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2010年5月31日 (月)

小山薫堂

 Gackt主演、小山薫堂監修による「眠狂四郎無頼控」を日生劇場で觀た。いつも格好附けて孤高のガクトの雰圍氣は眠狂四郎にピタリだと思ふし、映畫「おくりびと」の脚本家がどんな舞臺にするのか、いやが上にも期待は高まる。

 見渡す限り女性で男性は一割も居なかつた。それだけ皆ガクト目當てに來て、記念品販賣に群がつてゐて、プログラムを買ふのも諦めた。柴田 錬三郎原作、市川雷藏の映畫の記憶が強烈で、それをどのやうに現代的にするのは非常に興味があつた。子供の頃に日曜日の午後、テレビで見たのだつた。ニヒルで虚無的でエロティシズムにも溢れた雷藏演じる眠狂四郎のアイシャドウが怖かったものだ。

 映像を驅使し、ひとりひとり役者が小型マイクを使つてゐるが、滑舌の惡い役者の聲を聞き取り辛い。新劇なのだから、できたらマイクなしで語つて欲しかった。見得は切らないものの、スポットライトだけが最後まで當たつてゆっくり消えて行く樣など、歌舞伎的。時代劇の所爲か、どうも歌舞伎になぞらへて見てしまふ。

 刀を仕舞ふ度にシャキーンと云ふ効果音と共に背景に星が舞ふCG合成、説明過多な演出、場面轉換の度に暗轉されてSUGIZO作曲の音樂で繋ぐので飽きる。まるでテレビ番組のやうに、途中でコマーシャルが入つて水を差される感じとでも云はうか。回り舞臺或ひは、前後左右、装置の入れ替への工夫もできただらうし、同じ座敷でも暖簾や棚を取り替へ、背景の描き割りを變へるだけでもっと短くできる筈なのだが、不滿が殘る。後半はガクトの立ち回りが中心となるが、途中で太刀を落とす大失態。勿體なかつた。

 惡役に徹した嶋田久作、若い侍役の徳山秀典は好演、それに南野陽子は氣附いたが、堤大二郎、田中健等最後のテロップを見るまで氣附かず。
 全體として、最新装置を使ひ乍らも芝居の本質を忘れ、大衆演劇に徹し切れてをらず、主役ガクトを引き立てる要素も少なく、芝居のテンポもダレ易く、折角の持ち味が生かされてゐなかつた。きっと、歌舞伎仕立にしてしまふか、ミュージカルで心情を吐露すればよかったのではなからうか。再演する時には、今回の反省點を踏まえて、もっと刈り込みいい作品になるといいだらう。

 

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2010年5月28日 (金)

六人掛け

Botan34 4人乃至8~12人の掘り炬燵しかなく、「今朝」には6人全員が足の落ちる座敷がなかつた。そこでやつと掘り炬燵を廣げて、6~8人の部屋を用意した。工事した途端に6人の豫約が全然入らない。得てして、こんなものだらう。遠慮なく6人でご利用頂きたいものだ。


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2010年5月27日 (木)

藤の花

Fujigaku 3月に京都へ赴いた際に目にして、衝動買ひしてしまつた永樂堂 細辻伊兵衛商店の手拭ひ。東京の粋とは違ふ京都ならではの雅(ミヤビ)な意匠柄が氣に入り、その後、通信販賣でもだいぶ購入してしまつた。別に前年に使つたものでも、季節に合ふものは掲げてゐるが、新しいものも使ひたくなる。こんなに洗練された意匠なのに、戰前のデザインだと云ふのも何か嬉しい。よいものは年を取らない。

 苗字に「藤」も入るが家紋も「上り藤」である故、我が家は藤に縁があるらしい。昔の半纏も藤の花の意匠であつた。

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2010年5月26日 (水)

讀むこと書くこと

 車谷長吉の『錢金に就いて』朝日文庫 2005年 を讀む。小説には「命懸けの嘘」がないといけないと云ふ。「非日常的なもの」を描くのが書くことなのだとも。この人のエッセイにも氣迫が籠もつてゐる。自分の書くやうな生温いものはきっと認めてくれないだらうが、自分は小説書きでないからよい。

銭金について (朝日文庫)Book銭金について (朝日文庫)


著者:車谷長吉

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2010年5月25日 (火)

