番宣
先日のロケーションは、4月15日(水)16時より、TBSで放送される「夫婦道ナビ」でした。
水曜日、夜9時からのドラマの番組宣傳の爲に作られたもので、どの程度映つてゐるかは全く判りません。これを見た人が、お客さんとしていらして頂ければよいのですが…。
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先日のロケーションは、4月15日(水)16時より、TBSで放送される「夫婦道ナビ」でした。
水曜日、夜9時からのドラマの番組宣傳の爲に作られたもので、どの程度映つてゐるかは全く判りません。これを見た人が、お客さんとしていらして頂ければよいのですが…。
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先日、テレビ番組の収録がありました。對談及びそれを別室で見る他の人々の雑談、そして一緒に食事と云ふ構成で4月からの番組宣傳の爲の特別番組の収録でした。
何だか知りませんが、どうしてこんなに人が必要なのかと思ふ程の大勢がやって來て、照明、音聲、撮影の設營後、俳優さん到着、使つてゐない部屋が控へ室になり、慌ただしい中で始まりました。無理難題とまで言はなくても、事前の打ち合はせと違ふことが山程出て來て、その調整がたいへんでした。これが宣傳になるのならいいのですが…
孰れにしても、放送日が決まり次第お知らせしませう。
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明日、13時30分からの日本テレビ、「サタデーバユーフィーバー」と云ふ番組では「禁斷のウラ事典 ザ・タブー」と題して絶對やってはいけない〈禁忌〉を取り上げます。
すき燒のタブーに就いて、寸評を求められ、短い時間でしたがきちんと撮影されました。尺の問題でカットされるかも知れませんが… 果たして如何に。
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衛星放送WOWOWでは、映畫監督ルイ・マル特輯があり、ほぼ20年振りに《さやなら子供たち》を觀ました。監督の自傳的作品で、ナチス獨逸占領下佛蘭西、疎開先のカトリック教會寄宿舎での體驗が綴られてゐます。割と裕福な家庭でお母さんがジャムを寄こしたり、面會に來て一緒に食事をするにしても、一寸お洒落な格好が印象敵です。當時の過酷な状況下での家族、友情、密告、別れが詩情豐かに描かれてゐるのですが、20年前はフランクフルトの劇場で獨逸人に囲まれて觀たので忘れられません。
第二次世界大戰の最中からして、反ナチスの内容故、何となく回りの人の反應が氣になつて見渡したところ、歴史的事實として淡々と受け止めてゐるのか、特に普通の映畫と同じなのですが、こちらが色々考へてしまふ爲、妙な居心地惡さを感じたものです。米作テレビ番組《コンバット》からして、ナチス獨逸は人類の敵のやうな教育を受けた自分だけでなく、獨逸でも徹底的に反ナチス教育を受けてゐる所爲でせうが、親獨逸派としては、何となく自身も否定されるやうな氣がしました。
映畫の中で、巡回中の獨逸兵や食堂の將兵は決して嫌な奴は居ません。寧ろ義勇兵の方がユダヤ人狩りをするやうな有樣。同じ佛蘭西人でも、横流しをしてゐたこづかひさんが解雇された腹いせに密告したり、綺麗事では濟まされない人間模樣。
私の場合、佛蘭西語は獨逸語字幕で、獨逸兵やゲシュタポの喋る獨逸語は直ぐに耳から理解してしまふ爲、自動的にナチス側にされて居るやうな感じを受けてしまふのです。頭で解つてゐても、獨逸語を通してしか理解できない爲、心情的に佛蘭西人の心情なのに複雑な感覺でした。現獨逸では人種差別は殆どなく、日本人だからと言つて肩身の狭い思ひは殆どしませんでした。
ユダヤ人と云ふ存在自體、日本では別世界ですが、大家がユダヤ人で色々文句を言はれて結局敷金を返してくれなかったとか、「矢張りユダヤ人だから」と諦めに似た表現を普段から耳にし、英國短期留學中、ユダヤ人家庭に世話になり豚肉が戀しくなつたり、鉤鼻の指揮者や街中に黒ずくめの異樣な姿を目の當たりにすると、偏見はなくとも存在を意識せざるを得ませんでした。
そして、現在の中東ガザ地區やパレスチナ西岸地區では、パレスチナ人を土地から追ひ出し、迫害してゐる樣を見ると悲しくなります。これではイスラエル人とて、ナチス獨逸のしたことと何ら變はらない。彼等の論理もあるでせうけど、何も學んでゐなかつたのか、同じことをしない選擇はなかつたのか、また色々考へさせられます。
ユダヤ人を匿つた爲、一緒に囚われて出て行く際「さやうなら司祭樣」と云ふ子供たちの聲に對して、「Au revoir, les enfants」とすぐに戻って來るが如くいつも通りに返事をする司祭。折角仲良くなつた友達に對して「さやうなら」とそっと手を擧げることしかできなかつた主人公。ドンパチがない戰爭映畫です。
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獨逸映畫《厨房で逢ひませう》をケーブルテレビで録畫してをいたものを觀る。ミヒャエル・ホーフマン監督作品は、料理もさること乍ら、他に何の趣味も持たない腹の出た巨漢のシェフの戀を心情たつぷり描いてくれた。
料理が全てで、人附き合ひの下手なシェフ、グレゴアが、休みの日にいつも行く公園で、給仕嬢を遠くから見てゐる。彼女、エデン(原題)はダウン症の子供を抱へ、老人にダンスを教へる夫と共に落ち着いた生活をしてゐたが、グレゴアが溺れさうになった娘を助けたことから、親しくなる。そして、娘の誕生プレゼントに持って來たプラリネを一口食べてから、彼の料理の虜になつてしまふ。
毎週火曜日、夫が惡友たちと飲みに出掛ける間、グレゴアの店へ通ふエデン。客ではなく、厨房にまっしぐらへ向かひ、3箇月も先まで豫約が埋まつてゐる店の料理をひとり堪能する。官能的な料理にうっとりし、家に戻ると夫にもう一人子供が授かるやうに迫るエデン。併し、夫クサヴァーは二人の間を勘ぐり、嫉妬に驅られ、こっそり忍び込んで地下藏のワインを破壊し、この町から去れと迫る…。
グレゴア役のヨーゼフ・オステンドルフがとてもいい。ナチスの空軍大臣ゲーリングのやうな腹だが、子供の頃から妊婦であつた母のお腹に憧れてゐたと云ふ設定も素敵。直向(ひたむ)きな料理人であり、自分の氣持ちは全て料理に託してしまふシェフォを好演してゐた。そして、毎週通って來るエデンを靜かに見詰めるだけ。友達だからと一線を越えない大人の密かな戀。
エデン役のシャルロット・ロッシュはごく普通の若い主婦と云ふ感じが出てゐてよかった。これが、絶世の美人ならクサヴァーがもっと監視もしただらうけど、田舎のしがらみの中だけで十分に生きていける筈である。
シュヴァルツバルト邊りへ行くと、澤山小さなレストランが在る。然も、どこも旨いと來てゐる。昨夏、MotoGPで訪れたザクセンリンク近くの田舎町のホテルも清潔で、料理も美味しかったことを思ひ出す。料理の盛り附けも非常に丁寧に描いてをり、そんな器用な獨逸人シェフは珍しいから流行るのも納得できる。
夕暮れの獨逸の田舎町、牧草地を抜けるメルツェデス、日の落ちた中の針葉樹の匂ひ、佛蘭西や伊太利にはない日の光は獨逸らしい。悲劇で終はらず、救ひのある結末もよかった。お勸めです。
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高品位(ハイヴィジョン)テレビのお陰で綺麗な畫面に釘附けとなり、年末年始寝不足が祟り、調子惡いヒゲ親父でした。暴飲暴食もあるのですが、寝る間を惜しんで、テレビを見る大莫迦者でもあります。
そんな中、有線放送で久し振りに《銀河英雄傳説》が始まり、日曜日の四話毎に録り溜めて見てゐます。これはまだ畫像処理されてゐないので、決して綺麗ではありませんが、忘れてゐた幾つかの挿話や、壮大な物語を思ひ出し暫く目が離せません。プロイセン風な軍服、獨逸風な名前、全編を彩るクラシック音樂等、填ります。
それで4日の晩は明日から仕事だと思ひつつ、ふと衛星放送高品位番組を見ると、「夢の音樂堂 小澤征爾がいざなうオペラの世界」と云ふ中で、何とクライバー指揮、維納國立歌劇場の《薔薇の騎士》を放送してるぢゃありませんか。もう第一幕も終はりのところからでしたが、釘附けです。
1994年の録音ですが、畫像が綺麗な爲、細かい部分もよく見え、嗚呼、こんなであつたか、あんなであつたかと實際の舞臺は見てゐないのにあれこれ思ひ出します。提燈のやうなモハメドのターバン、優美な元帥夫人の寝間着だとか…。
「これはどんなオペラ?」と娘たちに訊かれても、素敵な大人の戀物語程度にしかまだ教へられません。何故何故攻撃で全幕教へるのに1時間位は掛かりますので、ズボン役を見附けて「ケルビーノと一緒だ」「あたしは《フィガロ》の方が好き」だとか、勝手に言ふのを聞き流し、ひとり悦に入つてゐました。
來日公演の時は、アバド&伯林フイルのマーラーの9番を選んだ爲、こっちは聽けませんでしたが、かうして映像と音が高品位で殘つてゐるのは嬉しい限りです。
![]() | R.シュトラウス:歌劇「ばらの騎士」 [DVD]
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基督降誕祭に相應しい映畫のご紹介!昨年公開された陣内孝則監督作品《スマイル 聖夜の奇跡》。タップダンサーとしての夢を捨て、戀人の住む北海道に赴いた修平(森山未來)が、結婚の條件として戀人、靜華(加藤ローサ)の父親から出された課題は弱小アイスホッケーチームの勝利であつた。全くアイスホッケーを知らない修平だが、タップの音感を生かした奇想天外な試合攻略方法、信じる者にしか奇跡は起きない、笑顔の爲に戰ふと教へる姿も清々しさ。
また、チームのエース昌也は事故で兩親を失ひ笑顔もなかったものの、東京から來たフィギュアスケートの禮奈との交際で徐々に心を開き、笑顔を取り戻して行くのだが…
ネタバレにならないやうに、ここまでにしてをきませう。青春運動(スポーツ)映畫ですが、間抜けた表情の今風の若者を好演する未來の直向(ひたむ)きさがいい。近頃、俳優としてしか見てゐなかつた陣内孝則がアイスホッケーに魅せられ、8年も掛けて考へ抜いただけあり、笑ひあり涙ありの一流娯樂(エンターテイメント)に仕上がつてゐます。
決勝戰の前半終了後、完全に追ひ詰められ誰も聲すら出せない位に落ち込んだ時、コーチ修平が渾身の力で〈LITTLE DRUMMER BOY〉を歌ひ、チームに、そしてブラスバンドに、觀客に廣がる音樂の素晴らしさに思はず落涙。元歌劇歌手を目指してゐたものの、ロバート・デニーロ似の漁師と驅け落ち同然でやつて來た母(森久美子)がすッくと立ち上がり、歌ひ出す姿にうちの子供たちは大笑ひしてましたが、ひとり涙する父でした。きっと、貴方に勇氣を與へてくれることでせう、必見です!
