ、同じ繪でも作者が違ふと微妙な色遣ひの變化があり、甲乙附け難く、なかなか見應へがある。主題に分けて、A4やB5サイズの本そのままの大きさの作品が5~6枚まとめて、ひとつに額装してあり、とても見易い。

 驚くのは入賞作の多くが70、80代のご高齢者の手によるもの。非常に生き生きとしてをり、ご本人の入賞の感想や解説もあつて面白い。聞けばリハビリに採用している病院もあるとかで、指先を動かし、手本通りに再現することはとても腦の活性化に繋がるさうだ。かうなると、もはやたかが塗り繪とは云へない。堂々とした一分野を築いたと云へやう。お年寄りが朗らかに描けるのであれば、素晴らしいことだ。

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2010年3月 3日 (水)

お雛樣

Hina 會計前に飾つてゐるお雛樣は、母が生まれた時に頂いた物。1940(昭和15)年の大東亞戰爭の最中ではあるものの、御殿造りの數段飾りあつた筈が、何時しか、數が減り、頭が取れて、ボロボロの中で唯一殘つた貴重な品。小振り乍ら品のある顔附きもしてゐる。


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2010年3月 2日 (火)

贅澤

Katumi
 先月20日でヴァレの背番號と同じ46歳となつたのだが、一寸贅澤をした。岳父、義母を筆頭に娘たちまで三世代、かみさんの身近な親族11人が狭い座敷に集まり、嚴冬のこの季節だけの河豚を食した。
 河豚の刺身、河豚の唐揚げ、河豚散り鍋、雑炊の他、色々注文し、鰭酒もたっぷり頂き大滿足。すっかり御馳走になつた。お代はりの鰭酒は銚子から火を附けたまま注いでくれる爲、これがお祝ひの燈火。自分の金で食べに行けないのが情けない…。

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2010年3月 1日 (月)

專用

Hake_2 以前、ホムブルクパナマ帽を注文した文二郎帽子店の出張注文會が日本橋三越であり、初めて文二郎さんご本人と會ふことができた。文二郎製のホムブルクを被つて行ったのは勿論である。
 ネット上でのお附き合ひでしかないが、細かい注文にも應へてくれたお氣に入りの帽子故、丸顔の爲、やや前後に餘りが生じるのでその對策を聞いたり、今夏注文豫定のカンカン帽の相談をし、帽子專用のブラシを購入した。

 そもそも、冬のフェルト帽子の大敵は埃や汚れなのだとか。今までは布巾で拭く程度であつたが、これからはこのブラシで掛けられる。内側から三種の毛が植ゑられてゐる細かい配慮がある。毛並みに合はせて左回りだと云ふので、左利きの自分には樂かも知れない。ご本人の慣れた手附きでホムブルクにブラシを掛けて貰ひ、何だか帽子も嬉しさう。細かいメンテナンスもするので、何時でも送り返して下さいとの心強いお言葉も頂き、職人の心意氣を感じる。娘さんも入社して、後繼者もできたと聞いた。注文會には、若い一番弟子の職人さんと奧樣と共に來てをり、直接お客さんの顔が見えるのがよいとも。

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