元祖

Soupe このところ會合が重なり飽食が續く。週の半分が仕事で食事となると結構きつく、どうも腹回りが太くなりつつある。3月に國際觀光レストラン協會の監事を引き受けたら、今度は獨逸ワインの師匠である小柳才治さんが日本獨逸ワイン協會聯合會の會長となり、お手傳つをする爲、幹事となつた。こちらは全國に在る獨逸ワイン協會を束ねる組織であり、年に一回「ドイツワインケナー」と云ふ獨逸ワイン專門知識と試飲能力を問ふ試驗を行つてゐる。
 どちらも「カンジ」ではあるが當全やることは全く違ふ。本業以外に頼りにされる年齢となつたのだらうか。

 さて、一昨日には、學生オケの演奏會後、OB學年幹事懇親會を南國酒家ラゾーナ川崎店で開いた。此処では宮田社長のご厚意で、素晴らしい品々を出して下さつた。鯛の姿蒸しも非常に美味であつたが、南國酒家で開發された「蟹玉子とフカヒレのスープ」こそ元祖であり、絶品であつた。姿煮はコラーゲンたっぷりで美味いのは當然だが、このスープを食べずにフカヒレを語れない。とろみ、食感、味の深み、どれを取つても絶妙であり、語彙の少ないのが悔やまれる。原宿の本店でなくても、同じ味が樂しめるのは素晴らしい。

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2010年5月24日 (月)

ミューザ川崎

Musa ミューザ川崎で母校現役學生の定期演奏會を聽く。家田厚志さんは音響心理學を學んだと云ふ異色指揮者。決して見易いと云へない棒振りだが、ユーモアたっぷりなので學生の信任が厚いのだらう。
 歌劇《フィデリオ》序曲、バレヱ音樂《コッペリア》からの抜粋、ドヴォルジャークの交響曲第8番と割と親しみ易い曲が並んだ。さすがに前プログラムは練習不足も否めず、やや力量不足が露呈したものの、メインプログラムの「ドボハチ」は元々盛り上がる曲だけに、女性トラムペッターの朗々とした響きもよく、全體によくまとまつてゐた。
 アンコールではヨハン・シュトラウス二世のポルカ《雷鳴と稲妻》を取り上げ、コントラバスが樂器をクルりと回したり、第一提琴が觀客の正面を向いて演奏したり、團員が隠し持ってゐたビニール傘を廣げたり、最後には「土蜘蛛」のやうにクラッカーの中身を播いて、大いに盛り上げてゐた。まるで、「のだめカンタービレ」を見てゐるやうだつた。かう云ふお樂しみはあつてもよいものだ。
 但し、響きのよいホールなので、和音の残響が濁るのは音程が微妙に合つてゐなかつた証拠であり、勿體なかつた。再來年の春には100回を迎へるのでOBとして、可能な限り助力して行きたい。


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2010年5月21日 (金)

隠れ家

Hijiri 神田明神の鳥居から路地へ入つた所で知人が佛蘭西料理「聖橋亭」を始めた。豫約のみ故、此処は献立表がない。好き嫌ひや好みを傳へて作つてくれるからだと云ふ。
 レス協の関東支部役員會で使はせて貰つたが、 古典的な洋食の流れを汲んだコンソメやドミグラスソースなど懐かしい味はひだつた。土地柄を活かし、直ぐお隣の「天野屋」の米麹や納豆まで使つてゐるのも面白い。こっそり食事をするのによいのかも知れない。
 畫像のスープは一種たっぷりより、會席のやうに少しづつ澤山の種類を食べたがる日本人向けにコンソメとポタージュの二種羮ガデミタス杯により出される。紙ではなく、刺繍布を敷くところも心憎い演出だ。


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2010年5月20日 (木)

燕子花圖

Nedu 根津美術館で4年振りに公開されてゐる光琳の「燕子花圖屏風」を觀に行く。混雑を覺悟してゐた爲、遅い時間に訪ねると、20名程度並んでゐるだけで這入ることができ、行列の後に附いてじっくり觀られた。右隻の杜若は色が薄い花も有り、左隻の疎らでも濃い杜若との釣り合ひも絶妙で、數學的な配置が美を生み出してゐるのだらうか。
 そして、庭へ降りると、杜若が咲き誇り、多くの人が冩眞機を手にして進めなかった。


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2010年5月19日 (水)

宮城野

Miyagino 《碁太平記白石噺》の主人公は吉原一の花魁、宮城野であつたが、それを聽いた翌日には何と映畫「宮城野」を觀た。然も、主演女優、毬谷友子さんと映畫の中に出て來る重要な浮世繪を描いた六代目國政さんとのトークショウに、浮世繪の新藤先生の話も加はり、なかなか賑やかであつた。實者の毬谷さんはとても魅惑的な方であつた。

 映畫は女郎、宮城野が冩樂の下手人として捉へられ、偽繪師との戀の經緯を語るところから始まる。背景には浮世繪の風景畫、芝居の描き割りのやうなセット、ミニチュア、紙製模型を黒子が動かしたり、随所に工夫が凝らされてゐて面白かつた。