http://dogatch.jp/cinema/smile/popup/pop_mov.html?id=0
![]() | スマイル 聖夜の奇跡
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![]() | スマイル~聖夜の奇跡~オリジナル・サウンドトラック
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昨夜の放送は如何でしたか。ほんたうは《ドン・ジョヴァンニ》に就いて昨夜書いた記事を載せるつもりでしたが、やはり「ひみつのアラシちゃん」の収録と放送の差に就いて書くべきでせうか。
料理だけの撮影まで入れると丸々一日掛けた収録も、實際に放送されるのは僅かな部分だけで、自分のした料理説明は殆どがナレーションに代はり、その場の忘年會よりもロケーションの長崎での漁が主となつてゐたとは驚きました。當日戴いた臺本には、その日の撮影の流れが記されてゐるだけで、放送されるべき全體像は知らされず、與へられた任務を各自、定められた時間内にこなすのが精一杯でした。
自分は場を盛り上げる添へ物役ですから、そんなものでせう。弊社とまるで違ふ鍋を、電磁調理器(IH)の上で、先方が炊いた畫像が大寫しの上、饂飩まで店で出すやうな印象が流れたのは心外ですが、全ては映像の爲。
人氣、ジャニーズの嵐諸君とは握手をする機會もなく、サイン、寫眞は御法度と嚴しい制限もあり、同じ時間を共有でき、二言三言會話ができただけで感謝しないといけません。一つの番組にあんなに大勢の人が關はり、視聴率と云ふ魔物と闘ふ姿を垣間見えたのも勉強になりました。
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昨日はテレビ番組の収録の爲、テレビ局へ出張。番組内忘年會の撮影で、お持ちした弊社のすき燒を仲居が目の前で炊き、私が説明係なのでした。使つたことのない電磁調理器(IH)、スタジオの鐵鍋に四苦八苦し、會話の合間を狙つて料理説明が巧くできません。
カメラ・リハーサル、本番、料理だけの撮影、段取り、科白、それに長時間の拘束…慣れないことでヘトヘトです。所謂、ヴァラエティー番組を見るのはいいですが、自分が出るとなると困りますね。
ひみつのアラシちゃん
12月18日(木)22時より、TBSで放送豫定
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チラ附きがなく見易いプラズマ式表示装置(ディスプレイ)・テレビにしてからと云ふもの、高品位(ハイヴィジョン)とさうでないものの畫質の差に日々、驚愕してをりますが、ヴィスコンティの《山猫》に續いてと云ふか、またまた、名作の復活です。
大好きなデビッド・リーン監督作品《アラビアのロレンス》!。1988年、丁度英國に居た頃、監督自ら修復作業をして216分の「完全版」が出て、映畫館の大畫面で觀る壓倒的な規模(スケール)と美しい色調に改めて魅入らされたものでした。再生機も持つてゐないのに最初にDVDを買つたのも、この作品。
砂漠と云ふ異境の壮大(スペクタル)な自然、現地の人に飛び込み純白の衣裳を翻すロレンス、決して諦めず部下を助けに行く姿、土耳古軍に拉致されて辱めを受けたり、部族抗爭等丹念に描寫してゐます。戰場でも、釣りの練習をする將軍、士官と一兵卒の差、政治家の思惑… 色々なものが詰まつてゐて、幾度觀ても感動を呼び戻しますね。
12月20日からテアトル・タイムズスクエア(新宿南口)で封切りです。聞けば、黒澤明監督作品《羅生門》も復活させたのだとか、名作の復活に萬歳三唱。
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昨年封切りされた映畫《コナ・ニシテ・フウ》は、デーモン小暮閣下の初監督作品。世を忍ぶ假の父親が年末に突然他界した時の騷動を事實に基附き描いたもの。元々、吉本が100本の映畫を撮らせる企劃に乘つた短編映畫です。
ごく普通に素顔で出演あらせられる閣下に始めは氣附かない程、ロンゲに小さな目の大人しい人でありました。
宗教行事の大嫌ひなお父さんの意思を尊重して、無宗教のまま、然もマスコミにも知らせず、親戚関係者のみ靜かに行はれたのですが、訝しがる葬儀屋、ご遺體の横でラヂオ番組に出なければならない閣下の心中、そしてそのままカウントダウン實況放送へ向かはれたお氣持ち、察するに餘りある藝能人の苦惱もしんみり描かれてゐます。題名は故人の遺志「遺骨は粉にして吹いてくれ」から。
カメラワークは下手だし、選曲も疑問符を附けますが、お父さん役の元力士の輪嶋、叔父役の嶋田洋七の廣嶋辯等、ほのぼのとした一般家庭が描かれてゐるのがいいのかも知れません。見掛けから敬遠されがちの閣下ですが、惡魔にしては心優しい假の姿もあるのですね。改めて藝達者振りを認識しました。
http://jp.youtube.com/watch?v=Rsa0PLPBujE
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第一回「下町コメディ映畫祭 in 臺東」の「生演奏の催し(ライブ・イベント)」へ。デーモン小暮閣下と友吉鶴心さんの共演は既に體驗してゐる故、期待も高まります。
會場は淺草寺近くの淺草公會堂。申し込みが遅く、一階後ろの方の席でしたが、マイクロフォンを使ふ爲特に問題はなし。
まづ最初に、1954(昭和29)年の東寶作品、映畫《ゴジラ》短縮版に音を消して、琵琶の伴奏に辯士の語り上演にする筈が、版権の問題で映像なしで始めました。寝ずに30分へカットし、臺本まで練り直したにも拘はらず、映像が得られないことに大層お腹立ちでしたが、滑舌のはっきりした閣下が聲色を驅使して語るので、若き寶田明、山根教授(志村喬)、芹沢博士(平田昭彦)、女性議員(菅井きん)、漁師等を演じ分け、ゴジラの聲さへも實に上手に表現するので、映像がなくとも目の前に場面が浮かびます。
當時の状況、まだ東京タワーのない時代、できたばかりの自衛隊等時代背景の説明も端的で、秀逸は現首相の物真似答辯が餘りに似てゐて大笑ひ。實は公開當時、政治不信から退陣に追い込まれる首相は、吉田茂であつたのです。深讀みすれば、する程、娯樂の裏にある閣下の博識に舌を巻きました。
伴奏の鶴心さんの薩摩琵琶は聞き慣れた所爲か、音曲だけで「海」の場面とはっきり判つた自分に吃驚。その後、閣下の説明にいちいち頷いたのでした。
そして、いとうせいこうとの短い對談の後、閣下自らメガホンを取つた短編映畫《コナ・ニシテ・フウ》の上演。それは、また明日お話しませう。
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けふはボジョレー・ヌーヴォーの解禁日ですが、以前程の引き合ひはなく、賑はふのかどうか。すき燒今朝では今年は扱ひません。
我が家の有線放送(ケーブル)テレビを、地上數字表示(デジタル)放送に對應にしたところ横長ブラウン管上に變な縮尺の畫面となり、いちいち變更するのも煩はしい爲、つひにプラズマ式薄型テレビに新調しました。硝子板の間に封入した高壓の希瓦斯(ガス)に高い電壓を掛けると發光する方式ですが、これがまあ、何と綺麗なことでせう。
ニュース番組の制作室(スタジオ)の放送司會者や報道者(アナウンサー)は肌のきめや皺までくっきり見えますが、投稿ニュース映像や番組廣告(コマーシャル)により突然、畫面サイズが切り替はる不明瞭な輪郭と色彩になります。高品位(ハイヴィジョン)放送の映畫は大きな畫面のお陰で臨場感も増し、相撲ですと、力士よりも後ろの觀客の黒子(ホクロ)が氣になつたり、別世界です。
その上、著作権保護機能を内藏した小型記憶装置(secure digital card: SDカード)も接續でき、數字表示寫眞機(デジタル・カメラ)で撮影したものが、大きな畫面で見られる優れもの(畫像はヴァレンティーノ・ロッシ)。何でもつと早く變更しなかつたと悔やまれる反面、秋の夜長に夜更かしし過ぎさうです。右後ろに寫つてゐるのはご存知の愛機HMV194蓄音機です。
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邦譯すると《血染めの王位》ですが、これは黒澤明1957年作品、映畫《蜘蛛巣城》の英題です。ご存知の通りシェークスピアの『マクベス』を原作として、戰國時代の日本に舞臺を移して撮つたものです。
配下の謀叛から、絶體絶命の危機に陥つた蜘蛛巣城、城主都築國春(佐々木孝丸)。籠城を決意し最後の一兵迄で戰ふ決意をしたところに折良く、鷲津武時(三船敏郎)と三木義明(千秋實)の活躍により危機は回避されたことを知る。大勝利を直接知らせる爲、蜘蛛巣城へ向かふ二人は森の濃霧の中で道に迷ひ、物の怪の老婆(浪花千栄子)に出遭ふ。武時はやがて蜘蛛巣城の城主となるだらうと豫言を授けられ、それを知った妻の淺茅(山田五十鈴)に唆され、或る晩、自城に滯在した國春を殺し、蜘蛛巣城城主となるのだが…
餘り詳しく書くと未だ觀てゐない人にネタバレになるので止めてをきますが、シェークスピアと云ふより黒澤の世界觀がしっかりと出た、戰爭映畫です。先日、衛星放送で初めて見ましたが、噂通り、最後に武時が次々と矢を射かけられる場面では、特撮にない大迫力。大寫しの三船の恐怖におののく顔が印象的です。三十三間堂で通し矢をしたと云はれる人間國寶級の名手が射つた矢がバシバシ飛んで來ます。一寸間違へれば殺人になりかねない近距離に射來まれる爲、後で酒に酔つた勢ひで黒澤の自宅に押し掛けたと云はれる位生死を賭けた撮影であつたのですね。
それに冒頭、霧の中に「蜘蛛巣城跡」の立て札から、霧に埋もれ晴れると城になると云ふ時空の超え方も素敵です。陸自の北富士演習場で撮つたのか、サラサラ火山土壌だとかに佇む兵士の間に霧が流れ、その切れ間を待つて撮影されたのでせう、絶妙なところに拘りを感じます。山の麓に城が在るのは山上から攻められさうで、やや不自然な感じもしますが、戰の無常觀がよく出てゐました。
そして、時代考証に從ひ眉毛を剃り、おでこに朧眉を描いた奥方の化粧が怖い。手を洗ふ場面はシェークスピアと同じですが、陰影の強い白黒映畫の良さが出て、おどろおどろしい雰圍氣がよく醸し出されてゐました。矢張り、黒澤作品は白黒時代の方が好きです。
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波瀾万丈の人生を歌に捧げたシャンソン歌手エディト・ピアフ(1915 - 1963)。昨年公開された映畫《エディット・ピアフ 愛の賛歌》。彼女を知らない人から、「えっ、海老ピラフ?」と未だに聞き直されますねえ。
本人の歌ふ曲が次々に流れ、臆病と傲慢さが入れ變はる気弱なピアフは、貧しい生まれ乍らも歌だけでのし上がり、戰後、愛しすぎた拳闘家マルセル・セルダンの飛行機事故から麻藥に溺れ、どうにも立ち直れない時に持ち込まれたこの曲に自身を重ね、巴里の「オラムピア劇場」で再起を誓ふのでした。それが『水に流して』。
いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔してゐない
私が人にした良いことも、悪いことも
何もかも、私にとってはどうでもいい
いいえ、ぜんぜん
いいえ、私は何も後悔してない
私は代償を払った、清算した、忘れた
過去なんてどうでもいい
どなたの翻譯か知りませんし、正確でないかも知れません。先週末に衛星有料放送で觀たのですが、實はこの間の旅行の際、フランクフルト直行便の中で觀て、號泣してしまひました。案外と涙腺は緩い方なのですが、人の目、家族の目が氣になりぐっと堪えて泣けません。何故かこの時は、無理して休みを取ったり、仕事のこと、色々なことが頭の中を巡り、ドバ~と感情が溢れ出て止められず、聲を出して泣いゐました。前に座る子供たち、隣のかみさんも吃驚して人の顔を覗き込むも、言葉にならず、ぐしゃぐしゃになるとはかう云ふことなのだと合點し、彈けた感情が落ち着くと妙にすっきりしてゐました。音樂は直接心に訴へ掛けるものですね♪
また、映畫の中の談話で好きな食べ物の問ひに「牛肉のフィセル(Boeuf a la ficelle)」と答へてゐました。食べたことありませんが、牛フィレ肉を紐で括り、紐の片方を鍋の取手に縛り、 野菜ブイヨンの中に肉を垂らして煮込む料理らしいです。
![]() | エディット・ピアフ~愛の讃歌~ (2枚組)
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雨の日曜日に、家族揃って映畫鑑賞。學校のことで惱む長女に心の變化をもたらすかと思ひ、梨木香歩原作、長崎俊一作品〈西の魔女が死んだ〉を觀に行く。
不登校の中學生「まい」は暫く、英國人祖母の下にやっかいになる。魔女の系統だと云ふ祖母から、草木の智惠を授かり、自分も先の見通せる魔女になる爲の修行を始めるのだった。併し、科せられた課題は早寝早起き、よく食べ、よく運動して規則正しい生活をすると云ふ至つて單純なもの。自分を見詰め、自分で決斷する勇氣を養ひ大人へと成長する過程を描いてゐます。
靜かな森の一軒家。清里で撮られたと云ふ、祖父が祖母の爲に建てた英國風の家はさもありなん、よくできたセットに感心します。主演の女の子は新人さんですが、温かく見守る祖母役サチ・パーカーの優しい綺麗な日本語も素敵。この人の目元は誰かに似てゐる、とずっと思つたら、なんとシャーリー・マクレンの娘さんでした。12歳まで日本に住んでゐただけあつて、違和感がまるでありません。ママ役りょうもきつい顔が逆にハーフぽく見えますし、
郵便屋の高橋克實も如何にもと云ふ風情、そして、隣の變な親父ゲンジを演じる木村祐一の存在感も光つてました。
「死」とは何か、祖母の温かい言葉、そして最後に傳へられる魔女のメッセージ。幕が降りても、我が家のレディースは目を腫らしてをりました。
![]() | 西の魔女が死んだ (新潮文庫)
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戰後を代表する映畫監督と云へば、小津安二郎、溝口健二それに黒澤明に異論を唱へる人も居ないことでせう。《東京物語》、《雨月物語》、《七人の侍》は誰もが知つてる(筈)の名作です。丁度、黒澤明(1910-1998)没後十周年特輯として、日本放送協會衛星放送では全30作品を順繰り放映してゐます。
黒澤監督の晩年の総天然色の繪はどうも好きになれませんが、白黒の娯樂に徹した脚本の妙やカメラ技法に凝った昔の作品は好きです。土砂降りの雨の中で戰ふ《七人の侍》、溝口の《雨月物語》とはまた違つた妖艶さを出した京マチ子の《羅生門》、今も變はらぬお役所仕事と志村喬のブランコの場面が忘れ難い《生きる》、身代金目的の子供誘拐を描いた《天國と地獄》等、はっきりと記憶に殘る映像ばかりですが、まだまだ見てゐないものも多いのも事實。自稱映畫好きとしては、もっと見るべき作品が數々あります。
たまたま、処女作品《姿三四郎》を觀ました。この作品は1943(昭和18)年に初公開されたときは全長97分であつたものの、戰時下故、翌年鋏が入れられて80分の作品になつてしまつたと、戰後上映の際に加へられた説明文が入つてゐます。長い間失はれたと思はれフヰルムが、ソ連崩壊後、露西亞で發見され、それには一部カットされた部分が含まれてゐたと云ふものの、放送は一般的な短縮版でした。
柔術家を志す姿三四郎(藤田進)が矢野正五郎(大河内傳次郎)に弟子入りし、他流試合で村井半助(志村喬)をなぎ倒し、檜垣源之助(月形龍之介)と荒野で果たし合ひをするまでを描いてゐます。こんな昔から志村喬は出演してたことに驚き、洋装の悪役、月形龍之介の無言の押し出し、轟夕起子(小夜)の日本髪(本物の地毛?)等、何故か目に附きました。
