2009年6月17日 (水)

古(いにしへ)の響

Tikuonkikan 愈、本命の「金澤蓄音機館」へ。事前にメールで幾度も問ひ合はせた方は年配の男性だと勝手に思ひ込んでゐたら、可愛いお嬢さんであつた。館長、プロデューサーとも話ができ、じっくり隈無く觀て回る。思つてゐたより廣く、これなら獨自に特別展を開くだけの場所はあると確認の上、収藏品を確かめ、14時からのミニ・コンサートを聽き、16時からの館長自ら行ふ蓄音機聽き比べも樂しく拝聽した。雨に因んだ曲10曲を「クレデンザ」を使ひ、10名前後のお客さん相手に解説を交へて流してくれた。色々、苦勞の末に現在の形のなつたのであらうが、自分は決して使はない製作會社の鐵針であつたので、やや音の伸びが足りないのが殘念。熱心なファンに囲まれ、和気藹々とした雰圍氣はベルランの頃を思ひ出す。

Kanchou 聽き比べはエディソン、ラッパ、ポータブル、クレデンザ、HMV163、EMジーン、それに館で開發したCDの音を蓄音機の喇叭から鳴らす機械等、一曲までと行かずとも片鱗ずつとは云へ立派なもの。一聽の値はある。但し、回ってゐるところを見せる爲に蓋をしないのでやや雑音が多い。遠くで立って耳を澄ませた方が釣り合ひの取れた絶妙な音響である。お寶ザクザク♪、すべて可動するのが他と違ふところ。素晴らし。全部で540臺もあり、金澤市内で長年レコード店を營んでゐた八日市屋浩志さんの蒐集品が基となつて、現在は寄贈品も受け附けてゐると云ふ。それ故、レコード業界との結び附きもあり、色々なお話も聞けたのは大収穫。是非、立ち寄るべき所!

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2008年12月15日 (月)

板興し

 1948年3月、戰後初めて倫敦を訪れたフルトヴェングラーはキングズウェイ・ホールに於いて、倫敦・フィルを指揮し、デッカ社に録音を殘してゐます。ところが巨匠はカルーショーの設置した目障りなマイクロフォンを氣に入らず、全部撤去させた爲、デッカらしい音像が録れず演奏自體も餘り評價されてゐませんでした。

 たまたま、學生の折りに演奏したことがある爲、好きな曲のひとつでこのSP盤AK1875/79を3組持つてゐることから貸し出したものが、平林さんの手で新しくCDになりました。協會の板興しには78回轉盤をだいぶ貸して、立派なCDになつてゐますが、如何せん市販されてゐませんので、GRNAD SLAMさんの復刻を樂しみにしてゐました。

 さて、このブラ2は蓄音機で聽く分には、巨匠らしい盛り上がりがあり決して侮れない演奏です。以前、デッカの鐵針でHMV194を通した演奏をステレオで録音したことがありますが、CDではこれとはまた違ふ音像が樂しめます。勿論、針の摩擦音はあるにしても、60年前の豐かな響きが和ませてくれますね♪

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2008年10月10日 (金)

蓄音機の調べ

 本日で、東京都庭園美術館の「蓄音機の調べ」も最終日。昨日は午前中70名、午後は90名近くの方が押し寄せ、立錐の餘地もない程の大盛會でした。さて今日はどうなりますやら。

ご來場戴けない方に様子をお傳へすべく、検索したら早速動畫をお撮りになつてゐる方がいらっしゃいました。
http://jp.youtube.com/watch?v=yKRxjXhnNCg

雰圍氣だけでも傳はりますか。
隈部敏夫さんありがたう。

 午前中の回では、廊下の家系圖を見てゐた團體のお客様の私語が五月蠅く、ザワザワと落ち着きがありませんでしたが、午後はたっぷり、否どっぷりワーグナーの響きに浸れたと思ひます。然も、朝香の現ご當主も音を樂しまれたと後で伺ひました。樂しかつた一時も終はりました。
 もしも、機會があれば、芝生のお庭で携帶型蓄音機をお聽きかせできたら、氣持ちのいいことでせう。或ひは「1920~30年代の飛行船」企劃展示でもあれば、幾らでも協力するのですが…

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2008年10月 9日 (木)

大勢

Teienbj 毎日、大勢のお客様が訪れて、東京都庭園美術館は盛況です。二階へ階段を上がると、正面に蓄音機が鎮座してをり、始まる前から長椅子にくつろいでお待ちになる方やら、「何これ…」と、もの珍しさうにご覧になる方、「何だ喇叭がないぢゃない」と不思議がる方、ビシバシ寫眞を撮るから、色々な方がゐらして、横から見てるこちらも樂しい「蓄音機の調べ」です。

 簡單に蓄音機の説明、78回轉盤のこと、針のこと、樂曲に就いて解説し乍ら、持ち時間の30分ではせいぜい3面乃至4面乃至しか掛けられません。それでも、靜かに目を閉じられて、宮様縁の音盤に聽き入つて下さいます。愈、明日最終日。交響曲とワーグナーを掛けます。

Teing
 

 

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2008年10月 8日 (水)

控へ室

PhotoPhoto_2 舊朝香宮邸での蓄音機による小演奏會。5分前の館内放送まで、控へ室にて待ちます。奧の部屋であつたり、入り口近くであつたり。ふと見ると、文化財として指定されてゐたのですね。それもその筈、1933(昭和8)年に完成したアール・デコの建物だからです。
 そこで自分の蓄音機を鳴らせるのだから幸せです。

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2008年10月 6日 (月)

設置

Teien04Teien03 舊朝香宮邸、二階へ階段で上がつた所の廣間に板張りの臺を置き、そこにHMV194型を設置しました。何とも収まりがよく、最初から在つたのではないかと思ふ感じです。それもその筈、往事はそこに蓄音機が置かれてゐたさうです。宮家の蓄音機は知人に渡り、今回貸し出しに應じてはくれず、私が協力した次第。
 現在、建物自體を見せる企劃ですから、三脚さへ立てなければ寫眞撮影ができます。現在は使はれてゐませんが、温水が回る暖房機の前の網が、部屋毎に違ふ意匠が凝らされてゐたり、通氣口にも装飾が施され、見れば見る程味はひ深い建物です。
 階段上の明かりしたには、金屬製の受け皿があり、何かと思つたら花を生ける溜のものでした。現在は湿氣で建物が傷むからと使はれてゐないのが殘念です。

 先週の木曜日から掛けてゐますが、盛況で毎回50名程度じっくり耳を傾けて下さいます。明日も午前、午後とゼンマイ回して來ます。
Chikuonki2008102

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2008年10月 3日 (金)

搬入

Teien06Teien01Teien02 30日に蓄音機を自宅から出して、舊朝香宮邸へ搬入しました。日本通運の美術擔當者3名の専門家が鮮やかに梱包して、速やかに運んで下さいました。さすが手際が良くて見事な捌きに感心しました!こんなにも丁寧に扱つて下さると助かります。

 到着すると正面の入り口を開け、ラリックのステンドグラス扉から入場です。パーティーや公式行事以外でも開かなかつた筈の正面から入るのは氣持ちの良いもの。

 二階廣間の舞臺に設置。早速、ゼンマイを回して鳴らしてみると、自宅より全くもつて素晴らしい響き方です。建物何処に居ても聞こえるやうな音ですが、大音響に耳を塞ぐ、苦痛を伴ふやうなこともなく、優しい調べが鳴り渡ります。嫌な反響や振動も全くなくて、心休まる音がします。昔は實際に同じ場所に置かれてゐたと聞いて納得。兎に角、これは必聽ですね。滅多にないだけでなく、音像もはっきりとして、100年も前の78回轉盤の底力が見られますよ。

 今日は畏くも音盤をご寄贈下さつた宮様皇女にご臨席を賜り、往時の音を忍ばれました。

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2008年9月26日 (金)

蓄音機小演奏會

 手前味噌で恐縮ですが、白金に在ります「東京都庭園美術館」に於いて舊朝香宮家所藏の78回轉盤を、私の蓄音機を持ち込み、自分でゼンマイ回して、自ら解説して掛けます(笑)!

 10月2日(木)、3日(金)、8日(水)、9日(木)、10日(金) 各日共、11時と13時(30分程度)
東京都庭園美術館の2階ホールですが、椅子はありません。凡そ30分程度です。お時間の許す方は是非、お出掛け下さい。
 明日、子供の運動會後、笠間に宿泊し、明後日は茂木で應援して來ます。

 

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2008年7月 4日 (金)

鑑定

Asaka 昨日、或る筋より宮家所藏の蓄音機と78回轉盤を見て欲しいと云はれて出張して來ました。門番に來訪を傳へると「承つてをります」とすんなりと這入ることができ、街路樹の茂る通りゆるやかに曲がるとアール・デコの建物が見えて來ます。

 客ではありませんから正面玄關ではなく、横丁の通用口から入れて貰ひ、次の間に通されました。幾何學模様の枠組の入つた丸窓に、高い天井四隅の通氣口も意匠が施され、何とも赴きのある部屋です。ご挨拶も早々に、見せて頂くことに。生憎、二階廣間にあつた大きな蓄音機は、形見分けでご友人がお持ちで、貸し出してはくれないのだとか。確かに記録から此処にあつたと云はれる小さな卓上型のニッポノフォン。ありゃ~、これは執事か女中たちに下賜されたものか何かでせう。落胆がつひ顔に出てしまひます。

 また、長らく倉庫に放置されたレコード盤も薄汚れて黴ばかり。とても可哀想な状態。手入れの方法を傳授しましたが、アルバム20冊ともなれば整理整頓に時間の掛かることでせう。秋の展示會で實際にこの蓄音機を掛けたいと云ふ由でしたが、修理したとしても當時の國産ものでは音質がどうかう云へる状態にはなく、鑑賞に耐えられるかどうか。將來こちらで友の會向けの演奏會なら開けるかも知れないと云ふので、その際は自分の194型をお貸しすることに。

 と云ふ譯で東京都庭園美術館へ行つたのでした。舊朝香の宮の品々は當時の領収証から、宮様ご自身が巴里でご購入になつたものもあるのだとか。まだ、喇叭吹き込みの時代ですから、カルーソーやメルバにシャンソン等割に歌ものが多くありました。文化財として考へるとレコードを掛けるのも憚られるますが、2階のホールにHMV194型を持ち込んで、自分のSP盤でもよいから是非掛けてみたいものです。

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2008年6月 9日 (月)

ドッペルゲンガー

 自分の姿をテレビで觀ると云ふのは不思議な感覺でした。自己像幻視(ドッペルゲンガー)ぢゃありませんが、自分は此処に居るのに、分身が映つてるとでも云ふのでせうか。どの科白が殘され、どこがカットされてゐるか、事前に全く知らされてゐませんので、心配でもありました。

 美術鑑賞の3つのツボを押さえると云ふ番組「美の壺」の蓄音機3つ目のツボ「ポータブル」として紹介された譯です。自宅庭の情景では、クナの「こうもり」序曲を掛けて景氣よく行くつもりでしたが、しっとり聞き入る場面にしたいと言はれ、仕方なく色刷り宇宙人レーベルの綺麗なマックス・フォン・シリング指揮の〈ローエングリン〉第1幕への前奏曲に替へました。ところが、本番は何の知らせもなく、ジーリの〈誰も寝てはならぬ〉に替へられてゐました。して、やられたり。

 箱根のロケーションでは、幾度も同じ曲を掛けさせられ、SP盤が磨り減ることを全く容赦してくれず困りましたが、あんなに撮影して、ほんの僅かしか映つてゐないことに吃驚。それでも、制作會社の意向は確實に視聽者に傳はつたことでせう。

 他の蒐集家の世界一とも賞されるHMVロイヤルは象眼を見せる爲に妙な掛け方をしてゐたのが氣になりました。上蓋は開けてSP盤が回るところは映しても、ホーンの前蓋は開けずにをいては、いい音は決してしないどころか、映像だけの爲に撮つたことがバレバレでした。まっ解る人には解るやうにしてくれたと考へてをきませう。

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2008年6月 6日 (金)

美の壺

 愈、今晩10時より、NHK教育テレビ「美の壺」に出演です。放送されたら、打ち明け話でも…。

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2008年5月 2日 (金)

箱根

Hakone1 この間、箱根へ携帶蓄音機HMV102を持つて行きました。テレビ番組の収録の爲です。景色のいい箱根園の犬園 (ドッグランド)で、家族でピクニックをしてゐる映像を撮られました。それが撮影の都合で斜面でサンドウヰッチを食べる場面です。普通、平らな所だと思ふのですが…。ズルズルと敷物もバスケットもずれるだけでなく、幾度も角度を變へて撮るので我々素人はたいへんです。

 その上、少しでも陰るとレンズ交換または太陽の出待ちとなり、思ひ通りに行きません。飽くまで自然な感じを出す爲、音撮りをせず映像だけの時は、全く違ふ話題で笑顔を振りまき、子供を飽きさせない工夫をしなくてはなりません。半日ですっかり疲れ果ててしまひました。これはつくづく自分には向いてゐない仕事だと思ひました。

 放送豫定は6月6日(金)22時00分よりNHK教育テレビ《美の壺》です。 
 

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2008年4月16日 (水)

取材

 本日は日中取材の爲、外出です。取材に行くのではなく、自分が蓄音機のことで取材を受けます。

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2008年1月25日 (金)

レッグと云ふ男

 第二次世界大戰終結直後からHMVのクラシック部門で絶大な権力を握つたウォルター・レッグ。カラヤンはいち早く見出して戰犯扱ひの中でもどんどん録音したり、録音の爲に英國フィルハーモニア管絃樂團を作った功績は大きい。ただ、商業主義の先鋒はフルトヴェングラーとは相反し、仲違ひすることも屡々あつたやうです。
 最近、やっと手にした彼の『ディスコグラフィー』を見ると、録音の様が浮かび上がつて來ます。特にSP盤時代は盤面毎のマトリックス番號が全て出てゐて、何日の何回目の録音を採用されたかまで判ります。各面分、2~3回一通り録音しても氣に入らず、翌日に入れ直してゐたり、或ひは後日改めて時間を取つて入れ直し、次の曲の録音が續けて行はれたことなど詳細な記録です。SP盤蒐集家なら一冊手元にあると非常に便利でせう。但し、自分の手に入れた古本は亞米利加の圖書館流れの商品である爲、澤山シールが貼ってあり汚いのが殘念です。

Walter Legge: A Discography (Discographies)BookWalter Legge: A Discography (Discographies)


著者:Alan Sanders

販売元:Greenwood Pub Group
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2007年12月21日 (金)

ブラ2

 先日のオフ會の後、有志が殘りフルトヴェングラー指揮、倫敦フィルハーモニー管絃樂團のブラームス:交響曲第2番Decca AK1875/79 を蓄音機の前にマイクロフォンを置いてステレオで録音しました。然も、普段使ふペガサスの鐵針ではなく、盤と同じデッカにしてみたら、今まで白黒映畫であつたのが何か突然総天然色になつた感じで、鮮やかな音色が蘇りました。カルーショウは巨匠がHMVの録音に慣れてゐて、マイクロフォンの設置數や場所を嫌がつた爲、デッカ社らしい「デッカ・サウンド」が録音できなかったと嘆いてゐましたが、どうも針を替へただけでも違ふ氣がします。そして、終樂章の最終面だけ、再度テレフンケンの鉛筆型の鐵針にしてみたら、もっと素晴らしい。高品位映像になつた感じです。ですが、この針は澤山持つてゐないので、使ひ捨てである以上さう簡單に消費できないのが辛いところです。

 この曲は輸入盤CDで手に入りますので、聽く比べてみたいものです。


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2007年12月14日 (金)

蓄音機を鳴らす場所

 蓄音機で78回轉のSP盤を掛けるのは一期一會とも云ふべき大切な時間です。次回掛ける時は磨針により減ってゐるので既に同じ音ではないからです。また、蓄音機を置く位置でもだいぶ音が違ひます。HMV194型はホーンの収めてある箱の下にやや空間があるのですが、どうもそれが作用するやうです。クレデンザは床に近い爲、自宅での再生に向いてゐるかも知れませんが、天井の高い貴族の館で鳴らすことを前提に開發されたであらうHMVの高級機はその邊りが違ふのでせう。クレデンザばかりを追ふ日本人は世界の蓄音機市場では莫迦にされてゐるらしいのも頷けますが、住宅事情を知らない海外の人から見れば奇異に映ることでせう。

Hmv さて、蓄音機の會の際は、入り口の御影石の上で反響を大きくさせて掛けます。すると管絃樂でも樂器毎に分離して、録音したホールの雰圍氣まで傳はるやうな臨場感のある響きが得られます。併し、提琴や歌はやや金屬ぽい減り張りの効き過ぎた印象を受けるかも知れません。
 それが木の床で天井の凹みに合はせて真っ直ぐ置くと、どうでせう。オケはややくすんだ感じ、お團子のやうにただの音の塊となつて違和感があります。でも、この状態で提琴を聽くと暖かみのある優しい音となり、チェロを聽くと低音が豐かに強調され優雅に聽こえます。勿論音の好みはあるでせうが、こんなに違ふと演奏する分野毎に替えないといけません。そして、針の選擇も加はると盤の良さを最大限に引き出す難しさと面白味を感じるのです。アナログならではの樂しみですね。

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2007年11月 1日 (木)

催馬樂

 雅樂は演奏だけの「管弦」、舞ひを伴ふ「舞樂」、それに歌を伴ふ「歌謡」があります。以前、宮内廳樂部の演奏會で舞樂を見させて頂いたことがありますが、平安朝の貴族と云ふよりも、もっと昔の装束で色も鮮やかに、ゆったりと舞つてゐました。
 SP盤に刻まれた音は兩面6分に収める爲、テムポはあてになりませんが、微妙な音の移ろひはしっかりと聽こえます。歌ひ物の中には日本古來の原始歌謡に基づく「國風歌(クニブリノウタ)」と、大陸系の音樂の影響を受けた「催馬樂(サイバラ)」や「朗詠」があります。國風歌では笙を使はず、しゃく拍子を打つて歌ひ、催馬樂では和文を拍節的に、そして朗詠は漢詩文を非拍節的に歌ひます。
 「更衣(コロモガヘ)」と云ふ催馬樂を聽きましたが、一本調子の詠ひで、ゆったりしてゐました。お經の聲明(シヤウミヤウ)や詩吟とも違ふ、變化の乏しい歌で、何となくグレゴリア聖歌に近い氣がしました。拍子に合はせて和琴や琵琶がジャランと鳴り、篳篥(ヒチリキ)が旋律を歌ひますが、どうも出だしがもやもやしてすっきり合ひません。何となく音が移るやうな感じで、何の束縛もなく、それで居て一緒に奏でようと云ふ氣持ちは現れてゐますから、西洋音樂的解釈の全く通じない世界です。清元や義太夫なら、横一列に並んだ人が何の合圖もなく、ピタッと合ふのに、笙の和音のもやもやから始まり、何だかよくわからない内に曲が始まり、何時しか終はる。細かいことに拘らず、おおらかな氣持ちが太古の日本にはあつたのでせう。

