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2011年6月29日 (水)

ドビュッシー

 ふと本屋の平積みで目が留まった 中山 七里 『さよならドビュッシー』 宝島社 を讀んだ。ミステリーとして讀むと、使ひ古された絡繰(カラク)りな感じも否めないが、16歳の少女が全身大火傷を負ふつても、イケメン指導者の下でスポ根真ッ青な練習に取り組んで成長して行く樣はクラシック好きには堪らないだらう。特にピアノの奏法や解釈に於いては作者の一過言と描冩が抜きん出てをり、こちらを主として讀めば面白いと思ふ。帶の妻夫木聡と並んで私もお勸めする。

さよならドビュッシーBookさよならドビュッシー

著者:中山 七里
販売元:宝島社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2011年6月28日 (火)

復活《蓄音機の會》

Hibiya 先日、蓄音機HMV194を手に入れ、カフェに置くので是非お會ひしたいと突然電子便(メール)を頂いた。然も、ツェッペリンの飛行船が來航した1929(昭和4)年10月に竣工した日比谷公會堂内のアーカイブスカフェだと云ふ。

 このカフェの目玉として据え置き、定期的に演奏會を開いて欲しいと云ふ依頼であつた。電氣なしの撥条(ゼンマイ)でも素晴らし音がすることを世の中に知らしめて欲しいと云ふ壮大な企劃なのだ。ネット検索して私まで辿り着いたらしいのが凄い。然も、前面的にお任せするので好きにやつてよいと云ふ。勿論、斷はる理由はない。自分の蒐集品と針を持ち込み、來月23日に第一回、それから隔月で開くつもりである。日比谷公會堂縁の演奏家を取り上げたいが、自分の好みで選んだ78回轉盤があるかどうか。それにしても、レコードが割れたばかりで意氣消沈してゐたのも束の間、嬉しい知らせ。

 


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2011年6月27日 (月)

無惨

78 久し振りに出物を見附け、格安で落札したものの、届いたらこの無惨な姿。今回は保險に入つてゐなかつたので、郵便局も賠償してくれず、出品者も同情すれど替へがある譯でなし、泣き寝入り。フルトヴェングラーの《皇帝圓舞曲》HMV DB21174はなかなか出て來ないのに…。


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2011年6月24日 (金)

自作展示

Tenji0 7月7日(木)迄、表装入門教室の生徒たち同士の展示を行つてゐる。學藝員有資格者である私に全権委任されたので、數箇月前から展示壁を押さへ、作品調書を取り、寸法を測り、解説を作つて展示した。最新作の大和表具は風袋が間に合はず、單なる三段表具として出展した。


Sandan 學藝員仲間二人に助ッ人を頼んだ甲斐もあり、展示當日は滯りなく無事に一時間ほどで全15作品を展示できた。掛軸は尺貫法故、作品の間は3尺空け、解説板は作品から5寸、腰板から2尺5寸など、全部尺寸で測る。糎(センチ)では細かい端數が増えて非常に面倒なことになるが、慣れない人には「あと1分左」とか「2
寸5分」とか言はれても、全然ピンと來ないことだらう。

 寸法を測り乍ら、直角定規を當てて、端から順繰りに廊下の兩壁面に取り附けた。さうしたら、丁度真ん中に排氣口非常用スヰッチが邪魔をして解説板がずれてしまつたのが非常に殘念であつた。最初にそこから測ればよかつたと思つたが、非常用ボタンが作品の裏では、いざと云ふ時に役立たないのだから、これでよいと言はれた。成る程と納得。お時間がある方は是非、惠比壽アトレ7階のよみうりカルチャー惠比壽に足をお運びください。


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2011年6月23日 (木)

ラスト

 今期、新國最後の演目は《てふてふ夫人》。ご存知の通り、長崎を舞臺に没落氏族の娘、てふてふも15歳の藝妓から結婚斡旋人の云ふがままに結婚して、子供をこさえて3年も待ち續け、つひに裏切られたと知ると自害してしまふお話。うちの娘も14歳。震災で自分が死んでしまったらと考へると、空恐ろしい。全く他人事とは思へない。