人力車、和傘、下駄の鼻緒を仕草等、今は失はれた明治の生活が生き生きと描かれ、この人は「風」と「雨」の映畫監督だと思はせるものがあります。処女作から天候待ち等完璧な繪を望んだのかは知りませんが、荒い白黒畫面から傳はる情熱は現代の我々をも飽きさせません。さすがです。
人形浄瑠璃「文樂」ではなく、ハリウッドでジョシュ・ハートネットやデミ・ムーアと並び、Gacktが出演する映畫《BUNRAKU》の撮影が開始されたとのこと。昨年の日本放送協會の大河ドラマ「風林火山」に於ける上杉謙信役が注目されたらしく、ガイ・モシェ監督自ら日本に來て口説いたのだとか。きっとコムピューターで圖形處理された動作であり得ない世界が繰り廣げられるのでせう。文樂の要素を取り入れると云ふ監督の言葉を信じて、公開を待つことにしませう。
圓谷の特撮空想テレビ番組「ウルトラセブン」放映から40周年を記念して、限定777本ワインが作られたと云ふ。ウルトラセブンの變身するモロボシ・ダン役の森次晃嗣さん自らワインの選定にも加はり、特別カードやグラスの一組なつてゐるのだとか。肝心の中身は山梨のルミエールさんのメルローだと云ふ。ウルトラマン世代の我々には蒐集癖をくすぐる内容です。
また、新たに「ウルトラセブンX」が10月から12話放映されると云ふ。但し、新しい主登場人物(キャラクター)は昭和のウルトラセブンの意匠を引き繼いだものの、小顔で、腹筋まで割れて筋骨隆々、今の若人體型に合はせた感じなのでせうか。頭の天邊にあるアイスラッガーも加へると頭でっかちで、昔の日本人ぽい昔の方が親しみがあります。宇宙人からの侵略を守る「ウルトラ警備隊」、物語もしっかりとして大人が見ても納得できるものでした。今回も子供向けでないと云ふことで、深夜に放映されるさうです。再評價されるのはいいとしても、平成ミラーマンのやうな意匠感覺(センス)の惡いものでは大當たりはしないでせう。
溝口の『元禄忠臣藏』後編は大石内藏助の祇園遊びから始まり、前編最後が途中で重なります。火鉢だけの冬、着物柄だとか、時代考証もしっかりしてゐる爲、成る程さうであつたのかと納得し乍ら、氣の早る浪士を抑へたり、見てるこちらもまだかまだかと云ふ氣分で討ち入りを待ちます。
ところが、此処の討ち入りだけは史實通りでなく、浅野内匠頭未亡人、瑶泉院への手紙だけで濟ませ、完全に肩透かしを食らひます。いつまでたっても仇討ちをしない内藏助が突然挨拶に來てから、不審に思つて寝附けないところに討ち入りを知らせる手紙が届き、吉良さんが屋内に見附からずしくじったかと思ひきや、炭焼小屋で發見されて無事に本懐を遂げたことを、下女がはらはらし乍ら候文を讀んで聞かせるだけの場面です。非常に、抑への効いた展開で説得力がありました。第三者はかうしてヤキモキして事の成り行きを、固唾を呑んで見てゐたことでせう。そして、泉岳寺での報告、切腹まで英雄として祭り上げるでもなく、淡々として、武士としての心構へを説くやうに映して行きます。この邊りは時代が反映してゐるのかも知れません。大陸へ征く人たちにそっと、心亂さない、肝の据はつた大石内藏助の姿を通し、兵士の生き方を傳へたかも知れませんね。
![]() | 元禄忠臣藏(前篇・後篇)
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昭和16年、真珠灣攻撃を前に萬事戰爭に向かつてひた走る頃、映畫會社も合併させられ、もうフヰルムの配給も終はり、これで映畫作りも最後だと思はれた際、國策映畫として溝口健二が撮つたのが『元禄忠臣藏』です。當時の映畫人たちは、時代考証を重ね實寸寫實主義を貫き、野外セットで江戸城「松の廊下」をきっちり再現してしまひました。
この夏、家族も出拂つたのを幸ひに、ツタヤでDVDを借り、枝豆茹でて麦酒を用意し、じっくり腰を据えて觀ることができました。喇叭が高らかに鳴り渡り、縱書きの楷書で始まります。役者関係者の紹介が巻物のやうに左から右へと流れ、のっけから松の廊下です。それもじっくり仔細を見せるでなく、廊下の曲がり角に置かれたカメラは單にロングショットで全體を嘗めるやうにゆっくり回り出します。すると、上手から吉良上野介が浅野内匠頭を罵倒する聲が聞こえて來ます。何故、あの田舎侍に訊くのだと叱ってから、吉良さんは廊下を曲がり、下手奧へ歩いて行きます。そこへ上手の小さく見えてゐた内匠頭が走り寄り、後ろからズバッと斬り附けます。それから「殿中ですぞ」の聲と共に、坊主や附き人等大勢がどわ~っと出て來て、二人を引き離し、あれよあれよと云ふ間に吉良さんは連れて行かれ、内匠頭は取り押さへられます。この冒頭の場面だけでも見應へ十分。あっと云ふ間に引き込まれます。此処にチラッと畫像あります。
内匠頭の切腹、赤穂城の受け渡しがあつて、大石内藏助が山科へ籠もるところで前編が終了。最後の場面もずっと長回しで、親子の別れ、籠の見送り、大石主税が内藏助と目が合ったと同時に涙を抑へ、家に向かつて走り出すところまでワンカット。じっくり見せてくれます。ぼそぼそ聲で聞き取り辛いかも知れませんが、文句なしの大作でした。
![]() | 元禄忠臣藏(前篇・後篇)
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溝口の『山椒大夫』の題名役を演じてた進藤英太郎を見ると、何故かホッとしました。時代劇、特に東映作品と云ふと、惡代官、惡名主、惡城主等、惡の親玉はこの進藤英太郎しかありません。恰幅のいい真打ち登場と云ふ感じで、途中から出て來て、ちっちゃい目をしばたき、バリトンの通る聲で惡事を囁き、露見した時の狼狽へ振りと往生際の惡さの演技が絶妙です。「社長」シリーズ、「クレージーキャッツ」のどただば喜劇にも出演してたと後で知りました。
市川雷藏主演の溝口作品『新平家物語』 (1955年)の市場の場面で、雷藏演じる平清盛と赤鼻の進藤英太郎演じる誰だったかが知り合ひになります。そこに大きな黒牛が出て來ますが、溝口監督のテストが幾度も繰り返されて、牛もたまったもんじゃんなく、セットの中でジャージャーと音を立ててしてしまひ、水たまりが二箇所も出來たさうです。牛はさて置き、かう云ふ俳優さんが今は居ないのが殘念です。
そして、初老の脇役と云へば、浪速千榮子が擧げられます。なんか、いっつも出て來るおばさんの印象です。品のいい関西辯で、オロナインH軟膏の宣傳と共に琺瑯看板も懐かしい。溝口の『山椒大夫』では人攫(さら)ひの小母さんでしたし、小津安二郎が東京寶塚で撮った 『小早川家の秋』 (1961年)では、灘の酒藏の大旦那(二代目中村鴈治郎)の浮気相手として出て來ます。然も、はしゃいだ大旦那はこの二號さんの家で息を引き取つてしまふのでした。
![]() | 溝口健二 大映作品集Vol.2 1954-1956
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小早川家の秋
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森鴎外が好きと云ふ割に『山椒大夫』は未だに讀んでゐませんから、穴ぼこだらけの駄目なファンです(汗)。溝口健二監督作品 『山椒大夫』 (1954年)は白黒映畫ではありますが、繪巻ものを觀るやうな丁寧な作りでした。長回しでカットをせずに、カメラを左右にゆっくり振って緊張感が途切れません。
過酷な運命に振り回された親子の話と一言で終える譯には行きませんが、母親は遊女として賣られ、子供は貴重な勞働力として奴隷のやうに賣られ、妹は兄を逃がす爲に自害し、運良く逃れられた兄は出世して、苦しめて來た親分の山椒大夫に仕返しをする。「安寿戀しや、ほうやれほ。厨子王戀しや、ほうやれほ」と歌ひ、ボロボロとなり、幾度となく逃げ出すので足の指を切られた母親を探しあてて幕となるお話しです。
最初は親切さうな素振りを見せた老婆(浪花 千榮子)が一轉、惡女の本性を現して、親子を引き離す場面はキツイです。また、憎々しさ百倍の山椒大夫(進藤英太郎)、遊女にさせられる母親(田中絹代)、けなげな妹(香川京子)等役者も揃ひ、平安朝時代の身分の差だとか、権力に就いても考へさせられます。それにしても、ロケーションの風景も美しい。矢張り巨匠と呼ばれるだけのことはありました。
![]() | 溝口健二 大映作品集Vol.1 1951-1954
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山椒大夫・高瀬舟 他四編 岩波文庫 緑 5-7
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昨年、トリノの映畫博物館で『雨月物語』の宣傳貼り紙(ポスター)を見て、さうだ、溝口健二は全然知らないと気附きました。黒澤明や小津安二郎なら大抵の作品を見てる筈なのに、もう1人の巨匠をまだ見てゐないのは不覺でした。その後いつでしたか、衛星放送で新藤兼人監督作品 『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975年) が放映されて、随分變はり者だったことが判りました。
この映畫は溝口健二監督の下で助監督を務めたこともある新藤監督が痕跡を訪ね、縁の人々に自ら記者としてマイクを向け、思ひ出話を聞き出すと云ふものです。長編記録映畫(ドキュメンタリー)としては、お互ひに知つてゐる者同士が、肩肘張らず、かと言つて節度を保ち、溝口の姿を浮き彫りにしてゐます。女優陣では田中絹代を始め 、木暮実千代 、京マチ子 、香川京子 、若尾文子 、乙羽信子等が語りますが、長回しで氣が抜けなかったり、ロケーションが氣に入らず丸々一日掛けてほんの少し角度を變へてセットを組み直したり、何事に於いても凝り性振りが發揮され、完璧主義者に閉口したやうです。中でも、名惡役の進藤英太郎も煙草をくゆらせ乍ら、思ひ出を語つてゐるのが印象的でした。
![]() | 雨月物語
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先月のことなのですが、弊社ビル屋上で映畫の撮影がありました。戰隊ものの『ゲキレンジャー』です。毎週日曜日の朝にテレビ放映されてゐますが、今回のものは映畫版で、香港とか海外ロケーションも行ひ、夏休みに假面ライダーと同時上映されるものです。大昔、『ゴレンジャー』を見たことがある程度で、女の子しか居ない我が家では誰も興味なし。かう云ふ番組から藝能界に入り、活躍されてゐる若い俳優さんが居るとは聞いてますが、正直よく知りません。
着ぐるみのスーツアクターが惡者を倒す場面かと思つてゐたら、最後の回想ところでした。夜景が欲しいとのことで、19時過ぎから22時頃まで、同じ科白を幾度も繰り返し、違ふ角度から撮影するのでたいへんです。カメラの奧で見てゐたら、俳優さんに見詰められる感じです。あんまりじっくり見られたことがありませんから、妙に氣恥ずかしい感じがしました。勿論、あちらは飽くまで演技、カメラを見てるだけですが、視線が物を云ふのでせう。自分の出番のない時は、氣さくに話も出來て、急いで來た甥っ子と一緒に記念撮影にも應じてくれました。
現場を貸してる責任者として、ずっと立ち會つてゐましたが、そんなに長い時間を掛けても編輯すると3分程度に滿たないのでせう。「テスト」「本番」とカチンコが鳴る度にこちらも緊張しました。
『伯林天使の詩』主演のブルーノ・ガンツがヒトラーを演じた『ヒトラー 最期の12日間』(2006)も觀ました。元ヒトラーの秘書であつたトラウデル・ユンゲや、生き殘つた側近たちの証言を繋ぎ合はせて、伯林の防空壕での最期の日々を赤裸々に再現したもの。彼女の本は『私はヒトラーの秘書だった』草思社として、日本語でも讀めます。
再現映畫としては、蘇聯のそっくりさん俳優を使つた超長編『大祖國戰爭』の『伯林陥落』(1949)が思ひ出されますが、こちらは金に糸目を附けず、戰利品として略奪した本物の戰車とかが出て來るので、それはそれでリアルであります。
しかし、ガンツ演じるヒトラーは女性に優しく微笑むものの、睡眠藥の所爲で手は痺れ、誇大妄想な発想で全く實現不可能としか考へられない作戰を熱く語ります。でぶな空軍大將げーリング、細くて神経質な親衛隊長ヘス、職務に忠實でも現實的な軍需大臣シュペアー、子供を毒殺するゲッペルス夫妻、歴史として讀んだ事柄が順を追って、丁寧に、もれなくゲルマン的律儀さで再現されて行きます。
獨逸人が歴史的事實として、思想とか抜きに、過去に對して正面から向かつてゐることが解ります。こんな男に未來を任せてしまつた失敗談としても考へられるかも知れません。今日、我々がナチスを批判するのは、簡單です。でも、もしも、當時のヒトラー配下で言はれままに働く部下であつたら、ユダヤ人虐殺に對して「ナイン」と言へるでせうか。自分の命を懸けて、反對意見を言へるのでせうか。色々考へさせられます。
ヒトラー~最期の12日間~スタンダード・エディション
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ベルリン陥落(トールケース仕様)
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私はヒトラーの秘書だった
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もともと、フランクフルトの新店配屬の筈が、店舗そのものがメッセ近くから動物園近くに變はり、當然設計も變更され、遅れに遅れ、そのお陰で伯林に住むことになりました。1987(昭和62)年の春、延び延びになつてゐた開店が本決まりとなり、假從業員の伯林店からフランクフルト店へ移りました。併し、煉瓦運びやら、什器の清掃、搬入、開店までも時間がかかり、統一されてゐた筈のマニュアルが各店舗毎違つてゐて戸惑ひ、毎日憂鬱な氣分でした。
それまで餘りに伯林生活を非常に樂しんだ爲、離れがたく、伯林フィルや歌劇場を殘り少なくなつた公休日に巡り、壁を寫眞に撮り直し、名殘り惜しく過ごしたことが、毎晩思ひ出されました。斷腸の思ひで轉勤して、最初に觀た映畫が、この『伯林天使の詩』でした。ロード・ムーヴィーの得意なヴィム・ヴェンダース監督が現在の伯林を舞臺に、天使が人になることを描いたこの映畫を見て涙しました。嗚呼、この橋は渡つたことがあり、このカフェを知ってる、防空壕跡も知ってる、勝利の塔へ登つたことがある、圖書館も知ってる、此処も彼処も知ってる… 天使の視線は自分の思ひ出であり、同じ目線でした。知ってゐても、もう住人ではない悲しさ、夢のやうな話しと共に思ひ出が回り、映畫が終はつても暫く立ち上がれない位でした。
天使のダニエルは、人々に寄り添ひ、心の聲を聞きますが、聞くだけで願ひを叶えることはできません。元天使のピーター・フォークがロケで伯林を訪ねて來ると、向かうにはこちらの姿が見えます。人の聲ばかりを聞くのが仕事なのですが、何時しかサーカスの空中ブランコの女性に戀をしてしまひ、人となって彼女を抱きしめたいと願ふやうになります。
天使の視線がずっと白黒なのでいい味はひです。原題は「Der Himmel ueber Berlin」、直譯すると「伯林上空の天國」となりませうか。ピーター・フォークが飛行機に乘つて伯林上空へ來る時から、東に遮られた特異な西伯林と云ふ都市を思ひ浮かべられます。ナチス時代の映畫撮りの爲に來てゐるのですが、獨り言のやうに、ぼそぼそ呟くフォークの科白もよく、ロケに使ふ古い自動車が走ると、中から外を撮った敗戰直後の瓦礫の中を走る映像が映し出され、伯林と云ふ街そのものが主題となつてゐます。