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2007年10月31日 (水)

Shou 27日の蓄音機の會、特別企畫〈雅樂を聽く〉では、安倍季昌さんの解説で、普段は耳にすることのない雅樂のSP盤を樂しみました。
 最初に掛けたものはテスト盤で萬年筆で「笙」とだけ書かれてゐます。まづ「管弦」とか「舞樂」の告知があり、笙の和音が響くと共に、鞨鼓(カッコ)の拍子が入り、拍子と共に和音が移り替はる様子が収まつてゐました。17本の細い竹が風箱の「かしら」の上に圓筒状に立てられてゐて、吹き口から吹いたり吸ったりして音を出す仕組みの「笙」は小さなパイプオルガンだと思つて頂けるといいかも知れません。バロックの通奏低音のやうに、ずっと鳴つてはゐますが、何となくもやもやと霞が掛かつたやうな和音が鳴ります。起承轉結、減り張りのある西洋音樂ばかりに親しんでゐる耳には、不思議な安らぎと共に、正體のはっきりしない音の塊のやうな居心地の惡さも同時に感じました。

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2007年10月25日 (木)

宵星の歌

 歌劇《タンホイザー》第三幕で、巡禮から戻らない戀人の爲に死を捧げようと決心するエリーザベト。その様子を見送つたヴォルフラムは、彼女の死を豫感し、天使となつて昇天する彼女を優しく迎へて欲しい、と〈宵星の歌〉を歌ひます。映畫《ルートヴィヒ》の中で孤獨を愛するバイエルン國王ルートヴィヒ二世が、部屋を暗くして幻燈により星を眺めたり、リンダーホーフ城の人口洞窟で白鳥の牽く小舟で恍惚とする時に効果的に流れてゐました。

Abendstrn バリトンの歌の中でもよく知られた曲ですから、大勢が録音してゐます。ハインリヒ・シュルスヌス Grammophon 35023B、アレキサンダー・キプニス Nippon Columbia 8066、ゲルハルト・ヒュッシュ HMV DB4049の3枚が手元にありました。シュルスヌスの甘い聲が優しさに溢れてゐて好きです。

Sweetstar パブロ・カザルスも舊吹込時代にオケを從へColumbia 49813、電氣録音時代にはメントニコフの伴奏で入れてゐます(HMV DB1012)。これは雑音が多く蚊の泣くやうな心許ない音乍ら、舊吹込の方がいい味はひがありますね。

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2007年10月19日 (金)

浪漫的

 カール・ベームがドレスデン國立歌劇場の音樂監督時代に出版されたばかりのハース版(1936年)を使ひ、ブルックナーの交響曲第4番《ロマンティック》と第5番をSP盤に録音してゐます。孰れも10~12枚であつたと記憶してゐます。幾度も型録や店頭で目にしたのですが、LP時代の復刻で聽いてゐたので触手が伸びませんでした。奇を衒ふことなく無駄な感情を廢して、淡々と正確に演奏してゐる感じです。後年、ステレオ時代(1973年)の維納フィルとの典雅な録音に慣れてゐた所爲でせうか。

 實は學生時代に《ロマンティック》は喇叭の2番で演奏したことがあるので、思ひ出深い曲です。第一樂章冒頭の夜明け。本番だけホルンの1番が轉けたことや、第三樂章の狩の金管和音が懐かしい。舌打ち(タンギング)が合はないとごちゃごちゃとなる爲、嫌と云ふ程練習した甲斐があり本番は綺麗に揃ひました。自己滿足してましたが、幾年か經て聽くと下手糞で恥ずかしかつたです。まだサントリーホールのない時代に昭和女子大學人見記念講堂は、ベーム、維納フィルが最後の來日追加公演を行つた所でしたから、尚更自分にとつては同じ舞臺と云ふ意味が大きかつたです。

ブルックナー:交響曲第4番Musicブルックナー:交響曲第4番


販売元:ユニバーサル ミュージック クラシック

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LP時代は口元に人差し指を當てて「靜に」と合圖してるジャケットで、この畫像は第3番に使はれてゐましたね。

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2007年10月18日 (木)

交響曲第7番

 12吋のSP盤の片面は凡そ4分半程度しかありません。ですから長い交響曲ともなると10枚を越えるアルバムも出て來ます。重いし、割れるし、樂曲の途中變なところで途切れて引ッ繰り返さなくてはならないし、LPに慣れた人でも相當面倒な筈です。その間、頭の中で途切れることなく同じ旋律を歌つてゐないと、針を落としても曲が繋がりません。それ故、襟を正して、しっかり拝聽する位の心構へがないと蓄音機は聞けませんが、そんなたいへんな思ひをしてでも聽く價値があるから不思議です。アクースティックな音が直接的に心に響いて來ます。

 ブルックナーの交響曲第7番は後期の中では一番好きな曲で全曲SP盤は2組、戰中録音のフルヴェン指揮の第二樂章〈アダージョ〉だけも1組持つてゐます。全曲は1928(昭和3)年録音のホーレンシュタイン指揮、伯林フィル 米盤Brunswick 90305/11と、1947(昭和22)年録音のベイヌム指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管 英盤Decca AK1916/23です。ハース版は1944(昭和19)年出版ですから、ホーレンシュタイン盤はこの曲の初録音となり、1885年原典版を使用してゐる筈です。可もなく不可もなく、おとなしい演奏で感動に至りませんが、ベイヌムの方がもっと規模が大きく、壮大な印象を與へてくれます。それはどうも指揮者の解釈や録音技術だけでなく、ホールの差も現れてゐるのかも知れません。ホーレンシュタインはポリドール(獨逸グラモフォン社)のスタジオで、ベイヌムは音響の素晴らしいコンセルトヘボウホールだからでせう。
 フルヴェン盤 TelefunkenSK3230/32 は勿論、爆撃される前の伯林、舊フィルハーモニーですから、アダージョの奥行きや深さは格別です。明日をも知れぬ、1942(昭和17)年の録音と云ふ、時代背景も加はり鬼氣迫る迫力があり、一音一音いと惜しんで演奏してゐるやうに感じます。

 LP時代では朝比奈隆が大阪フィルを引き連れて、ブルックナーの菩提寺聖フロリアン教會での實況録音は途中樂章の間に、偶然にも教會の鐘の音が入り、神秘的になつてゐました。

ブルックナー:交響曲第7番Musicブルックナー:交響曲第7番


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ブルックナー:交響曲第7番Musicブルックナー:交響曲第7番


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2007年10月17日 (水)

靜かに遅く

 音樂速度表記の「Adagio」は日本語にすると「靜かに遅く」と譯されます。ブルックナーの交響曲ですと7番の第二樂章、8番の第三樂章、そして9番の第三樂章がそれに當たります。9番だけいきなり提琴のG線が強奏で響きますが、7番はワーグナー訃報に接し葬送の音樂となつてをり、深い嘆きと真摯な祈りが表現されてゐます。また、8番の場合もシンコペーションを使ひ徐々に山を登る如くに頂點へ向かつて行き、そして天恵のやうにハープが降りて來るのが印象的です。

Brnr8 8番の全曲SP盤はそもそも少ないのですが、手元にあるのは1949(昭和24)年録音の、オイゲン・ヨッフム指揮、ハムブルク・フィル Deutsche Grammophon Gesellschaft GVM 30004/08です。黄色のチューリップ柄の「ドイチェ・グラモフォン」ですね。ラベルを讀み取らうとして手を滑らせた爲、1枚目にヒビが入り、裏は丁度この第三樂章
なので惜しいことをしました。

 あらえびす著の『名曲決定盤(下)』中公文庫 の中で、ヨッフムに就いて「新興獨逸を代表する若さと情熱を持った人で、正直な指揮が特色であるらしい」と書かれてゐます。1939(昭和14)年初版ですから、新興獨逸と云ふのは勿論、國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)のことを指すのでせうが、新進氣鋭の指揮者乍らまだSP盤が日本では手に入らず、演奏會の噂だけが届いてゐたのでせう。

Br8 生真面目なだけでなくて、正直者なのでせうか、確かに安心して聽ける演奏です。晩年のEMI盤と大きく變はるところがありません。何の不安もなく、アダージオに身を委ねてゐられるのは長い交響曲のSP盤にしては珍しいことかも知れません。妙なところで切られて盤を引ッ繰り返す譯でもなく、ごく自然と切れ目に當たるやうですし、大きな流れが途切れないのが素晴らしい。いい演奏です。

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2007年10月16日 (火)

未完

Bruckners9 土曜日の蓄音機の會の主題はブルックナーの交響曲9番でした。1884年夏に交響曲第8番が完成して、すぐに取り掛かつた第9番でしたが、既存曲の改定とかに時間を取られて、1896年10月11日、最期の朝まで第4樂章の筆を握つてゐましたが、完成できませんでした。第3樂章までを弟子のレーヴェが1906年に、ワーグナー風の音で當時受けるやうに改竄してしまつたものが、暫く演奏され續けてゐました。
 それがやっと、1932年になりオーレル校訂版が出て、これをその年初演したのが、ジークムント・フォン・ハウスエッガーの指揮、ミュンヘン・フィルでした。そして、Electrola(HMV)に1938(昭和13)年にこの9番の初録音(私の持つてゐるのは米盤Victor 15784/90)をしてゐます。この方は1872年に墺地利のグラーツに生まれ、1948年にミュンヘンで亡くなつた人で、指揮者、作曲者として活躍したやうです。9番の初演に際して、クレメンス・クラウスと爭ひ、結局、初演と初録音の榮譽を得て、クラウスはラヂオでの初放送及び録音で収まつたらしい。

 演奏はと云ふと、決して上手ではありません。獨逸の片田舎のオケと云ふ感じが随所にします。各面がどうもちぐはぐで全體の釣り合ひに欠け、然も、第7面の第2樂章はトリオの後、再度掛けると云ふ横着振り。豫算の都合であつたかもしれませんが、SP盤蒐集家としては、この面だけ何度も掛けるのは氣が引けます。併し、實際に鳴らしてみると、全く同じ演奏なのに不思議と後の方がより印象的で大きく鳴つてゐた氣がしました。
 1樂章の出だしは金管がおっかなびっくりで全奏で頭が揃はず、若干音も小さくてはっきりしません。マトリックス番號を確かめると、頭から順繰りに演奏してゐますので、ビビッてゐたのかも知れません。ですから、3樂章ともなると逆に分厚い響きが聞こえ、深淵な世界へ誘はれ、下手なのに、非常に感動的な終はり方をしました。響きが心に深く刻まれた所爲か、その日中ずっと頭の中で様々な主題が鳴り續けてゐました。

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2007年10月15日 (月)

牧歌

Siegfriedidyl 土曜日の蓄音機の會では、前半に《ジークフリート牧歌》を掛けました。ご存知の通り、この曲はワーグナーが妻コージマの誕生日の贈り物として作曲し、1870年12月25日の朝、ルツェルン郊外、トリープシェンの自宅に樂團員を呼んで演奏して、心地よい目覺めを與へたことで有名です。
 フルトヴェングラー指揮、維納フィルの1949(昭和24)年2月16,17日録音のHMV盤を掛けました。維納フィルの絃樂器のまろやかさが、樂友協會の柔らかな響きとなつて廣がる、穏やかで心温まる演奏でした。2枚4面に収められてゐますが、切れ目を感じさせない統一感があり、青空が廣がつて行くやうに、ホッとさせてくれました。特に期待してゐなかつただけに、笑みがこぼれます。

 1987(昭和62)年の2月、謝肉祭の頃にトリープシェンのワーグナー博物館を訪ねたことがありました。前の晩はお祭りの行進でずっと五月蠅くて眠れず、ボケた頭で、雪は止んでましたが、足をぬかるみに取られ乍ら、ルツェルンから歩いて行つたのです。併し、辿り着いて勇んで入り口へ驅け寄ると、何とお休み。湖の畔に建つ真っ白い壁に屋根は確か緑で、真四角の建物は何の變哲もなく言はれないと判らない位地味な物です。ずっと、歩きがてら電池の切れかかったウォークマンでこの《ジークフリート牧歌》を聞きつつ着いて、中の内階段を見たらさぞかし感動すると思つたのですが、おあづけとなりました。その後、まだルツェルンは訪ねる機會に恵まれず、アバドの元氣なうちに音樂祭で來れたらと思ひますが、休みが取れませんね。

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2007年9月20日 (木)

無伴奏

P9130291 バッハの無伴奏チェロ組曲と云へば、カザルスの演奏がまるで聖書のやうに一大金字塔として輝いてゐます。LPの復刻では霞の奧でモゴモゴ演奏してゐる印象であつたやうですが、最近のSP盤からの板興しCD復刻版では見違へるやうになつたのだとか。山崎さんが著作内で紹介してゐる盤の會社の人が、以前いきなり訪ねて來て、この盤はお持ちですか、あの盤は?板興しに使ひたいので無償で貸して欲しい。製品化の曉には音盤提供者として名前が載り、幾枚か差し上げますとのことでした。それで幾つかお聽かせしましたが、HMV盤は電氣再生するとシャーっと音が入るから駄目だとか、人の音盤に文句を附けられました。こちらとしては、好意でお聽かせしたのに、何たる態度!鄭重にお斷はりしました。そりゃあ、名譽なことかも知れませんが、人にモノを頼むには頼み方ってえもんがあるでせうに。嫌な思ひをしたので、どんなに勸められても自分で買ふ氣はしません。

P9130296 併し、今日は單なら自慢話です。實はこのSP盤全曲3巻HMVのアルバム・セット揃ひで持ってゐます。揃つて持つてゐることが大事で、バラやアルバムなしでは價値も半減。Victor盤も持つてゐましたが、金欠の折りにそちらは手放してしまひました。巡り巡って、現在たまたま自分の手元にあるだけであつて、人類の遺産とも云ふべき貴重なものだと思つてゐます。これこそ、後世に傳へねばならない使命を負つてゐますから、以前蓄音機の會でお聞かせした以外に針は落としてゐません。SP盤を大型蓄音機で聽いてこそ、その真價が問へる品であり、カザルスの息遣ひを間近に感じ、目の前で演奏してる幻影が唯一見られます。

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2007年9月13日 (木)

アルノルト・ロゼー

Arnoldrose ワーグナー特輯最後の「舊吹込の歌手たち」では延べ16人の歌聲を聽いたのですが、おまけとして、維納宮廷歌劇場及び維納フィルのコンツェルトマイスターを57年の長きに亘つて務めたアルノルト・ロゼーの演奏も耳にすることができました。國家社會主義勞働者黨により墺地利が併合されると、猶太人であつた爲、地位を追はれ國外追放の憂き目にあつてしまひますが、1909(明治42)年の吹込、バッハの〈G線上のアリア〉 GC47972 (14680u)は程良いビブラートでたっぷり歌ひ上げてゐます。
 併し、この人こそ、フリッツ・クライスラーの入團試驗で「音樂的に粗野」で「初見演奏が不得手」として不合格にしたのですね。そのお陰でクライスラーは獨奏者へと進み、維納フィルは音色を保てたのかも知れません。確かにクライスラーとは對極の演奏でせうが、どちらも魅惑たっぷりです。盤の貴重さから云ふとこちらの方が當然珍品で、初めて私も目にしました。再販盤なので兩面あり、裏面はブラームスの〈洪牙利舞曲〉で、こちらも優雅な演奏です。商業的にどうかう云ふ前に演奏者が演奏を樂しんでる印象です。「舊き佳き時代(ベル・エポック)」の片鱗を聽いた氣がします。

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2007年9月12日 (水)

百年前の音樂

 先週末の「蓄音機の會」はワーグナー特輯の最後を飾る「舊吹込の歌手たち」でした。電氣録音が開始される1925(大正14)年より前のSP盤だけを掛けました。特に今回は室伏博行さんのご協力により「百年前のバイロイトは歌手たち」の副題が附けられ、第一次世界大戰前の吹込盤ばかりをお借りできただけでなく、ご本人の適切な説明により有意義な會となりました。

 私も幾つか古い盤は持つてゐますが、室伏さんのやうに二人のリヒャルト(ワーグナー&シュトラウス)だけに特化して集めてゐる譯ではないので、俯瞰して當時の歌手を眺めることができません。まだ、コージマが全権を握り、マーラーはやっと改宗して維納宮廷歌劇場で指揮をしてゐた時代です。コージマがしっかり本流のワーグナー歌手を育ててゐたのですから、師弟關係の相關圖を描き、一緒に見るとバイロイト系とミュンヘン系に分かれるだけでなく、誰がその系統だかはっきりしました。勿論、今では名前すら出て來ない忘れ去られた歌手もをりますが、直傳の歌ひ方は雑音の中からもしっかりと浮かび上がり、今とは違ふ歌唱法ではありますが、非常に説得力がありました。

Gruening 最初を飾つたヴィルヘルム・グリューニングの歌ふ《ローエングリン》より〈分かれ〉G&T 3-42454(3791h)は1906(明治39)年の初版盤です。まだ犬印の入る前の天使圖が使はれてゐます。以前、喇叭式蓄音機で同じ頃の盤を掛けた時は確かに聞こえる程度(「タモリ倶樂部」の空耳アワーのやうな感じ)でしたが、さすがHMV194型だけあつて、曲を樂しめるだけの音量と表情が伺へました。この當時の歌手は極端な話、まだ王様の持ち物であり飾りなので、伯林宮廷歌手とわざわざ明記してあります。

Reszke そして驚いたことに、すでに實況録音があり、しかも復刻盤があつたのです。今で云ふところの「機械オタク」のメープルソンと云ふ人がメトの演奏を縱振動の蝋管に入れたものを、1940年頃に横振動の圓盤(所謂SP盤)に復刻したものです。ジャン・ド・レツケが歌ふ1901年の《ローエングリン》より〈鍛冶の歌〉 IRCC110のほんの一部、2分程度で、そりゃあ、もう雑音は多いのですが、當時の通常演奏が記録されてゐる點が素晴らしい。その後の支配人はけしからんと言って止めさせた爲、マーラーの演奏は全く殘つてゐません。堅物が上に立つとこの世界はロクなことありませんね。