 TMシアター新宿と云ふ30名も入れば一杯になつてしまふ小さな會場で、元は二人芝居であつたものを映畫に膨らませた話やモデルが居て描くのは樂しかつたとか、日本の心を大事にしてアクリル繪の具も使ひ、現在の浮世繪「ネオ浮世繪」を目指すと云ふ國政さんの力強い話もあり、お土産に香り附のカードを頂いた。今回限りの限定品だと云ふ。本來、名刺入れに入れて香りを移して使ふもの。但し、薔薇の香りなので男が使ふには難しい。記念に自筆署名を貰ふ。


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2010年5月18日 (火)

破けた

 文樂五月公演の第一部は金閣寺を舞臺に此下東吉(秀吉)が活躍する《祇園祭禮信仰記》と、江戸、淺草を舞臺に奥州白石の姉妹の再會と仇討ちを誓ふ《碁太平記白石噺》だつた。前半は呂勢大夫が上手になり、清治、寛治の三味線が冴へ、櫻の木に登ったり、三樓の金閣寺の舞臺から迫り上がつたりエンターテイメントの要素が強く樂しめた。そして、後半途中、清介さんが變な音を出すので床に目を移すと皮が破れてゐた。すぐに事情を察した裏から黒子が代はりの太棹と取り替へたので、僅かな時間ではあつたが、驚いた。どうなるのかと、ハラハラしたのは自分だけで、周りの客は氣附かず、清介さん自身も顔色ひとつ變へず、ごく普通のやうにしてゐたのは天晴れであつた。

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2010年5月17日 (月)

教授

 丁度、京都から造形大の師匠が上京してゐるので、人形町の學舎に挨拶へ行った。授業が終はる迄、受附横で昨年お世話になつた事務の方や一緒に行つた同期の友人と喋つてゐた。三々五々降りて來る學生さんが私に會釈をして歸へつて行く。確かに修了生ではあるが、見ず知らずの人に挨拶して行くなんて、今年の學生さんは何と行儀のよい學生さんたちだと思つて、こちら頷いてゐた。

 それが來る人も來る人もなので、妙だと思ひ始めた。すると、「教授に間違へられてゐますよ」と友人がぽつりと言ふ。確かに一寸驚いたやうな顔をされたが、珍しいヒゲにビビッただけかと思つたら、藝術學部の先生だと思はれてゐたのだ。大いに笑ふ。

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2010年5月14日 (金)

お染&久松

 文樂の舞臺は關西が多く、野崎觀音と云はれても全然ピンと來ないが、例の勝沼の葡萄を見附けた僧、行基手彫りの十一面觀音を本尊とした「慈眼寺」のことを指し、大阪から德庵堤を船で行くか、土手を行くかで賑はつたと云ふ。
 今月の文樂公演夜の部ではご存知《新版歌祭文》が掛かつてゐる。特に名高い〈野崎村の段〉は、丁稚の久松とその奉公先の油屋の娘お染との成さぬ戀を、周り人々の思惑を描くことにより筋が進む。「お染久松」の物語として有名らしいが、それすら知らなかつた。事前、住大夫のCDを幾度も聽いてゐるので、耳には慣れてゐたが素浄瑠璃ではなく、舞臺を觀るのも初めてであつた。
 その上、今回は〈野崎村の段〉だけでなく、後日談の〈油屋の段〉〈藏の段〉もあり、ほんたうに二人は心中をしてしまふ悲しい話がじっくりと味はえる。

 いつもはとてもがっかりさせられる綱大夫さんが元氣になられ、滑舌もよくなり、とても聽き易くて助かつた。勿論、住大夫師匠は、きっちりと演じ分けてくれる爲、目を瞑っても誰の科白か判る名人藝。事前に、錦糸さんから調子を變へる爲に途中で駒を變へると聞いてゐたので、じっくり手元を見たが何事もなかつたやうに取り替へて、とても滑らかであつた。錦糸さんだけはいつも安心して聽ける。
 今回、錦糸さんの連レが清志郎さんではなくて、龍爾さんも初めてで新鮮だった。若手も育つてゐるのだらう。 「團子賣」では、錦糸さんのお弟子さんの錦吾さんが他に引けを取らず、一糸亂れず立派に演奏してゐた。今後が益々樂しみだ。

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2010年5月13日 (木)

百景

 先月は府中市美術館へ「歌川國芳 奇と笑ひの木版畫」を觀に行き、今月は太田美術館に「廣重『名所江戸百景』の世界」を觀たり、現代浮世繪の六代歌川國政さんの個展へ行ったり、浮世繪憑いてゐる。