金融都市フランクフルトでは住む人の温かみを感じられず、人種差別も激しく、同じ獨逸とは思へなかつた時期に、懐かしい伯林と云ふ文字だけで映畫館に入つた、その絶望にも似た氣持ちが忘れられません。でも、出て來る時に、夢も希望も携へ、元氣に足を踏み出すことができました。心温まる映畫です。
ベルリン・天使の詩 デジタルニューマスター版
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伯林を舞臺としてゐる映畫として名高いのが、グレタ・ガルボ主演の『グランド・ホテル』(1932)でせうか。限られた空間の中で、様々な人が出入りして、違ふ事件の重なり合ひが、最終的に旨く大團圓へ向かふには、演出の善し惡しが問はれます。三谷幸喜監督作品『THE 有頂天ホテル』(2006)も、同じ手法で描かれてゐますが、こちらは最新設備の新館と昔乍らの舊館の違ひを生かし、全然違ふことをしてゐた從業員や客が大晦日の年越しおパーティーへと結び附く樂しい映畫です。
現在、ブランデンブルク門脇、ウンター・デン・リンデンに面して建つ、再建された「ホテル・アドロン」がその舞臺と云はれてゐます。社交界の人々が出入りしたその昔の榮華はなく、單に高額高級ホテルの感じです。泊まつてゐるのは、亞米利加人觀光客ばかりに見受けられました。此処のレストランが佛蘭西料理屋として評判がよいらしく、その内、是非、一度は訪ねてみたいです。
過去に引き擦るバレリーナ、フォン・ガイゲルン男爵は賭博で全財産を擦り、窃盗團に身をやつし彼女の真珠の首飾りを狙ふ泥棒となり、會社が傾いた婿社長は、新しく速記者を雇ふが性的魅力に溢れてうぃる、また、會社の帳簿係をしてゐたが健康を害して自暴自棄になつて、冥土の土産にへそくりでグランド・ホテルに泊まる老人、そんな人々がホテルで過ごす一日半。オペラ・ブッファは朝から晩までの一日なので、一寸長いですが、笑いあり、涙あり、人生模様を描き、優雅な上流階級とは云へ、見てくればかりだと教へてくれます。
ガルボの陰影に富んだ美しさが特に光ります。全編、セットでの撮影ですが、手間に引く扉式の昇降機だとか、歐州らしさが所々に出てゐる、舊き善き時代のハリウッド映畫です。
グランド・ホテル
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THE 有頂天ホテル スタンダード・エディション
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共産主義と資本主義の東西冷戰により「鐵のカーテン」ができたと言つたのは、英國元首相のチャーチルです。1946(昭和21)年3月、招かれた亞米利加ミズーリ州、フルトン大學に於ける演説で使つてゐます。併し、國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)の宣傳相ゲッベルスがそれより1年も前に、この言葉を雑誌に寄稿してたらしく、また、遡れば蘇連の作家、レフ・ニクーリンが随筆(エッセイ)の中で、東西陣営の緊張を表す言葉として使つてゐるので、チャーチルが本家ではないものの、演説と共に有名になつた模様です。
さて、80年代後半の西伯林に住んでゐた者にとつては、冷戰の最前線でしたから、毎日肌に感じることでした。東への玄關口、フリードリヒ・シュトラーセ驛へ行くと、西側の認めてゐない免税店もちゃんとあり、煙草やウォッカが格安で買える爲、一般人だけでなく浮浪者でもわざわざ買ひに行く程でした。
サスペンスの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督作品 『引き裂かれたカーテン』(1966)は、この冷戰下の様子をよく描いてゐました。米國宇宙委員會の物理學者マイケル(ポール・ニューマン)は、奇妙な電報を受け取り、單身東伯林へ向かひます。何も知らない婚約者のセーラ(ジュリー・アンドリュース)も東側へ連いて來てしまひます。行つてみると、核兵器研究の爲に亡命したことになつてゐます。併し、この亡命は囮であり、理論上の空白を埋めた東側の博士からこの軍事情報を盗み、西側に戻ると云ふものでした。
ヒッチコックの記念すべき50本目の監督作であり、拳銃や刃物を使はずに延々5分に及ぶ殺害シーンを描く等、公開當時から話題となつたものです。バレリーナが舞臺でクルクル回る間に、マイケル博士を見附けて通報したり、東伯林の雰圍氣が80年代とたいして變はらず描かれてゐたり、囮のバスに地元のお婆さんがさうとは知らずに乘り込んで來たり、黒板に書いて行く物理の公式で秘密を理解するところ、ハラハラ・ドキドキものが澤山あります。東獨逸は1950年代二輪の世界大會でもかなり上位を占めてゐましたし、80年代の五輪ではドーピングで強かつたり、歌劇場や管絃樂團の技術は高く、西側との技術的格差は少ない部分も多かつたのです。併し、東側を歩けば、安いだけの粗惡品とクソ不味いソーセージ、高いカカオを微量しか使かず甘ったるいチョコレートケーキが賣られ、効率を考へず、愛想のない勞働意欲のない賣り子、有毒排氣瓦斯をまき散らす紙製のトラヴィ(自動車)、監視小屋、システムの破綻が露呈してゐました。
引き裂かれたカーテン
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「伯林中央驛」のMASATOさんがブログの中で紹介してゐた、ビリー・ワイルダー監督作品 『ワン・ツー・スリー』1961(昭和36)年 のDVDを購入して觀ました。白黒、108分のコメディーなのですが、壁が造られたばかりの伯林を舞臺に、冷戰や共産主義も資本主義も笑ひ飛ばしてゐます。當時は餘りに現實的で全然受けなかつたらしいのですが、80年代から見直されたと云ふのも納得します。
主演のジェームズ・ギャグニーは西伯林に在るコカ・コーラの支店長。蘇聯との契約を取り、失地挽回して倫敦支店長になるのが夢です。突然、アトランタのから、社長の娘の觀光と世話を頼まれます。お嬢さんで我が儘いっぱいに育つたヤンキー・ガールが、目を離してゐたら、東伯林へ遊びに行き、東獨逸の若者と結婚してしまつたのです。運の惡いことに、社長夫妻が長々戻らない娘を連れて歸へる爲に伯林へ來ることになり、さあたいへん!此処からドタバタ喜劇の始まりです。
英語の科白に所々獨逸語が混じつたギャグニーのマシンガントークが凄く、字幕だけでは解らない微妙な現地法人社長の努力が滲み出てゐます。金髪の美人秘書との浮氣、社長の娘の彼氏を西側に連れ出して無理矢理教育するところ、踵を鳴らさないと濟まない社員、支店長が通る度に起立する社員たちにプロイセンの軍国主義やナチの影響を見せて、笑ひ飛ばします。細かいところを話すとネタバレで面白くなくなるので控えますが、伯林のこと、獨逸語を知らなくても樂しい作品です。
白黒なのに、色を感じる撮り方も素敵ですが、音樂がクラシックもジャズも得意なアンドレ・プレヴィンなので、ハチャトゥリアンの〈劍の舞〉だとか、非常に上手です。脚本もいいのでせう。ブランデンブルク門前の巴里廣場もセットとは云へ非常に本物らしく、今だからこそ笑へる内容です。テムペルホーフ飛行場のセットも綺麗で、あの全體主義が臭ふ建物や、高い天井、半圓に並んだ搭乘口、飛行機を降りて歩く際に濡れないやうに施された高い廂(ヒサシ)等、よく再現されてゐます。
ワイルダー監督の1950年代の作品を振り返ると、
『サンセット大通り』(1950)、
『地獄の英雄』(1951)、
『第十七捕虜収容所』(1953)、
『麗しのサブリナ』(1954)、
『七年目の浮氣』(1955)、
『晝下りの情事』(1957)、
『翼よ!あれが巴里の灯だ』(1957)、
『情婦』(1957)、
『お熱いのがお好き』(1959)、
『アパートの鍵貸 します』(1960)
とヒットが續いてゐます。然も、ハリウッド内幕、戰爭もの、戀愛もの、冒險譚、法廷劇、都會派喜劇と分野も違へば、内容も全く違ふものが並ぶことに驚かされます。然も、殆ど見てます。
さう考へると、大人が笑える上質な喜劇映畫が最近頓にハリウッドで作られないのが殘念です。
ワン・ツー・スリー
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ドラマ《のだめ》の中の提琴科の峰龍太郎くん(瑛太)は金髪ロンゲをピンで止めて逆毛立ててロックしてゐましたが、原作漫畫の中では金髪は同じでも短髪のロック小僧です。クラシックなんかつまらないと莫迦にしてゐた筈が、千秋との共演ですっかりのめり込む單純青年を瑛太が好演。實家が「裏軒」と云ふ中華屋さんなのも笑へました。音大理事長を始め、教授聯から學生まで入り浸り、子供を第一に考へる親父さん、峰 龍見(伊武雅刀)も微笑ましい。千秋の希望でクラブサンドと珈琲を中華屋で始めるなんてことはあり得ないのに、漫畫やドラマではあり得るのがこれまた可笑しい。
のだめが追試の伴奏をする筈が風邪で寝込んでしまつた爲、千秋が一發勝負で伴奏を引き受けます。元々提琴が得意な千秋は提琴を知り尽くしてをり、きっちりとした演奏を心掛けてゐるのに、譜面通りに収まらない、自由氣質の峰くんは型に嵌められるのが不得手。そこで「自由に彈いていいよ」と千秋が聲を掛けると、どんどん走るは勝手にテムポを揺らすは、勝手流を貫き、通常なら伴奏が附いて來られませんが、そこは技術のある千秋がとことん連れ添ひ、無事に合格。安心して任せられる伴奏の素晴らしさに感謝し、これなら千秋の指揮するオケに參加したいと強く願ふ峰くんでした。
アドルフ・ブッシュ(Vln.)&ルドルフ・ゼルキン(Pf.)HMV DB1970/2
ゲオルク・クーレンカムプ(Vln.)&ジークフリート・シュルツ(Pf.)Telefunken E3124/6
ユーディ・メニューイン(Vln.)&(Pf.)HMV DB 5802/4
等SP盤にも名盤が揃つてゐます。生憎、まだ手にしてゐません。清々しい、そよ風のやうな演奏が好きですが、中でもメニューインのは1940(昭和10)年録音で、神童の面影の殘る情熱的な演奏です。一寸試聽したことがあるのですが、その時は持ち合はせがなくて斷念しました(笑)。
ドラマ《のだめ》の中で、不穏な動きや心配事の情景で決まつて流れてゐたのが、プロコフィエフのバレヱ組曲《ロメオとジュリエット》より〈モンタギュー家とキャピュレット家〉でした。何処かからか忍び寄る、重々しい足取りで動く怪物のやうな旋律ですので、一度耳にすると忘れません。
抜粋盤のCDを持つてをり、時折店で掛けてゐますが、何処かへ行つてしまひ、誰の演奏であつたかも定かではありません。常時400枚位は置いてあるのですが、前後2段故、後ろへ回るとなかなか見附かりません。その上、プラスチックの入れ物は落として割れるし、SP盤に比べると何と扱ひの雑なことでせう。然も、営業中は背景音樂ですので、會話の邪魔にならない程度、決して大きな音で掛けられないのが殘念です。
それでも、初めて耳にした方が「今掛けてらっしゃるこの曲名は?」と聞かれたことが度々あります。セルゲイ・プロコフィエフは新古典主義音樂の範疇に入る、露西亞革命から逃れる途中、滿州から日本に立ち寄つてゐますね。プーチン大統領のやうな、金髪で髪が薄く、神経質さうな細面の顔が印象的です。一旦は亡命したのに、祖國蘇聯の呼び戻しに應じて歸國した珍しい類型(パターン)ですね。
バレヱ初演前に、組曲として發表されてをり、この〈モンターギュー家とキャピュレット家〉は組曲第2番の第1曲として、1937(昭和12)年にレニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で初演されてゐます。クラシック音樂の中では、意外と最近の曲なのですねえ。ショスタコーヴィチの交響曲第5番、俗稱《革命》と同じ年に初演されてゐることを考へると、當時の蘇聯はまだまだスターリン体制下で勢ひがあつたのでせう。こちらはムラヴィンスキー指揮のレニングラード・フィルで初演され、SP盤に録音されてゐるので一度聽いてみたいものです。ひょっとすると〈モンターギュー家とキャピュレット家〉もSP盤があるかも知れません。
プロコフィエフ:ロメオとジュリエット 組曲-抜粋
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ドラマの中で、千秋(玉木宏)が師匠のシュトレーゼマン(竹中直人)と共演するラフマニノフの洋琴協奏曲第2番が、これまたよかったです。素敵な俳優陣なだけに非常に格好よく、見映えのする吹き替へ奏者に、背景で流れる演奏もよく、ドラマとして樂しめました。
丁度、先週の土曜日の《蓄音機の會》では、この洋琴協奏曲第2番を取り上げ、ご本人の洋琴、ストコフスキーの指揮、フィラデルフィア管絃樂團のSP盤5枚組(CCCP5289-50)を聽いたところです。元は亞米利加録音のヴィクター盤ですが、私の所有してゐるのは蘇聯盤ですので、キリル文字が讀めません。以前、雑誌『ショパン』の取材でラファウ・ブレハッチさんがいらした時に、一緒にいらしたお父様に露西亞語を讀んで頂き、内容を確かめてから一面だけ掛けました。彼は一昨年の第15回ショパン國際洋琴競爭(コンクール)で完全優勝してゐます。波蘭出身の優勝はクリスチャン・ツィメルマン以來30年振りだとかで、本年來日します。非常に内氣でおとなしい好青年で、不思議さうに蓄音機に見入つてをりました。
ラフマニノフは非常に大きな手の持ち主で、12度の音程を左手だけで押さえられたらしいのです。それ故、音も大きく、雄大な感じです。只、伴奏の方が音量に減り張りが少なく、割と平凡なだけに、二樂章の微妙なテムポの揺れが素晴らしい。以前はハリウッド映畫を見せられるやうな、押し附けがましい煌びやかさが鼻に附いて好きになれない曲でした。ですが、ラフマニノフは作曲當時、極度の神經衰弱から醫師の治療によりやっと立ち直り、頑張つて書いたものなのです。本人にしてみれば、そこまで派手に復活を印象附けてやらねばならなかつたのでせう。涙ぐましい努力の跡が、佛蘭西料理の定食のやうな、豪華さや官能美に繋がつてゐるのでせう。あんまり派手で私は消化不良を起こしてゐたのかも知れません。
ドラマが終了してもまだ勝手に盛り上がつてゐる《のだめカンタービレ》ですが、學生の頃は他の大學オケから定期演奏會の招待券が回つて來たりした爲、少なくとも月1回以上、ほんたうによくオケの演奏を聞きました。勿論、1年坊主の頃はまだ青山ではなく、完成したばかりの厚木新校舎でしたから、當然諸先輩方が行つてゐた分、自分が3,4年になり、希望者がなければ、率先して行つたものです。
ドラマ《のだめ》の中で、千秋が初めて振るのが「ベト7」です。私が最初に買つたLPもこの曲でしたから、ベートーヴェンの交響曲の中でも特に馴染みの深い曲です。ベートーヴェンの交響曲第7番と云ふのが面倒だからか、當時から極端に縮めて「ベト7」と呼びますね。3番、5番、9番のやうに表題が附いてゐれば、そちらを使ひます。「英雄」または「エロイカ」、「運命」、「合唱附」と云ふ風にです。ドヴォルザークだとドボ8(ドヴォルザークの交響曲第8番)だとか、ブラ1(ブラームスの交響曲第1番)だとかですね。さうして喋るのが、とても新鮮でした。
さて、その「ベト7」ですが、千秋は非常に耳がいいので、誰が違ふ音出すかすぐに判つてしまひます。演奏する側からしてみれば、みんなの前で指摘されずとも、自分が一番よく解つてゐるものですので、合奏練習で指摘されるのは嫌なものです。