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2007年7月 6日 (金)

ニッパー

P7040237 「お宅はビクターさんの子會社ですか」と時折訊かれます。蓄音機の上のニッパー(犬)の置物や、ブックエンド、レコード臺等、彼方此方にニッパーが飾つてある爲にさう思はれたやうです。極め附けはこの繪でせうか。
 畫家バラウドがこの繪を英國エディソン社に斷はられて、英國グラモフォン社に賣り込みに來た時は蝋管蓄音機でしたが、それを圓盤式蓄音機に描き替へてくれたら買はうと言はれ、そこだけ塗り潰して描き直したのがこの繪です。100ポンドの金額提示があつて一氣呵成に描き直したのだとか。1899(明治32)年のことです。以來、この型の蓄音機はB型とは呼ばれず、「登録商標型(トレードマーク・モデル)」と呼ばれてゐます。魂を吸はれると思はれたり、悪魔の手先と考へられた蓄音機が親しみをもたれる切掛になつたのですね。
 天井の電球やら非常口案内よ燈が亂反射していい畫像とは云へませんが…。

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2007年6月 8日 (金)

冬の嵐は過ぎ去り

 何の映畫の一齣かわかりませんが、総天然色で洋琴の前で、メルヒオールがお手傳ひさんに〈冬の嵐を過ぎ去り〉を聽かせるものがありました。

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 メルヒオールは最初バリトンでデビューしたものの、やや高めであつた爲にテノールに轉向して成功を収めた人です。晩年は加州、サンタ・モニカ住まひですたので、かうしてハリウッド映畫にも出演したのでせう。生涯に舞臺では、トリスタンは223回、ジークムントは181回、タンホイザーは144回、ジークフリート(ジークフリート)は121回、ジークフリート(神々の黄昏)は107回、ローエングリンは106回、パルジファルは80回も歌つてゐますので、文字通りのワーグナー歌手でした。

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2007年6月 7日 (木)

愛の死

 フラグスタートは諾威(ノルウェー)の生んだ偉大なソプラノですが、1933(昭和8)年からバイロイトに出演し、二年後には紐育のメトロポリタン歌劇場で活躍しました。その後、第二次世界大戰が始まると、夫と共に母國へ歸へり、ナチス占領下では乞はれても歌はず、瑞典(スウェーデン)と瑞西(スイス)だけ公演して何ら疚しいことはありませんでしたが、ご主人がナチス獨逸に必需品を卸してゐた爲、戰後すぐには亞米利加で呼ばれるどころか、怒号の非難を受けました。その際、嘗てコンビを組んだメルヒオールは何ら手助けも救ひの手も差し伸べてゐません。メルヒオール叩けば埃の出る身故、大ぴらに活躍できなかつたのでせう。
 但し、この間の休息が彼女を助け、晩年になつてもイゾルデやブリュンヒルデを樂々歌へるやうにしてくれたのですから、よかつたのかも知れません。

 これは實況録音の〈愛の死〉ですが、若々しい澄んだ歌聲が何処までも通ります。

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2007年6月 6日 (水)

二重唱

 すっかり動畫に嵌つてゐますが、フラグスタートとメルヒオールの《トリスタンとイゾルデ》の〈愛の二重唱〉もありました。但し、SP盤起こしなので、靜止畫があるだけで、動畫はありません。音だけお樂しみ下さい。PCでかう云ふ樂しみ方があるとは思つてもみなかつたのは、遅すぎですね。長いのでご丁寧に二部に別れてゐます。

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2007年6月 5日 (火)

メルヒオール

 丁抹(デンマーク)出身のメルヒオールは最初バリトンでデビューしたものの、後にテノールに轉向し1924(大正13)年に再開されたバイロイトでジークムントとパルジファルを歌つてゐます。前年に獨逸ポリドール、この年にパルロフォンに既に吹き込んでゐます。その喇叭吹き込みの様子を後に映畫に使つてゐるやうで、その動畫を見附けました。電氣録音のマイクロフォンを使はず、直接レコード原盤を刻む爲、喇叭に向かつて歌ひ、補助の人が手前に引いたり、奧へ引っ込めたり、或ひは絃樂器が近附いて演奏したり、微笑ましいものです。

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2007年6月 4日 (月)

フラグスタート

 先週の「蓄音機の會」ではワーグナー特輯第三段、「キルステン・フラグスタート&ラウリッツ・メルヒオール」を取り上げ、神々しい雄叫びとヘルデンテノールの醍醐味を味はひました。特にフラグスタートはお氣に入りのワーグナー歌手ですので、SP盤も歌手の中ではカルーソーと並んで最も多く手元にあります。

 北歐出身のワーグナー歌手が多いのは、ゲルマン系故體格的にも樂々聲が出るのか、兎に角、凄まじい聲量を誇る人が大勢居ます。最近流行りの無料動畫集You Tubeの中にフラグスタートを見附けて喜んでゐます。然も、テレビ放映されたものなのか、ボブ・ホープの司會の後、古典的なワルキューレに扮したブリュンヒルデが岩山で槍を片手に歌ふ姿も勇ましく惚れ惚れしますね。

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諾威(ノルウェー)に在る「フラグスタート博物館」の畫像では、パラマウント映畫社が1938(昭和13)年に撮影した同じ背景のものがあります。"THE BIG BROADCAST OF 1938"と云ふニュース映像なのかも知れません。

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2007年5月18日 (金)

ヴィニフレート

P4270007 トスカニーニですらジークフリートの人柄に惹かれてやって來たのですが、1930(昭和5)年に急死してしまひ、仕方なく未亡人ヴィニフレートがバイロイト音樂祭を引き繼ぎました。個人經營の音樂祭ですから、資金繰りその他色々苦勞もあつたのでせう、以前より親しかった國家社會主義獨逸勞働者黨(ナチス)のヒトラーを招き入れた爲、ナチスの祭典のやうになつて行きます。彼女は戰後は表舞臺から遠離りますが、ずっとバイロイトに住み續け、彼女の集まりではヒトラーの惡口は聞かれなかったとか。

 ○歌劇《ローエングリン》より〈グラール聖杯物語〉
 Franz Völker (Lohengrin), Heinz Tietjen (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Telefunken Bayreuth SKB 02049 (021335-3, 021338) 1936年8月29,24日録音
 フランクフルトの銀行であつたのをクレメンス・クラウスに見出されて歌手になつた異色のテノール。甘い美聲はさすがです。

P4270017 ○樂劇《ワルキューレ》より〈冬の嵐は過ぎ去り〉
 Franz Völker (Siegmund), Maria Müller (Sieglinde), Heinz Tietjen (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Telefunken Bayreuth SKB02048, 47B (021341-2, 021342-1, 021340) 1936年8月24日録音
 1幕最後まで入れられてゐますが、フェルカーとミュラーの掛け合ひもよく、緊迫感のある録音。これは實況録音(ライブ)のやうな趣があるので、オケはピットに入つて録音されたのでせう。

 ○樂劇《ジークフリート》より〈森の囁き〉
 Max Lorenz (Siegfried), Heinz Tietjen (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Telefunken Bayreuth SKB 02055 (021336-X, 021337-X) 1936年8月20日録音
 30年代を代表するヘルデン・テノールのローレンツは輝かしい聲が魅力。やや線の細いフェルカーに比べると、太くがっちりとした歌ひ方。

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2007年5月17日 (木)

全曲録音

 ジークフリートの招きでトスカニーニがバイロイトに登場したのが1930(昭和5)年のこと。歌劇《タンホイザー》を振ることになつてゐました。勿論、録音も企てられたのでせうが、ヴィクター(HMV)に屬する指揮者を英國コロムビアが勝手に録音できる譯もなく、1928(昭和3)年に《トリスタン》全曲を入れたカール・エルメンドルフが擔當して、録音が行はれました。併し、これら完全な全曲ではありません。幾つか省略があります。もしかすると、全曲のつもりで録音を開始したものの、それまでに失敗やら録り直しやらで手間を喰って、補充の効かない原盤が足りなくなり斷念したのかも知れませんね。

 ○樂劇《トリスタンとイゾルデ》より〈愛の死〉
Nanny Larsen-Todsen (Isolde), Karl Elmendorff (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Columbia DWX1291 (WAX3986, 3987)
 今とは違ふ19世紀的な古い歌ひ方が、却つて魅力的です。

 ○歌劇《タンホイザー》より〈宵星の歌〉
Herbert Janssen (Wolfram von Eschenbach), Karl Elmendorff (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth
Columbia LWX3315 (WAX5715)
 バリトン獨唱曲は少なく、これはしっとりとした魅力溢れる曲ですが、全曲録音から抜き出されてこの曲だけでも再販されてゐます。聲のよさが光ります。

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2007年5月16日 (水)

ムックとジークフリート

P4270001 戰前のバイロイト音樂祭は毎年行はれてゐた譯ではなく、2年續けて1年休みと云ふ感じでした。コージマの跡を引き繼いだ息子ジークフリートは、兎に角、父の頃の演奏形態をそのまま踏襲するのを善しとして、同じ指揮者が長く同じ曲を振る體制にしてゐました。特に他での演奏を禁じてゐた《パルジファル》は1920年代はカール・ムックとジークフリートが交代で擔當して、傳統をそのままの形で見せてゐました。他で上演できない以上、此処でしか聽けない《パルジファル》の抜萃盤アルバムとして、英國コロムビアから発賣されました。

P4270011 ○舞臺神聖祝典劇《パルジファル》より〈聖杯騎士の合唱〉
 Karl Muck (Dir.) Hugo Rüdel (Chor-Meister) Chor und Orchester des Festspielhauses Bayreuth
Columbia 67365/67 (WAX3012-1, 3013-2, 3014-2, 3015-1, 3016-1, 3017-1)
 ゆったりとしたテムポで進むところはクナッパーツブッシュにも似てゐます。合唱が上手で、聲も前に出てゐて録音の古さとかを全く感じさせず、非常にいい!ムックは埋もれた指揮者ですが、いい演奏をしてゐます。

P4270010 ○舞臺神聖祝典劇《パルジファル》より〈聖金曜日の奇跡〉
 Fritz Wolff (Parsifal), Alexander Kipnis (Gurnemanz) Siegfried Wagner (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Columbia 67370D/71DA (WAX3020-1, 3021-1, 3022-1)
 ジークフリートの指揮と云ふだけで興味津々でした。極めて中庸を保ち、極々真面目に振つてゐます。指揮としても面白味はありませんが、性格温厚さが出てゐるのかも知れませんね。


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2007年5月15日 (火)

ヘスリン

 「SP期に於けるバイロイト録音」で最初に掛けたのはフランツ・フォン・ヘスリン指揮、バイロイト祝祭歌劇場管絃樂團で1927(昭和2)年8月に入れられたもの。英國コロムビアの録音技師たちは、オケピットが深くて半圓の覆いが被さり、觀客席から見えないバイロイト祝祭歌劇場特有の配置を使はず、客席を取り拂ひ、そこに演奏者を並べて録音しました。

 ○樂劇《ラインの黄金》より〈神々の入場〉
Maria Nezadal (Woglunde), Minni Ruske-Leopold (Wellgunde), Charlotte Müller (Flosshilde), Franz von Hoesslin (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Columbia L2016 (WAX3002. 3003)
本來舞臺袖で歌ふ「ラインの乙女」の歌聲が真ッ正面から大きく、くっきり聞こえて來ます。

 ○樂劇《ワルキューレ》より〈ワルキューレの騎行〉
Franz von Hoesslin (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Columbia L2017 (WAX3004, 3005)
歌入りで堂々としたもの。神保町では随分と安く賣られてゐました。

 ○樂劇《ジークフリート》より〈炎の音樂〉
Franz von Hoesslin (Dir.) Orchester des Festspielhauses Bayreuth Columbia L2015B (WAX3001)
何故かこれだけ回轉數が80となつてゐたのに氣附かずに掛けた爲、再度正しい速度で掛けました。併し、78の方が曲に勢ひが出てよかつたです。

 このフランツ・フォン・ヘスリンと云ふ指揮者は1885(明治18)年12月31日生まれで、1946(昭和21)年9月25日に亡くなつてゐます。ところが、殆ど名前が知られてゐない所為か、彼のSP盤は人氣がありません。今回のSP盤を聽く限り、堂々とした立派な演奏してゐます。

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2007年4月20日 (金)

ジークフリート

 リヒャルト・ワーグナーとコージマの息子、ジークフリートは1869(明治2)年生まれ。ワーグナー56歳の時の子で、当然リストをも祖父に持つ譯ですから、音樂一家に育ち父親に似ず、温厚な性格であつたやうです。當時作曲された歌劇は現在全く忘れ去られてゐますし、指揮者としてのジークフリートの實力も餘り評價されず、單にワーグナーの息子としてしか記憶されてゐません。長寿を全うしたコージマの跡を受けて、バイロイト音樂祭を切り盛りしたものの、1930(昭和5)年に急死したのが何よりも惜しまれます。長生きすれば、妻ヴィニフレートがヒトラーを招き入れることもなかつたかも知れないからです。

Sw 伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、樂劇《ラインの黄金》第1幕より〈ワルハラへの神々の入場〉Odeon O-7550 を持つてゐますが、殘念乍ら氣の入らない平凡な演奏です。偉大な父親の陰に脅えることなく、伸び伸び演奏してゐるのがせめてもの救ひでせうか。

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2007年4月19日 (木)

ムック

 吉田真さんの解説による「SP期に於けるバイロイト録音」の準備でバタバタしてゐますが、ジークフリート・ワーグナーの時代に、共に活躍したにカール・ムックと云ふ老練指揮者がゐます。戰後1950年代、60年代のバイロイトで《パルジファル》と云へば、ハンス・クナッパーツブッシュでしたが、戰前はカール・ムックの十八番でした。細かい演奏記録を見ないことには、正確なことは判りませんが、1901~30年まで振つてゐたらしいです。近衛秀麿著『シェーネベルク日記』 一進堂書店(昭和5年發行)の中、「大指揮者の横顔」としてムックのことが書かれてゐます。

 ムックが大戰中米國に留つてボストン・シムフォニーの指揮者の位置に居た事と、米國の參戰後獨探の嫌疑を蒙つて抑留され、大戰の終結と共に、米國を痛罵して故國に歸つた其頃までの消息は知られて居る。

 ひえ~って感じで、今では全然知られてゐません。寧ろ忘れ去られた指揮者の横顔でせう。第一次世界大戰の頃、亞米利加に居て、スパイ容疑で掴まつてゐたとは… 1923(大正12)年に近衛がハムブルクで聽いたムックの印象が續いて記されてゐます。背が高く「痩型で特徴のある額と顎をもつた、無髯(ムセン)の稍(やや)蒼白い顔の持ち主」が拍手の渦の中で、ややもすると冷たい感じで指揮棒を持つと、瞬く間に場内をひとつにして「人は先其演奏の清楚さと其の統率の正確さに醉はされ始めた」さうです。リヒターにしろ、ニキッシュにしろ、顎鬚(アゴヒゲ)やモミアゲ髯の多い時代に、髭無しは却つて注意を引いたのでせう。巴里からの歸へりで、尚更ゲルマン的な實直さも感心してゐる近衛さんですが、聽衆だけでなく、演奏者からも尊敬と暖かい目で迎へられ、紡ぎ出す音樂の素晴らしさは今に傳はつてゐません。

P4130174 1927(昭和2)年に伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、《パルジファル》第1幕への前奏曲(Electrola EJ226/27)が、稀有な雄大さで我々を深遠な世界へと誘つてくれます。クナの宇宙とは別の次元ですが、するすると自分の世界へと引いて行く力は別格でせう。SP盤を聽いても、その實力の片鱗は傳はつて來ます。 

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2007年4月18日 (水)

テイクの違ひ

P4130170 SP盤の同じ曲、同じ演奏家なのに、何故か國によりレコードの元となる演奏が違ふことがあります。一面一面毎のマトリックス番號を調べると1面だけ違つてゐたりするのです。シャムパーニュは年號の入らないノン・ヴィンテージと云ふものは、基本的に複數年のブレンドですから、行き先の國により同じ銘柄でも味が違ふことが多々あります。かの有名なドム・ペリニヨンも亞米利加の免税店で買つたものと、日本の正規代理店が輸入したものと味が違ふことがありました。昔のレコードも、微妙な匙加減として、國による好みを反映させたのでせうか。
 蒐集家としては、そんなことを知ると、當然違ふ盤も欲しくなります。きちんと聽き比べたことはないので、實際にどれ程の違ひかは解りません。

P4130172P4130173

 例へば、フルトヴェングラー指揮、伯林フィルの1938年の《運命》。DB3328/32Sの獨逸盤(Electrola)、同じくDB3328/32Sの佛蘭西盤(Disque "Gramophone")、それにオートチェンジャー盤DBS8374S/78の英國盤(HMV)を持つてゐますが、黒いレコードに刻印された獨逸盤(左圖)のマトリックスは2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1, 2RA2341-3, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aに對して、海外盤(右圖は佛盤)は2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1A, 2RA2341-3A, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aとなつてゐて、途中の6面と7面だけ、最後にAが附くか附かないかの違ひがある譯です。畫像は生憎鮮明ではありませんが、紙レーベルには單に2RA2340, 2RA2341としか書かれてをらず、餘り氣にも掛けてゐないのですが、録音の際のテイクの違ひなのでせうか。其の上、4面から5面は1小節重なつて録音されてゐるらしく、謎が多いのも面白いものです。


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2007年4月17日 (火)

マイスター前奏曲

P4130169 ワーグナーの有名な前奏曲は多々ありますが、特に樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲はテレヴィジョンの宣傳でもよく使はれます。SP盤ですと、殆どが1枚兩面に収まり、多くの指揮者が録音してゐます。私にとつても、學生の頃、吹いたことのある思ひ出の曲故、随分とSP盤も手元に有ります。

