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2010年3月23日 (火)

天翔る馬

Walkure

 フルトヴェングラー・センターのレクチャー・コンサートに參加した。いつもなら、戸澤式の吸音紙風船の附いたスピーカーだが、事前の試驗で壊れてしまひ、急遽沖ミュージックサロン備へ附けのものを代用としてゐた。

 今回は翻譯や音樂評論で頭角を現している若手の廣瀬大介さんによる解説が最初にあつた。以前、ベルランでリヒャルト・シュトラウス協會の例會があつた折にお會ひしたことのある、眼鏡と髭のお似合ひの先生である。

 曲はワーグナーの樂劇《ワルキューレ》第三幕を、1954年の維納フィルとの録音LP盤で鑑賞した。フルトヴェングラー最晩年の録音であり、音質は優れてゐるが、スタジオ録音なだけに實況録音のやうな燃えるやうな推進力がないとの批判もあるが、じっくり聽かせ所を響かせる意味では優れた録音である。

 廣瀬先生は單に口で説明するだけでなく、鑑賞の要點となる主導動機を自ら洋琴で彈き、何処でそれが聞こえて來るか、何故そこで響かす必要があったのか、作曲家の意圖を探る。
 有名な〈ワルキューレの騎行〉ではバスのやうな低音がなく、浮ついた地に足が附かない感じを出して、ホルンやチェロが跳躍音程を奏でて風を切る天翔る馬を表現してゐるなど、音樂構造から曲の成り立ちを考へた。原始霧の最初の和音が根元となつてゐること、「愛と救済の動機」が初めて此処に出て來て、《神々の黄昏》の第三幕終幕にしか出て來ないが一番大事だと云ふ。

 歌の内容と後ろで奏でる音樂は違ふことを示す具體例を幾つか擧げ、例へば〈ヴォータンの別れ〉では「槍の動機」が出て來て、ローゲが自由に炎を操れない樣を示唆するなど、音樂表現としても卓越してゐることなど、ワーグナーの重層的な構築に驚かされた。
 そして、指揮者により強調する動機が違ふので、何を一番大事に表現したかったのか、指揮者の感じ方、表現方法と云ふものを考へるとより面白いと云ふ。

 そして、凡そ70分の鑑賞。廣瀬先生には會場ですれ違つた先月の《ジークフリート》公演をふと思ひだす。壓倒的な音の渦に身を沈め、ワーグナーのどっぷり浸かる至福の時間。

 今年はバイロイト詣でをすると先生はとても嬉しさうであった。


これは歌無し版♪

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