學生當時聞きに行った演奏會の中に、N大オケの演奏が忘れられません。合唱指揮や音樂批評で有名な方が指揮してをりました。指揮者ご本人はいたく真面目に振つたのでせうが、緩急を附け過ぎた、滅茶苦茶なテムポで唖然どころか腰を抜かすかと思ふ程でした。専門家なら絶對に拒否されたであらうテムポです。この曲は自然と盛り上がつて終はる曲ですから、特に4樂章は焦らず、煽らず、程良い速度が欲しいところですが、クレッシェンドと共にどんどん早めて、最後は分解寸前ギリギリと云ふ感じでした。學生オケ特有の勢ひがあつたにしても、あれはやりすぎでした。だから、一番印象に殘つてゐます。
専門家の演奏では、遅いとか、色々批評されたベーム指揮、維納フィルに一番慣れ親しみました。ご紹介するのは傳説化したNHKホールでの實況録畫・録音です。まだ、クラシック音樂そのものを聞き始めた頃ですから、當然行つてゐませんし、最後の來日の追加公演はテレビで見たことをよく覺へてゐます。然も、修學旅行中の廣嶋のホテルでした。同室の奴は呆れて、どっか行ってしまつたのですが、食ひ附くやうにして畫面を見入つたものです。
カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1975年日本公演
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今はフルトヴェングラー指揮、維納フィルのSP盤(HMV DB21106/10)を探してゐます。たまに競賣に出ますが、盤質がよくないので未だ手元にありません。
昨年末、テレビドラマの《のだめカンタービレ》を熱心に見入つてしまひました。懐かしい學生オケの雰圍氣がよく出てをり、配役、脚本も素晴らしく堪能しました。見終はる頃に友人に無理言つて原作漫畫全巻を借りて讀み出したところです。
指揮者を目指す音大生、憧れの千秋先輩と「のだめ」こと野田恵のドタバタ戀愛が、賑やかな友人と變はり者の先生に囲まれて、音大の日常が描かれ、敬遠されがちなクラシックがごく當たり前のやうに鳴り響く、それはそれは面白いものです。漫畫では更に巴里での留學後も描かれてゐます。漫畫では音がない爲、曲名から、自然と頭の中に曲を浮かべないといけませんが、がドラマでは、はっきりに耳に聞こえるので、曲を知らない人でも十分樂しめた筈でせう。かみさんにせがまれて、ドラマ殘さずハードディスクに録畫なんてことは初めてでした。その上、CDまで買はされましたが、お陰で子供もごく普通にベト7(ベートーヴェンの交響曲第7番を略してかう言つてました)やベートーヴェンの提琴奏鳴曲《春》を口ずさんだりするやうになつたのは、いい影響かも知れません。
舊東伯林の樂譜屋で買つた指揮者用総譜を引ッ張り出して來て、CDに合はせて指揮してみたり、すっかり氣分は千秋でした。
![]() | のだめカンタービレ(1)
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![]() | 「のだめカンタービレ」オリジナル・サウンドトラック
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ヴィスコンティはマンの『魔の山』と、プルーストの『失はれた時を求めて』の映畫化を企ててゐましたが、どちらも頓挫してしまひました。もしも、完成してゐれば《地獄に堕ちた勇者ども》《ヴェニスに死す》《ルートヴィヒ 神々の黄昏》と共に獨逸4部作を成し、長くて時間が飛んで難解な小説『失はれた~』から19世紀、ベル・エポックの時代の巴里上流階級の混沌とした人間模様を鮮やかに描いてくれたことでせう。臺本も完成してゐた《失はれた~》は特に殘念です。
さて、この《ルートヴィヒ》1972年制作(240分)はバイエルン國王ルートヴィヒ2世[在位:1864-1886] (ヘルムート・バーガー)が18歳で即位してから、40歳で謎の溺死をする迄を描いてゐます。孤獨を愛し、現實から逃れて城造りに熱中し、ワーグナーの音樂に癒しを求め、精悍な青年王が何時しか太り、蟲齒に侵され、同性愛に耽り、頽廢の極みに達すると國家財政を揺るがすことから精神病と決め附けられて退位させられてしまひます。彼が愛し心を開いたのは、従姉の墺地利皇后エリーザベト(ロミー・シュナイダー)一人でした。シュナイダーはエリーザベト役で女優デビューしてゐますが、貴賓といい風格といい、實に堂々として美しいですね。
金をせびり、自分の欲望をどんどん叶えて行く作曲家ワーグナー(トレーバー・ハワード)は俗物で、吐き氣がする位厭な奴ですが、裏に流れる彼の音樂は飽くまで美しく、作曲家がどんな奴であつたかは物語りません。王家に生まれた悲劇、弟も精神病で収監されてしまひますが、藝術の庇護者として、太陽王14世に憧れたルートヴィヒの建てた城が現在のバイエルン觀光の目玉と云ふ皮肉。かの有名なノイシュヴァンシュタイン城の公開されてゐない部屋には、今も末裔たちがひっそり暮らしてゐるのだと云ふ事實。
映畫では側近たちの証言が延々と續きます。偏執狂(パラノイア)とさせる爲に政府高官たちが仕組んだとしか思へませんが、それだけ王を理解してる人は誰もゐなかつたのでせう。長く、重く、陰鬱ですが、華麗な王様の生活の裏側は何事も自由にならない不自由な囚はれ人だと云ふことをよく表してゐます。併し、退屈はしませんが、兎に角長いです。4時間集中するとへとへとになります。これまでのヴィスコンティが撮つた映畫は皆、小説の主人公でしたが、ルートヴィヒ2世は實在の人物だけに丁寧に描きたかつたのでせうねえ。
ルートヴィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスター
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映畫《地獄に堕ちた勇者ども》1969(昭和44)年制作(155分)は獨逸の轍鋼財閥の頂點に立つ一族の骨肉の爭ひを國家社會主義勞働者黨(ナチス)の臺頭と共に描いた秀作。正面からナチスの蛮行を描けたのは、偏に距離を置いて眺めることのできた伊太利人のヴィスコンティだからでせう。
のっけからヘルムート・バーガー演じるマルティンの女装からして唖然とさせられます。鐵鋼王エッセンベック家の老ヨアヒム男爵の誕生日の餘興でしたが、弟ギュンターは此処でバッハの無伴奏組曲第3番?をチェロで彈きます。そこに國會炎上の知らせが届き、ナチスによる暴力の時代を豫感させます。この場に居合はせた人の多くがこの後の権力闘爭により道を誤り、死んでしまひますが、一度見ただけではよくわからない映畫です。
召使ひにシャワーで石鹸を流して貰ふ場面では、バスタブの中に立つてゐる所爲か、チョロチョロとしかお湯を出さないことにショックを受けました。我々日本人から見れば、ザブ~ンとお湯を被るのが豪快であり、快感なのに、権力者がチョロチョロのお湯で何も不平を言はないのです。勿論、カーテンや仕切のない西洋間ですから、仕方ないのですが、文化の違ひを感じましたね。確か、大學の頃に池袋の名畫座で初めて《ヴェニスに死す》と一緒に觀た氣がします。
老男爵の後繼者たる長男は第一次世界大戰で失つてゐる爲、その未亡人ゾフィが會社を我がものにしようと畫策します。愛人のフリードリヒ(ダーク・ボガード)を社長に据えようしますが、社内に突撃隊の幹部コンスタンティンと親衛隊のアッシェンバッハ大佐が居て、ナチスの権力闘爭の縮圖にもなつてゐます。物語はゾフィの希望に添はず、コンスタンティンは突撃隊の「血の粛正」で排除され、権力に目覺めたマルティンは親衛隊に入隊し、自分を愚弄して來たゾフィ(母)を犯し、フリードリヒを自殺に追ひ込み、アッシェンバッハの描いた筋書き通りに、一族は崩壊して新秩序が生まれるのでした。富と権力「ラインの黄金」を手中に収めるのは醜いアルベリヒ(ナチス)だとなぞらえてるゐるとすれば、この始まりは最後にどうなるか、既に「神々の黄昏」を我々に教へてくれます。
1934年6月30日にレーム率いる突撃隊を親衛隊が急襲して、數百人の突撃隊員が粛正されてゐるのですが、それがまた泥酔して滅茶苦茶になつた明け方に襲はれて、機關銃でバリバリ殺され、ドボドボ血が出て、1960年代の東映ヤクザ映畫と同じに血で溢れてうんざりします。でも、目を背けてはいけません。これこそナチスが法を捨ててやった蛮行なのです。
今晩のBS衛星劇場は《熊座の淡き星影》です。
地獄に堕ちた勇者ども
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今晩放映される映畫《郵便配達は二度ベルを鳴らす》はヴィスコンティ最初の長編映畫です。1942(昭和17)年制作、113分。原題は「妄執(Ossessione)」。原作の愛慾小説『郵便配達は二度ベルを鳴らす』の作者ジェイムズ・ケインから戰時中の爲映畫化の許可が得られず、亞米利加では長いこと違法作品でした。それ故、紐育での初演は1976(昭和51)年になつてからのことです。
1981(昭和56)年にはジャック・ニコルソン、ジェシカ・ラングでも映畫化されてもゐます。併し、白黒とは云へ印象深いのはこのヴィスコンティ作品の方でせう。舞臺は亞米利加から北伊太利に移して、自由に直してゐます。
片田舎の食堂に流れ者ジーノが現れ、美人の妻ジョヴァンナは年の離れた夫よりも一目見ただけで、この若い男の虜になつてしまひます。夫を説得して雇ひ入れて貰つてから、夫の居ない時を狙つて誘惑すれば、身體を持て餘してゐるジーノはすぐに應へます。幾度も情事を重ねる内にふたりで驅け落ちを計畫しますが、それまでの恩を思つたかジョヴァンナは食堂へ引き返し、ジーノは元の風來坊生活です。そこで、大道藝人と知り合つたジーノは仲間となり、港町でいつかの食堂の夫妻と出くわし、また戀の炎が燃え上がります。
たうたう夫が邪魔になつたジョヴァンナは夫殺しを決意して、自動車事故を装つて共謀して殺してしまひます。完全犯罪を成し遂げた筈のふたりですが、ふたりだけとなるとうまく行かず、此処を捨てて餘所で再出發しようと企てます。自動車に乘り込み、ふたりで未來を摸索中、交通事故でジョヴァンナが死んでしまひます。しかも、夫を殺した時と全く同じやうな状況となり、偶然の事故だと信じて貰へないジーノは警察に連行されるのでした。
土埃の舞ふ土手は穀倉地帶のポー河周辺なら何処でも見られる風景です。然も、日差しが強い。汗まみれのランニングシャツにジャケットを羽織つたジーノは如何にも肉體勞働派の逞しい體型。筋骨隆々でギラギラする位男っ氣がありますが、不潔で汗臭ささうです。それに比べると食堂の主人は小綺麗かもしれませんが、腹の出た中年男で然も亭主関白。口うるさい主人ですが、喉自慢ではヴェルディのアリアを歌ふところは、さすが伊太利です。若い妻としては、退屈してゐる最中に突然白馬の王子が現れたやうに感じたのかも知れません。玉簾(タマスダレ)の間から流し目で誘惑するところなど、大人の女は恐いと感じます。惚れたと思つたら、すぐに口説く。氣持ちが高まれば何処でも情事を重ねる!嫉妬に狂へばすぐにナイフを取り出す。直情径行型、現世を謳歌するラテンの血は熱し易く醒めやすい。それで居て、人ごとでない怖さを感じます。
郵便配達は二度ベルを鳴らす[DVD]
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先週コメントを頂いた、ヴィスコンティ初めての総天然色映畫《夏の嵐》に就いても詳しく書かねばなりません。これは、1954(昭和29)年に公開された戀愛歴史活劇です(119分)。原題は「官能(Senso)」。此処ではブルックナーの交響曲第7番の斷片が遺憾なく使はれ、思ひの他効果を上げてゐます。
1866(慶應2)年の墺地利支配下のヴェネツィア。今、將にヴェルディの《イル・トロヴァトーレ》がフェニーチェ座で上演されてゐる最中、決闘することになった從兄弟を助けようと、リヴィア・セルピエーリ伯爵夫人(アリダ・バリ)は相手の墺地利士官フランツ・マーラー中尉(ファーリー・グレンジャー)を桟敷に呼びます。墺地利軍の乳白色の上着に側線入り水色のズボンの制服が鮮やかで格好いい!それにマントが粋です。
〈見よ、薪の恐ろしい火を〉のアリアが「武器を取れ!」と歌ふと、現實世界にも呼應してをり、伊太利獨立の機運は高まつてゐる爲、反墺のビラが桟敷席から蒔かれます。舞臺でレオノーラが〈戀は薔薇色の翼に乘つて〉を歌ふ最中、リヴィアの切羽詰まつた状況が重なり、愛のない夫よりも從兄弟に心曳かれてゐた筈が、今度は若い士官に氣持ちが動きます。從兄弟は流刑となつて決闘は免れますが、ふたりは逢瀬を重ねる中、つひに戰爭が始まり、リヴィアは夫と共に疎開して引き裂かれてしまひます。
併し、その屋敷へ突然フランツが現れ、除隊して一緒にならうと口説かれたリヴィアは統一伊太利の爲の資金を渡してしまひます。ところが何時まで待つてもフランツから連絡はなく、やっとの思ひでヴェローナを訪ねるとただの逃亡兵として娼婦と一緒に居る酔っぱらいの姿でした。全てを捨てて來た筈のリヴィアを口汚く罵るフランツ。傷附けられたリヴィアは墺地利軍司令部に赴き、逃亡兵を密告し、フランツは即処刑され、暗がりの町の中に彷徨(さまよ)ひ出たリヴィアは消えて行くのでした。
戰爭に翻弄される不倫の仲とだけ捉へるのではなく、時代の大きな波に飲み込まれた若い男女の悲劇と捉へたいものです。伊太利が統一されるのは明治維新と差程變はらない時期であつたと知りました。コルセットの紐をぐいぐいひっぱる場面は洋服の違ひを最も感じさせてくれます。戰闘場面は壮大ではありますが、鉛の兵隊を動かしてゐるかのやうに俯瞰から油繪のやうに迫ります。ブルックナーの音にどっぷり浸かり、ヴェルディに酔ふ冒頭も19世紀を身近に感じさせてくれますね。この映畫からブルックナーに入つたのだと、今頃思ひ出しました。
そして、火災前の1990(平成2)年ににフェニーチェ座の平戸間で觀た『トスカ』も鮮やかな記憶として蘇ります。偶然にも、翌週に獨逸へ戻ると伯林のドイチェ・オパーで同じ歌手がトスカ役で歌つてました。カンタービレの伊太利に比べると、質實剛健、ワーグナーのやうに管絃樂が鳴り響く中でのトスカ。國の違ひがよく出てゐました。
ヴィスコンティは最初、伯爵夫人役にイングリット・バーグマン、中尉役にマーロン・ブロンドを考へてゐたさうですが、日程の関係だかで流れたのだとか。もし實現してゐれば、随分變はつた雰圍氣になつたでせうねえ。
今晩のBS2衛星劇場は《ヴェニスに死す》1971年(131分)です。
夏の嵐
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プッチーニ:トスカ 全曲
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ずっと北西伊太利旅行の話しばかり書いてゐるうちに、ルキノ・ヴィスコンティ生誕100周年記念に絡んでか、衛星映畫劇場で随分とまとまって作品が放映されてゐます。今週はヴィスコンティ映畫に就いて書きませう。
日本では初期の作品は殆ど公開されず、《地獄に堕ちた勇者ども》もさして注目されず、1971年に《ヴェニスに死す》公開後、監督の死後1978年に初めて《家族の肖像》が上映されてからが、突然の流行となつた模様です。
續いて《イノセント》《郵便配達は二度ベルを鳴らす》が公開され、1980年代に入るとまづ岩波ホールで《ルートヴィヒ 神々の黄昏》がお目見えし、81年に《ベリッシマ》、《山猫》伊太利語完全版、82年には《若者のすべて》完全版、そして《熊座の淡き星影》と順々に公開されて行き、つひに澁谷のパルコPart3で「ヴィスコンティとその藝術」と題した一大回顧展が開かれました。この公開時期は、丁度多感な高校から大學生と云ふ期間に當たり、その時にどっぷり洗禮を受けました。今思へばブームに乘つてゐただけかも知れませんが、ミラノ・スカラ座の引越し公演も重なり、歐州への憧れが開花したのもこの時期でせう。映畫の衣裳だけでなく、オペラの舞臺衣裳も飾られたこの展覧會は壓倒的な迫力で本物に接することができました。