 既に再演故、合唱や脇役人が慣れてゐて動きもよく、主役のてふてふさんを露西亞の新鋭、オルガ・グリャコヴァが通る聲で力強く、また儚げに演じ、和服の裾捌きも美しく、對する亞米利加海軍士官ピンカートンをセルビアのゾラン・トドロヴィッチが泥臭く演じた。こちらは抜けるやうなテナーではない爲、どうも蔭が伴ふ。米領事シャープレスを維納國立歌劇場で獨唱者を勤める甲斐栄次郎が演じたが、日系二世のやうな趣がよかつた。金持ちの求婚者ヤマドリ役を松本進が滯りなく深い聲で進め、始終動きまわる仲人のゴローには高橋淳が雰圍氣たっぷりと演じ、女中スズキを大林智子がそつなくこなし、完成度の高いものとなつた。

 最高の立役者は指揮者イヴ・アベル。俊敏樣式でテムポよく引っ張り、歌はせ、歌はせ、聲に合はせて揺らして引き締まった指揮をしてくれたお蔭だらう。終はりよければ、全てよし。

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2011年6月22日 (水)

食らはんか

Kurawanka1Kurawanka2Kurawanaka3 布哇(ハワイ)から親父の友人が仕事がてら來日したので、大家族皆で食事に行く。毎年、築地で食材やら合羽橋で道具を買ふ程、和食好きなので、新宿のホテル近くの「くらわんか」へ。レス協関東支部長經營の店故安心である。ほんたうなら本店とも云へる「柿傳」へ行きたいところだが、親父の懐を考へると総勢13名なので無理は言へない。

 大阪の淀川の大きな舟を相手に「酒食らはんか」「飯食らはんか」と聲を掛けた小舟が嘗てあり、その舟の小皿を「食らはんか碗」と云ふ染め附け伊万里であつたらしい。その器の名前が店名となつてゐる。月替はりで郷土料理を食べさせてくれる店として有名だが、丁度金澤の味はひであつた。それ故、先附には鱒壽司、螢烏賊の干物、鮴(ゴリ)の唐揚げ、白海老など北陸の珍味が並び、稚鰤(ワラサ)の刺身、鴨の治部煮、氷見饂飩に櫻桃の氷菓など凝った料理が美しい器に盛られて來る。社長さんから過分のサービスして頂き申し譯ないくらい。うむ、これはお返しが大變だ。

 それはさてをき、此処でも鮎の鹽燒きが出たので、頭からすっぽり食べられた。關では蓼酢(タデス)は使はないが、此処では供され、附けて食べても美味。年に一度でも口にできればよいと思つてゐた鮎が今年は既に4回目。快擧である。選んで食べに行ったの一回切りで、他は附いて來ただけだが、今夏あと何回鮎は食べられるのだらう。


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2011年6月21日 (火)

コジ

 新国立劇場の歌劇期間(シーズン)も今月で終はりを迎へる。ダミアーノ・ミキエレット新演出による《コジ・ファン・トゥッテ》を觀た。「女は皆かうしたもの」と云ふ題が示すやうに、物語は二人の親友が、友人の哲學者にそそのかされて戀人姉妹のそれぞれの貞節を試す爲に軍隊へ行ったことにして、變装して戻りお互ひの相手を口説いたら、二人とも心變はりしてしまつたと云ふもの。通常なら種明かしが終はると、誰でも浮氣はするもんだで輕妙な笑ひで幕を閉じるが最近はそのまま怒つて別れるのが流行つてゐるやうだ。

 ミキエレットの演出の舞臺は亞米利加の(?)キャンプ場。小山があり沼があり、真面目な感じの青年たちが不良ぽいバイカーになって戻って來るのは樂しい。さもありなんと云ふポップなキャンプ場の雰圍氣はよく出てゐたが、宮廷歌劇のモオツァルトを期待してゐた人にとつては許し難い暴擧と感じたことだらう。併し、衣装に既製服で充分だらうから、お金も掛からないだらうからいいのかも知れない。

 今回は震災の影響でだいぶ歌手の變更はあつたものの、6人の合奏(アンサムブル)は程良く、まとまってゐた。ミゲル・A・ゴメス=マルティネスの指揮は全體にのんびりしてゐるものの、矢鱈伸ばすかと思へば突然「イン・テムポ」で激走したり緩急の差が激しい。エッティンガーのやうな疾風樣式だとグイグイと引ッ張られて、劇の中に入り込むのだが、そこまでの力はなく勿體なかつた。特に、グリエルモ役のアドリアン・エレート、ドン・アルフォンソ役のローマン・トレーケルは演技もそつなく説得力があつた。デスピーナ 役のタリア・オールも、コケティッシュな道化役ではなくて、人生經驗豐富な女性として浮氣をそそのかす感じも新鮮であつた。

