« 能装束 | トップページ | またしても雪岱 »

2010年3月15日 (月)

東西の雄

 山種美術館で「大觀と栖鳳 -東西の日本畫-」展を觀る。開館早々の時間の上、小雨の所爲でとても空いてゐて助かった。狭い割に人が多く、作品の前だらうと、解説の前だらうと、賣店だらうと黒山の人だかりで、過去二回ともうんざりさせられたからだ。

 日經新聞にも紹介されてゐたが、東西二人の巨匠の館藏品を中心に、東京畫壇と京都畫壇の系譜も一緒に觀られる非常に優れた展示であつた。大觀が新しい日本畫の方向性として、印象派から採り入れた輪郭を曖昧にした「朦朧體」の模索、師匠や親交のあつた菱田春草、弟子たちの作品も飾られ、畫壇の特徴も浮かび上がる。

 大觀と栖鳳は好きな作家だ。中學校の時、近所の駒澤ロイヤル庭球倶樂部で庭球を習つてゐたが、その時の先生に日本初のプロテニスプレイヤー、故佐藤俵太郎さん(1904-2006)がゐた。直接習ふことは殆どなかつたが、既に70代の筈なのに矍鑠(カクシャク)として、よく喋り、嚴しい指導をして、宴會ではタップダンスも踊る元氣な先生であつた。その先生が初めての歐州遠征の際、大觀も同船しててゐたと云ふ。船酔ひが酷くて船室を出られず、寝臺の上で一人、一斗樽の酒を抱えて飲んでゐたのを、開いた扉から見たと話してくれたことがある。佐藤先生は1930(昭和5)年と翌年、全佛と全英庭球大會に出場してゐるから、その頃の話であらうか。若い頃は酒が飲めなかったのに、岡倉天心に鍛へられて飲めるやうになつたらしい。酒好きの大觀の挿話としてよく覺へてゐる。

 そして、栖鳳も實は身近な存在なのだ。栖鳳は小學校の時の校長の祖父に當たる。基督教の私立の學校として、いち早くランドセルは子供の成長を妨げになると止め、土曜日を休みにして週休二日を導入し、木曜日に食堂で特別食を頂く「木曜ランチョン」を始めたり、温水プールを造ったり、劃期的な人であった。この先生は京都辯のままのやんわりとした話し方が特徴で、いつも朗らかな人で、私と同じ字で同じ名前なので特に可愛がってくれた。栖鳳がどんなお爺さんであつたかは知らないが、先生ご本人は80歳を過ぎてからスキューバダイビングの免許を取るなど、今も元氣な姿を見せてくれる。「いやあ、髭がまた立派になつたなあ」と京都訛りで聲を掛けてくれるので、照れくさい。

 大分脱線したが、それ故、東西兩雄は遠くの巨匠ではなく、自分にとつては身近な存在。既に觀たことのある作品もあるが、大觀の富士はいつも雄大だし、機知に富んだ栖鳳の「」なんか、今にもぺろりと舌を出しさうな生々しさがある。それで二人の作品は凄いで終はるといいのだけれども、今回は弟子たちの大作の方に目が行つてしまつた。

 昨年、蓼科の實習で触れる程近くで觀た下村觀山にも愛着が沸いたのだが、その觀山の「老松白藤」屏風は金地にど~んとまん真ん中に太い老松が立ち、枝に白い藤の花房が下がる、廣がりや奥行きに壓倒された。そして、川端龍子の「鳴門」の六曲二隻の屏風は全面群青色に白波が立ち渦が巻く豪快な作品であつた。師匠も作品群も素敵だが、大きい作品は兎に角目に附く。だから、素晴らしい展示であったと思ふ。

|

« 能装束 | トップページ | またしても雪岱 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/41030/33605870

この記事へのトラックバック一覧です: 東西の雄:

« 能装束 | トップページ | またしても雪岱 »