さて、今晩放映される《若者のすべて》は原題「ロッコとその兄弟たち(Rocco e i suoi fratelli)」で、1960(昭和35)年公開、1982(昭和57)年に完全版に披露された118分の白黒映畫です。
伊太利南部のバジリカータ州からミラノへ、4人の息子を連れた未亡人が貧農を逃れ、少しでもよい暮らしをする爲にやって來ます。先に行つてゐた長男にはいい顔されず、次男シモーネは拳闘を始めて芽が出ると娼婦ナディアに夢中となって身を崩し、兄の厖大な借金を肩代はりする聖人のやうな三男ロッコ(アラン・ドロン)だけでは家族の崩壊を止められず、都會に馴染んだ四男チーロと末っ子のルカは貧ししかつたけれども、仲睦まじかつた故郷へ歸へることを思ひ附くのでした。
貧農を印象附ける拳闘を始める場面。着替へすら持ち合はせがなく、下着で練習を始めて失笑を買ふところです。高度成長期前の日本も同じやうな状況であつたことでせう。
シモーネに愛想を附かしたナディアと兵役から戻った繊細なロッコが逢ひ引きをするのが、ミラノの大聖堂(ドゥオーモ)の屋上です。幾重にも重なるゴシックの尖塔、その間から見渡す景色。精悍なドロンの顔と共に白黒なのに鮮明に覺へてゐます。縒(よ)りを戻さうと弟の前ナディアを辱めるシモーネは結局、何をやってもうまく行かず、自暴自棄彼となつて彼女を殺してしまひます。夢見た都會暮らしも散々な結果となるこの家族。ヴィスコンティが初期の作品から一貫して描き續けた家庭の崩壊は、ここでも普遍性を得て色々考へさせられます。
自分が長男ならやはり婚約の席に突然現れた家族を温かく迎へ入れられるだらうか、シモーネと違ひ、喩へちやほやされても、そのまま拳闘を續けられるのだらうか、ロッコのように自己犠牲で家族を支へることができるだらうか、四男のやうに工場勤めができるのだらうか、上の兄貴たちを見てゐる末っ子のやうにうまく立ち回れるのだらうか。大きな疑問を抱へますが、ここで氣附くのは母の強さです。泣いたとしても立ち直り、芯の強い母は些細なことでは微動だにしません。マンマの味でないと駄目だと云ふ伊太利男の氣持ちがよくわかります。
若者のすべて
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トリノで一番目立つ「モーレ・アントネッリアーナ(Mole Antonelliana)」は167米の高さを誇る、トリノを象徴的する尖塔です。1863(文久3)年着工當初は猶太教のシナゴークの筈でしたが、資金難から頓挫し、完成前にトリノ市に譲渡されて1889(明治22)年に完成しました。そして何に使はれてゐたかは知りませんが、2000(平成12)年に改装されて、映畫博物館(Museo nazionale del cinema)に生まれ變はり、歐州一の集客力を誇る映畫博物館になりました。
映畫好きとしては、トリノの自由時間にまづ此処を目指し、ストライキで止まった市電やバスを横目にテクテク歩きです。今年はモオツァルトの年でもありますが、ルキノ・ヴィスコンティ監督生誕100周年記念でもあり、大きな垂れ幕が特別展示を知らせてゐます。
入り口で展望臺昇降機と博物館共通切符を買ひ、地上階から真っ先に高い所へ昇ります。この昇降機は硝子張りで然も外側に囲ひがなく、只太い起重機用針金(ワイヤー)に引ッ張られるだけなので、支柱のない圓蓋(ドーム)部分の真ん中をスイーっと上がつて行く、とても恐ろしいものです。よく云へば、意匠(デザイン)が非常に近代的(モダン)で、フリッツ・ラング監督映畫《メトロポリス》をふと思ひ出させるやうな感じです。上に昇ると、煉瓦色の屋根が連なる市内や王宮、ポー河から遠くの山々まで見渡せて氣持ちのいいものです。
そして、一旦下へ下りて階段を上がると、先程昇降機が突き抜けた圓蓋部分が大廣間となつてをり、そこで寝椅子に横になり乍ら名畫の數場面が見られます。お疲れの方は此処でずっと横になり、半分居眠りして鋭氣を養つてゐました。映畫封切り當時のポスターが壓巻で、《雨月物語》、《羅生門》等ヴェネチア國際映畫祭で授賞した日本作品や《俘虜(邦題:戰場のメリー・クリスマス)》、北野武作品のポスターも有りました。それが、伊太利語なので雰圍氣が全然違ひます。《スター・ウォーズ》にしても、ハリウッド映畫に見えて來ません。随所に工夫が凝らされ、飽きず、全體として伊太利映畫の良さを感じて欲しいと云ふ制作側の意圖も傳はつて來ます。
順繰り見られるやうに大きな螺旋のカーブが巡らされ、そこが丁度ヴィスコンティ回顧展になつてをり、名場面の大きな寫眞(スチール)が年代順に飾られてゐます。初期の白黒映畫には見てゐないものもありますが、原題と邦題が違ふものには一瞬戸惑つたり、初めて見る撮影風景畫や、よく知る1齣(コマ)等に感心し、こちらの記憶を辿る作業も樂しく、お勸めです。
日本でも11月初めまで代表作《山猫》《ルートヴィヒ》《イノセント》が新宿のテアトル・タイムズスクエアで上映されてゐます。186分、240分、129分の長いものですから、通し狂言ではないので、一日で全部見ようと思はないで下さい。
三嶋由紀夫著『憂國』(新潮文庫の短編集に収録)は二二六事件の際に妻が居ると云ふことで蹶起から外され、討伐軍として戰友に刃を向けることを拒み、割腹自殺する將校話ですが、生前著者は自分で演じた短篇映畫を撮つてゐました。それは本編28分と短く、三島由起夫の最期を彷彿させる爲(たぶん)未亡人が厭がり、お藏入りどころか全てのフヰルムを回収、消却した幻の映畫として知られてゐました。ところが、未人が亡くなつて遺品の整理をしてゐたところ、茶箱の中から完全な形で發見され、今年になつて改めてDVDとして發賣された色々な意味で話題作です。
音樂はワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》の管絃樂版を使ひ、臺詞はなく、最初に巻紙に書かれた説明だけで、能舞臺に「誠」の掛け軸、至つて單純構圖が効果を上げてゐます。大寫しや二重寫し(オーヴァーラップ)はやや技術的に稚拙さも感じられますが、白黒映畫にも拘はらず、鮮血で妻の白無垢が汚れる場面はかなり衝撃的でした。これなら、1970(昭和45)年11月25日の市ヶ谷駐屯地総監室もどれだけ血が流されたのか、理解できると云ふもの。腹切りは基本的に出血多量で死に至る譯ですから、斬首係がその苦痛を和らげてくれたのでせう。三嶋の場合、森田必勝の介錯がバッサリとは行かず幾度も首の骨に當たり、かなりの痛みを味はつたらしいのですが…。
あの日の朝日新聞の夕刊には、頭部がゴロリとした寫眞入りで紹介されましたが、刺戟が強すぎると親が隠してしまひ見せて貰へませんでした。大阪萬博に合はせて、我が家もカラーテレビが入つた氣がするので、演説の場面はニュース映像で見た氣もしますが、その夏前に馬込の友達の家へ遊びに行つた時、「お隣は作家の三嶋さんだよ」と云はれたことの方が鮮明に覺へてゐます。自分が小さかつた所爲でせう、何処までも續く白くて高い塀の記憶だけで、勿論、小説など讀んでゐる筈もなく、有名人なんだと云ふ認識しか小學1年生の私にはありませんでした。でも、何か釈然としないものがずっと今も殘つてゐます。
さて、映畫の背景音樂に就いては演奏史譚の山崎浩太郎さんのはんぶるオンライン内の可變日記7月13日(及び7月9日と9月2日)に詳しく書かれてゐるので、そちらに譲りますが、ストコフスキイ指揮、フィラデルフィア管絃樂團演奏の1932年盤ださうです。私はまだこのSP盤を見たことがありません。手元にあるのは1938年盤でVictor M508-1/9(16232S/36)のアルバム入り。〈第1幕への前奏曲〉、二幕から〈愛の夜〉、そして三幕から〈愛の死〉が5枚9面に収められてゐます。これらは私の見た資料では1935(昭和10)年12月16&30日、及び37(昭和12)年4月5日に録音されてゐます。
著作権は死後50年と云ひますが、作家の死後30年ではまだ明らかにされてゐない事實も多く、未だに判斷できないあの時を思ひ出される短篇映畫はお藏から出て來てよかつたと思ひますね。
憂國
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花ざかりの森・憂国―自選短編集
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決定版 三島由紀夫全集〈20〉短編小説(6)
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壁の在る頃は東西冷戰の最前線として象徴的に語られて來た「ブランデンブルク門」ですが、今まで下を歩いたことがなく、今回やっと實現しました。17年前に壁に登つたことが嘘のやうです。觀光客に溢れかえり、只の歴史的建造物になり下がった感じもしないでもありません。
昔の伯林の城門であり、西のブランデンブルク地方に面してゐるのでこの名が附いてゐます。「白虎門」と云ふ感じでせうか。此処から東にウンター・デン・リンデン通りが始まり、王宮へと向かふ凱旋門でもあります。それ故、普佛戰爭や國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)の鉤十字の旗めく印象が強いのも否めません。巴里の凱旋門も觀光客で賑はつてはゐますが、兵士の爲の火が點る戰爭色の強いもので、佛蘭西の象徴的な意味も持たされてゐますね。
レニ・リーフェンシュタールの映畫〈意思の勝利〉は日本でのDVDの發賣はありませんが、簡單にネットで手に入れることができます。これは1934(昭和9)年にニュルンベルクで行はれたナチス全國黨大會の記録映畫なので、ブランデンブルク門と直接関係ありませんが、綺麗に揃ひ過ぎた行進が此処でも行はれてゐたことでせう。彼女は1936(昭和11)年の夏期オリムピックを記録した映畫〈オリムピア〉を撮り、絶賛されてゐます(戰後は逆に否定され續けました)。先月「ヒンデンブルク號」のことで調べてゐたとは云へ、歴史の舞臺に立つと色々考へさせられるものです。
東西冷戰の頃の西伯林には獨逸の國旗が掲げられてゐることなど見たことありませんでしたが、今回は、矢鱈と、どの路地でも少なくとも1本は目にしました。窓やバルコニーに差してあるだけですが、以前では考へられないことでした。蹴球世界杯(ワールドカップ)の主催國として、自信を附けたからでせう。二度も戰爭を始めた國として、戰後は一環してナチスを否定する教育を續け、イスラエルに援助をし、ずっと低姿勢で來た獨逸人が、國際試合を開催し、多くの外國人を歡迎して受け入れたことにより、獨逸の印象は劇的によくなつだけでなく、人々は國の誇りを取り戻した筈です。伯林の街角でそれを感じました。
Triumph of the Will (Rmst Spec)
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モーツァルトの歌劇を劇場での記録としてではなく、全編ロケーションにより映畫化したものがあります。 ジョセフ・ロージー監督、佛蘭西・伊太利・西獨逸合作映畫《ドン・ジョヴァンニ》(1979年)です。これも當時ヤマハホールで上映されるのに合はせて見に行きました。
ルッジェロ・ライモンディを始めとする、當時の一流の歌手を集め、伊太利の城でロケーションの良さを生かして、撮影された素晴らしい映畫でした。勿論、オペラですから、臺詞ではなくチェンバロに合はせた詠唱(レチタティーボ)か獨唱(アリア)や合唱になるのですが、レチタティーヴォの部分は撮影現場で歌つて貰ひ、それを録音したので口パクに陥らず、不自然さがありませんでした。タイトルロールのライモンディの他には、ホセ・ヴァン・ダムのレポレッロ 、キリ・テ・カナワのドンナ・エルヴィーラ 、テレサ・ベルガンサのツェルリーナと豪華な顔ぶれです。
ドン・ジョヴァンニに罪の意識はあるものの、自分ではどうすることもできないセックス依存症の男のやうに描かれ、ライモンディの自信に溢れたドン・ジョヴァンニ同情したくもなります。常に何かから逃れるやうな感じで描かれてゐます。かう云ふ立派な映像を觀せ附けられると、本番の舞臺が酷く見劣りを感じたものです。過去に初演されたプラハ國立歌劇場の引っ越し公演を觀ましたが、正統派の重々しい演出で、確か、石像は歩いては出て來ませんでしたね。
それに比べると昨年の大野和士指揮、白耳義國立モネ劇場の日本公演はデイヴィッド・マクヴィカーの演出の光る高密度の舞臺でした。途中、場面轉換で音樂が途切れることなく、實に滑らかに舞臺装置も變はり、巧妙にできてゐました。胸を露はにしたサイモン・キーンリィサイドのドン・ジョヴァンニはビジュアル系ロック歌手のやうな出で立ちで、食卓の上で歌ふは、走り回るは、とても元氣よく、精力有り餘る好色男を熱演してゐました。
歌劇映畫でふと思ひ出したのは、マリア・カラスへのオマージュとして作られた《永遠のマリア・カラス》(2002年)です。生前親しかつたフランコ・ゼフィレッリ監督により、晩年のカラスの真實味溢れる姿が愛情たっぷりに描かれてゐました。すっかり聲も失ひ、希臘の大富豪オナシスはジャクリーヌ・ケネディに寝取られ失意の中、巴里で隠れるやうにして住んでゐた、カラス(ファニー・アルダン)を嘗ての仕事仲間でゲイの音樂プロデューサー、ラリー(ジェレミー・アイアンズ)が訪ねて來ます。全盛期の録音を使ひ、口パクでカラスの主演する《カルメン》を撮らうと云ふところから物語は始まり、實際にはなかつたものの、夢の《カルメン》が本物のカラスの歌に添へて造られて行くのが、説得力がありました。シャネルの素敵なスーツ、記者の質問には、その國の言葉で切り返す手際良さ、スターの表と裏の姿をよく描いてゐました。
高校時代、オペラを聽いてゐると奇異な目で見られましたが、今同じことをしても教養人に見られるのがお笑ひです。舞臺より映畫の方が真實味が出るのは致し方ないことかも知れませんが、映畫の工夫がまた舞臺に生かされるともっとオペラもよくなるでせうねえ。
ダンスと云へば、ライザ・ミネリでせうか。當たり役「サリー」として出演した《キャバレー》(1971年)だけでなく、しがないタップ・ダンス教室を描いた《ステッピング・アウト》(1991年)もいい映畫でした。どちらかと云ふとミュージカルなのですが、片田舎のタップ・ダンス教室に通ふ生徒たち8人。人種も、境遇も、ダンスの目的も、皆それぞれ違ふにも拘はらず大舞臺を目指して、まとまって行く姿が爽やかです。色々な人が集まるところが、亞米利加らしく、人間愛を溢れた描き方もハリウッドにしては自然で好感が持てました。
スポコン(スポーツ根性)ものと同じく、努力すればどんなことでも報いられると云ふやや偽善的な、亞米利加人の如何にも好みさうな主題ですが、ミネリの歌や踊りがそんなことは追ひやって、自分の明日に希望を見い出せるやうな描き方がいいのかも知れません。そして、全然揃はなかつた皆の足並みがまるで機械のやうに揃つて、晴れ舞臺に上がる姿は清々しくて、涙腺が弛みます。
それに比べると《キャバレー》は、刻々と變はる1930年代の伯林を舞臺に、歴史に翻弄される若くて歌も踊りも一流な踊り子の悲哀が切々と描かれてゐます。それに伯林に住んでから氣附いたのですが、車で出掛ける郊外の町並みの様子など、きちんとロケーションを組んだことが實際によくわかりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の影は今も獨逸にあるのですから、猶太(ユダヤ)資本のハリウッド映畫は辛口になるのは當然にしても、判り易く丁寧で、時代の退廃と昂揚が傳はつて來ます。
