2013年7月30日 (火)

近江牛

Nakagawa すきや連で彦根へ行つた。まづ、近江牛を育てる中川畜産さんを訪ねる。
 清潔な牛舎に300頭は飼つてをり、繁殖から一環して生産してゐるが、牛たちは大人しく、人なつっこく、性格が優しいことが分かる。大事にされてゐるのだ。主に地元の藁をはんで育ち、こちらで生まれ育つた月齢36箇月と云ふのを夜頂くこととなつた。近江牛の脂はあっさちしてゐるので、幾らでも食べられるとのこと。樂しみだ。


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2013年2月26日 (火)

食味研修會

Nec_1497 先週、レス協の調理師・マネージャーセミナー後、弊社すき燒今朝で食味研修會が開かれた。地方の名店の皆樣が來られると思ふと献立作りから緊張した。普段通りと云ふ譯にもゆかず、月齢の行った松阪牛を仕入れ、新涼造りには煎り酒をタレとし、前菜には東京の地物を使ふ努力をした。
 穴子八幡燒、東京獨活と舌切(青柳)の酢味噌和へ、蛸、一品料理には千本(牛筋)の煮込みに亀戸大根と芯取菜を出したところ、とても好評であつた。
 そして、鶴心さんをご紹介したく、那須與一一曲を餘興に語つて貰ひ、皆さんにはお滿足頂けたやうすで助かった。

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2011年12月 2日 (金)

原木椎茸

201111241434000120111124143500002011112414350001 下仁田葱、蒟蒻と來れば群馬の名産は椎茸となる。松浦しいたけ園では原木に拘り、クヌギのほだ木に穴を空けて、其処に菌床を打つて栽培する原木椎茸だけを栽培。原木に菌が蔓延し、実際に椎茸が発生するのは1年半くらい掛かるらしい。最後にほだ木を水に一昼夜浸してから水を抜き、それを立てて行く。外で自然の雨と湿度で育てるのは露地もの、通常は適度に明るい屋内となる。刺戟を與へると椎茸はぐんぐんと伸びるが、出て來るのは花の部分に當たり、茎も根もほだ木の中に廣がつてゐる。實際菌糸なので見えないが…。
 菌床の杭の部分からは生えず、必ず違ふ場所からニョキニョキと生える。色白なのは身が詰まつてよいもの。肉厚で素晴らしい。


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2011年12月 1日 (木)

白瀧

201111241432000120111124143300002011112414340000 蒟蒻が蒟蒻芋から出來るのは知つてゐるが、實際に白瀧が出來るところを初めて觀た。小金澤下仁田蒟蒻をお邪魔して、すり潰した芋に水を加えて練り乍ら火入れをし、或る頃合ひで石灰水を入れて半凝固させる。それを別の機械に入れて、細長くして88度のお湯の中に流し入れて行くと白瀧が完成。最初は細いのが段々饂飩のやうになるのは、水分含有量の違ひで、時間が經つと同じ太さになると云ふ。出來たては饂飩のやうにツルツルして柔らかく甘くて美味い。
 隣ではバットに入れた蒟蒻に火入れして固めてゐた。これはセブンイレブンのお辨當に入るとのこと。これもプリプリして柔らかく、石灰臭くなくて美味い。臭いがなく、味浸みがよく、煮ても小さくならないのが最高だと云ふ。それには生芋から作るのが一番。この昭和初期に開發された「バタ練製法」は、手間も掛かり、殆ど絶滅した製法だが、芋粉よりも數段美味い。貴重な味はひであつた。

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2011年11月30日 (水)

下仁田葱

20111124143100012011112414320000 全國のすき燒屋とすき燒大好きな人のための「すきや連」で食材産地見學會で群馬を訪ねた。輕井澤の手前、山を越したこちら側が下仁田。街の回りの畑は粘土質で硬いが、丘の上は柔らかく栽培し易い。下仁田ファームさんの畑を歩く。下仁田葱は真ん中の芯の部分が柔らかく甘くて旨いが、畑を見るのは初めて。芽の段階で冬を越し、丁度13箇月目となり、これから霜が降りて葉が少し枯れた12月に出荷すると云ふ。枯れた榮養素は皆茎の部分へ下がるので、立てて保存すればよいとのこと。既にLLサイズとなつてゐる。