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2011年6月20日 (月)

名殘りの宴

Nanbabasi 大阪堺筋を南に向かひ中之嶋から土佐堀川を北濱へ渡る所に「難波橋」が架かつてゐる。遠くに公會堂も見える。この南詰、高欄の獅子は天岡均一(1875-1924)作と云ふ立派なもの。其処から東へ少し歩いた所に大阪屈指の料亭「花外樓」本店は在る。嘗て、仲違ひをしてゐた木戸孝允、板垣退助、大久保利通等の「大阪會議」で和議が整ひ、 難問解決から縁起がよいと、木戸が名附けたと云ふ。幕末の志士たちがいざと云ふ時は土佐堀川の小舟で逃げたとも云はれる由緒ある店が建物の建て替へにより3年間假店舗となるのを惜しみ、名殘りの宴がレス協關東支部主催で開かれた。

Kagai1Kagai2Kagai3 先附からして粋。茅の輪潜りの夏越しの大祓(6月30日午後6時執行)に因んだ輪と二段寄せが美味。オクラ、山芋、毛蟹をほぐしたものが重なり、生雲丹射込、割り醤油と梅肉が添へられて、何とも清々しい演出。
 今回被災した月の井酒造から、義援金のお禮に御酒が届き、杯を重ねる。

 それから、蓮餅、冬瓜、鰻白燒、山葵、薄葛仕立ての煮物、目板鰈のお造里、そして劍烏賊と伊勢海老、それにトロ握り、花穂、水玉大根の二皿目の刺身が出て、凌ぎに南禪寺蒸し、燒物には九繪照燒、辛子蓮根、丸十と珍しいクエが團扇の形をした器に盛られ、強肴には牛肉燒シャブと蒸し鮑油燒、アスパラ白、緑と豪華な佇まひ。山芋に牛肉の薄切りが巻かれた上品な味はひには胡麻だれを、鮑には肝だれを附けて頂く。そして、炊き合はせに賀茂茄子が出された後、湯桶に白米と香の物もするりと胃に入つてしまつたところで時間切れ。新幹線に間に合ふやうに歸へつた爲、水菓子は逃がしてしまつた。

 本日と同じ構成員(メンバー)で3年後の新装開店記念にお訪ねしませうと云ふことに。そんな挨拶を80代の先輩が言ふのは如何にも頼もしい。原點に立ち戻つた新しい料亭が樂しみ。

Kagai4伊藤博文、山県有朋、後藤新平、東郷平八郎等、歴史を賑はした面々の書等、これは花外樓さんの秘蔵品と云ふより國の寶だらう。

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2011年6月17日 (金)

高嶋屋史料館

Takasimaya1Takasimaya2Takasimaya3 日歸へりで大阪へ來たのだから、南へ足を伸ばし、「高嶋屋史料館」へ。此処の副館長が京都造形の學藝員の先輩に當たる爲、詳しく解説して下さつた。一昨年に泉屋博古館分館で開かれた「所蔵名品展」には前期後期合はせて足を運んだので、竹内栖鳳の《あれ夕立に》《ヴェニニスの月》等、記憶に新しい。

 呉服商から百貨店になつた三越、松坂屋のやうに創業300年以上とは違ひ、高嶋屋は1831(天保2)年に初代飯田新七が京都で商賣を始めてから150周年と比較的歴史が淺いのだ。明治13年創業のすき燒今朝と比べたら20年も早いのだが、百貨店としては後發だと云ふ。

