管絃樂によるストラヴィンスキイは幾度か聽いたこともあるが、それがバレヱの實演となると稀だ。《ペトルーシュカ》は1988年の2月に確か、瑞西のチューリヒで觀た記憶がある。初めて眼にする《ペトルーシュカ》の、目映いばかりの動きの多い、素晴らしい舞臺であつた。
今回は「ニジンスキイ・ガラ」のマラーホフの主人公ペトルーシュカはほんたうに生き人形そのものので、悲哀に滿ちた素晴らしいものであつた。廣場で人形遣ひの笛により息を吹き込まれた、道化のペトルーシュカ、踊り子、ムーア人は人前で踊るが、踊り子に片思ひをしたペトルーシュカが迫るがムーア人に追ひ払はれ、つひには殺されてしまふ。廣場の人々はほんたうに人殺しが起きたかと大騒ぎをするが、呼ばれた人形遣ひが手にするのは藁の詰まった人形であり、人形遣ひが歸へる途中、天幕の上では抜け出たペトルーシュカの魂が名殘惜しさうに訴へ掛け、恐れをなした人形遣ひが逃げるところで終はる一幕四場。
冒頭から腕を棒で押さへ、吊り下げられた人形のやうに高度な技術で足を動かし、また、時折だらんと手を垂らして人形を表現。曲想が變はる度に、そのまま演技となつてゐるので、あの複雑な総譜が非常に親しみ易く感じる。嗚呼、かう云ふ場面を言ひたかつたのかと、一一納得した。
1911年にバレヱ・リュス(露西亞バレヱ團)により、巴里のシャトレ座で初演された時は大いに沸いたことだらう。今回もマラーホフの踊りは抜きに出てをり、人形と云ふ囚はれのペトルーシュカの哀しみを表現してゐた。フォーキンの振附、ブノワの装置と衣装は現代の我々には古めかしくも感じるが、そこはオリヂナルの良さがあり、露西亞らしさが全面に出てものであつた。かう云ふ舞臺に出會へる機會はなかなかあるものぢゃない。東京シティフィルの演奏はまずまずで、踊り子に合はせた爲、變化に乏しいものの、オブジャニコフの指揮によく附いて行き、生演奏の良さが出てゐた。
家族4人ともなると、直前の割引切符であつた爲、前から3列上手側に3席、28列21席の後方中央に1席と分かれたが、迫力のある前だと前列の頭が邪魔なのと、舞臺と目線が等しく奥行きが解らず、後方だと全體に見渡せ、然も音の釣り合ひもよかつた。この邊りは好みであらうか。
觀終はつても、不規則な變拍子の旋律が頭を渦巻き、暫くはストラヴィンスキイの魔法に掛かつたまま、マラーホフの殘像を樂しんだ。
最近のコメント