私が高校生の頃は、原宿で「竹の子族」と呼ばれる同世代の若者が毎週日曜日に歩行者天國で踊つてをりました。暫くすると、それが「ロッカー(ロックン・ローラー)」になり、リーゼントに皮ジャン、パツンパツンのブラック・ジーンズに變はり、何時しか「バンドマン」に占領されて行くのを見たものです。思へばバブル景氣に向かふ上り坂に當たるのですから、自由、氣ままに踊れることは平和の象徴でもあるのでせうね。最盛期はディスコテークへギャルが大擧して押し寄せ、お立ち臺なるもので羽根扇子をヒラヒラさせて、大いに見せびらかせて踊つた時代もありました。一時期、パラパラなるものが流行ったやうですが、今はどうなのでせう。若人が熱狂して大勢が踊る程連帶感も生まれず、個のままなのでせうかねえ。
現在、日本で《ステッピング・アウト》のDVDは發賣されてゐません。
キャバレー リバース・エディション
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今週は音樂映畫の話しになつてしまひました。一昨年、リチャード・ギア 、ジェニファー・ロペス 、スーザン・サランドン主演でリメイクされたハリウッド版《Shall We ダンス?》がとても、豪華で素敵だと話題を呼びました。併し、元の周防正行監督作品(1996年)の方が、日本人ばかりで冴へないところが却って等身大でした。
この周防監督は笑いのツボを押さへてゐて、禪宗坊主の修行を描いた《ファンシイダンス》(1989年)、單位と引換へに大學相撲部に入らされた《シコふんじゃった。》(1991年)と共に、何度繰り返し見ても笑へる作品ばかりです。確か処女作品は大好きな小津安二郎監督に捧げるオマージュ映畫でしたが、ピンク映畫だつたと思ひます。今で言ふところのイケメン俳優、本木雅弘を主演にしてゐた2作品の後のですが、《ダンス》は役所広司とぐっと年齢層をあげて、サラリーマンの悲哀を描いてゐます。
物語は、平凡なサラリーマン杉山(役所広司)が、或る日の會社歸へり、電車の中から、ふと見上げたビルの窓邊に佇む美女(草刈民代)が氣に掛かります。毎晩見掛ける彼女にどうしても會ひたくなり、杉山は彼女が居る窓の部屋を訪ねます。そこは杉山に全く縁のない社交ダンス教室でした。それでも、勇氣を振り絞つて教室に入り、あの美女と聲を交はし、成り行きでダンスを習ひ始めるのでした…
この映畫のなかに、ユル・ブリンナー 、デボラ・カー が主演の映畫《王様と私》(1956)年の場面を思ひ出すところがあります。シャム王(ブリンナー)の宮殿にやってきたイギリス人女性アンナ(カー)がダンスの手解きをする時に掛かる曲が映畫の題名にもなつてゐる《shall we dance?》なのです。王様がドタドタ踊るのですが、それでも何時しか優雅に踊れる場面は素敵な見所です。あんな風に踊れたらなあと云ふ夢を語るのですね。
實は幾年か前、かみさんと社交ダンスを習つてゐました。ジルバ、タンゴ、ワルツ、ルンバと少しずつステップも増え面白くなつて來たところで、止めてしまつひ惜しいことをしたと思つてゐます。背筋を伸ばして踊ると、かなりの汗もかき、全身運動になるので健康にもよく、歩き方が粋になつたものです。今はその見る影もありませんが…
歐州では、ごく普通のパーティーでも誰もが氣輕に踊るのですが、若い時に習ふので皆さんそれはそれは上手です。そんな時、ただでさへ背が低いのに文化の違ひに、餘計に卑屈に感じたものですから、また再開したいものです。
Shall We ダンス? (初回限定版)
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王様と私 特別編
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内田百閒の小説に『サラサーテの盤』と云ふ短篇があります。サラサーテ自ら1904(明治37)年に吹き込んだ名曲「ツィゴイネルワイゼン」の途中に、うっかり何か喋つてしまつたものが挿入された有名なレコードに就いて書かれたものです。以前、そのレコードをお借りして聞いたことがあるのですが(Nippon Victor E329)、矢張り「パラピリホレヘレ」位にしか聞こえず、何を言つてゐるのか全くわかりません。フルトヴェングラーのベートーヴェンの7番LP盤にも女性の聲が入つてゐたり、滅多にないだけにとても記憶に殘るものとなりますね。
この百閒の『サラサーテの盤』を元に、田中陽造が脚色し、鈴木清順がメガホンを取つた映畫《ツィゴイネルワイゼン》があります。1980(昭和55)年にロードショウされた摩訶不思議な映像美を誇る清順らしい映畫です。高校生なのに、切符買つてわざわざ見に行つたのは、名曲の名に惹かれ、一寸興味のある大正時代が垣間見たかつたに他なりませんが、ちんぷんかんぷんなのが正直な感想でした。
物語は、大學の獨逸語教授、青地(藤田敏八)と元同僚の友人、中砂(原田芳雄)が旅先で、藝者、小稲(大谷直子)に會ひ、一年後、中砂から結婚したと云ふ知らせを受けた青地は、その妻が小稲にそっくりなので吃驚します。本人曰く似たのを探したのだと笑ひ、書斎でサラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」をヴィクターの卓上蓄音機で二人は聽きます。そして、中砂に娘の豐子が生まれますが、暫くして中砂は死んでしまひます。數年後、青地の家に豐子を連れた小稲が夕闇と共に現れて、中砂が貸したサラサーテのSP盤を返して欲しいと言ひ出します。返した筈だと思つてゐた青地は手元にないと思つて追ひ返すものの、あったことに氣附き、慌てて後を追ふのですが…。
それまでの、《けんかえれじい》《刺青一代》など清順の代表作すら見てをらず、突然、妖艶な世界へ紛れ込んでしまひ、迷子になりました。青地は洋館に住み、始終洋風なのに對し、中砂は暗い日本家屋で常々和服です。鎌倉の切り通しを境に陰と陽の二人の世界が對峙してゐるやうです。どうかすると「骨がピンクになる」なんて話しを聞いた青地は中砂の骨壺に手を掛けて中を見ようとするが、ふと我に返つて止めるたりします。コンニャクをちぎり過ぎて、山になる場面だとか、場面場面をかなり鮮烈に覺へてゐますが、頭の中で繋がつてゐません。
最初、濱に遺體が揚がつたところで、地元の警察に青地が名刺を見せるのですが、「獨逸語」が讀めず「ドイツ語」とはっきり言ふのを特によく覺へてゐます。それで、ドイツを獨逸と書くのだと知りました。また、最後豐子の足跡に六文錢があり、死者だと知っておののく青地に、「參りませう」と聲を掛ける豐子。 斷片の記憶だけでは何だかよくわかりませんね。
キネマ旬報第1位、伯林國際映畫祭では審査員特別賞を獲得したり、日本の評價も海外の評價も高いのですが、理解した人はどれだけ居たのか。今でも不思議に思ひます。
ツィゴイネルワイゼン
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小説の中に出て來る口髭の立派な男と云へば、真先にエルキュール・ポワロが擧げられます。戰爭避難民として英國に渡つた誇り高き白耳義(ベルギー)人は佛蘭西語訛りが抜けず、佛蘭西人に間違はれることに凄く怒ります。小柄で、卵形の頭に先の尖つた髭で、美食を好み完璧な身のこなしと装ひが自慢なので嫌味な奴ですが、灰色の腦味噌が複雑怪奇な事件もたちどころに解決します。
英國放送協會(BBC)製作のドラマにより、デビット・スーシェ演じるポワロの印象が確立した觀があります。こんな口髭は卵白か油を使はないことには固まりません。撮影ですから附け髭でせうが、完璧です。白耳義に住んでゐた頃は「ムッシュ・ポワロー」と初對面でもにこやかに聲を掛けられました。私よりずっと上の世代の人は、まだまだ立派な口髭も多いので、お互ひに目配せだけで、髭の苦勞が解ります。
映畫の中ではピーター・ユスチノフ主演の「ナイル殺人事件」や「地中海殺人事件」が忘れられません。「それでは皆さん、晝食後ホールでお逢ひしませう。」と全員を集める前に、しっかりと美味しい物をふんだんに食べる姿は、でっぷり太つたユスチノフならではのものでせう。日本に戻つた1990年に、散々似てゐると云はれたポアロが氣になつたので、早川ミステリー文庫のアガサ・クリスティー全冊讀破しました。毎日、毎日、頭の中は倫敦であつたり、旅先であつたり、すっかりポアロやミス・マープルの虜になつたものです。
もう一人忘れてゐました。「オリエント急行殺人事件」でポアロを演じたアルバート・フィニーです。彼の方がスーシェやユスティノフよりも、癖のある男として演じてゐました。寝る前にマスクのやうなもので、髭を固定して寝る姿は笑へますが、完璧を目指したポワロならさもありなんと云ふ感じです。ですがこちらは、優雅なワゴン・リーのオリエント急行の車輛に負けない名優、名女優を多數配してゐた爲、數段上の豪華さがありました。
同じ人物を描くのにも、随分と髭の形も違ふものです。
名探偵ポワロ 完全版 DVD-BOX 1
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ナイル殺人事件
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地中海殺人事件
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オリエント急行殺人事件 スペシャル・コレクターズ・エディション
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今まで一番多く見たのが、ヴィスコンティ監督の《ヴェニスに死す》です。歐州の名畫座のやうなところで、何故か何度も見ました。最初英語版を見た爲主人公が獨逸語を喋るのが聞きたくて獨逸で獨逸語吹き替へ版を見て、そしてやっとオリヂナルの伊太利語版を見ました。少なくとも50回位は見てゐるので、カメラが回る間合ひだとか、照明の角度だとか、餘計なことまでかなり覺えてゐます。
老作曲家アッシェンバッハ(ダーク・ボガード)は靜養に訪れた水の都ヴェニスで、希臘(ギリシア)彫刻のやうな美少年タッジオ(ビョルン・アンドルセン)に心奪はれてしまひます。同じリド嶋のホテルに滯在してゐるにも拘はらず、當時の階級社會では紹介もなしに聲も掛けられない。一時は嶋を後にするつもりが、ホテルの手違ひで荷物が驛に届かず、表面怒り心頭乍ら水上タクシーでホテルに向かふアッシェンバッハ。金髪碧眼白皙の究極の美に魅入られ、化粧まで施して若作りをして、後を追つてしまふ。折から流行つてゐたコレラに罹り、つひには濱邊で息を引き取るのでありました。
初めて見た時は氣色惡いだけで、良い印象は何もなく、ただマーラーの交響曲第5番の〈アダージェット〉が頭から離れませんでした。全巻を通じて流れるこの曲が、彌が上にも官能美を誘ひます。主人公の將來を豫感させる氣味の惡い化粧の年寄りが最初に出て來たり、如何にも下品な流しのバンドが物乞ひをしたり、驛でコレラに倒れる貧民だとか、ホテル内だけにしか存在しない上流社會との對比が見事です。
朝霧の中から題名文字が遠くから浮き上がる冒頭では、主演者の名前も次々浮かんでは消え、曖昧模糊とした背景の霧が段々と煙を吐く連絡船へと變はり、甲板の籐椅子に腰掛け、本にも集中できず、手持ち無沙汰な主人公アッシェンバッハの大寫しになります。ここまでの流れ、描き方が素晴らしいのです。疲れ切つて、ソフト帽に薄い外套を羽織り、襟巻きをして、インテリらしさが滲み出て來ます。ボガードはマーラーらしさを出す爲、引き擦つたやうな歩き方やら、爪を噛む癖だとかも真似して、完璧に成り切つたと云はれてゐます。
そして、この中でアッシェンバッハは何度も着替へます。夜会服の燕尾服をパリッと着こなし、濱邊(はまべ)では真白な麻の背廣にパナマ帽、鼻眼鏡も似合ひ、當時の旅行がたいへんであつたことを教へてくれます。飛行機と違つて20瓩だなんて、制限もないでせうし、社會通念として着替へないのは許されないかつたのでせう。そして、先の跳ねた髭も丁寧にカットして貰ふのです。普通、床屋は勝手に切り揃へたがるので、私は決して触らせませんが、これはこれで格好いいのです。
第一次世界大戰前は支配階級にとつては「舊き善き時代」なのですね。ですから、服装もラフなものはありませんが、何とも素敵です。慇懃なホテルの支配人やトーマスクックの支店長も皆獨帝髭(カイゼルヒゲ)で、どうもこの映畫の影響が自分には一番強いのです。大人になつたらこんな髭を生やさうとか、あんな服を着こなさうだとか、この映畫から多くの影響を受けたことが、やっと實現しつつあります。
床屋で髪に墨を塗り、白粉を塗り紅まで口に差すのは、奇怪ですが、本人至つて真面目に戀に目覺めたので周りが全然見えなくなつてゐます。そして最後には、溶けた墨で黒い汗をかいて死んでしまふ。あれ程美を追ひ求めてゐた筈の主人公が、最も惨めで汚い死を迎へる最終場面は、ホモセクシャルの話しと云ふより、年老いた戀は危險なんだと思ひ知らされました。
原作は岩波文庫でも新潮文庫にも有り、翻譯者の苦勞が垣間見えます。と云ふにも、関係代名詞がずっと續き、一文がとても長いトーマス・マンの獨逸語の原文は私のやうな者には齒が立ちません。貴族の末裔であるヴィスコンティでなければ、究極の美を追ひ求めた、この映畫は撮れなかつたことでせう。マルセル・プルーストの『失はれた時を求めて』のシナリオまで完成させて置き乍らメガホンを取らなかつたことが殘念でなりません。
![]() | ベニスに死す
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澁谷に嘗て在つたパンテオンで、中學1年の夏に公開された《ヒンデンブルク》は飛行船好きになる切掛となり、私にとつては最も重要な映畫のひとつです。
これは、1937年5月6日、紐育(ニューヨーク)郊外、ニュージャージー州、レイク・ハースト海軍基地上空で炎上爆發した獨逸の飛行船LZ129「ヒンデンブルク號」の事故を、マイケル・ムーニーの原作に從つて描いたロバート・ワイズ監督によるスペクタル映畫です(1975年、ユニヴァーサル映畫)。
獨逸國家社會主義勞働黨(ナチス)政権下、飛行船は獨逸の技術の粋を集めて造られ、客船の半分程、2日半で大西洋を横斷すると云ふ、世界一早い乘り物でした。併し、爆發豫告を受け、情報省から同乘を命じられたジョージ・C・スコット演じる獨逸空軍リッター大佐が怪しい人物を拾つて行くと、乘客の誰もが怪しく、結局爆彈は見附かるものの爆發してしまひます。そこからは、實寫映像が混ざり、白黒映像に變はり、ハーバート・モリスンの語るラヂオの實況放送も重なり、効果を上げます。そして最後に、諸説色々あるものの今持って原因は不明とされ、雲間に消える「ヒンデンブルク號」の勇姿とデビット・シャイアのゆったりとした曲が心に殘る映畫です。
冒頭は昔の白黒ニュース・フヰルムが飛行船の歴史を傳へ、「ヒンデンブルク號」の完成から、突然フランクフルトの格納庫が寫つて総天然色となり、物語の1937年へと自然と誘ひます。そして、表題が黄色い獨逸の髭文字で現れて、主題音樂が流れる、この導入部は特に好きです。
それから、西班牙(スペイン)から歸還するリッター大佐が操縱するメッサーシュミットBf109型戰闘機が現れます。實際に飛んでゐる姿を見たのは初めてで、軍装模型ファンにはたまらないものでした。水素に引火させない爲喫煙室が設けられ、二段ベットの在る客室は折り畳み式の洗面臺も併設されてゐました。後年、寝臺車の個室で同じやうな洗面臺を見て、當時の技術やデザインが今も生きてゐると感動したものです。離陸の際に奏でられる《獨逸国歌》が何とも勇ましく、聞こます。
