2013年2月12日 (火)

初共演

Colabo 表装の師匠が木目込み人形を作る方と初共演(コラボレーション)の展覧會を開いた。現代的な作品が多く、床の間ではなく、柱や白壁に吊したくなる掛軸や屏風。五厘幅の細い筋が多樣され、苦勞が偲ばれるが、これは携はつたからこそ、理解できるやうになつた。さうでないと、單に細い線があるとしか思はれないだらう。
 また、人形は顔だけ真多呂人形で胴體は自分で工夫して形を變へてから、布地を貼り完成させると云ふ。然も着物の柄も描くと半年位は掛かる氣の長い作業の連續だ。素晴らしい人形なのに比べるとこちらの屏風は、きっと推奨されたものを唯置いたのであらう、殘念乍ら安ッぽくて見劣りした。折角なら、そこで表装の技と一緒にして、飾る作品があれば、もっと共演の意味合ひが深まつたことであらう。勿體なかつた。

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2012年3月19日 (月)

大黒天

Daikokusama 昨年11月から手掛けて來た掛軸がやっと仕上がつた。前回の揉紙の先へは進まず、ヤフオクで落札した大黒樣を裏打ちして大和表具に仕立てた。福壽の一文字と風帶の柄を合はせ、難しい正絹の裂にも負けず、今迄の中では最高の出來かも知れない。これでやっとすき燒 今朝の床の間にも飾れる本式のものが完成した。次回は先へ進み、刳り抜きに挑戰する。


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2010年3月 1日 (月)

專用

Hake_2 以前、ホムブルクパナマ帽を注文した文二郎帽子店の出張注文會が日本橋三越であり、初めて文二郎さんご本人と會ふことができた。文二郎製のホムブルクを被つて行ったのは勿論である。
 ネット上でのお附き合ひでしかないが、細かい注文にも應へてくれたお氣に入りの帽子故、丸顔の爲、やや前後に餘りが生じるのでその對策を聞いたり、今夏注文豫定のカンカン帽の相談をし、帽子專用のブラシを購入した。

 そもそも、冬のフェルト帽子の大敵は埃や汚れなのだとか。今までは布巾で拭く程度であつたが、これからはこのブラシで掛けられる。内側から三種の毛が植ゑられてゐる細かい配慮がある。毛並みに合はせて左回りだと云ふので、左利きの自分には樂かも知れない。ご本人の慣れた手附きでホムブルクにブラシを掛けて貰ひ、何だか帽子も嬉しさう。細かいメンテナンスもするので、何時でも送り返して下さいとの心強いお言葉も頂き、職人の心意氣を感じる。娘さんも入社して、後繼者もできたと聞いた。注文會には、若い一番弟子の職人さんと奧樣と共に來てをり、直接お客さんの顔が見えるのがよいとも。

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2007年7月13日 (金)

Ryu 今月初めに有田へ行つた際には、李荘窯で素焼きの素地に焼くと青くなる「呉須」で描かせて貰ひました。塗り物とまた違つて、たっぷり呉須を筆先に附けてから描きますが、筆を下ろし過ぎると浸み過ぎてしまひ、触るだけでは描けず、これまた一苦勞。一度に描けなければ、當然重ねて塗るのですが、思ふやうに運べません。それでも、細かさで誤魔化さうと自分の干支の「龍」に挑戰です。
 昔、落書きした程度で細かいところを覺へてゐませんが、想像の動物なのでその邊りは許して貰ひませう。鱗を描くだけで、だんだんと疲れて來た爲、場所により随分差が出てしまひました。大作に終える筈が、雲は李荘窯の寺内信二さんにお願ひすることにしました。來週末位には焼き上がると云ふことなので樂しみです。
 何となくコツを掴んだのと、時間に餘裕があつたので、少し小振りの酒器に再度挑みます。今度は自分のバイク、BMW R-26とまたクラシックカーです。はたと困つたのは、細部が思ひ出せないことです。いつも跨つた姿勢でしか見てゐませんでしたし、足下のレバー等どんなであつたか、うろ覺への中で適當にやるしかありません。描き始めてから失敗したと後悔しました(笑)。仕上がりが樂しみです。

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2007年7月12日 (木)

自動車

Car1Car2 描くものが決まらないと筆はなかなか進みません。まあ30分位は唸つた儘でせうか。今年、輪嶋へ伺つた際は箱瀬淳一さんの工房を訪ね、ご本人の器に描かせて頂くことになりました。地震の一箇月前のことです。工房は半壊してしまひ、やっと工事が始まつたところださうです。少しでも多く作品を購入するのが、友人の勤めだと思ひ、機會があれば頂くやうにしてゐます。一日も早く復旧されることを祈るばかりです。

 さて、兎に角全然、決まりません。心像(イメージ)が浮かばないことには唸るばかりです。それが、ふと小さい頃の落書きを思ひ出したので、一氣に描いたのが、クラシックカーです。それだけでは寂しいので、箱瀬さんが道路と信號を加へてくれたので、尚一層奥深い品に早變はりです。専門家の一筆で見違へるやうになりました。

Hashi 最新作は五月末に大向高洲堂さんの恵比寿の展示會に於いて、祖父母から孫まで3世代、思ひ思ひに箸に描いてみました。前回、箱瀬さんの一筆が決め手となつたので、中途半端に終えることを最初から念頭に、題は「葡萄」。ワインに携はる身なので、いいでせう。カベルネを思ひ出して描いて、蔓だけ入れて貰つた爲、何とも素敵に仕上がりました。

