自動二輪車(バイク)道路競走(ロードレース)世界選手権(World Grand Prix)で活躍する日本人選手には、何故か兄弟で參戰してゐる人が多いのに氣付きました。少し前ですと、「青木3兄弟」、宣篤(のぶあつ)、拓磨(たくま)、そして治親(はるちか)が有名です。3兄弟の表彰臺獨占を夢見て來ましたが、1997(平成9)年、伊太利選手権大會、イモラのGP500級では2位に宣篤選手、3位に拓磨選手が入り、1位のドゥーハンよりも兄弟入賞が注目されたものです。
今では、長男宣篤はスズキ社のMotoGP開發ライダーに、次男琢磨は1998(平成10)年の事故により脊髄を損傷して下半身不随となつたものの内燃機關運動(モータースポーツ)の普及、四輪車のバリアフリーの追求等に積極的に取り組み、三男治親は川口自動二輪競走(オートレース)で活躍してゐます。
今最も注目されてゐるのは、世界選手権GP250級で競ふ青山博一(ひろし)、周平(しゅうへい)兄弟でせう。他に、昨年英國スーパーバイク選手権(BSB)で最多勝利に拘はらず総合2位に終はつた清成龍一(りゅういち)選手と、弟の健一(けんいち)選手も全日本選手権ST600級で、そしてGP250級で現在優位に立つ高橋裕紀(ゆうき)選手(開幕戰4位)と、弟の江紀(こうき)選手も、全日本GP250級で活躍中です。皆兄貴の後ろ姿を見て「俺にもできる!」と思つたことでせう。
さて、青山博一選手は5歳から小型二輪車(ポケット・バイク)を始め、14歳で桶川塾に、18歳で名門ハルク・プロに入り、2003(平成15)年につひに全日選手権GP250級、年間綜合優勝を決め、翌年ホンダ社の奨學制度第一期生として、世界選手権GP250級に參戰し昨年は年間綜合、世界第4位に着け、2年間の制度を満了しました。大治郎に少しでも近附きたいと、背番號73(大ちゃんは74)を附けてゐましたが、今年より4番を背負ひ墺地利のKTMより同級に經續して出走してゐます。
おとなしく、いつも爽やかな笑顔を絶やさず、英語の對應も様になりつつある頼りがいのある兄貴です。サイン欲しさに群がるファンに嫌な顔せず、きちんと對應してくれるのは素晴らしいことです。そして、私は一昨年の慈善競賣(チャリティー・オークション)ではサイン入りの背袋(リュックサック)を落札できました。その時、握手して貰つた手がこれまた華奢で吃驚しましたが、飾らない素顔も實に素敵です。
それに對して周平選手はやんちゃこの上なく、闘爭心剥き出しの對照的な性格です。兄と同じやうに小型二輪車(ポケット・バイク)から始め、桶川塾、ハルク・プロと兄の背中を見乍ら、16歳で全日選手権GP125級に參戰後、昨年、全日選手権GP250級、年間綜合優勝を決め、今年よりホンダ社の奨學制度第三期生(二期生は高橋裕紀選手)として、兄から譲られた73番を附けて世界選手権GP250級に出走してゐます。
昨年の世界選手権日本大會、ツインリンク茂木の豫選2日目に、待機所(パドック)通行証(パス)を購入して裏方見學へ行きました。その折、自轉車で移動する周平選手を見附け、目出度くサインを頂きました。こんな時にオペラの出待ちの經驗が生かされ、出しゃばらず、控え目過ぎずに要領よく多くの選手から貰ふことができました。
この弟は無邪氣で、若々しく輝いてゐましたが、まだ恐いもの知らずの子供っぽさも殘ります。豫選1位博一兄、2位に周平弟が並んで始まつた決勝戰は、惜しくも弟が轉倒棄権した爲殘念でしたが、兄は雪辱を晴らすやうに見事に優勝を飾りました。
兄は新しい製造會社の新しい組(チーム)で頂點を目指し、弟は初めて挑む世界の檜舞臺での活躍を祈るばかりです。開幕戰、兄は6位、氣持ちだけ先に行つてしまつたのか、弟は2週目に轉倒退場。2人同時に表彰臺へ上がる姿を、是非見てみたいものです。今年は世界選手権GP250級で闘ふ青山兄弟から目が離せません。
青山博一公式HP
青山周平公式HP
最近のコメント