また、サロンには特製のグランド・ピアノが在り、アルミニウムが鈍色に光る操舵室のゴンドラや、先端から末尾まで中央部、瓦斯嚢の間を細い通路が通り、銀色に塗られた帆布一枚下は遥か下に大西洋が見え、垂直尾翼には鉤十字が大きく描かれてゐます。メルセデスのエンヂンは後方にある爲、客席に響かず、飛行船内の様子が手に取るやうにわかるので、まるで一緒に乘船してゐるやうな浮遊感すらありました。
ナチスに對する思ひは様々でリッター大佐ですら西班牙内亂で息子を失ひ、アン・バン・クロフト演じる伯爵夫人はペーネミュンデの土地をロケット開發の爲に取り上げられたり、國家秘密警察(ゲジュタポ)以外、何かしら漠とした不安を感じてゐることも旨く描いてゐます。見習ひの少年がサービス係で同乘してゐますが、これは實在する人物がモデルで、彼の體驗も映畫に生かされてゐるのでせう(邦譯はありませんが、手記が獨逸語で出てゐます)。
97人の乘員乘客の内、乘客13名、乘員22名、それに地上係員1名、計36名が亡くなつた大事故でした。 儚く消えた飛行船ですが、その夢が大きかつただけに悲しみも大きいのです。
この映畫に触發され、まづ、中學の選擇授業「歴史」で飛行船の歴史を調べてからと云ふもの、獨逸でも「飛行船」と聞くとのこのこ出掛けて調べて來ました。この數年は飛行船内で食べられた食事の再現に力を入れてゐます。時折、海外の競賣に船内の献立表が出ることがあるのです。1929年に來航したLZ127「ツェッペリン伯號」に関することを調べて、霞ヶ浦へ赴いたり、一生の仕事と感じてゐます。
最近になつて、元米國航空宇宙局(NASA)の研究者アジソン・ベインが、ヒンデンブルグ号の出火原因は、船体外皮に塗られていた塗料の所爲だと結論附けました。酸化鐵と粉末アルミニウムが防水用に塗られてゐたのですが、これは固形燃料ロケットの推進剤にも使はれる程の燃え易いもので、靜電氣の火花(スパーク)により、外皮が燃え出し、瞬く間に船全體に炎が廣がつたことを証明しました。當時のツェッペリン社の記録にも、その可能性が示唆されてゐましたが、保險の問題やナチスに威信の爲に明らかにされなかつたやうです。
現在、ヴィデオテープ及びDVDの國内販賣はありませんが、同じヒンデンブルクを題材にした小説があります。
ヒンデンブルク炎上〈上〉
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ヒンデンブルク炎上〈下〉
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1989年に倫敦に住んでゐた頃、丁度デビット・リーン監督が1962年に撮つた《アラビアのロレンス》を再編集した完全版が公開され、それに合はせて實在の「トーマス・エドワード・ロレンス」を偲ぶ回顧展も開かれ話題を呼んでゐました。1962年度のアカデミー賞7部門を征した、この映畫を初めて見たのは、テレビだつたと思ひます。前編後編に2週に分けて放送してゐました。かうして見ると、3時間を超える映畫ばかりが好きなやうです。映畫館の上映でも、途中に「interval(幕合)」が入り、トイレへ行つて安心して後半を見た氣がします。
ブラフ・シューペリアSS100と云ふ「バイクのロールス・ロイス」の異名を持つ998ccの大型バイクに跨り、颯爽と田園を走るロレンスの事故死(1935年)から始まります。第一次世界大戰の際に考古學者としてシナイ半嶋の地圖作りをしてゐたところ、亞剌比亞(アラビア)地域の諜報活動へ回されます。其処で、獨逸側に附いた土耳古(トルコ)軍に對する亞剌比亞人の反亂軍を組織し、砂漠を乘り越えて海にしか砲臺が向いてゐないアカバを襲撃して、成功を収めます。併し、英國政府の中東政策に利用されてゐると感じ始めたロレンスは、一時は潜入した先で土耳古兵に捕まり拷問を受け、逃げ出すものの列車爆發、敗殘兵の襲撃等残虐な行爲にのめり込んでしまひます。理想を求めるロレンスの人間性、複雑な性格、後半では一轉して挫折と英雄視しない描き方も丁寧で、人間味溢れる映畫に仕立ててあります。
遠く地平線に誰も見えない砂漠で井戸を見附けたロレンスの從者が水を飲むと、射殺されてしまひます。暫くすると砂漠の向かうからオマー・シャリフ演じる部族の王子が駱駝でやって來る場面は特に印象的です。何でそんな遠くが見えるのか、我々の常識なんて通じない世界だと思ひ知らされます。
ロレンスは最初英國軍の軍服に、足下は茶色のデザート・ブーツです。名前のとおり「砂漠長靴」で、踝を包む程度のブーツで、横が護謨(ゴム)になつて履き易すさうですが、亞剌比亞人に認められてからは勸められるままに純白の民族衣装にターバンを巻いて、砂漠で一人悦に入る場面も印象的です。若干28歳でロレンス役に大抜擢されたピーター・オトゥールの金髪が砂漠の黄色い世界に輝きました。
アンソニー・クイン演じるベドウィン族の首長の迫力、亞剌比亞人の部族抗爭、現在のパレスチナ問題の發端ともなつた英國政府の二枚舌外交やら、ファイサル王子(アレック・ギネス)の頭の切れるところ、ダマスカスを占領した英國軍將軍が呑氣にフライ・フィッシングの練習をしたり、戰場場面以外も奥の深い作りです。できれば、大畫面のワイド・スクリーンで見ると、モーリス・ジャールの雄大な音樂と共に、眩しいどころか刺すやうな日の光と暑さの爲にクラクラして、喉が渇くこと請け合ひです。
![]() | アラビアのロレンス 完全版
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何故だか、10代後半から20代の多感な時に見た映畫の数々が、忘れられません。それらを何度見ても、また、新たな感動を呼び起こすから不思議です。
1987年度アカデミー賞外國語映畫賞を受賞した丁抹(デンマーク)映畫、ガブリエル・アクセル監督の《バベットの晩餐會》。イサク・ディネーセンの原作で、19世紀後半、ユトランド半嶋の小さな寒村に、パリ・コミューンにより父と息子を亡くして流れ着いた佛蘭西女性バベットを女中として置くことにした、新教徒(プロテスタント)の牧師を父とする老姉妹。月日は流れ、幾年も經た後、富くじで1萬フランを當てたバベットは、その金を使ひ村人たちの爲に、豪華な佛蘭西料理を御馳走すると云ふお話しです。そこに、料理がもたらす奇跡の妙と云ふものが美しく描かれてゐます。
シドニー・ポラック監督、ロバート・レッドフォード、メリル・ストリープ主演の映畫《愛と哀しみの果て》(原題Out of Africa)の原作もディネーセンでした。こちらは、阿弗利加の大地に生きる力強い女性の物語でした。複葉機から見る草原、燃える珈琲園、男性専用の倶楽部にずかずか乘り込んでしまふものの、最後に旅立つ際、認められて逆に招待されたり、途中、卓上型蓄音機で猿にモーツァルトを聞かせる面白い場面もありました。
《バベットの晩餐會》は、佛蘭西と云ふ現世の樂しみを享受するカトリック世界と、寒村で世俗的な慶びを拒否して來た新教世界の對立でもありました。初めは、見たこともない恐ろしい料理になかなか手を出さないものの、徐々に打ち解けて來て、にこやかに食事をするのです。唯一、老姉に大昔戀をした將軍だけが、海外駐在をしてをり、その料理の價値、ワインの銘柄すらも理解してゐるのです。どうしてこんなところで、巴里の一流店でしか出せないものが、食べられるのか不思議で仕方がありません。併し、一緒に食べる先代縁の村の人々は、惡魔に魅入られないやうに、黙つて口に運ぶだけなのです。そのうち、一皿一皿食べる毎に固くなつてゐた人々の心もほぐれ、思ひ出話しに華も咲き、温かい心を手にして行くところが、素晴らしい。
日本では料理屋は水商賣として、低く見られてゐますが、歐州では専門家として客と同じ人として、對等に扱つてくれます。最も、短期勞働者(アルバイト)ばかりのカフェやレストランが多い日本では、致し方ないのかもしれませんが、顎で使ふことが客のステータスだと勘違ひしてゐる年配者には腹が立ちます。
真心こもつた料理の素晴らしさは、確實に心に響くことを教へてくれた大切な映畫です。
バベットの晩餐会
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昨年、デジタル処理により往時の美しい映像が蘇つた、ヴィスコンティ監督《山猫》は忘れられない映畫のひとつです。
1963年にカンヌ國際映畫祭でパルムドールを授賞したこの作品は3時間を越える大作であつた爲、64年の公開當時は英語短縮版で舞踏會の場面が大幅に省略されましたが、81年にオリヂナルの伊太利語完全版が見附かり公開されてゐます。その時も真っ先に岩波ホールへ行きました。確か前年に《ルートヴィヒ 神々の黄昏》完全版が上演され、座り切れず次回上映を3時間もホール外の階段で待つた翌年だつたと思ひます。
使ひ古された表現ですが、「豪華絢爛」な「時代絵巻」!没落して行く誇り高きシチリア嶋の貴族の憂ひが見事に描かれ、歐州貴族文化の厚みや弊害、伊太利統一戰爭の戰場情景、嘘のない小道具、見事なカメラワーク等、細部まで脳裏に焼き附いて離れませんでした。それから、暫くヴィスコンティが流行り、立て續けに小さな映畫館で公開されたものは、殆ど見に行つたものです。大學卒業後に「歐羅巴で働く」と決心させたのは、この《山猫》だつたのかも知れません。
19世紀の貴族の屋敷では、ミサを行ふ最中に、男はハンカチを敷いて片膝を附くことを初めて知りました。頬髯(ホホヒゲ)の似合ふ威嚴のあるバート・ランカスター、端役のジュリアーノ・ジェンマが歌を歌つたり、成り上がり者の娘が招かれた食卓で、齒を出して大笑ひをした爲に、誰もが憮然と席を離れてしまふ夕食の情景、瑞々(みずみず)しいアラン・ドロンの碧き瞳、若さと生を象徴するクラウディア・カルディナーレ、この若い二人が古い屋敷の部屋から部屋へ戯れる場面、舞踏會の待合ひ所でソファに飛び跳ねる女の子たちを猿のやうだと莫迦にするサリーナ公爵、大寫しの場面で額から汗の流れ出るところ… 忘れられませんね。
革命戰爭の最中に例年通り避暑に出掛けた公爵一家を出迎へる町の樂隊が、下手糞乍らも當時流行つてゐたと思はれる、ヴェルディをブンチャカ、ブンチャカ奏でるところは笑へます。その上、ミサの入場曲にもヴェルディが使はれてゐました。舞踏會の場面でも見事な踊りを披露するランカスターとカルディナーレを支へるのは、優雅なヴェルディの旋律であつたと思ひます。
そして、サリーナ公爵のお洒落なこと。既製服のない當時のこと、自分の體型に合はせて誂へるので、當たり前なのですが仕立てのよい服が、次々出て來ます。狩りに行く時、夜會服、普段着、それぞれの着こなしが何とも言へません。曲馬團(サーカス)出身の肉體派男優のランカスターが誇り高い伊太利貴族を好演してゐたことも特記すべきことでせう。絨毯敷きの部屋の真ん中にバスタブはがあり、石鹸一杯に體を洗いそのままタオルで拭いてしまふなど、我々日本人には信じ難い行爲なのですが、彼等貴族には當然のことだつたのに違ひないのです。
80年代前半は伊太利なんぞ、そんなに注目もされてゐないどころか、「伊太飯」なんて云ふ言葉すらない時代でした。高校生であり乍ら、かういふ濃厚で重たい作品を好んで見に行くのですから、ませたガキでしたね。ヴィスコンティ映畫にハリウッドにない本物を見た氣がしました。
横長のワイドスクリーンでDVDも發賣されてゐます。
![]() | 山猫 イタリア語・完全復元版
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86、87年、89年と住んでゐた西伯林のシャルロッテンブルク地區は米軍管轄地でした。少し離れた公園と云つてもだだっ廣い管理された森なのですが、散歩してゐると、後ろの人の氣配を感じ、草群の音に吃驚して振り向くと、匍匐(ほふく)前進で訓練中の米兵たちを見たとか、或ひは、歌のやうな掛け聲を掛け乍ら整列して走り回る彼等も見掛けました。
當時の伯林市は第二次世界大戰後、自治権はありましたが、戰勝四箇國(米英佛露)により事實上統治されて居りました。進駐軍と云ふ奴です。壁際には「あなたは米國管區を出るところです」と云ふ看板が立つてゐました。壁はやや東側に引っ込んだ所に在りましたので、この看板と壁の間の數米は既に東側だつたのです。
ブランデンブルク門から西側の勝利の塔へ續く「6月17日通り」には、伯林へ一番乘りした蘇聯の戰車が飾つてあり、蘇聯兵士が立つてゐました。86年の初夏に突然の俄雨で私は傘も持たずに出掛けたので、大きな木の下で雨宿りしましたが、彼等蘇聯兵は雨の中でも歩哨せねばなりません。雨合羽を着た交替が來て、横へ引っ込む時に走り込んでゐました。それを見た、我々觀光客は大笑ひしたものです。「奴等も同じ人間だ!」と。
この6月17日通りを米英佛三軍の行進が年に一回あり、戰車だとかも通ります。田宮の軍装模型(プラスチック・モデル)が好きだつた青年には、兵隊や武器は取り分け格好良く見えます。勿論、自分が戰場へ赴くなど考へたこともなく、北朝鮮や蘇聯の赤の廣場の軍事行進は恐ろしかつたですが、陸路が寸斷され伯林封鎖されれば、また「伯林空輸作戰」の二の舞です。西側三軍の彼等に守つて貰つてゐると思ふと心強かつたりもしました。
東側へ行くと、鐵道驛の上には自動小銃を擔えた國境警備兵が居ます。服装が傳統的な軍服に黒革長靴でした。軍装模型で親しんだ私には、曰く近寄りがたいものの、懐かしくも、親しみ易い軍服です。東獨逸崩壊後はアメ横でこの軍服をよく見掛けました。こんな古めかしい軍服に身を包んだ軍人の監視の目は嚴しく、周りを見渡せば、流行服を着た人は勿論居ませんし、地味な格好ばかりです。廣々とした表通りは寒々しく、裏通りは市街戰の後も生々しい彈痕が殘り、崩れた煉瓦塀だとか仄暗くて寂しい街燈だとか、鉤十字の旗は翻つてゐませんが、まるで獨逸國家社會主義勞働黨(ナチス)政権下の1930年代の伯林へ來たのではないか、と錯覺する思ひがしたものです。
さて、88年にフランクフルトで働いてゐた頃の話しです。伯林の日本人の元同僚ともよく電話で連絡し合つて居りましたが、時折、雑音が酷くて聞き辛いことがありました。そんな時は、電話線が東獨逸を通る際、途中で盗聽されてゐて、日本語の場合は北朝鮮の兵士に翻譯させて記録してゐたと云ふ話しでした。
其の時も居り惡く矢鱈と雑音がザーザー混ざり、「盗聽されてゐる」と感附いた私は、散々東側の惡口を言ひ、北朝鮮の獨裁政権をなじり、友達と散々惡態を就いてゐたら、途中でブチッと切られてしまつたのです。その時はさすがに蒼かったです。
幾ら西側の都市に住んでゐたとは云へ、30分以上は話し込んでゐましたから、きっと逆探知も可能であつたことでせう。コッポラ監督、ジーン・ハックマン主演の《盗聽》と云ふ映畫がすぐに頭を過切りました。プロの盗聽専門家が次々と頼まれた他人の秘儀を盗聽し、最後には自分が盗聽されてゐると云ふ強迫觀念に陥り、孤獨と恐怖に苛まれて行くお話しです(1974年にカンヌ國際映畫祭でパルムドールを授賞してゐます)。
突然、スパイ容疑で拉致でもされて、東に送られ、しまひには西比利亞(シベリア)送りにでもなつたら、と考へると心細く、寝臺の上で毛布を被りひとり小さく丸まったものです。數分たつて、その友達と再度電話が繋がると、お互ひに無事を確認して、ほッとしましたが、その晩は安心して寝入ることが出來ませんでした。
![]() | カンバセーション…盗聴…
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尚、文中の畫像は「ベルリンの壁」から許可を得て掲載してゐます。
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