殿堂入り
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最近、どうもパソコン畫面の見過ぎの所爲か眼が疲れるので、1階の巴里ミキさんでPC用に眼鏡を作りました。裸眼でも1.0位見えますが、少し亂視が入つてゐた爲、一所懸命眼の中の筋肉を使つてゐても、段々ずれるやうです。と云ふことは老眼の始まりでせうか…。
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夏はパナマ帽でせう。元々、中南米の農夫が被つてゐたものを、農場主が日除けの帽子として使ひ、1895(明治28)年に亞米利加軍人がパナマで發見し、自國へ持ち歸へつてから、徐々に廣まつたやうです。1906(明治39)年には、當時の米大統領、セオドア・ルーズベルトがパナマ運河視察時に特に氣に入り、吉田茂も愛用してゐました。これは、盛夏や熱帯用の日除けですから、夜被るのは御法度ですね。
實はこのパナマ、織り込む麻の太さで値段が一桁違ひます。初めて、手にしたのは布哇のロイヤル・ハワイアンと云ふ桃色のホテル内の専門店でした。當時600弗もしたので、目から火が噴く程驚きましたが、随分使ひました。安物は1年と持ちませんから、7年もてば元が取れた勘定です。特に嚴しく言はれたのは「トップのツマミを持たぬこと!」。此処を摘む内に、パナマが折れて破れるからで、ソフト帽でも、必ず鍔を持つて被るものです。ですから、このやうに幾年か經るとトップが壊れてしまひます。
3代目は文二郎帽子店で誂えたもの。4代目はボルサリーノで俗に「筋入り」と云ふ形で、折り曲げて旅行に携帶するやうに出來てゐます(最初の畫像)。5代目は佛蘭西製のモンテクリストフ。やや山高で、リボンが細いものの特賣品を入手。さうして、6代目は一番安く、普段被つてゐます。但し、手垢や汗に日焼けで2年目となると、もう色が變はつて來てゐます。
麦藁も勿論被ります。英國では「ボーダー」と呼ぶ、元はネルソン提督が海軍の制帽と定めた、「カンカン帽」です。主に夏の浴衣の時に被りますが、「撮影ですか」と訊かれるのは閉口します。流行ではなく、自分に似合ふものを探すのも結構お金が掛かりますねえ。
山の中央部に溝を作つて被るので「中折れ帽」と云ひます。フェルト等の柔らかい生地で作つてゐるので「ソフト帽」とも云ひます。これは勤め人の帽子でした。父の記憶では、以前歌舞伎座の座席の下には、この帽子が丁度収まるやうになつてゐたさうです。座席の裏側に針金で枠があり、そこにソフト帽の鍔(ツバ)が引ッ掛かるやうにできてゐたのだとか。
昨年、伊太利へ赴いた時に真ッ先にボルサリーノの店を訪ねました。併し、山が高く、然も頭の形が前後に長い歐米人に似合ふものが、私のやうな丸い頭には、どうもしっくり來ないので諦めたのでした。併し、銀座に在る「トラヤ」へ行くと、矢張りボルサリーノが置いてありますが、何か違ひます。訊くと、これは日本人向けにトラヤが發注して、ボルサリーノに特別に作られたものだと云ふのです。他にも鍔の廣いものとか、微妙に違ふものもあり、伊太利よりも逆に豐富に揃へてある感じでした。それで、幾つか被って、灰色の色合ひ、リボンの太いのも氣に入り、これを頂きました。被る際には前の廂をやや下向きにして被ります。氣分は映畫『ボルサリーノ』のドロンのやうですが、電車の中では視線を感じますね。
背廣はこれでいいのですが、スモーキング(タキシード)のやうな略式夜會服にはもうひとつ上のシルクハットか「ホムブルク」(畫像)が必要となります。中折れは同じなのですが、縁取りがあり、硬い生地で出來てゐますから、ソフトではありません。1860年代に獨逸の温泉地ホムブルクで流行つたものらしく、英國皇太子(後のエドワード7世)が、1889年に本國に持ち歸へり、上流階級に廣まったさうです。その後、1910年頃亞米利加でも流行し、外交官から勤め人まで被るやうになつた、シルクハットに次ぐ上等な帽子です。冬に二重回し(インバネス)を着る時は、これでないと収まりが惡いと云ふものでせう。
一昔前は「野球帽」と言つてゐたものが、いつの間にか「キャップ」と稱するやうになつてゐます。その昔、東京の子供は巨人軍の野球帽と決まつてゐたのですが、親父が野球に興味がなく、ナイトゲームも見ない家でしたから、私は被りませんでした。併し、母の實家の岐阜縣へ夏休みに行くと、もう近所の子は皆、當り前のやうに蒼い中日の帽子で吃驚したものです。然も、一人麦藁帽で笑はれたものの、決して同じものを被ることもない「東京者」を通しました。
以前は弟から貰つた紐育ヤンキースの網目(メッシュ)の風通しがよく、日除けに使つてゐましたが、後ろの調整ボタンが壊れてから、今では専らGrand Prixライダー故加藤大治郎のものばかりです。近所へ一寸出る時や子供と公園に行くのに最適です。
栃木縣茂木で行はれる自動二輪世界選手権(World Grand Prix)日本大會では、決まつて「大治郎シート」から應援してゐるので、青一色に染まるやうに揃ひのTシャツと青い帽子を被ります。1000人近くの人が一箇所で同じ色になると壮觀です。黒地に黄色のものは生前関係者に配つたものを友人のプロスキーヤーから頂き、その傳手(ツテ)で、ご本人が被つてゐた赤地のものを未亡人から譲り受けました。ご本人が特に氣に入つて被つてゐたとのことで、これはもう寶です。只、大ちゃんは頭が小さく、私のやうに横廣で丸い頭には似合はない意匠(デザイン)なので、被つても、今ひとつ似合ひませんから、飾つてゐます。
近頃、出掛ける際は必ず帽子を被るやうになりました。休日は鳥打ち帽かキャップ、通勤やパーティー等背廣にはソフト帽、二重回し(インヴァネス)の外套の際はホムブルク、そして夏はパナマ帽(畫像)かカンカン帽がすっかり定番となりました。何となく髭に合はせて、日焼けを防ぐ爲、先人に倣つて始めただけなのですが、慣れると頭の上に何もないと案外落ち着かないものです。
もともと、特定の帽子は身分を現すものでもあり、勤め人はソフト帽、手代や配達人は鳥打ち帽と決まつてゐたやうです。服装で身分が判る時代はレストランでも非常に都合がよく、初めていらっしゃるお客さんに對する言葉遣ひや對應もそれに合はせることができました。今では、小汚いジーンズの人が實は大金持ちのロック・ミュージシャンで、澤山使つてくれることもあり、雰圍氣や場所に應じた服装をしない人が多いので困ることも多々あります。
帽子は、單純に屋外で被り、屋内では脱ぐのが基本です。縁なしニット帽であつたり、キャップを食事の際にも被り續ける神經は解りませんが、單に禮儀を知らないだけなのでせう。うちの店なら、そっと注意してあげます。他に儀式や葬式、國歌斉唱も脱帽です。自動二輪(バイク)の世界選手権大會(Wordl Grand Prix)に於いて、表彰臺に上がつた日本人選手が、優勝者の國歌が流れてゐるのに、脱帽を知らず問題になつたこともあるさうです。身近なやうで、以外とさうでもないのが帽子です。
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