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2013年5月27日 (月)

白花滿開

 一年振りの再開であらうか。柴田悦子畫廊で「森田晴樹展」を觀る。暫く作品もお借りしてゐたが、諸事情によりお戻しした。

 お訪ねした日は丁度作家不在でとても殘念であつた。魂を奮はせるやうな繪を描く人はどんな方であらうかと、とても氣になつてゐた。弊社にお立ち寄りのご豫定であつたと伺つたが、12月以外、土曜日はお休みしてゐるので、勿體ないことをした。

 幾重にも重ねた薄墨の背景に、白い花の上にだけ月の光の焦點が合ふやうに、すッくと立つ花たちの潔さ。櫻や梅の大きな作品は、これでもかと、手抜かりなく必用に、全面に描き切る。
 畫面全部を覆い尽くす燕子花の迫力たるや、光琳の考へ抜かれた意匠とは違ふ、何か鬼氣迫るものがある。神宮御苑のうんざりする程咲き亂れる杜若には感動しないのに、屏風のやうな横長のこの作品は、不思議と人の心を捉えて離さない。作家の性分と言つてしまへば、それまでだらうが、どうしても描かねばならない心が現されてゐるのだらう。

 そんな中で、一本の茎に百合が幾つか咲いた縱長の作品が一番氣に入つた。横壁に掛けられてゐたので、見逃しがちなのに、お茶を勸められて、座つた途端に視線が釘附けになる。林の間に咲く鬼百合はニョキッと大きくなる姿が異樣で怪奇にすら感じ、店の水盆に生けられた百合は花粉は附くし、匂ひが強いし、餘り好きではないけれども、そんな嫌な面は薄墨に覆い隠されしまひ、良い面しか見せてゐない。白い花の蔭にはさう云ふものも隠れてゐるのだが、全く氣にならない靜謐感がいいのだ。靜かに、でも、きちんと言ふべきは言ふ素敵な日本人ぽいところが好きだ。

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