 立派な演奏の筆頭はフルトヴェングラー指揮、維納フィル盤(HMV DB6942/43)は3面をたっぷり使つたもの。

 あっさりしてるのが、ワルター指揮、ブリティッシュ響(Columbia DX86)。録音オケの所爲かもしれません。

 至極真ッ當なのが、メンゲルベルク指揮、アムコン(Capitol 89-80036)。

 意外にまともなのが、クナッパーツブッシュ指揮、伯林フィル(Grammophon 66698)。

 ベーム指揮、ザクセン(Electrola DB4698)は、壓倒的な3幕全曲に比べると、おとなしくて詰まらない(上圖)。

 起伏もなく平凡で、只演奏してる感じのボールト指揮、BBC響(HMV DB1924)。


 CD復刻版ですと、喇叭(ラッパ)が奧に引ッ込んだ印象を受けますが、蓄音機で聽くSP盤は前面で高らかにファンファーレを歌い上げても、絃の邪魔にはならず、心地よいものです。 

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2007年4月16日 (月)

マイスタージンガー

P4130168 7日(土)の「蓄音機の會」で取り上げた、カール・ベーム指揮、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン國立歌劇場)の演奏がよいので吃驚しました。ワーグナーの樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は4時間を超える大作で、戰後カラヤンがバイロイトでSP盤68枚に全曲録音してゐます。ベーム盤は第3幕のみの録音で、然も私が持つてゐるSP盤は第5場から終幕部分(RCA Victor DM 538 -21/30)の後半部分(Volume II)のオートチェンジャー盤だけです。
 録音状態もよく、溌剌としたテムポで、ぐいぐいと引ッ張る感じで前へ前へと云ふ感じの勢ひがあります。合唱にも力が漲り、ニュルンベルク郊外の野原での歌比べの様子が肌に直に傳はつて來ます。ベーム44歳の時の録音故か、若々しさに溢れてゐます。ベームはフリッツ・ブッシュの後任として、1934(昭和9)年にこのドレスデンの音樂監督として迎へられ、1月7日の就任最初の演奏會でも、この《マイスタージンガー》を取り上げてゐますので、指揮にも餘程自信があつたのでせう。
 威嚴のあるハンス・ヘルマン・ニッセンのザックス、甘い聲のトールセン・フックスのヴァルター・フォン・シュトルツィンク等歌手陣も精鋭が揃ひ、揺るぎのない、自信に滿ち滿ちた中身の濃い演奏です。

 でも、1939(昭和14)年の4月録音を考へると、獨逸軍の波蘭侵攻の5箇月に當たり、前年に墺地利も併合して、誤つた方向に自信を持つて進んでゐる時期でもあります。實はその時代の空氣をも録音してゐるのではないか。そんな氣もして來ますね。

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2007年3月16日 (金)

シノワズリー

 以前、梅屋さんで中國趣味(シノワズリー)の蓄音機を見せて頂いたことがあります。全面に中國風な模様が凹凸を附けて、まるで漆塗りのやうにラッカーと金で仕上げてあり、なかなかの風格がありました。蓄音機としては、ヴィクター社のクレデンサが元であつたと思ひますので、HMV好きな私には音としての魅力は特に優れてゐるとは思へませんでしたが、見たこともない中國の繪を真似して描いた西洋の職人魂のこもつた作品でした。實際に日本から歐米に渡つた漆器も多いと聞きますが、乾燥した部屋に100年以上鎮座してゐるので随分と傷んでゐると耳にしました。修復するのもたいへんでせうねえ。

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2007年3月14日 (水)

ワーグナー好き

 先日、新國立歌劇場で《彷徨える和蘭人》を觀たばかりでしたが、秋には伯林國立歌劇場が《トリスタンとイゾルデ》を、そしてドレスデン國立歌劇場が《タンホイザー》を上演する等、何だかワーグナー憑いてゐます。それに事足りず、自分で輪を掛けるやうにして、うちの「蓄音機の會」でもワーグナー特輯を組んでしまひました。

 第66回 2007年4月7日(土)
樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第3幕終幕部分
 ベーム指揮 ザクセン歌劇場管絃樂團 Victor DM538-21/30

 第67回 2007年5月12日(土)
序曲&前奏曲集
 《リエンチ》、《和蘭人》序曲、《ローエングリン》、《トリスタン》《パルジファル》前奏曲等

 第68回 2007年6月2日(土)
フラグスタート&メルヒオール特輯
 《ローエングリン》より〈初夜の場〉、《トリスタン》より〈愛の二重唱〉、《神々の黄昏》より〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉等

 第69回 2007年7月7日(土)
樂劇《ワルキューレ》第2幕全曲
 ザイドラー=ヴィンクラー指揮 伯林國立歌劇場管(1,2,4場) & ワルター指揮 維納フィル(3,5場)

 第70回 2007年9月8日(土)
アクースティック(ラッパ)吹込みの歌手たち

 昨年のバイロイト詣でから、思ひも一入に、4月21日(土)にはワーグナー研究家の吉田真さんをお招きして「SP期に於けるバイロイト録音」と題して、1927年のヘスリン指揮の〈ワルキューレの騎行〉 Columbia L2017、ムック指揮の〈最後の愛餐に〉 Columbia L2008/10、ジークフリート・ワーグナー指揮の〈聖金曜日の音樂〉Columbia L2013/14A等初期電氣録音から、1936(昭和11)年のヴィニフレート&ヒトラー體制下の録音まで聞きます。江戸川アーカイブのご協力により、とてつもないSP盤が集まり、當日が今からとても樂しみです。その前に『ベルラン通信』を書かねばなりませんが…

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2006年12月15日 (金)

ヤフオク

 日本にもヤフー・オークション、略して「ヤフオク」と云ふものがあります。若人は着なくなつた洋服を氣輕に出品したり、落札して樂しんでゐるやうです。私の場合は、勿論SP盤を探す爲に定期的に覗いてゐます。掘り出しものは滅多に出て來ませんが、アンテナを張つてゐると引っ掛かるものです。

 海外の競賣に比べれば、たぶん海外の仕入れ先からの送料が掛かつてゐるのでせうから、割高になります。1枚當たり6,000~10,000圓位ですが、稀にピカピカの盤で格安のものが出て來ます。親族が亡くなり、どっと蒐集品が殘されても、興味のない人には只のガラクタですから、処分に困り、二束三文で賣りに出るのです。知らないからか、或ひは亡くなった方が大事にしてゐたものだからと、思ひ出まで値段に反映させてべらぼうな値付けをする人もゐますが、この場合は全然動かず、敢へ無く期間中入札もなく終了してしまひます。

 自分よりもレコードの方が長生きしますから、自分の蒐集品の行き先も考へればなりません。折角、集めたのですから、何処かにまとめて寄贈するつもりでゐたら、かみさんから「買つた時の値段はちゃんと附けてをいて!」と言はれて、「?」。「死んだら、賣拂ふに決まってるでせう。死人に口なし。路頭に迷つたら困るんだから」とのこと。女はどうしてかうも現實的なのでせう。

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2006年12月14日 (木)

何でも競賣で

 レコードなら割れてしまへばお終ひで諦めもつきますが、大きなものを競賣で探さうとなると難しいものです。どんなに蓄音機が好きでも、こればかりは實際に見て、触つて感触を掴まねば判りません。飾るものではなくて、道具として使ふのですから、何かしらの癖があつたり、状態を見ないことには判斷できません。安いと思つて入手したら、粗惡な複製品であつたこともあります。
 時折、亞米利加や獨逸の競賣サイトに目玉とも云ふべき商品が出品されますが、蓋を開けてみたらモーターがなかつたり、梱包が下手で角が潰れて届いたり、色々と問題が多いものです。と知り乍らも、つひ見てしまふのも蒐集家の性でせうか。

 eBayと云ふ競賣サイトは世界中に在るのやうですが、本家亞米利加「eBay」が一番多くの商品を扱つてゐるやうです。誰でも入札できる譯ではなく、最初に登録(無料)をしないといけません。落札すると自分のネット上の名前の横に印が附き、最初は取引が少ないので「色眼鏡」ですが、幾つか取引してゐると信用されて☆になります。星にも色々あり、黄色、紺色、水色、紫色、赤色と等級も取引數に應じて上がります。私は100回を越えた程度なのでたいしたことありませんが、中には何千回と云ふ強者もをりますが、殆どの場合出品業者のやうです。

 フルトヴェングラー指揮、伯林フィルの1926(昭和元)年録音の《運命》は現在3組手元にあります。1組は日本の蒐集家から高額で譲つて頂いたグラモフォン盤、そして、eBayで格安で手に入れたのがポリドール盤とブランズウィック盤です。初めて1組手にした時に、最終面の第9面に一箇所出ッ張ッてゐる所を發見して、がっかりしたのですが、他の盤も全く同じでした。それ故、これはプレス側の問題だと判りました。同じ録音の商品でも全然値段が違ふのが面白いですよ。

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2006年12月13日 (水)

亞米利加の競賣

 日本でSP盤を手に入れる時はお店へ足を運び、モノを自分の目で確かめて購入できますが、インターネットの競賣(オークション)となると、おざなりの寫眞と説明文だけで判斷せねばなりません。寫眞すらないことも多いので、出品者が下した商品の評價を參考にします。大抵、四段階に評價されてゐます。

Mint: 針の跡すらないやうな新品同様。
Excellent: 薄い傷があつたとしても、演奏に支障なし。
Very Good: 少し傷はあるものの、演奏可能。
Good: 取り敢へず演奏できる程度。

 勿論、只聞きまくるやうな品を手に入れる爲に買ふ譯ではないので、状態のよいものを探します。各段階にも+や-の印が附くので、最低落札價格との兼ね合ひで考へる譯ですね。併し、滅多に出て來ないやうな珍品ですと、多少盤の状態が惡くても仕方ありません。これには入札します。

 「Nauck's Vintage Records」の競賣ですと、年に數回、厚さ1糎にならうかと云ふ分厚い型録が送られて來て、エヂソンの縱振動盤から、19世紀末のベルリナーの5吋盤、亞米利加盤と海外盤のクラシック、演説、ジャズにカントリー、ブルースと分野別にも大量にあり、文字が細かくお目當てを探すのも苦勞します。但し、此処の良心的なところは、他に入札した人が居なければ、最低落札價格にしてくれますし、また、2位の人と差が多ければ2位の人の價格に10%増しだけでOKとしてくれます。通常は自分が入札した價格となりますから、100弗附けたものが55弗で手に入ることもあります。

 1939(昭和14)年から續く老舗の競賣「Liberty Music」でも、薄い型録が送られて來て入札できます。こちらは割と管絃樂が多いのですが、最低入札價格が高めの設定故、なかなか氣輕には値段が附けられません。

 これらの競賣は日時が定めてあるので、それまでに自分の附けられる最高入札額を書いて送ると、後日落札されたものが知らされます。それ故、會場や實況放送を見乍らの醍醐味はありませんが、つひ熱が入つて必要以上のものを入札したり、競り合つてしまひ思ひの他高額で落札する心配がありません。

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2006年12月12日 (火)

都内のSP盤購入先

 クラシック好きな分野は交響曲と歌劇が主で、あとは好みの演奏家の獨奏曲や協奏曲になるでせうか。以前はお客様からの要望も取り入れて、絃樂四重奏曲や室内樂曲にも手を出しましたが、元々餘り興味のない分野であつた爲、力も入らず、或る程度押さへただけで終はつてしまひました。
 都内のSP盤を扱ふ店も探せば結構あるものです。私共の《蓄音機の會》の散らしを置かせて頂いてゐるお店をご紹介しませう。

 古書センター9階の「冨士レコード」さんのSP盤は分野を問はず、クラシックから流行歌、ジャズ、タンゴ、シャンソンまで幅廣く有ります。恐らく都内随一の在庫を誇つてゐることでせう。最近は蓄音機コンサートも始められ、年に二回のセールも嬉しいお店です。

 神保町にはこの「冨士レコード」さんの他に「エテルナ」さんも在ります。駿臺下の三省堂裏、さくら通りのパチンコ屋の上なので、一寸判り辛いですが、時折演奏會も開く立派なお店です。LPを中心にSP盤は佛蘭西の業者から在庫を全て譲つて貰つただけのことはあり、相當量有りますね。但し、此処では型録を自分で捲り、氣に入つたものをお願ひして出して貰ふ形式なので、やや面倒でもあります。きっと、以前にだいぶ落として壊されたりしたのでせう。それに懲りて、かう云ふ形式にしたのだと思ひますが、何かお客が信用されてゐない感じがするだけでなく、自分でえっちら、おっちら一枚一枚探す喜びが削がれます。

 「CLASSICUS」さんは、春日通りからやや入つた所に在る小さなお店です。此処もLP盤を主に揃へてありますが、海外の貴重な藏書やSP盤も少ないとは云へ、絃樂楽四重奏曲や歌ものに提琴、セロ等の獨奏曲が澤山あります。ご主人ひとりで、マニアな先客がゐると話し辛いところではありますが、こぢんまりとしてなかなか趣味のよい店です。

 神保町界隈の名店とも云へる蓄音機屋の「梅屋」さんもたいへんお世話になつてゐます。珍しい蓄音機から卓上型、据え置き型、色々あり、真空管ラヂオ、モノラルスピーカーに光學機器にニッパー犬の蒐集品も多く取り扱つてゐます。SP盤の在庫は少ないのですが、既にこちらの探してゐる盤の表を渡してある爲、入ると直ぐに連絡をくれます。紐育へ歌劇を觀に行くツアーを組まれたりしてゐるので、ご主人と歌劇の話や文樂の話、或ひはワインや料理の話でつひ長居をしてしまひます。

 都内で一番多く蓄音機を置いてゐるのは、何と言つても銀座の「シェルマン」さんでせう。大小様々なHMVやヴィクター社の蓄音機や變はり種の蓄音機が各種有り、頼めば聞かせてくれるだけでなく、月一回ミニコンサートもやってゐます。然も、此処のレコードは綺麗に清掃され、新しい厚紙のケースに入れられて、分野毎に見易く展示販賣してゐます。蓄音機関連の小物も充實してをり、蓄音機針、書籍、レコードクリーナー等あらゆるモノが揃つてゐます。また時折、吃驚するやうな珍品を拝ませて頂いたり、ベルランから一番近いこともあり、重寶してゐます。ベルランに置いてあるHMV194は此処で購入したものです。

 昔、一度訪ねたことのある下北澤の「KENSINGTON」さんも蓄音機の扱ひがあり、幾つかSP盤も置いてありました。かうしてみると、専門店は結構ある方ぢゃないでせうか。伯林では専門店は「Grammophon Salon Schmacher」の一軒しか知りません。

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2006年12月11日 (月)

SP盤を集めると云ふこと

 「レコードは何枚位お持ちですか」とよく尋ねられますが、正確な數を實は把握してゐません。PC上で在庫表を作つて管理はしてゐますが、音樂の分野毎に演奏者別に分けて、曲目で欄を作成してゐる爲判らないのです。クラシックのLPなら凡そ1曲1枚または2枚でせうが、SP盤になりますと、表裏2曲で1枚のこともあれば、10枚1組のアルバムで1曲のこともあります。同じ蒐集家同士では「コレクションは何米(メートル)でせうか」と云ふ訊き方もあるのだとか。確かに、レコードを真っ直ぐ立てるにしても、横に平積みにするにしても、レコードの厚みから量を判斷するのも一考です。そして、以前は毎月のやうに彼方此方から仕入れてゐましたが、好きな演奏家の盤も數に限りがあり、欲しいと思ふものは珍品ばかりで、最近は型録を眺めるだけになりました。
 
 「そんな古いものを何処で手に入れてゐるのですか」、この質問もよく受けます。「そんなもの殘つてゐるんですか」とか「骨董市でも見掛けるだけ」だとか、或ひは「昔捨てた」「割って遊んだ」と云ふご年配の方も多くいらっしゃいます。皆さんご自分の經驗から判斷されてゐるのでせうが、なかなかどうして結構世の中には有るものです。LPレコード30年、SP盤となると凡そ50年の歴史があり、まだまだ殘つてゐるものです。但し、世界規模の視野が必要となり、此処でインターネットの恩恵を受けてゐます。

 集め出した頃は何処に中古レコード屋が在るかも知らず、足を棒にして矢鱈に歩き回ったりしたものですが、海外から通信販賣で手に入れることが可能だと知りました。勿論、まだインターネットなんてない頃です。併し、送金が面倒であつたり、箱を開けたら割れてゐたり、届くまでに時間も掛かりたいへんでした。それでも、10年以上前から必ず目を通す加奈陀(カナダ)の通販會社「ミクロコスモス」は時折大ものが出ます。此処は競賣ではないので、先方が定めた金額で賣られてゐますが、珍しい盤でも差程高くはないので、掘り出しものを見附けると申し込む感じでせうか。

 但し、月一回の賣り出しですから、現地時間の1日の零時に合はせて、註文を入れないと、他の人にすぐに取られてしまひます。日本時間では丁度14時位なので、晝食の營業が終了し、もたもたして1時間も經つてからでは、翌日の返事で既に「売却濟」のお知らせが届きます。事前に型録が來れば、時間に合はせて申込みもできるのですが、郵送料を安くする爲か本國加奈陀からではなく洪牙利(ハンガリー)邊りから届くので、月末に届いたり、どうかすると5日頃に届いたりするので、全くあてになりません。そんな時はネット上の型録と睨めッ子となる爲、ランチの時間に重なる爲もう絶望的です。1日が週末に掛かると、自宅にPCがないので、これも無理です。たかがSP盤、されどSP盤。蒐集に手を出すと、何某かの形として揃へたくなるのは見榮でせうか、アンテナだけは張つてゐます。 今週はそんなSP盤の購入先に就いて。

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2006年11月22日 (水)

リストランテ・カルーソー

Caruso_1 グランド・ホテル脇道にも卓子が出してあり、此処で食事が頂けるのが、リストランテ・カルーソー(Bar Ristraonte Caruso)です。外の硝子には本人が自ら描いカルーソーの繪が意匠となり、金文字となつて映えます。1902(明治35)年4月11日、グラモフォン社のフレッド・ガイスバーグが306號室に録音器材を運びサルヴァトーレ・コットーネの伴奏に合はせて、カルーソーは10曲を吹き込みました。これによりレコード普及の切掛となつた大きな出來事です。魂を取られる心配から歌ふ前に必ず十字を切つたと云はれるカルーソーの決心がなければ、レコードは吹き込まれず、カルーソーも大金持ちにはならなかつたことでせう。
 以前、兩親が泊まつた際に仲間のご夫婦がその部屋を宛はれたさうですが、興味もないので「へえ、さうですか」で終はつてしまつたとか。中には小さな額繪が飾られ、解る人には解るやうになつてゐたさうです。