 それ故に、國際的な博覧會に出品したり、ショウウヰンドーを設置したり、阪急に倣ひ南海線の終着驛に「大阪店」を開いたり、畫画商を通さず直接作家に作品を依頼する「美術部」を創設するまど、劃期的なことを次々と行つて來たと云ふ。東京日本橋の高嶋屋は何か高級な贈答品を扱ふ感じだが、大阪は庶民的な店造りを目指してゐるのださうだ。さう云へば、新嘉坡でもお世話になつた。個人の蒐集品のやうな統一感はないものの、百貨店がお願ひして作らせて名品がごっそり仕舞つてあり、まだ全てを把握してゐないらしい。
 東京店のポスターに三代目市川左團次の《矢の根》があつた。此処には一言も高嶋屋と書いてゐないが、當時の人は左團次の屋號が「高嶋屋」だと知つてゐるので、わざと描かなかつたと云ふ粋な計らひ。

 史料館の建物は堺筋に在つ舊松坂屋の建物で昭和15年だかのもの。珍しく回廊も備へ天井が高く、随所に古代希臘(ギリシア)以來の「アカンサス(葉薊)」の主題(モチーフ)が描かれてゐる。この東別館だけでも素敵なアールデコの建物。三階部分の歴史資料はポスターにしても、時代を反映してをり、非常に樂しい。來年だか再來年には「世田谷美術館」で高嶋屋展が開かれると云ふので樂しみだ。


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2011年6月16日 (木)

関西の蕎麦

Soba 大阪出張、少し早めに到着し友人たちと合流して、御堂筋の淀屋橋驛と堺筋の北濱驛の丁度真ん中邊りの蕎麦屋へ。夕食に花外樓の宴故、輕めの晝食をお願ひしたところ案内された「一山」。殆どがご近所の勤め人ばかりで相席の筈が、偶然にも一机空いて運良く座れた。

 人氣の「田舎蕎麦」の冷たいものを注文。蕎麦粉より小麦粉が多い、コシのあるつるりとした蕎麦は喉越しがよい。やや甘めのタレに生玉子と大根下ろしに青葱を絡ませてあッと云ふ間に頂く。関西は饂飩とばかり考へてゐたが、美味い。どうしてかうも大阪は安くて旨い店が多いのだらう。


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2011年6月15日 (水)

カリニャン

Carignan 毎週のやうに試飲會が續くとさすがに疲れも出始めるが、この日は三國ワインの試飲會。ブルゴーニュ切ッての酒商(ネゴシアン)「メゾン・ジョゼフ・ドルーアン」を抱へてゐる大手輸入元。自分では買へないシャムボール・ミュジー村の1級畑〈レ・ザムルーズ〉なんてワインもお目見えする。これは「戀人たち」と云ふ名の畑のワインで、ビオディナミ農法(簡單に云ふと有機農法)により育てられたピノ・ノワールを手鹽に掛けて醸造し、佛蘭西産オーク樽で一年以上寝かせた逸品。希望小賣價格30,000圓と聞けば、その内容にも納得するだらう。最高級と云ふ形容詞はこのワインの爲にあると言つて過言ではない。
 或ひはモンラッシェ村の特級畑〈マルキ・ド・ラギッシュ〉上代85,000圓なんて云ふものも、ここで味を覺へてをかないといけない。併し、つひ素晴らしワインばかりに目が行つて見逃しがちな、ブルゴーニュ南の コート・シャロネーズ地區産の2006年〈リュリー・ルージュ〉がこれまた低價格な割に凝縮感のある素晴らしい味はひであつた。

 勿論、そんな立派過ぎる赤ワインを仕入れてもすき燒今朝では賣れる確率は低いので、安價で香りとコクの釣り合ひの取れたものばかりを探す。見附けましたよ♪ 南佛地中海沿ひのラングドック地方の傳統品種カリニャンを使つた2009年産ラ・クロワザード〈レゼルヴ・カリニャン・ヴィエイユ・ヴィーニュ〉。樹齢40年以上の古樹から摘んだ葡萄を一部佛産オーク樽に寝かせ、より複雑な味はひが出てゐる。通常のカリニャンは混醸用のたいしたことのないものだと云ふ認識を覆された。

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2011年6月14日 (火)

朝食

Hanedaasa 長女の修學旅行の見送りに羽田空港へ。澁谷驛の改札を這入つてから、時計を忘れた、運動靴の筈が間違へて革靴履いて來たり、てんやわんやの大騒ぎ。慌ててかみさんに届けて貰ひ、階段を驅け上がり、豫定通りの電車に乘れた。早めに家を出て正解であつた。附き添ひなので持ち物など注意もしてゐなかつた。いつも緊張してゐる娘がすっかりほぐれて笑顔で集合場所に行ってくれて助かる。