 國芳は美人畫だけでなく、幕府に拠つて役者繪が禁止された時に魚や壁の落書きに見立てたり、化け物繪もあり随所に工夫が凝らされて現代の我々が觀ても樂しかつた。それに對して廣重晩年の作の「江戸百景」は、それまでの名所を先人とは別角度から描いたり、廣重が新たに取り上げた箇所もあり、なかなか見應へがあつた。
 「神田明神曙之景」「上野清水堂不忍ノ池」「芝愛宕山」「品川御殿やま」「芝神明増上寺」「兩國花火」… 數へ出したら切りがないが、自分の知つてゐる場所が幾つも取り上げられてゐるのは嬉しいもの。勿論、現在は往事を忍ぶものが殆どないが、それでも嗚呼あすこだと思つて見るのも樂しい。

Bikunibasi 中でも「びくに橋雪中」をどうしても觀たかつた。其処には「山くじら」と大きく看板があり、幕末に猪を食らつてゐた証拠として、牛鍋の前身のやうに語つてゐるのに、本物は見たことがなかつたからである。作品保管上の薄暗い燈りの中で、ぼんやり浮かび上がる繪圖の繊細な線がとても印象的であつた。

 今回は摺りの技法も丁寧に説明書があり、「ぼかし」から、雲母の粉を播いて輝く樣子にした「雲母(キラ)摺り」、布生地の凹凸を紙に押し附けた「布目摺り」、顔料を乘せずに白紙の部分に木版の凹凸を冩して模樣を附ける「空(から)摺り」等、しっかりと觀ることができた。それにしても、大胆な構圖と云ひ、細かい描冩と云ひ、江戸時代の庶民の底力を感じた。


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2010年5月12日 (水)

轉冩

 子供の日に佐藤久成さんの提琴獨奏會が東京文化會館であつた。今回は竹内俊之の随分力と入つた伴奏故、一段と力強く感じた。

 演目はワーグナーの樂劇から〈懸賞の歌〉〈愛の死〉〈パルジファル・パラフレーズ〉等CD發賣を記念した提琴獨奏用に轉冩(トランスクリプションズ)した曲が主體。リスト編曲の洋琴なら聽いたことがあるものの、こちらは提琴故、趣が全く違ふ。仄かに旋律が沸き上がるやうな感じで、樂劇の場面を思ひ出すには丁度よい。

 いつものやうに何処にその力が隠されてゐるのだらうと思ふ程、超絶技巧を驅使してゐ乍ら、笑顔でさらりと彈き切つてしまふ。それら殆どが埋もれた曲ばかりで自ら歐州古書店で探し出して來たもので、本邦初演であつたりする。
 東京文化小ホールのコンクリートと金屬の無機質な室内が、壓倒的な迫力に柔らかく感じた。演奏後にはサイン會も開かれ、終始和やかな雰圍氣もよかつた。

http://item.rakuten.co.jp/hmvjapan/3821806/

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2010年5月11日 (火)

叙勲

Kunshou 昨日、皇居豐明殿に於いて春の叙勲の儀式が行はれた。長年レストラン業界に尽くした功(觀光事業振興功勞)により親父(弊社現會長)が「旭日雙光章」を頂いた。その昔、母方の祖父が「旭日小綬章」を頂いてゐたが、これは昔で云ふところの「勲四等」であるのに對し、この雙光章は「勲五等」に當たり、平成22年の雙光章受賞者は558人も居るので、その有難味は正直よく分からない。面倒だからと最初は斷はるつもりであつたらしいが、一度斷はるとその業界には以降贈られなくなるらしく、他に欲しい人の爲にも貰つてくれと云はれて、ブツブツ言ひ乍ら致し方なく頂くことにしたやうだ。

 頂くとなると、懲罰を受けてゐないことが條件となるので、交通違反もできず、運轉を控へ、随分と靜かにしてゐた。そして、先週新聞に載ると同時に、じゃんじゃん電報が届き、お祝ひの品が寄せられ、正直お返しがたいへんだと貰ふ前からウンザリ顔。それに加へて、菊の印の入つた専用額やお祝ひの引き出物の型録が全國からどっさり届いたと云ふ。その方面の業者なら半年に一度、確實に儲かる仕事になるのだらう。實家へ寄つたついでに一寸見せて貰つたが、どの業者もそれぞれ色々と工夫が凝らされてゐたので、冷やかし半分としては面白い。

 嬉しい反面、モーニング・コートの貸衣装、母の着附けもあり、あとで祝賀會を開かねばならず、相當な出費を覺悟しないといけないやうだ。

Photo


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2010年5月10日 (月)