 生で囓(カジ)ると最初甘味がじんわり口に廣がるが、後から辛味がぐっと來る。


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2010年3月18日 (木)

玉子の話

 すきや連では、富山の鶏卵業者、セイ アグリーシステムの伊勢社長の講演もあった。我々一般消費者が玉子について、いかに間違った情報に踊らされているか知ることとなった。

 1. 有精卵というのはただのブランドであって「受精卵ではない」。
  だから、温めても雛にならない!

 2. 放し飼いは決して自然ではない。
  草木も生えない、蟲もゐないところは自然ではない。

 3. 赤玉は白玉と栄養価に差はない。
  どうも騙されてゐた。

 4. 玉子の賞味期限、保管温度は意味がない。
  サルモネラ菌が繁殖しない内に食へ!但し、サルモネラ菌に汚染していない健康な玉子には関係がない。

 5. 自家配合飼料が安全という保証はない。
  誰も檢査してゐないのでわからない。

 6. 放し飼いはストレスが高く、喧嘩やストレスが絶えない。
  本來の廣さを確保できない上、交尾により鶏は病氣になり易い。

 7. ケージ飼いがすべていけないのではなく、規模が問題。
  窓もない超巨大な鶏舎では機械のやうに扱はれてゐる。

 8. 健康な玉子は洗う必要がない。
  サルモネラ菌の汚染が心配なので、さう吹聽してゐるに過ぎない。

 9. 本来バランス栄養食の玉子なのに、成分を強調している特殊玉子は意味がないどころか、食べ過ぎると弊害が出る。

10. 植物飼料だけだから安全なわけではない。
  必須アミノ酸はどこから摂るのか。

 HPにも書かれてゐるが、餘りに身近な玉子を全然知らかなつた。何年も玉子の値段が變はらないのは、安い飼料で効率よく、窓もない大型鶏舎で數萬羽も飼つてゐるのであつて、本來の玉子の味がする譯がないと云ふ。
玉子を使ふすき燒屋だけでなく、消費者も賢くならないといけないだらう。お土産に頂いた玉子を翌朝、玉子掛けご飯にして頂いたところ、確かに殻が厚く、割ると黄身の盛り上がりが違ふ。食べてみると、案外あっさりして、いけるのだ。これは文句なしに美味い。

 さて、鶏卵は何故か、料理に使ふ時は「玉子」と表記する。他の卵にはまづこの字は使はない。聞くところに依ると、大和言葉で形が球状なので「玉の子」から「玉子」となり、江戸時代に紐を通した玉飾りの玉を呼んだのが始まりだとか。

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2009年2月25日 (水)

お届け物

Gorgon 2月25日(水)の今日から日曜日まで、赤坂のホテル・ニューオータニ 庭塔(ガーデンタワー)40階に在る伊太利料理「ベル・ヴュー」ではピエモンテからシェフを招き、特別料理を出してゐます。
 ヴィラ・クレスピのアントニーノ・カナヴァッチュオーロとホテル所有者の息子エツィオは知り合ひで、わざわざ「ゴルゴンゾーラ」を持って來てくれました。と言つても私が取りにホテルまで伺ひました。

 シェフのトニーは所有者の娘婿なのですが、伊太利語しかできず、準備の爲忙しくて、英語の解るエツィオと珈琲を飲み乍ら雑談。もう既に400名もの豫約が入つてゐる位の大人氣ださうで羨ましい限りです。折角來たのに天氣がよくないとか、六本木で朝まで飲んだとか、最近の景氣だとか。返禮として、こちらからは荷物が嵩張らないやうに箱詰めの煎餅詰め合はせや日本のワイン、それにお母さんの好きな煎茶のティーバックを。
 「伊太利でお待ちしてゐます」と嬉しい言葉でしたが、何時になつたら行けるのやら。

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2009年2月12日 (木)

