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2010年4月26日 (月)

近代能樂集

三島由紀夫原作の『近代能楽集』より「葵上」と「卒塔婆小町」を觀た。原作の能を現代風に三島がアレンジした一幕もの、美輪明宏の舞臺。2002年の再演の際は、相手役が宅間伸であつたが、今回の再演では子飼ひの木村彰吾なので、よそよそしさがなく、異樣な親密度で濃厚な舞臺となつた。

「葵上」はご存じ『源氏物語』の六條御息所の生霊が葵上を呪ひ殺す話が基となつてゐる。

かつては若い戀人、若林光と關係を結んだ六條康子だが、その後光は自分を捨てて結婚した爲、若い妻、葵に嫉妬して、本人の氣附かない内に生靈となつて葵を苦しめてゐた。夜な夜な病室を訪れる康子に看護婦たちも氣味惡がり、夫光も二度と會はない筈であつた昔の戀人の突然の訪問に訝しがる。併し、康子と話している内に嘗ての二人の樂しい日々が思ひ出され、瞬く間に康子に溺れそうになるが、そこに葵の悲鳴が響き、我に返る。

併し、光が目を覚ました病室には既に康子の姿はなく、電話をすると自宅で寝て居たと云ふ。すると、電話からではなく「そこに手袋を忘れた」と康子の声が病室に響き、光がコートと共に手に取ると、恍惚の表情を浮かべて康子の後を追ふのだった。電話口では康子がどうなったのかと尋ねるが、返事もなく、電話が切れると同時に葵はもだえ死ぬ。

30代でこの舞臺を見た時は醜い痴話程度にしか感じず、踏ん切りの附かない女くらいにしか思はなかつたが、かうして40代で觀るとまた、違つてみえる。多くを望み過ぎてもいけない、現在に滿足を覺へたのかも知れない。


そして、「卒塔婆小町」は小野小町に戀した深草少將へ100日通へば、思いを遂げさせると約束するが、100日目に病に倒れて添ひ遂げられなかった話が基となつてゐる。

公園のホームレスの99歳の老婆に煙草を貰ふ若い詩人が、昔話を聞き出す。自分には決して「美しい」と言つてはいけない。呪ひが掛つてると教へるが、笑って、そんな臭くてしわしわのおばあさんが美しい筈がないと應へる。
併し、まだ、小町が20歳の頃は絶世の美女として持て囃された話をし出す。小町に戀した深草少將が100日目に「美しい」と言つて亡くなり、それ以來、自分に「美しい」と言つてはいけないのだと云ふ。話に引き込まれた詩人が、それならば自分がその深草少將になってやろうと云ふと、邊りが突然明るくなり、何処からともなく現はれた燕尾服の男共とローブ・デ・コルテの女性たちに囲まれた美女がいた。これが小町なのか?
そんな小町を目の前にした深草少將に成り切った詩人は100日目にして思ひを遂げられる嬉しさと、これで手にして終はつてしまふ儚さとを思ひ、絶頂を迎へたところで「美しい」と言つてこと切れてしまつた。あれほど、駄目だと止めたのに。
警官によって、死人が確認され、連れ去られると、また、同じやうに老婆に煙草を求める若者が現はれるのであった。

手にするまでが樂しい。彼女を得た途端に覺めてしまふ人。美人に生まれたから、背を負わねばならない性。幾重にも同じことが繰り返される悲劇。

年を取った美輪さんだからこそ、その女性の深い悲しみが表現されるのだらう。その上、木村彰吾との二人の親密度合ひが普通とはまるで違ひ、愛情が滲み出てゐた。宅間伸の時は、ややよそよそしさが殘つてゐたので、今回は全く無理がなかつた。但し、客席の間を抜けて、六條康子の生靈が來るのではなく、病室奧に掲げてあつた打掛がするりと開いて出て來て、逆に光が客席通路を抜けて退場したり、やや演出も異なつてはゐた。

奇を衒はない、ベタな芝居だからこそ、臺詞も生き、大げさな舞臺装置も嘘ぽくない。おばさんたちのすすり泣く声も聞こえ、最後は三輪さんが一切衆生を救う觀音樣にも見えた。


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