Dh000252 さて我々は連日のご馳走に疲れ果ててゐたので、結局前菜ブッフェとデザートだけを頂きました。新鮮な美しい生野菜、米のサラダ、トマトとモッツァレラ、ムース、牛肉の煮込みにポレンタ、ローストビーフ等、それに生ハムは塊から切り分けてくれます。ナポリ生まれのカルーソーはずんぐりむっくりした身體でしたが、喉を大事にしてゐる爲、暴飲暴食はせず、鶏肉とサラダ程度しか食べなかつたさうです。我々も同じ?さう思つてトマトとモッツァレラを頬張ると、餘計に美味しく感じます。

 カルーソーの死後電氣録音が始まつた爲、彼の吹込は全て喇叭(ラッパ)吹込です。どうしても伴奏が貧弱に聞こえる爲、蓄音機で彼の歌聲を再生し、それに管絃樂が合はせて電氣録音されたSP盤が幾枚が殘つてゐます。それを再度2000(平成12)年に現代の管絃樂團と合はせてデジタル録音も行はれました。蓄音機を持たない人が、今風にカルーソーを聽くには丁度いいのかも知れません。

 今晩の日本放送協會BS2では、20時より衛星映畫劇場でヴィスコンティの《白夜》1957年(107分)が放映されます。



カルーソー2000〜ザ・デジタル・レコーディング


Music

カルーソー2000〜ザ・デジタル・レコーディング


アーティスト:カルーソー(エンリコ)

販売元:BMG JAPAN

発売日:2000/08/23

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2006年9月28日 (木)

キャビネット

Cab1 大事なSP盤は文字通りお藏入りです。人類の遺産であり、私は後世への橋渡しに過ぎないのですから、滅多なことでは掛けません。藏なんて云ふと「さぞかしどでかい土藏」を思ひ浮かべて貰つては困るのですが、ベルランの個室にひっそり2つキャビネットが置いてあります。此処に入れたものは、稀少價値の高い、或ひは思ひ入れたっぷりな盤ばかりです。1つは1920年代後半から30年代前半に造られたであらう、5型(Filing Cabinets Model 5)、製造番號37です。100枚入りで、一枚毎仕切られ、下のボタンを押すと、するりと棒が立ち上がり、レコードがするすると下りて來る優れものです。マホガニー製で、表扉の意匠が203型蓄音機(HMV Model203)と同じになつてをり、並べて置いても遜色ない氣配りです。最初手にした時はかなりガタ附いて、塗装も酷い状態でしたから、八王子の西洋古道具「ガスリーズ・ハウス」さんにお願ひして、綺麗にして貰ひました。此処は、昨年194型に落書きされた際に治して貰つたところです。

Cab2 もう一棹(箪笥と同じやうに「サオ」と數へるのでせうか)は少し時代は下つて1930年代後半以降のもので、こちらはアルバム對應となつて、400枚入ります。觀音扉なのは同じですが、素材、意匠随分と簡略化されて、ちゃちく感じます。こちらは蟲喰ひがあつた爲、側板を張り替へたり、「ガスリーズ・ハウス」さんで大手術でしたが、無事に退院して現役續行してゐます。フルヴェンものが一番多く、クナの小品の數々、ワルターのマーラーの交響曲、カザルスの無伴奏全曲等代え難いものものばかりです。お見せすると、安直に「聞かせろ」と宣(のたま)ふ客人が多いのですが、SP盤は針で削られる爲、一期一會で音が違ひますし、無闇に矢鱈と掛けては盤の價値が下がるばかり。後世の人に申し譯ないので掛けません。ご理解下さい。

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2006年8月22日 (火)

伯林

Kdw 伯林でまづ一番先に行きたかつたのは巨大百貨店「KaDeWe(Kaufhaus des Westens)」でした。戰前は歐州一の賣場面積を誇つた西側(死語?)の大きなデパートです。畫像右奥にヴィルヘルム皇帝記念き教會が、戰爭の痛手の記憶を殘す形でそのままにされてゐます。此処が西伯林の中心でした。「カーデーヴェー」は大好きなヴィッテンベルク廣場に面してゐるので、地下鐵を利用して建物に入るなり吃驚。18年前とは改装されて賣場の雰圍氣が全く違ひます。
 以前は同じ商品がずらりと並んで選ぶのに困る程でしたが、今度は製造會社別に箱貸しのやうです。それ故、同じメーカーのものの中で探すのならいいのでせうが、同じ商品を見比べるには各メーカー毎にずずっと歩かねばなりません。臺所用品の値引き商品や伯林土産を買ふだけで早々に退散。賣り子さんもメーカー派遣なのでせうが、知つてゐたものが無くなるのは寂しい氣もします。

Tnadeln 隣のノーレンドルフ廣場近く、シューマッハーさんの蓄音機屋「Grammophon Salon」にも顔を出しました。店頭に「博物館ではありません。全て商品です」と書かれた張り紙が増えてました。たまに出物がありますが、今回は店主が居らず、店員さんが懇切丁寧に對應してくれました。どの分野の音樂が好きか尋ね、それではこの棚に有りますからと、前のレコードの箱をずらし、腰掛ける場所まで作つて「どうぞ、ごゆっくり」。途中、「郵便屋を呼ぶので店番してゐて下さい」と15分位居なくなつたり、のんびりしたものです。殘念乍ら大きな収穫はありませんでした。それでも、幾枚か手に入れ、競賣で落札して友人宅に送つて貰つたものとをまとめて梱包し、郵送しました。競賣でテレフンケン社の針が見附かつたのが幸運でした。エボナイトの圓形の箱に入り、黒く鈍色に光るこの鉛筆のやうな形のものは、溝にしっかりと嵌るので音の再現力が俄然違ひ、臨場感が増すのです。やっと100本程度なので滅多に掛けられませんが、5本しかなかつたことを考へればまづまづでせう。日本ではどうしても手に入らないものがあるものです。

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2006年7月 7日 (金)

△か□か

 HMV盤のマトリックス番號の最後に羅馬數字で番號が入るのですが、これはテイク數です。練習嫌ひで通つてゐたフリッツ・クライスラーの演奏印象は實にさらッと彈いてゐて優雅な雰圍氣を醸し出してゐます。併し、このマトリックス番號を見ると、テイク7やテイク8が出て來て、納得の行くまで録音し直したことがわかります。
 ですが、それだけでなくてその後に△印や□印が附いて、長い間謎でした。加藤玄生著 『蓄音機の時代』 ショパン を讀んで、その點に就いて漸く合點が行きました。録音処理(システム)の違ひだつたのです。△印はウエスターン・エレクトリック社のものを使つたことを意味し、1932(昭和7)年頃から始まる□印はブルムライン社のものを使つたさうです。◇になるとヴィクター社がRCA系となり新録音処理を行ふやうになつてから、HMVに附けられてゐます。

 昨日のHMV盤《トリスタン》下部のマトリックス番號は2RA2660Ⅱ□でしたから、テイク2のブルムライン・システムだと判明した譯です。最初は社内の符牒のやうなものであつたのでせうが、何十年も經るとわからなくなるものですね。この本の著者は後附の紹介を見ると、1925(大正14)年とあり、子供の頃から蓄音機とSP盤で育ち、現在も現役で聽いてゐると云ふので、私などは青二才に見られる筈です。でも、かうして知つてゐることを書いて殘してをいてくれると、後輩としては非常に助かります。




蓄音機の時代


Book

蓄音機の時代


著者:加藤 玄生

販売元:ショパン

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2006年7月 6日 (木)

レーベル

Thmv 同じ録音であつても、金型原盤(スタンパー)が送られた國により表記が變はつて來ます。まづは登録商標名が各國に翻譯されて違ひます。犬印の「主人の聲」は本家英國では「His Master's Voice」ですが、お隣り佛蘭西では「la Voix de son Maitre」に、獨逸では「die Stimme seinen Herrn」に、伊太利では「la Voce del Padrone」に、亞米利加では姉妹會社の「Victor」となります。日本は亞米利加の流れを汲んでゐる爲、「日本ビクター」となるのですね。

Telect それだけでなく、佛蘭西盤には「Disquue "Gramophone"」があり、獨逸録音盤は「Schallplatte "Grammophon"」や後に獨逸には「Electrola」ができたりし、更に統廢合が加はり判り辛いのですが、基本的に生産された國の言葉で書かれてゐるので、何処産かは判ります。

 今日、お見せするレコードは全て同じフルトヴェングラー指揮、伯林フィルによるワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》より〈愛の死〉最終面、レコード番號DB3420、マトリックス番號は2RA2660-2です。1938(昭和13)年2月11日に録音されたこの銘盤は、獨逸録音ですので雛型となるマスターは「エレクトローラ社」にあり、そのスタンパーが各國に送られました。

Trcav 亞米利加では國際企畫番號DBを使用せず、ヴィクター社獨自の番號を使ひ、このレコード番號は18034、2枚組故セット番號DM653と云ふのも書かれてゐます(これだけ畫像は前半部分)。所謂赤盤(レッド・シール)と呼ばれるもので、一般の流行歌の黒レーベルよりも豪華に仕上げ、高く賣られました。歐州盤は犬印が多色刷りのとても綺麗なものですが、音ではヴィクターの方が柔らかく感じます。スタンパーの違ひだけでなく、プレスの微妙な力加減もあるのか、同じ録音でもレコード生産國によりかなり差があることに最近氣附きました。勿論、新品SP盤が手に入らない以上は全て中古品で、前の持ち主の使用頻度により程度に差がかなりあるので、一概には申せませんが、大きな音や膨らみ、奥行きに関しては斷然獨逸盤がよく、減り張りのある英國盤、柔らかい米國盤、そして戰後プレスになるとずっと立體感が減つてしまひます。

Tfrance この最後のは戰後プレスの佛蘭西盤で、非常にピカピカと艶のある素晴らしい状態のレコード盤にも拘はらず、音は一番貧弱なのです。
 たまたま、先月のレコード・コンサート『戰中のフルトヴェングラー』を聽くで、録音に失敗し幾度か掛け直した爲、結果として聽き比べることとなり、同じ録音でもこんなに違ふのか、と音に大きな差があることに初めて氣附いたばかりでした。只、手に入ればいいと思つてた筈が、好きな曲になると普段掛けるもの、豫備、蒐集用と欲しくなり、この《トリスタン》に至つては5組も揃へてしまつた譯です。も一組は戰後プレスのHMV盤故、犬印がこの佛蘭西盤と同じく單色となつてゐます。蒐集莫迦も極まりと云ふ感じでせうか。

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2006年7月 5日 (水)

魂を抜かれる

Aida1902 歌劇王エンリコ・カルーソーの場合、全曲CDに全集として復刻され、今でも親しまれてゐます。特にレオンカヴァルロの《道化師》より〈衣装を附けろ〉は彼が規範となり、如何にカルーソーを越えられるかが現在でも問はれ、貧弱な筈のSP盤にも拘はらず、これを越える生演奏に出遇つたことがありません。

 兎に角、蝋管の時代から厖大な量を吹き込んでゐますから、二束三文の擦り切れたレコードから、珍品レコードまで色々あります。収集家にとつては選擇肢が廣くせめて一枚は持つてゐたい歌手です。このレコードはグラモフォン社初期の、タイプライターも製造してゐた頃のもので、犬印ではなく天使印です。曲はヴェルディの歌劇《アイーダ》より〈淨きアイーダ〉です。レコード番號GC5239がレーベルに、盤面上には52369XVI、マトリックス番號の2873bが盤に刻印されてゐます。この羅馬(ローマ)數字で表された16はスタンパー(金型原盤)番號と云はれるものです。

Caruso 蝋原盤からマスター盤が作られ、この1枚のマスター盤から5~6枚の母型が取れます。そして1枚の母型から更に10枚のスタンパーが取られ、鍍金(メッキ)を施して強度を上げたスタンパーから凡そ1,000枚のレコード盤がプレスされます。スタンパー16番と云ふことは既に16,000枚は賣られたことになり、グラモフォン社にとつて如何に弗箱であつたことがわかります。更に賣れると既存のスタンパーでは足りませんので、スタンパーを元にして母型を作り「逆マザー」と呼ばれた複製母型を元にして、またプレスして行きます。併し、當然音は劣化して行きますから、古い盤の場合このスタンパーにも注目する必要があるのです。この吹込はHMV盤としては賣られてゐませんので、もしも状態のよいスタンパーIでも見附けたら珍品だと云へませう。

Aidarueckseite マトリックス番號の最後に附いてゐるアルファベットは録音者フレッド・W・ガイスバーグが携はつた証です。彼は録音機械を携へて世界中を回り、珍しい音樂を収録して行きました。7吋盤にはa、10吋盤にはb、12吋盤にはcが附けられ、區別してゐるのですね。
 1902(明治35)年4月11日、ミラノの「グランド・ホテル」306號室で、伴奏者サルヴァトーレ・コットーネの洋琴(ピアノ)でこのレコードは吹き込まれました。オリヂナルは71.29 rpmと通常の1分間に78回轉ではありません。大きな喇叭の前でカルーソーは魂が捕られないやうに十字を切つてから歌つたと云はれてゐます。寫眞と同じく生き寫しの吹込みも恐ろしい惡魔の仕業で魂を捕られると信じられてゐた頃の話しです。勿論、まだ片面盤ですから、裏には「天使印」しかありません。
Carusobook
 カルーソーの場合は研究が進み、レコード番號表、マトリック番號、録音年、伴奏者、寸評等色々あり、整理するのに非常に役立ちます。ネット上の古本屋で最も代表的な本『the recordings of Enrico Caruso』は見掛けます。

スタンパーに就いて

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2006年7月 4日 (火)

録音年

7inch 戰後の録音であれば、大抵のものはLPやCDに復刻され、細かい情報が記されてゐるので問題ありませんが、戰前の喇叭吹き込み盤になると何時頃のものか全くわかりません。ましてや、一世を風靡したかも知れない音樂家でも100年もたつと忘れられてゐる方が殆どです。それでも、演奏が良ければ尚更何時、何処で吹き込まれたか氣になつて仕方ありません。

 そこで、レコード・レーベルに記された「レコード番號」と、レコード自體に刻印された「マトリックス番號」が唯一の手掛かりとなります。レコード番號は言つてみれば「住民票」で、マトリックス番號は「戸籍」のやうなものです。繼ぎ接ぎのできない1回勝負の吹込みですから、途中歌ひ間違へたり、或ひは録音盤の状態が不安定であつたり、同じ曲を何度も入れます。その際に何回目の吹込みかわかるやうに數を記録して、そのままレコード盤に刻印してゐます。このマトリックス番號は他の國でプレスされても、ずっと同じものですから、違ふ製造元でもこの番號さへ判れば同じ吹込みかどうかわかります。

Acousticbook 今日掲げたものは7吋盤です。初めてベルリナーが平盤レコードを發明した際は手回しの機械で、後にゼンマイ仕掛けの蓄音機になりました。初期の頃は、まだ7吋盤が主流でした。プレスの原盤に刻印したものから、紙ラベルに變はり、段々と意匠を凝らすやうになります。左のコロムビア盤は維納管絃樂團によるツィーラーの《維納娘》、右の緑のゾノフォン盤はザイドラー・ウィンクラー指揮による自前のオケで、J・シュトラウスの《かうもり・カドリール》です。

 《維納娘》はコロムビアが録音用に作つた管絃樂團で、862番の刻印があり、絃樂器の入らないブラス・バンドの音がします。《かうもり》の方は、喜歌劇のいいとこ取りで、レコード番號20517とマトリックス番號H47kが見えます。そこでこの『管絃樂吹込 1896-1926』と云ふ本が役立ちます。これは電氣録音前のオーケストラ吹込が網羅された、素晴らしい資料です(たいへん高價なものです)。これで曲名、演奏者のどちらでも索引から引くことができ、《維納娘》は1904(明治37)年の型録に出てゐることが判明しましたので、たぶん前年の吹込み、《かうもり》ははっきり04年の吹込みだとわかりました。

 丁度、日露戰爭の頃で、《蝶々夫人》がミラノで初演されてた100年も前なのですね。人と人の手を亘り、巡り巡つて今は私の手元に有り、然も、現役で音が聽き取れるのが不思議です。100年後のCDが再生できるかどうか、非常に疑問です。誰かが調べたこのやうな資料がない場合は、バラバラの文献からコツコツ拾つて行かねばならず、判らないことが多いのです。



The Orchestra on Record, 1896-1926: An Encyclopedia of Orchestral Recordings Made by the Acoustical Process (Discographies)


Book

The Orchestra on Record, 1896-1926: An Encyclopedia of Orchestral Recordings Made by the Acoustical Process (Discographies)


著者:Claude Graveley Arnold

販売元:Greenwood Pub Group

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2006年7月 3日 (月)

レコードのはじめ

 何しろ1950年代初頭には生産が中止されてしまつたSP盤のことですから、生産、販賣に携はつてた方々は鬼籍に入り、詳しく知る人が少ないので、殆ど手探り状態です。ましてご年配の方々でも、國内プレス盤しか集めてゐなかつた人が多く、外國プレスは高くて手が出なかつた話しもよく耳にします。

 1907(明治40)年に「日米蓄音機製造株式會社」が創立されて、翌年に工場が建設され、亞米利加から2機のプレス機を導入し、更に翌年漸く國産レコードの生産が開始されました。この會社は「日本蓄音機商會」と名を變へ、後に「日本コロムビア」となつてゐます。それまでは、密室の吹込室はピストルで武装した警備員により嚴重に警戒され、外國人技師が立ち會ひ、原盤は本國へ持ち歸へられて、やっと出來上がつた製品が日本に送られると云ふものでした。特許料、輸送費も莫迦にならずたいへん高額商品となつてしまひ、多くの産業スパイが技術を盗まうとしてゐたことでせう。亞米利加から機械を輸入しただけでは、當然すぐに製品化できません。まだ、日本人で機械を扱つたことがなかつたからです。それ故、會社設立から製品化までだいぶ時間が掛かつたやうです。技師湯地敬吾が見様見真似で始めた吹込みと製品化。随分苦勞したことでせう。

 當時は日露戰爭後の不景氣で、俗に月給9圓では「飯も九圓(クエン)」と云はれく嚴しい時代でした。デフレが續き、多くの蓄音機店が倒産、唯一「天賞堂」と「十字屋」だけが生き長らへました。1909(明治42)年の廣告を見ると、義太夫、浪花節、長唄、小唄、筑前琵琶、薩摩琵琶に唱歌等が吹き込まれてゐます。例へば《勸進帳》は片面盤11枚。1枚1圓50錢!庶民が買へる値段ではありません。勿論、流行に左右される程の力はなく、レコードの購買層、即ち中産階級以上の趣味がそのまま出てゐます。明治年間の総發賣枚数は凡そ250萬枚と結構賣れたのですね。