その後、ホテルでゆっくり朝食。中學生にもなつて見送りでもないが、知り合ひのパパとのんびり朝食もいいもの。


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2011年6月13日 (月)

町内會

Chounai すき燒今朝の在る東新橋一丁目町内會総會に出席。町内會と雖も地元に住んでゐる人は殆どゐなくて、實質建物所有者や大企業の総務さんの集まり。本來は日比谷神社の大祭がある筈であつたが、神田祭や三社祭の取り止めに引き續き、うちだけやる譯には行かず中止。マッカーサー道路上部だけ假開通など、地元の話題。

 會場は例年通り、東海亭。今月は和食續きで既に鮎を食べたが、此処でも天麩羅が出た。旨い。頭から食べて、ほんの僅かに苦いところがまた乙。やっと諸先輩方に顔を覺へて頂いたので、話も彈む。お隣にはリクルートさんの総務部のお若い方々。

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2011年6月10日 (金)

名古屋

Pb 名古屋に戻り、地元の友人と奈良から驅け附けてくれた友人も交へて會食。決して改まつた席ではないので、氣樂な洋食を希望したところ、驛ビルの上の佛蘭西料理店「ラ・メゾン・ポール・ボキューズ」に席を用意してくれた。大雨に祟られ30分も早めに到着したのでまだ空かず、皆さんを紹介して立ち話。何のことはなく、直ぐに時間が來て、着席。

 天井が高く豪華な内装の割に、卓子布の上に紙が敷いてあり値頃感のある献立。帷で仕切ることのできる席で、晝食の本日のコースを頂く。南佛のシャルドネで乾杯し、自家製鶏肉のリエットをバケットに附け、またはオリーブ油に浸して頂いてゐると程なくして、冷製玉蜀黍のスープが來る。滑らかで優しい味はひ。
 そして、主菜の鮎魚女(アイナメ) ロースト 菠薐草のピュレ添へ  甲殻類のムースリーヌソース。泡立てた牛乳がまろやかさを出し、鹽味もおとなしくて食べ易い。上品だが、肉用のフォーク&ナイフと云ふのは晝食だからか。
 デザートは一品選べるのでマンゴムースにして、珈琲。和食ばかりであつたので、久し振りの洋食に大滿足。

 以前、今回參加してくれた人から迷惑を被り、それを別の友人に話さうとしたことがあつた。その時大失態をやらかし、別の人に掛けてしまつたのだ。携帶の電話帳で一段違ひの上、姓名それぞれ1文字ずつ同じなので、たぶん指の感覺で間違へたのだらう。相手に反應も待たず一人で息も附かせず、に喋り續けて、やっと途切れたところで、僕はそんな人は知りませんよ。といきなり言はれて絶句。その上、何処に掛けてますか。僕は何某ですと言はれて頭の中が真ッ白になつた。暫く二の句が繼げず無言となつてしまひ、大汗かいて平謝り。そんな電話の失敗を話して、大いに笑ふ。然も、その當事者が一同に會するなんて思ひも寄らなかつた。


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2011年6月 9日 (木)

天守閣

Inuyama1 關でたっぷり遊んだ翌朝は犬山城へ。かなり雲行きが怪しいが登城することに。木曽川沿ひの小山に立つ天守閣は1537(天文6)年に織田信長の叔父、織田信康が築城したもの。その後、德川の時代に尾張藩家老、成瀬家のものとなり、昭和の時代迄個人所有されてゐた。
 小振りの白だが三層(中は四層)造りで急階段でしか上がれない。併し、その景色は絶景だ。見渡す所が支配下と云ふ感じが傳はつて來る。眼下の木曽川の翠も美しい。
 そろそろ、歸へらうかと思つた矢先の土砂降り。googleで雨雲を調べて貰つても、全く止む氣配がなく、天氣豫報は午後からの筈がもう降り出した。仕方がないので城内のお土産屋で傘を買ひ、觀光案内状で目と鼻先の犬山驛までタクシーを頼む。するとどうだらう、途端に小降りになる。そして、驛へ着く頃にはもう止んでゐた。何と云ふ間合ひの惡さ。忘れられない犬山城となつた。
Inuyama2