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2007年7月11日 (水)

塗り物

Kuro 塗り物の場合は完成した商品に繪を描かせて頂きます。最初は高價な品だけに、ビビッて全然筆が動きません。既に完成したものを自分が汚すやうに思つてしまつた爲、幾何學模様を描かうと考へましたが、筆が滑らず繪になりません。それでも、漆藝作家、箱瀬淳一さんのお手傳ひでなんとか形になりました。毎朝の食事にお目見えして、拙ひ技を見てる内に再度試してみたくなつて、またお願ひをしました。筆を動かし乍ら、ふと雲にしようと思ふと、どんどん描けて來るから不思議です。つひでに波模様も入れて、遊んでます。二度目と云ふこともあつて、焦りなく、樂しめました。

Shu2 下地を塗る際は人毛の刷毛を使うさうですが、細密畫を描くには熊鼠の髭が筆になります。元は船に住んでゐた鼠が良かつたらしいのですが、現在は琵琶湖の畔に住む熊鼠ださうですが、これも捕れないのでこれから先代替品を探さないといけないさうです。かう云ふものは、人口繊維には向かないのですね。粘りがあり、滑らかに筆を動かすのは熟練の技です。

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2007年7月10日 (火)

手捻り

Ibota 翌年、茂木の歸へりに訪ねた時には少し大きめの皿に挑んだのですが、敢へ無く玉砕と云ふ感じです。薄く伸ばしても粘土は柔らかくてコシがない爲、へたってしまひます。ですから、底の部分をしっかり大きく取らないといけないのですが、高くすることだけに囚はれた爲、結局分厚くする他なく、ぼってりとしてしまひました。それでもなんとか料理を盛るのに役立つてゐます。

 益子焼は1853(嘉永6)年に、城主大關公の物産奨励の命により始められました。茨城縣の笠間で陶器の修業をした大塚啓三郎が最初だと云はれてゐます。

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2007年7月 9日 (月)

手作り

Katakuti 年に一度位の割合で自分で作った食器や、自ら描いた食器が増えて來ました。陶器の場合は轆轤(ロクロ)を回さず、手捻(ひね)りで専門家の指導の下結構安易に體驗できるものです。塗り物ならば、輪嶋塗りの器に漆で繪を描いたり、磁器の場合なら素焼きの器に繪を描いてみたり、さう云ふ體驗をする機會を持つことができることに感謝しないといけませんね。作る工程に携わると餘計に愛着も湧きます。
 大昔、陶器の絵附けをしたことはありましたが、粘土を捏ねて作つると童心に戻るものですね。これは、2004(平成16)年に益子の「陶房ましやま」の陶藝教室で作つてたものです。酒飲みでなくとも、料理にも使へるだらうからと「片口」に挑戰しました。指導して下さる方が居るので、適度に指示を受けて、手直しをするので何とか形になりました。乾かした後の色を指定して1箇月待つと自宅へ配送です。青色(コバルト)でお願ひしたので、他の食器にも合ふ感じです。

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2006年8月22日 (火)

伯林

Kdw 伯林でまづ一番先に行きたかつたのは巨大百貨店「KaDeWe(Kaufhaus des Westens)」でした。戰前は歐州一の賣場面積を誇つた西側(死語?)の大きなデパートです。畫像右奥にヴィルヘルム皇帝記念き教會が、戰爭の痛手の記憶を殘す形でそのままにされてゐます。此処が西伯林の中心でした。「カーデーヴェー」は大好きなヴィッテンベルク廣場に面してゐるので、地下鐵を利用して建物に入るなり吃驚。18年前とは改装されて賣場の雰圍氣が全く違ひます。
 以前は同じ商品がずらりと並んで選ぶのに困る程でしたが、今度は製造會社別に箱貸しのやうです。それ故、同じメーカーのものの中で探すのならいいのでせうが、同じ商品を見比べるには各メーカー毎にずずっと歩かねばなりません。臺所用品の値引き商品や伯林土産を買ふだけで早々に退散。賣り子さんもメーカー派遣なのでせうが、知つてゐたものが無くなるのは寂しい氣もします。

Tnadeln 隣のノーレンドルフ廣場近く、シューマッハーさんの蓄音機屋「Grammophon Salon」にも顔を出しました。店頭に「博物館ではありません。全て商品です」と書かれた張り紙が増えてました。たまに出物がありますが、今回は店主が居らず、店員さんが懇切丁寧に對應してくれました。どの分野の音樂が好きか尋ね、それではこの棚に有りますからと、前のレコードの箱をずらし、腰掛ける場所まで作つて「どうぞ、ごゆっくり」。途中、「郵便屋を呼ぶので店番してゐて下さい」と15分位居なくなつたり、のんびりしたものです。殘念乍ら大きな収穫はありませんでした。それでも、幾枚か手に入れ、競賣で落札して友人宅に送つて貰つたものとをまとめて梱包し、郵送しました。競賣でテレフンケン社の針が見附かつたのが幸運でした。エボナイトの圓形の箱に入り、黒く鈍色に光るこの鉛筆のやうな形のものは、溝にしっかりと嵌るので音の再現力が俄然違ひ、臨場感が増すのです。やっと100本程度なので滅多に掛けられませんが、5本しかなかつたことを考へればまづまづでせう。日本ではどうしても手に入らないものがあるものです。

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