 西洋音樂にどっぷり浸かつた私には、20世紀初頭の歐米レコード型録を見ても曲を知つてゐるものが多いのですが、この當時日本の人々が聽いてゐた曲はとんと馴染みがありません。確かに、幾度か耳にしたことはありますが、鼻歌にもなりません。歐米型世界標準の曲を知つてゐても、自國の曲を知らないのは恥ずかしい限りです。
 大正時代に吹き込まれたこのレコードは、作曲者プッチーニにも賞賛された、日本を代表する歌姫三浦環の《蝶々夫人》です。雑音も酷く、古めかしい歌ひ方ですが、孤軍奮闘した三浦の魂を感じます。極東の富士山、藝者の印象そのままの時代ですから、《蝶々夫人》の舞臺では苦勞も多かつたとか。今でも妙な演出が多い中、見たこともない日本を表現するのですから、その上で演技、發聲はたいへんだつたことでせう。

Niponophon 「なんたってストコフスキー」と云ふHPにある「明治から戦前までの蓄音機広告(3)」を見ますと、1917(大正6)年7月の日本蓄音機商會の廣告を載せてゐます。
 大佛様も聽き入る程で「面白くないと云ふ者は只の一つもない」と豪語して、義太夫、講談、長唄、常磐津と人氣の曲が連なり、ニッポノホン「鷲印レコード」が「定價1圓50錢の半値段賣り出し」と書かれてゐます。それぢゃあ、いったい定價は何なのでせう。

 蓄音機の方は朝顔型(25號)が25圓、1912(明治45)年には「ニッポノラ」が定價60圓となつてゐますが、値引き合戰が激しかつたやうですから、この金額で賣られたのかどうかわかりません。今週は古~いレコードに就いてです。

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2006年6月 2日 (金)

《アルチェステ》序曲

 1942(昭和17)年まで、殆どのナチスに関はりのある演奏會は全て斷り續けて來ましたが、いよいよ病欠も通用せず、4月19日、ヒトラー誕生日の前夜祭で〈第9〉を指揮する羽目になりました。そして、演奏直後、宣傳相ゲッベルスが舞臺に驅け寄つた爲、握手させられ、然もその映像が殘されてゐます。只、よく見るとその後、すぐに汚いものに触れたかのやうに手を拭ふ姿まで記録されてゐます。愛想笑ひの下で、どんなに嫌な氣分であつたことか、短い記録映像からもわかります。

 戰前、最後に維納フィルとブラームスの《ハイドン主題による變奏曲》を1943年に録音はしてゐますが、戰爭の激化による爲かSP盤として市販はされませんでした。それ故、前年10月28日に入れたグルックの歌劇《アルチェステ》序曲(Telefunken SK3266)が、戰前最後の録音となりました。この時は、10月25,26,27,28日と伯林フィルの演奏會でこの曲を取り上げてをり、最終日に録音されました。

 勿論、古樂器演奏などない時代ですから、通常の樂器により、大編成で典雅に演奏してゐます。現在のレパートリーには殆ど入らない曲ですが、獨逸の音樂を一人背負つたフルトヴェングラーとしては、ベートーヴェンの前にも立派な音樂家が居たことを示し、率先して紹介したかつたのではないでせうか。愛する祖國獨逸への忠誠心とでも云ふべき心情であつたのかも知れません。當時、獨逸へ殘つた人々に音樂による慰めをどれだけ與へたことでせう。生真面目に演奏する巨匠の姿が思ひ浮かびます。

 戰後の「非ナチ化裁判」で無罪になつたにも拘はらず、戰前戰中を通じてナチスの巧みな宣傳により、ナチス協力者の印象は未だに拭へず、現在でも、巨匠の作品を演奏しようとして抗議を受けることがあるのです。それに比べて、二度も黨員になつたカラヤンの何と世渡りの上手なことか。音樂一筋の不器用な巨匠の演奏は、心に訴へて來るものが、とても大きいと云はざるを得ません。

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2006年6月 1日 (木)

ブルックナーの7番 第2樂章

 ブルックナーの交響曲第7番ホ長調より〈アダージオ〉は、ワーグナーチューバの悲しげな和音で始まります。ゆったりとしたテムポで山を登るが如く上昇音形が續き、頂點を迎へ、また靜かに終はる、私の大好き曲です。初めてフルトヴェングラーのこのSP盤を蓄音機で聽いた時、クナッパーツブッシュの宇宙を感じさせる鼓動に慣れてゐた所爲か、クレッシェンドと共にアッチェルランドしてどんどん早くなる速度の揺れや、針の擦れる音が氣になり、樂しむどころか違和感一杯でした。こんなブルックナーもありか、程度の受け入れ難い解釈でした。

 1941(昭和16)年3月、墺地利のザンクト・アントンでスキーの際、フルトヴェングラーは大怪我をして、17箇所出血し、然も、右腕には神經障害が殘り、8箇月もの間治療とリハビリに専念せねばなりませんでした。墺地利の片田舎で寝てゐると、ラヂオ放送で自分のブルックナーの7番の放送されると聞いたフルトヴェングラーは、繃帶でぐるぐる巻きにも拘はらず、すぐさま、近隣の村々を訪ねて高感度のラヂオ受信機のある家を探しました。そして、普段はダンス音樂を流す店をやっと突き止め、有無を云はさずチャンネルを合はせ、聞き入つたのです。1939(昭和14)年に開發實用化された「マグネットフォン(磁氣テープ)」により、長時間録音が可能となつてゐました。

 演奏が始まると、このテムポでいい、ここはもう少し膨らました方がいい、この歌はせ方ぢゃ駄目だ。いちいち批判し乍ら、この戰時に次回は何時この曲が指揮できるであらう。もっと良い演奏ができるだらうか。色々と思索したに違ひありません。文句を言つてゐた、その場に居合はせた村の人たちも最後には涙を流し聞き入つたさうです。

 そして、指揮活動に復歸した翌年、1942(昭和17)年4月7日、伯林の舊フィルハーモニーホールで録音されました。凄まじいばかりの集中力と、獨逸音樂全てを背負い込んだやうな重い足取りで始まります。慟哭に溢れ、ナチス獨逸政権下の現状、そして將來への不安が如實に現れてゐて、聽く者の心を捉へて離しません。
 ブルックナーがこの2樂章を書き始めた頃、敬愛するワーグナーが危篤だとの知らせを受け、哀悼を込めて書かれたと云はれ、頂點を迎へる邊りで死去の知らせを受けました。それ故、死者の弔ひにも使はれるこの〈アダージオ〉は、皮肉な事にヒトラーが自殺をした1945(昭和20)年4月29日の放送で〈ジークフリートの葬送行進曲〉と共にずっと流されました。フルトヴェングラーは現状の獨逸を嘆き、元通りの獨逸復活を願つて演奏したことでせう。CD復刻版でも、もう聞き流すことのできない背景を知つてしまつた感じです。

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2006年5月31日 (水)

カヴァティーナ

 日本では「紀元2600年奉祝」と國を擧げて祝賀の雰圍氣に包まれた1940(昭和15)年に、東京オリムピックが開催される豫定でした。リヒャルト・シュトラウスの《紀元2600年祝典音樂》に代表される、大日本帝國依頼作品も發表されてをり、前年には、日獨親睦を兼ねて、伯林フィルが「ツェッペリン伯2世號」に乘つて、東京へ來る計畫すらありました。この邊りは 横田庄一郎著 『フルトヴェングラー幻の東京公演』 朔北社 に詳しく書かれてゐます。殘念乍ら戰爭の為、來日公演や五輪は延期されたのです。唯一、ヒトラーユーゲント青年團が來日した位ですが、それでも大歡迎されてゐます。

 この年から1942(昭和17)年までの間、唐突に獨逸の國策電器會社テレフンケンに3曲、フルトヴェングラーは録音をしてゐます。然も、今我々が聽くやうな十八番ではなく、〈カヴァティーナ〉〈アダージオ〉〈アルチェステ〉序曲と云ふ選曲が不思議でなりませんでした。これらの原盤は戰爭の混亂により原盤は失はれ、非常に貴重なSP盤です。40年の9月1日に、ナチス獨逸軍は波蘭(ポーランド)へ侵攻し、すぐに戰爭となつた爲、一部チェコでプレスされた以外、獨逸國外には出回らず、殘つてゐるのが奇跡とも云へるのです。

 1940年にフルトヴェングラーは伯林フィルの演奏會で3月17,18,19日と、このベートーヴェンの《絃樂四重奏曲第13番變ロ長調》より〈カヴァティーナ〉を取り上げてゐます。録音(Telefunken SK3104)は、40年10月15日に、伯林の舊フィルハーモニーホールで行はれました。此処は元スケート場の爲に建てられたものですが、音響の素晴らしさに定評がありました。今、聽しても奥行きのある非常に豐かな響きが感じられます。

 もし、此処で《エグモント》序曲とか、《マイスタージンガー》前奏曲等を吹き込んでゐたら、國策に則り「偉大な獨逸」の宣傳の爲に録音したと誰もが思つたことでせう。それで、フルトヴェングラーは一寸考へて、餘り有名でないけれども、獨逸人の持つ精神的氣高さを表す爲にこの曲を選んではないかと思ひます。滋味溢れる曲作りは、とかく重くなりがちは演奏に變化を與へてくれます。連戰連勝の行け行けの雰圍氣の中で、國威掲揚を強制されても、ひとり冷靜に立ち向かった、孤獨な指揮者の後ろ姿が垣間見えます。




フルトヴェングラー幻の東京公演


Book

フルトヴェングラー幻の東京公演


著者:横田 庄一郎

販売元:朔北社

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2006年5月30日 (火)

交響的協奏曲

 1937(昭和12)年10月26日、伯林フィルの演奏旅行の際に、ミュンヘンで初演された、フルトヴェングラー自作の《洋琴(ピアノ)と管絃樂の爲の交響的協奏曲 ロ短調》。ピアノはエドウィン・フィッシャーでした。1936(昭和11)~37年の秋冬の演奏會季節に、ヒトラーの許可を得て、作曲に勤しんだフルトヴェングラーは《提琴奏鳴曲(ソナタ)第1番 ニ短調》と共にこの《交響的協奏曲》を書き上げてゐます。

 ヒトラー政権下、どっぷり影響を受けざるを得ない中、必死に抵抗し、多くの猶太人を護つたにも拘はらず、海外から見ると事情が大きく異なりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の宣傳は巧妙を極め、まるでナチス獨逸の看板指揮者のやうに扱つて報道した爲、それを讀んだり聞いた諸外國から見ると、どうしてもナチスに協力してゐるやうにしか見えませんでした。

 1936年の2月27日にヴェネツィアから船に乘り、休暇を埃及(エジプト)で過ごしてゐたフルトヴェングラーの元に、紐育フィル監督就任要請が届きます。既に、「ヒンデミット事件」で無冠の巨匠は何も縛られるものがないので、快諾の旨を亞米利加に向け電報を打ちました。すると、亞米利加では「いよいよフルトヴェングラー」も獨逸を脱出して、ナチスに闘ふものと讃へられ、非常に好意的に受け止められました。

 併し、それを知つたゲーリングは本人の承諾なしにデマ情報を伯林から發して、獨逸國内に殘るやうにし向けたのです。それは、「伯林國立歌劇場監督に復歸」と云ふものでした。埃及でのんびりしてゐるフルトヴェングラーの元には何の知らせも届きません。亞米利加からは非難の嵐が巻き起こり、ナチス御用指揮者のレッテルが貼られ、フルトヴェングラーに確認の電報が寄せられますが、本人は何のことだかさっぱりわかりません。「伯林に復歸しない」と言つたところで、政府の大々的發表の影に隠れて真意が全く傳はりません。つひには紐育から辞退して欲しいとの知らせが届き、「政治的論爭に巻き込まれたくないので契約を延期」と打電します。すると「やっぱり、ナチスの御用指揮者」だと誤解を重ねるだけでした。遠く埃及に居た爲、正確な情報も傳はらず、ただただ、音樂に奉仕しただけなのに、それ以外のことに無頓着なフルトヴェングラー。今から見ると、時代に翻弄された姿が浮き彫りになりますが、本人の心痛はたいへんでしたでせう。

 その休暇の間に、この曲は書かれてゐます。全曲録音も少なく、ましてSP盤(Electrola DB4696/97S)では二樂章だけなのですが、フルトヴェングラーは此処で自らの苦惱を吐露し、結晶化させてゐます。録音は1939年4月25日、伯林のベートーヴェン・ホールです。悲痛な心の叫びだと思ふと聞き流せません。

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2006年5月29日 (月)

戰中のフルヴェン

Furt42 5月20日(土)にフルトヴェングラー・センターとの共催で「特別演奏會」を開きました。題して、『戰中のフルトヴェングラー』。
 巨匠のスタジオ正規録音は戰前に38曲、SP盤として發賣されましたが、特に1937(昭和12)年から1942(昭和18)年の間の9曲を選んで掛けました。この演奏會の模様は録音、録畫しましたので記録DVDとして後程頒布するつもりです。

 フルトヴェングラーのSP盤はレーベル違ひの重複はありますが、全部で130曲位は手元にあります。バラバラにして仕舞つてある爲、詳しくはわかりませんが横に並べると延べ1米位はあると思ひます。レコードは文化遺産であり、後世に是非傳へねばならないもと思つてをります。ですから、その途中一時期だけ、私の手元にあるものだと理解してゐます。だからこそ大事に扱ひたいのです。さうすると、貴重盤故ひとりで聽くのも勿體なくて、大勢集めて何か演奏會でも開かないと單にレコード傷附けるだけで終はる氣がします。

 特に、今回はフルトヴェングラー自身の作曲による《交響的協奏曲》の第2樂章(Electrola DB4696/97S)、戰中のテレフンケン録音の3曲も含まれてをり、これらは私の蒐集盤の中でも5本の指に入る貴重盤ばかりです。今週はこれらの曲のことを書きませう。

 以前は神保町の中古レコード屋位しか、SP盤を手に入れる場所はありませんでした。ところが、10年位前からインターネットを利用した海外の競賣や、通信販賣が氣輕に利用できるやうになり、思ひも寄らぬレコードが手に入るやうになりました。然も、國内市價の半分位ですので、利用しない手はありません。只、金錢的な問題で躊躇つたりすると、もう10年位はお目に掛からないことも多く、何処までにするかが問題です。そして、好きな曲ですと、どうしても幾度となく掛けるので、どうしても保存用に1組、普段用に1組、そして豫備に1組欲しくなるのは蒐集家の性と云へませう。

 それに、SP盤は割れ易いのが玉に傷。回轉臺(ターンテーブル)に置く時に手を滑らせて、蓄音機の縁に落としただけで、もうヒビが入ります。折角、苦勞して手に入れても、一度でおじゃんになることも珍しくありません。どうして、こんな手間も金も掛かるものを趣味にしてしまつたのだらうとその一瞬は思ふのですが、これも運命と諦めざるを得ません。

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2006年4月28日 (金)

歌口

5a4 HMV194型蓄音機の心臓部「サウンドボックス」は5Aと云ふ形式のものが附いてゐます。これが、また抜群に良い音がします。工業製品ではありますが、殆ど手作業で作られた時代ですから、個體差も結構あり、同じ型番でも鳴り方が違ひます。お陰様で私の愛器は分野を選ばず、伸び伸び再生してくれるので助かります。英國グラモフォン社の素晴らしいことは、同社のサウンドボックスなら型番が違つても取り替えて掛けられることです。それは、蓄音機とレコード棚も同じことで、どの形式の蓄音機でも、どの形式のレコード棚でも同じ鍵が附いてゐるので、主人鍵(マスターキー)のやうに1本で開けられのは實に便利です。これこそ、西洋合理的精神の賜物ですね。

Sdbox3 左から雲母板の4番、HMV194用の5A、そしてポータブル用の5Bです。5Aは193や201用の銀メッキもあり、逆に5Bにも金メッキのものも有ります。194に4番や5Bを装着することはありませんが、ポータブルの102に5Aを附けて聽くことはあります。5Bですと流行歌のやうな中音域が強調されてしまふのですが、5Aを装着したポータブルでもフル・オーケストラがガンガン鳴り響いて吃驚します。然も、音域の偏りがなく、滑らかでいい音になりますね。

5a_1 5Aの裏側です。筒に装着する方ですので、普通は見られない部分に5Aの文字が刻まれてゐます。サウンドボックス本體は鋳物ですから、結構な重さがあります。殘念なことに、こちらの表面にヒビが入つてゐますが、これは私の手に入る時からあつたものです。只の共鳴板を貼つただけのものの筈ですが、此処から素晴らしい音が發生すると思ふと不思議ですね。 

 

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2006年4月27日 (木)

卓上

 ベルランに在るやうな縦大型銘蓄音機は誰もが所有できた譯ではありません。考へてもみて下さい、現在、どれだけの人が高品位(ハイヴィジョン)、大型で然も薄いテレヴィジョン受像器で實際に見てゐることを。まだかなり少ないことでせう。蹴球(サッカー)世界杯(ワールドカップ)を見たいなあと思ひますが、そのお金があれば、どれだけSP盤が手に入るかを天秤に掛けると、そりゃあもう決まつてゐます。

 發賣當初、土地附きの家が買へる程だつたと云ふのですから、貴族か成金か、邸宅のホールで執事にゼンマイを巻かせて、こちら側の革張りの長椅子にでっぷり腰掛けて、あれを掛けろ、これを掛けろと指示したことでせう。かう云ふ人は何枚組にもなる交響曲は面倒だつたのか殆ど聽くことなく、ライブラリーを賑はす爲だけに買つた模様で、代替はりをして興味のない親族がどっと処分する爲、新品同様の極上の中古SP盤が我々の手元に流れて來ます。

78women 現在の人と同様、昔の人でも音樂を持ち歩くことはしたかったに違ひありません。それ故、持ち運びのできる蓄音機も作られました。大金持ちはピクニックにでも持つて行つて、流行曲でも掛けて、踊つたのかも知れません。これは昔の絵葉書の圖柄ですが、どうです?太股露はにしてニコやかな笑顔が、どうも音樂を聽かうと云ふよりも、別の目的があつたと思はれますね。