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2011年6月 8日 (水)

鮎尽くし

Sekikankou 初夏は矢張り鮎なのだ。誰が何と言はうと鮎が食べたくなる。その昔、子供の頃關で嫌になる程食べたのが災ひした。兎に角、食べたくて仕方ない。今回は鵜飼ひの後、關觀光ホテルに戻り、夕食。勿論、鮎が主役だ。小汚いホテルであつたが、改装して見違へる程に。塩燒きや甘露煮だけでなく、刺身は初めて。こんな大きいのはこの邊りではまだ捕れない筈だから、養殖ものだらう。それでも鮎に違ひはない。それに、茶碗蒸しに飛騨牛の燒物など、量も多いが持ち込んだワイン3本はあッと云ふ間に終はり、心地よく部屋に戻り爆睡。ウコンの力のお蔭で翌朝二日酔ひなし。

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2011年6月 7日 (火)

鵜飼ひ

Ukai また、旅行の話に戻るが、關市を流れる長良川上流の小瀬の鵜飼ひの歴史は古いらしい。小學生の頃は此処でよく泳いだ。向かう岸は岩場で流れが急なので、素人が渡ると戻つて來られない。嘗て、野球の田淵選手でさへも歩いて橋を渡つて戻つたと云ふくらい。
 18時過ぎに舟に乘り込み、持ち込んだスパークリングワインで乾杯し、靜かに日暮れを待つ。途中、鵜匠の足立さんが解説に來る。装束の話から、茨城で捕獲した海鵜を飼ひ慣らして漁に使ふ。小魚はそのまま喉を通るやうにし、光と音に驚いた鮎が上流へ逃げるところを、鵜が潜って捕まへる。鮎だけでなく、鮒も捕るらしいが、鯰はヒゲが邪魔をし、鰻は難儀するので鰻なんだとか。前回は岩佐さんであつた。

 さうして、19時半過ぎ、山陰で手相が見えなくなる頃に鵜飼ひの始まり。砂地には鮎が居ない爲、岩場へ來る頃に幾つか跳ねる。鵜がしっかりと掴むところも見えるが、暗くて冩眞にならない。奈良時代から續くと云ふ漁法で捕まへると、友釣りと違つて傷が附かず高く賣れるらしい。年に決まった回數、天皇家へ献上するので、今も宮内廳職員。

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2011年6月 6日 (月)

ケント・ナガノ

Kent 土曜日の晩のゲネラルプローベ(通し稽古)、そして本番當日の朝のリハーサルと練習に立ち會ひ、チャリティーコンサートの本番を迎へた。青學オケを世界的指揮者ケント・ナガノが振ってくれることとなったからだ。OBとして切符を捌くのもたいへんであつたが、何んとか滿席となりほっとする。

 最初に演奏した「新世界より」は先日の定演で一應完成してゐたが、指揮者が變はるとかうも違ふのかと思ふ程、全く雰圍氣の違ふ若者らしい勢ひと熱氣の籠つた素晴らしい音を奏でてゐた。どこから、こんな音を引き出して來るのかと思ふ。前日の練習では専門家向けの指揮に附いて行けず、テムポの違ひに戸惑ひ、英語の指示が聞き取れず四苦八苦してゐた樣子を見てゐただけに、本番の頑張りには學生ならではの真ッ直ぐな心の現はれだらう。

 そして、バッハのコラールは、前日に連絡間違ひで曲目が變はり大急ぎであつた爲、粗も目立つたが、遺作なのでぷっつり終はり、震災への追悼とされた。最後に日本の歌曲には藤村実穂子さんの歌聲がホールいっぱいに廣がる。亞米利加人の編曲、獨逸語風な發音で、50年代に描かれたハリウッドのエキゾチックな東洋の趣があつた。リハーサルでは、ケントさんと獨語で話してゐて「貴方は日本語解るんでしたね」と日系三世の指揮者。彼は英語、獨語、佛語は得意でも日本語は殆ど解らないので、日本の歌曲も我々とは違つた捉へ方をしてゐるのであらう。それにしても、短い積み重ねでよくぞここまで演奏できたものだと思ふ。無事に終はつてくれてよかつた。

 終演後、OBの代表たちと、自分も副代表だが、ケントさんにご挨拶。今回は先方の希望で開かれたこともあり、何んと寛大で心優しい方か。

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2011年6月 3日 (金)