六代目

 歌舞伎界で「六代目」と云へば、尾上菊五郎を指すが、浮世繪の正統派、歌川派の係累に續く現代作家、六代目 歌川國政さんの個展「Retrospection」が中目黒のカフェ「CAMARADA」であり、初日開展パーティーに參加した。

 かう云ふパーティーは不慣れな故、まづ何を着て行くか惱んでしまひ、結局、紺のブレザーに灰色のパンツ、青縱縞のボタンダウンにアスコット・タイ、そしてローファーと云ふ、一寸お洒落な感じでまとめたところ、もっと氣樂な感じであつた。

 作家ご本人は既に一緒に食事に行くなどして既知であつたが、作品を觀るのは初めてであつた。大判の肉筆原畫が壁に掛かつてゐるがカフェ故、その前にソファがあつて大勢の若人が飲み食ひして近附くこと能はず。されど、間近で觀ると、繊細な筆遣ひにより線が特に美しい。家紋がフレッドペリーのやうであつたり、或ひは着物の柄がバーバリー・タータンチェックのやうであり、指先が現代人であつたり、よくよく觀ると現代作品だと解るのが面白い。これからどのやうに伸びるのかが、とても樂しみな作家である。

自5月1日(土)至6月4日(金)
於カフェ「Camarada」
六代目歌川国政展「Retrospection」

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2010年5月 7日 (金)

東京アートアンティーク

日本橋、京橋エリアの畫廊や骨董店が參加してゐる「東京アートアンティーク」の對談企劃、蓑豊(兵庫県立美術館館長)X村上隆(アーティスト)を聞きに、京橋へ出掛ける。お題目は「歴史のなかの現代アート」。

 元金澤21世紀美術館館長で、サザビーズを退任されたばかり、先月から兵庫縣立美術館館長に就任した蓑氏曰く、まづ多くの本物を觀ることが大事なのだと。そして、できれば深く勉強して欲しい。さうすれば、尚一層面白くなる。そして、親が子供を連れて美術館へふらりと行く習慣を付けるとよいと云へば、村上氏は現代美術品の價値は美人競技と同じでその時の流行にも左右されて高い。それ故、或る程度價値の決まつた骨董を手にしようと勸める。

 戰後、歪な資本主義が定着し、脱法でもしない限り蒐集品維持ができない現状がある。確かに、高い相續税、寄附すると儲け過ぎだと税務署から印を附けられ、財團組織にしたところで、構造改革により豫算が大幅に削られて何もできないと云ふ。一億総中流意識が浸透し過ぎた弊害。自分よりも成功者が妬ましくてイラッとし、引き擦り降ろしたいと思つてゐるが、自分だけは免れたいと考へる日本人。

 本來、資本主義は階級分けがしっかりあり、經濟人が世界で仕事をして行く上での共通原語、コミュニケーション・ツールとして美術がある。
 若い人は西荻窪で安くていいと思ふものをまづは買ってみるといい。失敗して覺えるし、氣に入ればずっと使へるのだ。村上氏も多くの失敗をやらかしたと云ふので、とても親しみを覺へる。

 若人はテレビゲームばかりで、他に全然興味がもてないと云ふ現状認識。ゲームマニアは酒も飲まなければ、ドラックもやらないのは、ゲームをしてるだけでドーパミンが出て十分快樂に耽られるから。なのであり、それを否定したところで致し方なく、ゲームの感覺を取り入れてしまへばよいのだ。今はファンタジック、アンチリアルなものが賣れると云ふ話。

 「今は價値觀が大きく變はる幕末と同じなのだから、幕府(政府)に期待してはいけない。我々が變へて行くんだと云う力強い言葉が村上氏からあつた。 二人とも方法は違ふが、今までとは違ふ發想で、それぞれ新しい潮流を生み出さうとしてゐる。最先端を行く人の話に大いに刺戟を受けた。この時代の變はり目にあり、今は面白い時代なのかも知れない。

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2010年5月 6日 (木)

端午の節句

 結婚して以來初めて連休中遠出をしなかつた。それもその筈、急遽犬を飼ふこととなり、その世話や躾で天手古舞ひして、久し振りの子育てが甦る。
 そして、昨夜は菖蒲湯にする爲、かみさんが買つて來た。

 「お父さんたいへん。大きな韮(ニラ)が洗面所に澤山あるよ。」

小6の次女は菖蒲を知らなかつたらしい。わなわなと足の力が抜ける。皇居内の菖蒲園も見に行つたことがあるのに、親として不徳であつた。

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