 久し振りの休みに、美人姉妹を誘つて、少し遠出をした。彼女の作ったサンドヰッチを頬張り、シャンパーニュで喉を潤した後、芝生の上で好きな音樂を聽き、皆ゆったりした氣分でくつろいでゐたのだつた。性格の違ふ姉妹の姉をお淑やかだが、何事にも積極的な妹は大膽にもスカートの前が無防備に見える。ふと妹と眼が合ふ。微笑み返す彼女の口元も可愛く、最新のパーマネント・ウエーヴも素敵だ。お嬢さん…

これぢゃ、晝メロの官能の世界へ突入しさうです。

Jgram もう一枚は日本の宣傳寫眞です。こちらはポータブルではなく、卓上型で、これから日本髪の女性が10吋盤を掛ける様子を描いてゐます。何とも時代を感じさせます。掛け軸が後ろに見えますから、客間でこれから皆さんに披露しやうとしてゐるのでせうか。土壁に疊、襖と障子では、どう考へても音が抜けてしまひ、臨場感は得られないでせうが、流行歌をバンバン掛けるのに、そんなことは氣にならなかつたでせう。この文机に載つた蓄音機はグーズネックが木製の本體に入り、モーターを避けてすぐ左側に開口部があり、蓋が開いてゐるのが見えます。上に出てゐた喇叭を収めただけの、元々大きな音が出る構造ではありませんが、6疊程度の部屋なら、十分鳴る筈です。
 藤山一郎の「東京ラプソディー」が鳴つてゐたのか、それとも四谷文子の「東京音頭」でせうか。失禮しました、東京とは限りませんね。私のカラオケ十八番「東京ラプソディー」を鼻歌で歌ってゐたら娘たちが「ミヤコー」と合ひの手を入れるやうになりました。ジャニーズさんの「タッキー&翼」や「カトゥーン」ばかりでなくて、昭和の歌にも親しんでくれるのは嬉しい限りです。こんな寫眞一枚でも色々想像できて樂しいものです。

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2006年4月26日 (水)

 この針罐に入つてゐるものは、殆どが鐵針です。HMVの犬印の中には竹針もありますが、極まれにしか見たことがありません。あったとしても、非常に高價な死藏品となり、氣輕に使ふ譯には參りません。

 竹針は柔らかいですから、12吋盤片面ぎりぎりと云ふ感じです。然も、戰後録音の巨大音が入つた管絃樂曲や交響曲では途中で摩耗してしまひ、最後まで再生せずに壊れたレコード状態に陥り、同じところをグルグル回るか、或ひはサウンドボックスの重みで突然止まつてしまひます。ですから、聲樂や器樂の獨奏に向いてゐます。響き渡るやうな音量はありませんので、近くで聽かざるを得ませんが、柔らかい音に仕上がります。クライスラーやカザルスの柔和な演奏にはぴったり嵌る感じですね。

Bamboo2 また、竹針は使つた後に先っぽだけ専用の鋏で切り落とすと、新しい鋭利な角が作られ、チビ助になるまで幾度でも使へます。一回しか使へない鐵針よりは効率がいいのですが、そもそも蓄音機に効率なんか求めても無意味な話しです。現在も細々とですが、作られてゐる爲、補充も簡單ですし、鋏で切る作業が何とも風雅な氣がします。見てゐる人が興味津々でグッと顔を近附けて來るのも、この瞬間です。「竹で音が出る?!」自分の耳で聽くまでは、皆さん信用してゐないのか、吃驚される方が多いですね。

 蓄音機好きな方が多く集まるのは嬉しいのですが、「そんなの、戰中の代用品ぢゃないの」とやや蔑んで言ふ方も居ります。「それならどうしてHMVでも發賣されたのでせうか」とこちらから尋ねると黙ります。これは音色を考へて試行錯誤の上に作り出された筈で、事實、HMVでは20世紀初頭から竹針も竹針カッターも發賣されました。確かに物資不足から戰中に陶針や硝子針も賣り出されましたが、それとは全く別ものです。

Hmvcut2 HMVの竹針カッターはいちいち、サウンドボックスから竹針を外さずに、装着したままカットしようと云ふ横着な發想を具體化したものです。ただ、主軸に引掛けて使ふので、殆ど使つたことはありません。

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2006年4月25日 (火)

Nnadeln HMVは圓盤蓄音機に犬なのですが、このニッパー印はかなり信用されて、賣れたことでせう。コロムビア社の八分音符よりも親しみがあり、一度見たら忘れない筈です。此処に掲げた針罐は色により針の太さが違ひます。赤はラウド・トーン、黄色はハーフ・トーンと書いてあります。
 そんな人氣に肖(あやか)らうとしたのか、他社でも類似品がたくさん作られました。特にそれは蓄音機の「針」に顕著に現れ、「針箱」に彩りを添へてゐます。

Dogbnadeln 獨逸のマーシャル(Marschall: 元帥)社が出した「犬と赤ん坊(Dog and Baby)」は、ただの模造品と思ふことなかれ、これでなかなか良い音がします。勿論、針のサイズもソフト、ミディアム、ラウド、エクストラ・ラウドと色々あり、ペガサス印よりは先が尖つてゐる爲か、鋭い再現力があります。當時の貴重な宣傳紙も手に入れましたが、誇らしげに工場から量産される様が描いてあります。こちらも色分けで針のサイズがわかるやうになつてゐて、緑罐、赤罐、碧罐とありました。帶が附いてゐるものは、まだ未開封です。開けると、黒紙に金字で1面に1本お使ひ下さいと書いてあります。

Ddnadeln 「犬と犬(Dog and Dog)」なんて云ふものもありますが、これにしても外見よりも音の良さに吃驚します。真面目に作った針なのは、蓋を開けただけでその輝きでわかりますね。國産のものは大抵錆びてしまつてますが、歐州の死藏品は綺麗に殘つてゐるもんです。著作権とは五月蠅くない、のどかな世界だつたのでせう。絵柄は、ほんたうにおふざけで作ったとしか思へないやうな代物ですが、少しでも犬印に肖りたいと云ふ氣持ちが現れてゐます。

Katzen 犬は使ひ果たしたのか、猫印もあります。矢張り前足を出して、針箱を押さへてゐる圖柄です。可愛くない猫なのですが、なんとも愛嬌があります。私はSP盤を再生する爲に、かう云ふ針を針罐ごと探すのですが、中には針罐だけを集める方もをり、さう云ふ人は中の針を捨ててしまふので困ります。それなら中身だけ譲つて欲しいものですが、蒐集家にまでそんな聲は届きません。

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2006年4月24日 (月)

主人の聲

 クラシック音樂の紹介ですと、ワーグナー、ブルックナー、マーラーばかり、著しく偏るので今週は久々に蓄音機のお話しを致しませう。

Edison ご存知の、ヴィクター(Victor。通常はビクター表記)社の犬印で有名なニッパー君ですが、英國生まれのフォックステリアの雑種でした。飼主のマーク・ヘンリー・バラウドが亡くなり、ニッパーを引き取つた弟が生前にヘンリーが吹き込んだ蝋管蓄音機を掛けたところ、元の主人の聲に氣附いたニッパーが不思議さうに耳を傾けてゐたのです。それをこの弟が1898(明治31)年絵にして、最初エヂソンの蝋管蓄音機會社へ賣り込みに行つたのですが、門前拂ひを食らひ、仕方なしに英國グラモフォン社へ持つて行つたところ、最新式の圓盤蓄音機に描き直せば買つてあげよう、と言はれて蝋管蓄音機の上に塗り直して完成させました。

 この弟君フランシス・パラウドは畫家でして、幾度もその後乞はれて描いてゐますが、最初のものはニッパーが矢鱈と蓄音機の喇叭に近過ぎて、不自然なのでわかります。1888(明治21)年に圓盤レコードを發明したエミール・ベルリナーが亞米利加でグラモフォン社を設立した時は、天使が羽根ペンでレコードの溝をなぞる「エンゼルマーク」を使ひ、これは現在でもEMIに受け繼がれてゐます。

 たまたま、英國グラモフォン社を訪れてゐたベルリナーは、この犬の絵を氣に入り亞米利加で犬と蓄音機の圖柄を1901(明治34)年登録商標しました。そして、この年に米國グラモフォン社からヴィクター・トーキングマシン社に變はつてゐます。1910(明治43)年に、英國グラモフォン社がHMV即ち「His Master's Voice」と云ふ文字の組み合はせと、文字列と犬の絵の組み合はせを商標登録し、SP盤や蓄音機に掲げられるやうになりました。
 併し、其の後、レコード會社と蓄音機製造會社はそれぞれ、吸収合併を繰り返して、現在、ニッパー印は英國ではHMVレコード店に、亞米利加ではRCA社、そして日本では日本ビクター社のトレードマークになつてゐます。

Kopf 犬印ができる前は、魂が吸い取られるとか、拒否反應を示してゐた音樂家たちもニッパーに親しみをもつたのか、安心して録音する人も増えたと云はれてゐます。レコードからCD、或ひはデジタル・オーディオに至るまで、ニッパーは影から音樂産業を見守つてくれてゐるのですね。 

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2006年3月10日 (金)

指揮者

Nikisch02 往年の指揮者も素敵な髭の方が大勢をります。録音の殘る古い方から順に擧げるとすれば、洪牙利(ハンガリー)出身のアルトゥール・ニキッシュ(1855-1922)が筆頭でせう。口髭に顎鬚が立派です。身のこなしが素敵で當時のアイドルのやうな存在でしたから、その視線に卒倒する女性も現れたとか。今で云ふとGacktのやうな存在でせうか。
 ニキッシュが鬼籍に入つた翌年から24年に掛けて、伯林に留學してゐた指揮者、近衛秀麿は著作『シェーネベルク日記』 1930(昭和5)年銀座第書院發行 の中で

 「又僕は音樂者達が故人ニキッシュを追賞して語り合ふのを聞く毎に多くの性行上の非難あるにも拘らず如何に彼が人間として愛すべき又魅力に富んだ人であつたかを想ひ浮べる。」

と述べ、女たらし振りを批判し乍らも、巧に管絃樂團をまとめた技倆の高さを褒め稱へてゐます。彼の指揮した録音は、マイクロフォンを使はない喇叭(ラッパ)吹き込みだけですが、幾枚か殘されてゐます。生憎、貴重盤ですので手元には〈運命〉第1樂章冒頭部分、1枚目のSP兩面盤(Monarch Record Gramophone 040784/85)しかありません。か細い音の中から、どうしてどうして、とても浪漫的な素敵な演奏が聽こえて來ます。

T1 そして次に擧げるとすれば、熱し易い性格で指導に力の入り過ぎるアルトゥーロ・トスカニーニ(1867-1957)でせうか。禿げ頭に口髭、それに蝶ネクタイがよく似合ひます。併し、眼光鋭く、偏屈親父の顔が出てゐますね。
 學生時代に初めて買つたSP盤が紐育フィルとトスカニーニのベートーヴェンの7番(Nippon Victor JD819/23)でした。自宅に所謂電蓄があり、33回轉、45回轉の他に78回轉のダイヤルがあつて、カートリッジが引繰り返へり、裏替へすとSP用の針がちゃんと附いてゐました。その78回轉はどんな音がするのか、子供乍らにずっと氣になつてゐて、是非聽いてみたいと思つてゐました。勿論、SP盤なんか既に無く、神保町へ探しに行きました。單純に速度ではカラヤンの方が速かつたのですが、ちゃんと音が刻まれてゐることに驚き、片面が短いものの生き生きとした音樂が聞こえ、SP盤の魅力にはまつてしまつたのです。

 さうして、大型蓄音機HMV194型を手に入れて最初に掛けたのも、トスカニーニのSP盤でした。それは、NBC響と1951年に入れた《ローエングリン》第1幕への前奏曲(HMV DB21574)でした。冒頭から絃樂器の弱音が續くこの曲は、卓上型のコロムビア蓄音機では雑音の方が多くて、全く樂しめませんでしたから、HMVの真價を問ふのに丁度良かつたのです。ワーグナーが天井の世界を描くのに、第1ヴァイオリンを分けて、極小の音を重ねて美しさを出した、その素晴らしい響きが再現されて鳴り渡り、大いに滿足しました。

 他には大醜聞を招いたストラヴンスキーの〈春の祭典〉初演をしたピエール・モントー(1875-1964)や、英國で幾つもの管絃樂團を設立した變人トーマス・ビーチャム(1879-1961)、瑞西(スイス)で活躍したエルネスト・アンセルメ(1883-1969)だとか居りますが、戰後はぐっと減つてしまひ、唯一思ひ浮かべるのは派手な衣裳と大きな黒縁眼鏡の山本直純(1932-2002)だけでせうか。彼は〈男はつらいよ〉や童謡〈一年生になつたら〉〈歌へバンバン〉〈こぶたぬきつねこ〉等、知らぬ間に耳に馴染んだ多くの名作も手掛けてゐました。

 かうしてみると、口髭や顎鬚の立派な人程、素晴らしい仕事をされてゐますね。私も負けてはゐられません。 

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2006年2月24日 (金)

ベルリナー

Berliner 「伯林風」「伯林仕立て」と云ふその名もずばり「ベルリナー(Berliner)」と云ふ菓子パンがあります。イースト菌で生地を醗酵させて揚げた丸いパンの中にジャムを入れ、粉糖を降つたものです。伯林では「ベルリナー」とは呼ばず、單にパンケーキ「ファンクーヘン(Pfannkuchen)」 と呼びます。ですから、ほんたうは「ベルリナー・ファンクーヘン」と呼ぶのが正しいのでせうが、地方では「ベルリナー」、伯林では「ファンクーヘン」と呼ぶものと推測されます。

 表面が雪のように真ッ白になつてゐますから、綺麗ですが、私は不得手です。外で食べると、口の周りが真ッ白になつてみっともなく、ベタベタ髭に附いて氣持ち惡いので、買つて歸へつて庖丁で4分割にして食べてゐました。ですから、今もハムブルガー(Hamburger)は恐ろしい食べ物です。口の周り、髭がケチャップで真ッ赤になつて「見たな~」なんて云ふことにならないやう、切つて貰ひ、バラバラにしてフォークで刺して食べます。

 西側のデパート「カー・デー・ヴェー(Kaufhaus des Westerns)」前のヴィッテンベルク・プラッツの驛舎はユーゲント・シュティル様式の素敵な建物ですが、その中央に立ち飲みカフェが在りました。人々はさう云ふところで謝肉祭の頃に「ベルリナー」を頬張るのです。私は、そこでよく行き交ふ人を見乍ら、珈琲とチョコレート入りのパンを上品に頂いたものです。

 それと、その廣場に在る立ち喰ひ処「イムビス(Imbiss)」のホットドッグは絶品でした。通常焼きソーセージ「ブラート・ヴルスト(Brat Wurst)」は太いフランクフルト・ソーセージに丸くて堅いパンだけですが、そこには亞米利加式のホットドックがありました。併し、味はひは獨逸風でこんがり外側の焼けた細長いパンに、玉葱の揚げたものが振り掛かつてゐて、そこに芥子「ゼンフ(Senf)」を掛けて貰ひ、貪り喰つたものです。口徑に無理がなく、殆ど髭を汚さずに濟んだのも嬉しかつたです。

 ですが、この「ベルリナー」はパン屋の端のテーブルだとか、この立ち飲みカフェ(Stehkafee)が基本で、カフェでは食べませんでしたね。ゆったり座るカフェには置いてなかったのかも知れません。

Berliner1 實は「ベルリナー」は人の名前でもあり、有名な人に圓盤蓄音機を發明したエミール・ベルリナーがゐます。この人のお陰でSP盤ができ、その應用でLP、そしてCD、DVDへと續く音盤の礎を作つた人なのです。「ベルリナー」を頂く度に、この圓盤蓄音機の發明者を思ひ出します。

Berliner2 このベルリナーの圓盤蓄音機を應用したものが、實驗用に學研から「大人の科學」シリーズで賣り出されてゐます。これは要らなくなつたCDに木綿針で記録し、再生するものですが、結構きちんと音が出るものなので吃驚します。



大人の科学 ベルリナー式円盤蓄音機


販売元:学研

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2006年2月17日 (金)

Brush

 LP盤を再生させるのに、レコードが塩化ビニールであつた爲、靜電氣が發生して埃を吸ひ取つてしまつたものです。それで、演奏途中にプチプチ雑音が入るのが堪らなく厭でした。SP盤であらうと、埃は禁物です。ましてや湿度の多い日本ではほったらかしにして置くと黴(カビ)だらけなんてことにもなりかねません。整理整頓はどこの世界でも必要ですね。

Brush 通常の埃はブラシがあれば十分です。回轉臺に置いてから、ササッと一回りすれば大抵の埃は取れてしまひます。左上の白いブラシは神保町の刷毛屋で見附けた「レコード専用ブラシ」で、これを専ら愛用してゐます。他は蒐集品のHMVのまたはヴィクターの犬として知られる「ニッパー」の繪が附いたものですが、裏の毛がもう殆ど殘つて居らず、ただ飾つてゐます。

 人間の耳と云ふものはよくできてゐて、雑音があつて當たり前の蓄音機では、氣に掛けなければ、氣にならなくなるものです。以前、SP盤をレーザーターンテーブルで再生する試みをしたことがありますが、高感度の補聽器があらゆる音を拾ふやうにして、ミクロ單位の埃も細かな音として再現してしまひ、とても音を樂しめませんでした。

 蓄音機の近くで聽けば、針が盤を擦る音も聞こえてしまふので、少し距離を置くと急に臨場感が出て來ます。HMV194のやうな大型蓄音機の場合、矢張りどうしても大きな空間が欲しいものです。その點、ベルランは天井も高く、奥行きもあり、天井は凹んで反響板の役目も果たしてゐますから、誰も居なければ最後列で一番響き、歐州の演奏會會場に居るやうな錯覺に陥ることすらあります。70~80年前のSP盤にどうしてそこまでの情報が入り、それをまたここまで忠實に再現できるものなのか。不思議でたまりませんが、それこそが蓄音機の魅力なのでせう。

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2006年2月16日 (木)

78 r.p.m.