刀鍛冶

Kaji1Kaji2 關と云へば「關の孫六」と云はれる位、日本刀が有名。鎌倉時代1229(寛喜元)年に伯耆國檜原より元重なる刀匠が關に來て、此処で刀を打ち始めたのが始まりだとか。今も刃物産業に携はる人が大勢ゐる。今回も二十五代 藤原兼房さんを訪ねる。愛子樣の守り刀を造るなど現代刀工の最高峰とも云はれる。
 勿論、觀光用ではないので、通常は見せてくれないが今回は特別だ。わざわざ、我々の爲だけに松炭に火を熾(オコ)さねばならないので、心附けは忘れない。
 トン、トン、チンと周期的な反復(リズム)が心地よいが、火花は飛ぶし、熱いし、傍で見てるだけでも汗だくとなる。
鍛えるのは右側の二人で、左に座り鞴(フイゴ)を調整するのが親方席で、二人に續いて合圖を入れる。これが「相づ鎚(アヒヅチ)」な譯。これが下手だとトンチンカンになるとか。

 一寸打たして貰つたが、重くて上へ上がらない。もしも、振り上げたとしても、きちんと叩けないだらう。見てると簡單なのだが、實際にやるのとは大違ひ。そして、完成した太刀を持たして貰つた。重い。妖艶は光を放ひつひ見入つてしまふ。骨董を始めると行き着く先は日本刀なのだとか。分かる氣がした。全て手造り故、研磨、磨きや白鞘を入れて600萬圓。成る程。

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2011年6月 2日 (木)

關土産

Sigure 岐阜縣關市は嘗ては日本の中心とされ、その東を「關東」、西を「關西」と云つたのだ。刃物産業と鵜飼ひくらいしか何もないが、子供の頃から親しんだ味はひは決して忘れられない。

 仕出し屋「魚國」の「筏鮠(イカダバエ)」。關東で云ふ「山女魚」の稚魚の佃煮。これが美味い。ベタっとしないカリッとした外身で醤油の甘辛さも丁度いい鹽梅。御飯を食べ過ぎてしまふ。
 そして、「大黒屋」の「伊深志ぐれ」。お麩を時雨煮にしたもの。御飯のお伴に、お茶漬けにいいのだ。食べた感じは肉のやうであり、精進料理としてお寺でも重寶してゐるやうだ。

 そして、關の「孫六煎餅」。小麦粉に玉子と砂糖だけのパリッとした煎餅だが刀の鍔の形が有名。でも、今回はうちの職場のお姐さんたちに「孫六鮎」を購入。これでも從業員に氣を遣つてゐるのだ。

 大勢で押しかけるので、「何処からおいでですか」と問はれると、東京、大阪、茨城、平塚とバラバラ。そして、私の顔を見るなり「なんや、炭竈(スミカマ)さんか~」と母の在所の姓がバレてしまふ。母の所爲で赤味噌でないとどうも味噌汁は好きではないが、子供たちは普通の信州味噌がいいと云ふので、我が家はいつも揉める。

 

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2011年6月 1日 (水)

Tujiya1Tujiya2 名古屋に泊まり、翌朝には造形大の友人やベルランからの友人を引き連れ、総勢7名で關へ。7年ぶりに鵜飼ひと刀鍛冶を樂しまうと云ふ嗜好。母の在所が在る爲、叔父の計らひで普段は行けないところが中心。まづ、11時開店の「辻屋」へ。

 此処の鰻は子供の頃から食べ慣れてゐる所爲か、關市の中では一番好き。ぱりっとした外と中はじんわりとしてゐる。中入りの丼は量が多いので、御飯は殘してしまつたが、大好物の鯉の洗ひは酢味噌で頂く。昔はつとに小骨に閉口したが、けふはきちんと全て外してあり、泥臭くなくて素晴らしい。八丁味噌の酢味噌も昔のまま。また、肝吸ひも上等で、奈良漬けも美味、水菓子はメロンと定番尽くしもよい。以前、白耳義の息子さんを預かつて以來だから、17年振りに食したが、變はらぬ味はひ。これで締めて2,900圓はお値打ちだと思ふ。唯一、豫約ができないのが口惜しい。

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