すきや連

 火曜日の第一回《すきや連》は無事終了。北は仙臺、米澤から、西は神戸のすき燒屋11軒の主人、山梨の葡萄酒醸造所ご主人や廣嶋の牡蠣や海苔業者まで、総勢50名きっかり!集まり大賑はひでした。

 出迎へる主人として正装しましたが、立ったり座ったり、ワインを注ぎ、料理を運び、説明をし、名刺を交換したり、忙しいことこの上なく、膝が痛い。説明不足の點やら、反省點も多々ありましたが、兎に角終はつてよかつたです。京樂師匠、《ちんや》のご主人、向笠千惠子さん(食品記者)、受附を手傳つてくれた裏方を始め、從業員一同の見事な働きにより無事に濟み、關係者皆樣にこの場を借りて御禮申し上ます。

 戰前には「今」の附くすき燒屋の集まりがあつたと聞きますが、それ以來の同業者の集まりかも知れません。向笠さん曰く「すきに燒くのが〈すき燒〉」ださうですから、各店違ふやり方でも、同じすき燒屋同士、よい點は見習ひ、切磋琢磨できれば嬉しいです。

 次回は七夕に合はせて、淺草の《今半》さんだと云ふので麻の着物にするか、背廣にするか、迷ひます。
 

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2009年2月 9日 (月)

もう安全?

 辰巳芳子著 『食の位置』 東京書籍 に紹介されてゐた福岡伸一著 『もう牛を食べても安全か』 文春新書を讀む。日本では住民の安全を第一に、牛肉の全頭檢査をしてゐますが、狂牛病がBSEに、亞米利加産牛肉輸入に對する檢査の緩和等、政治的壓力により方針が變はり、食の安全が脅かされてゐます。

 効率ばかりを求めた爲、肥育する速度を早め、主格量を増やした結果、別のところにエネルギーが使はれ平衡が亂れ、それが結局何か突然違つた形で噴出して、大きなしっぺ返しを食らふことになる…。蛋白質を摂らない限り命を保てない我々は食べることで環境に繋がつてをり、地球と云ふ閉じた世界の循環の一部であることを知ると、無駄も省け、無理のない生活ができるのかも知れません。

 豐かになつた日本はどれだけ、ゴミを出してゐるのでせうか。コンビニで破棄されるお辨當の數を考へると、大きな無駄だと思ひます。

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著者:福岡 伸一

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2008年11月14日 (金)

日本初の機内食

Zepm2 1929(昭和4)年8月に世界一周の途中、獨逸から西比利亞(シベリア)上空を通り一ッ飛び、三日でやって來たLZ127「ツェッペリン伯號」。まだ、飛行機は航續距離が短く、日歐航路が開拓される前の冒險飛行でありました。
 次の寄港地羅府(ロス・アンゼルス)に向けて飛び立つ際に、帝國ホテルで調整された食事が罐詰めにされて積み込まれました。その初日の晝食オリヂナル献立表を落手。多色刷りの木版畫が浮世繪のやうでもあり、下にライト設計の帝國ホテル、そして富士山に飛行船の描かれた優雅な圖柄です。當時の新聞から献立内容は「けふのお晝はすき焼」と知つてをり、以前撮影用に料理を再現したこともあります。

 が現物を見たら、新聞記事と違ふ點を幾つか發見したので、また再現のやり直しです。考へやうによつては、お客さんをお呼びしての企劃「再現料理食味會」がまた實現できさうです。以前、ベルランに村上信夫帝國ホテル顧問(故人)をお招きして色々お尋ねしたのが懐かしい思ひ出です。帝國ホテルには六日目の豫備日の献立表しか殘つてをらず、戰後内容は確認したのはたぶん自分が最初でせう。一寸自慢!ツェッペリンの飛行船は生涯研究と勝手に位置附けて、料理再現を多く手掛けましたが、弊社で「すき焼」ができるのは嬉しい限りです。

 ※飛行船は船ですから、本來なら「船内食」とすべきところですが、これだと海上だと思はれる爲、初の空の上の食事と云ふ意味だと思つてくださいね。

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