Speed3 蓄音機のSP盤はスタンダード・プレイングまたはショート・プレイングの略で1分間に78回轉(revolution per minute)します。40代以上の皆さんがその昔、慣れ親しんだシングル・レコード(ドーナツ盤)は45回轉、LPは33と1/3回轉ですから、それに比べると凄く速く回ります。このLPが何の略だか、もうおわかりですね。スタンダードに對して長く掛けられるのが賣りで、ロング・プレイングと名附けられたのです。

 HMV194にはちゃんと速度を知らせる小窓が有り、大きく真ん中に「78」の數字が見えます。螺子(ネジ)を左に回せば「速く」、右へ回せば「遅く」調整ができます。長い間調整をしないと78を指してゐても、正しい回轉速度ではないこともあります。

Strobo そこで、この速度調整に用ゐられるのがストロボスコープ(回轉運動觀測器)です。ラッパーの兄ちゃんたちが、ウハウハと速度を變へるあのレコード・プレイヤーの回轉臺の側面に附いてゐる白黒のイボイボがそれですね。蓄音機であれば、ストロボスコープをレコードの代はりに置き、回してみて78回轉であれば、この白黒が一定して安定して見えます。速度が違ふと黒い模様がどんどん動いて行つてしまふのです。

 このストロボスコープはベルラン専用に複寫してロゴを入れたものですが、本來なら電球(東京なら50ヘルツ)を近附けて見られるやうになつてゐます。もともと、裏面には60ヘルツの白黒斑(まだら)模様が描かれてゐました。

 20世紀初頭、SP盤が作られ始めた頃は78回轉と決まつて居らず、80であつたりしたのです。1926年に録音されたメンゲルベルク指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管絃樂團によるマーラーの〈アダージェット〉(Columbia L1798)は「80回轉」です。正しい速度で聽くには、ストロボスコープが欠かせません。ところが、この抒情的な名曲は幾度も再販され、仕舞ひにはラベルから「80回轉」の文字も消えてしまひました。この一曲だけの爲に速度調整をするのが面倒ですし、多少遅くともゆったりと流れる曲調に變はりはなく、氣にしなくなつたのでせう。かく言ふ私も78回轉で聽いてゐるので、たまには本來の姿で聽かねばと思ふのでした。

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2006年2月15日 (水)

Needles

 サウンド・ボックスが心臓部であるとすれば、「レコード針」は背骨とも云ふべき大事な部分です。音溝の情報を正確に振動板に傳へる役目を果たします。單に溝にはまるのであれば、木綿針でも竹串でも音は出ますが、それではSP盤を傷めるばかりです。

Nadeln 私は戰前に作られ死藏(デッドストック)されてゐた鐵針を愛用してゐますが、様々な種類があります。これは靜岡に住む蒐集家が作つた「レコード針見本」です。上から、鐵針、竹針、サボテンの針、何度も使用可能な特殊な針が順に並んでゐます。
 鐵針ひとつ取つてみても、超弱音、弱音、中音、強音、最強音と5種類も太さに違ひがあります。これは勿論、音の大きさにそのまま比例して、小さな音からとてつもない大きな音まで調整できます。「何だ、ヴォリュームで調整すればいいぢゃん」なんてことは言はないで下さいね。電氣を使はず、動力にゼンマイだけの蓄音機にヴォリューム調整ボタンや摘み何てものはありません。

 音の強弱は針が決めるのです。この曲にはこの針、あの曲にはあの針と選ぶ樂しさもあります。鐵針よりも柔らかい音色が好みでしたら「竹針」を、小さな音で繊細に聽きたいのであれば「サボテンの針」がいい譯です。それぞれ専用のカッターがあり、それを利用して一回毎に切つて鋭い先ッぽにして利用します。言ひ忘れましたが、一面掛けるだけで先が削れてしまひ、もうそれで終はりです。鐵針なら一回こっきりの使ひ捨てですから、随分と贅澤なものです。

 何度も針を替へる煩はしさから解放すべく開發されたのがメッキを施した鐵針です。一曲毎に毎回替へてゐては、熱く燃え上がる筈のダンスも興醒めでせう。真鍮メッキなら10回、生産會社により軸に色を附けてゐるものもあります。ですが、實際に10回も使用したら、盤が傷んでしまひます。針が削られるだけでなく、レコード盤も削りますので、何度も繰り返し聞けば雑音が増えて來て、仕舞ひには盤が白っぽくなつて、使ひものにならなくなります。もう終はりです。
 そしてLPのやうな細い溝を持つSP盤ができると、片面長時間再生せねばならず、従來の針では最後まで行けません。そこで先端に極細のタングステンを使用した針も出て來たのです。

 消耗品の針は現在、日本でも英國でも極少量ですが生産されてゐるので心配はありませんが、自分の好みの音を出す針は昔のものに勝るものはありません。新しければよいが通用しないのが、この針の世界なのですね。 

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2006年2月14日 (火)

Sound Box

5a3 レコードに刻まれた音溝を針がなぞり、その振幅をジュラルミン製の振動板に傳へると音が出ます。これが蓄音機の基本構造で實に單純ですが、心に響く温かい音がするから不思議です。


Sdbx 針を支へ、振動板とその枠の部分が心臓部に當たり、これを「サウンド・ボックス」と申します。電氣録音以前は、振動板が雲母板(マイカ)で大音響は無理でした。各社それぞれ工夫を凝らし、特許を取得して、我社が一番だと競ひ合つたものです。骨董市で見附けた二束三文のぼろぼろ蓄音機に、もしも素晴らしいサウンド・ボックスが装着できれば(大抵口徑が違ふ爲合ひません)、それだけで夢見心地となることでせう。

Expart アクースティックな蓄音機の最高峰とも呼ばれる、ホーンの口徑が75糎にもなる巨大且つ偉容を誇るEMジン社の蓄音機の爲に開發された、エクスパート社のサウンドボックスは全く違ふ構造をしてゐます。アルミニウムの振動板を真鍮の重たい枠が支へ、竹針を使ひ、とても素晴らしい再現力があり、これはこれでHMVとは全く違ふ別世界へと扉を開いてくれます。

5a6 このサウンド・ボックスを替へることにより同じ曲を掛けても、全く違ふ印象を受けます。英國グラモフォン社のサウンド・ボックスは規格統一され同軸のアームに取り附けられますので、この金メッキの5Aだけでなく、雲母板の4番や、携帶用蓄音機HMV102用に開發された5Bでも聽くことができます。4番は歌や提琴に向く反面、管絃樂では威力が發揮できません。5Bですと、中音域がガンガンと鳴りすぎる爲、クラシックよりは流行歌或ひはジャズ向きな氣がします。併し、5Aは元々この蓄音機の爲に開發されただけあつて、曲を選ばず、伸びやかに隅々まで再現してくれる優れものです。

 良い音を求めやうとする人間の飽くなき挑戰は、音色の再現にも氣を使ひ、然もSP盤をできるだけ傷めない針の開發を即したのでした。明日は針のお話しです。

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2006年2月13日 (月)

HMV 194

Hmv1941 私の自慢の蓄音機、英國グラモフォン社製のHMV194型は、この上に202,203と云ふ更に大きな型もありますが、最高級品として知られ、1930年當時、輸入はされてゐませんが土地附の家が買へると云はれた程です。勿論、ゼンマイ式で電氣は一切使つてゐません。

 皆さんが思ひ描く蓄音機は喇叭が上に飛び出たものですが、これは桃花心木(マホガニー)の木目も美しい箱の中に音が自然と廣がり増幅するやうにエクスポーネンシャル・リエントラント・ホーンと呼ばれる筒が折り曲げて入つてゐて、演奏會場のやうな豐かな臨場感を與へてくれるのです。

Inseide 先に開發した米國のヴィクター社は木製ホーンを採用したのに對して、こちらは亞鉛合金ですから、再現音の赴きが違ひます。ヴィクター社の最高級蓄音機「クレデンザ」は聲樂に、グラモフォン社のHMVは器樂に向くと云はれますが、これは好みの問題で得意技の違ふ兩横綱の觀があります。

 初めてこの蓄音機に出會つたのは1994年頃でした。高いと評判の銀座に在る蓄音機専門店で聞かせて頂いた時は、「何時かは」と云ふ單に夢の一部でした。それから1年位たちその店から「競賣」の案内が届くとこの194が出てゐるではありませんか。これを見たら、もう居ても立つてもゐられなくなり、急いで飛んで行くと、型録に出てゐたものは猫足の特殊なもので鳴り方も全然違ひました。最低落札價格は通常のものの半分位でしたが、どうしても音が氣に入りません。そこで以前聞かせて頂いたものをもう一度じっくり聽かせて貰ひました。
 「あッ、これだ!」最初の音の出だしから臨場感が全く違ひます。後で知るのですが、針の振動を音に變へるサウンド・ボックスに因る違ひも大でした。

 其の晩、家に歸へると真先にかみさんに預金通帳を見せて、買つたとしても明日からお茶漬けやカップラーメンの極貧生活にはならないことを証明し、こんこんと蓄音機の素晴らしさを説明したのです。蓄音機の話しになると「結婚前から目を輝かしてゐたから」と反對することなく、實にすんなり承諾してくれました。「反對しても、後でこっそり買はれるよりはいい」と後で言つてゐましたが、この時ばかりはかみさんが觀音様に見えたものです。當時、コロムビアの卓上機がありましたが、良いものを聞いてしまふと駄目ですね。

 翌日、滿面笑みを浮かべ云百萬圓もするにも拘はらず、聲を上擦らせ乍ら「これ下さい」。自動車一臺と同じやうな金額ですが、「大勢で樂しむことができるのだから」と言ひ譯がましく、心に言ひ聞かせても居ました。そして95年の6月にベルランにやって來たのです。
 兎に角、嬉しくて嬉しくて、既に50枚位はあつたSP盤を次から次へと休憩時間にずっと掛け鳴らし、休みの日はかみさんを誘つてわざわざ店に出て來て聞かせまくり、來る人來る人に自慢したものです。これだけ良い機械があると、自ずと良いSP盤も欲しくなり、蒐集のド壺にはまつて行くのでした。

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2006年2月10日 (金)

愛の二重唱

 ワーグナーの樂劇《トリスタンとイゾルデ》と云へば、誰もが〈第1幕への前奏曲〉と終曲〈愛の死〉だけを真先に思ひ浮かべることでせう。併し、2幕にもイゾルデとトリスタンが、コーウォール城の庭内、漆黒の闇の中で愛欲に耽溺して、陶酔の世界を歌ふ〈愛の二重唱〉も名曲です。誤つて媚藥を飲み交わして戀の炎に火が附いたとは云へ、許されざる王妃イゾルデと王の甥トリスタンは密會を重ね、晝の光を呪ひ闇の中でしか愛し合へない二人の嘆きは極限に達して行くのです。

 日本人は儒教的な考へが身に附いてゐるからか、君主の奥方と寝るなんて不謹慎極まりないと思ふのですが、この中世から傳はる物語は、日本の「安珍と清姫」或ひは「道成寺」位(今の若い人は知らないか)歐州では親しまれてゐるものです。同じ悲劇とは云へ、清姫は大蛇になつて鐘に隠れた安珍を焼き殺してしまふのですから、相思相愛、濃厚熱烈なケルト人と一目惚れされて甚だ迷惑な僧とはだいぶ違ひますね。

 伊太利歌劇のやうなアリアと違ひ、途切れることなく半音階が果てしなく續くワーグナーの《トリスタン》でも、この〈愛の二重唱〉だけよく單獨で取り上げられます。 Flag1古い音盤としては、紐育のメトで一時代を築いた諾威(ノルウェー)のキルステン・フラグスタート(1895-1962)と丁抹(デンマーク)出身のラウリッツ・メルヒオール(1890-1973)の組み合はせ、エドウィン・マッカーサー指揮、桑港(サン・フランシスコ)歌劇場管絃樂團のSP盤(Victor15838/39)がアルバムとして殘されてゐます。因みにCDの時代になつても、シングルに對して幾つか曲を集めたものをアルバムと言ひますが、SP盤は見ての通りの分厚いアルバムですから、これが語源なのでせう。

Flag2 1939年録音のこのアルバムには他に〈愛の死〉と樂劇《神々の黄昏》より〈ブリュンヒルデの自己犠牲〉も入つたフラグスタート好きにはたまらない組み合はせです。52年のフルトヴェングラーとフィルハーモニア管絃樂團との《トリスタン》、57年にクナパーツブッシュが維納フィルとデッカに入れた樂劇《ワルキューレ》1幕だとかで、慣れ親しんだ神々しいばかりのフラグスタートの力強く、高貴で、透明感のある表現力が大好きです。多くが戰後の録音なのに對して、これは戰前の若々しく張りのある聲ですから、尚更素敵です。どう考へても媚藥の所爲だらう巨漢の醜女(しこめ)から、ブリトニー・スピアースのやうな愛姫に印象が變はります。


Flag3 33年にバイロイト音樂祭に出演してから、國際的な活躍を手に入れたフラグスタートの全盛期の歌唱が大迫力で迫つて來ます。ヴィクター社自慢の赤盤とは云へ、伴奏は芳しくなくて盛り上がりに欠けますが、フラグスタートとメルヒオールの切なく甘い二重唱が大いに盛り上げてくれるのです。


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2006年2月 9日 (木)

トリスタンのSP全曲盤

Elmendorf_1 今週はアバドの《トリスタンとイゾルデ》で始まりましたから、そのまま、《トリスタン》全曲盤のお話しです。手元には1928年のバイロイト音樂祭實況録音、カール・エルメンドルフ指揮、バイロイト祝祭管絃樂團の《トリスタン》第2幕のSP盤(Columbia L2194/2202)があります。一部省略はあるものの、世界初の《トリスタン》全曲盤でアルバム3冊、SP盤20枚にもなる代物です(CDなら4枚)。私の蒐集品はその内Volume 2のアルバム(2幕)だけですが9枚もあり、LPの比ではなく、とても重たいものです。

Talbum1_1 重たいと云へば、51年に戰後復歸したばかりのバイロイトでカラヤンが《マイスタージンガー》を録音してゐます。このモノラル録音はLP盤だけでなく、SP盤(Columbia LX1465/98, LX8851/84)でも發賣されました。總數68枚にもなり、超弩級の飛んでもない、一曲としては世界最多のアルバムとしてギネスブックものでせう。こんな場所を取るSP盤を蒐集品に加へたくはありませんが、是非一度手に取つて見てみたいものです。
 この年、バイロイトで録音された中で今も賣られてゐるのが、開幕を飾つたフルトヴェングラー指揮のベートーヴェンの第9〈合唱附〉でした。レコード製作者(プロデューサー)、ウォルター・レッグとしては、樂劇の方に力を入れてゐた爲、ほんのオマケ程度にしか考へてゐなかつた、この第9録音の方が賣れたのは皮肉なものです。

Trist3_1 28年の《トリスタン》第2幕は全9枚のSP盤の内、第1面にアーネスト・ニューマンに因る示導動機(ライトモチーフ)の説明が入り、殘りの17面を使つてゐます。生憎、この面は亞米利加の蒐集家から取り寄せた時にヒビが入つてゐました。これで、レコードとしての價値は殆ど無いにも等しいものとなりましたが、まだ本編が聽けるだけましで、善しとしてゐます。SP盤は天然素材シェラックでできて居り、非常に割れ易く、どんなに氣を附けてゐても、ほんの彈みで割れてしまつたりするのは日常茶飯事です。最近は慣れてしまひ、諦めもよくなりました。

 さて、52年のフルトヴェングラー、フィルハーモニア管絃樂團、66年のベーム、バイロイト祝祭管絃樂團(實況録音)、80,81年のクライバー、ドレスデン國立歌劇場管絃樂團と、名うての名演奏に親しんで來た耳には、歌ひ方も古めかしく凡庸な演奏に聞こえますが、當時37歳、若きエルメンドルフの意氣込みだけは直接傳はつて來ます。ましてや、凡そ80年も前の臨場感や雰圍氣までSP盤に閉じ込められて、音の廣がりだとか、未だ實際行つたこともない「バイロイト音樂祭」での公演の様子が目に浮かぶやうです。

 1925年にラヂオ技術を生かした、マイクロフォンによる電氣録音が開始され、3年後の28年、この初期實況録音には困難も伴つたことでせう。老練指揮者が厭がりエルメンドルフに白羽の矢が立てられたものだと推測されます。ましてやまだ、ワーグナー未亡人、コージマ・ワーグナーも健在で、人の良ささうな息子ジークフリートと共にバイロイト音樂祭を切り盛りしてゐた時代なのです。さう考へるだけでも、ワクワクして來ます。CD復刻の古色蒼然とした記録ではなく、生きた音が此処にはあります。

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2006年2月 3日 (金)

ジネット・ヌヴー

Neveu7 偉大な女流提琴家(ヴァイオリニスト)は澤山居りますが、燦然と輝くのはジネット・ヌヴー只一人でせう。若くして飛行機事故で亡くなつた爲、録音數も少なく、薄幸の印象があります。ヴィニャフスキイ・コンクールでオイストラフを抑へて優勝した、彼女の演奏スタイルは確かな技術に裏打ちされた力強さと、繊細さを併せもち、奥深い表現力があります。提琴家の中では一番好きなヌヴーですから、SP盤蒐集にも力が入ります。活動時期が戰前、戰後の數年だけで、一部のライヴとSP盤が殘されてゐるだけなのです。

 彼女の代表的SP盤はフィルハーモニア管絃樂團と入れた、ブラームス(HMV DB6415/19)とシベリウス(HMV DB6244/47)の〈提琴協奏曲〉ですが、録音レベルギリギリなのか、フォルテッシモだと割れてしまふ盤ばかりです。かなり出回つてゐるにも拘はらず、綺麗な盤はなかなか見當たりません。片面5分程度で引繰り返すのが億劫でなければ、復刻CDやLPとは違ふ豐かな音量が樂しめることでせう。

 そして、明日の「蓄音機の會」で掛けるリヒャルト・シュトラウスの〈奏鳴曲(ソナタ)〉HMV DB4663/66となると、戰前の1939年伯林録音だけに、競賣目録でも全然見掛けません。ラヴェルの〈ツィガーヌ〉HMV DB6907/08Aと並んで所謂珍品の部類に入るでせう。復刻CDで聽いても、その確かな足取りと、旋律の歌ひ方が心の奥底にまで訴へて來て、とても國家社會主義勞働黨(ナチス)支配下、伯林での録音だと思ひも寄りません。政治體制に関係なく、素晴らしい録音は殘るものなのですね。自分のSP盤とは云へ、まだ針を落としたことがないので、樂しみです。

 2006年2月4日(土)15時より 「蓄音機の會」 提琴特輯Ⅳ
 ジネット・ヌヴー
 要豫約 會費2,000圓(グラスワイン1杯、おつまみ附)

HMVに幾つか復刻CDとライヴCDが出てゐます。

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