2014年6月10日 (火)

 このシーズン最後のオペラ公演はリヒャルト・シュトラウスの《アラベッラ》。
 緻密で濃厚な音の塊に煌びやかさが加はつたシュトラウスらしい、親しみ易い内容で、ホフマンスタールとの最後の共同作業作品。近年レパートリー化してきた。但し、《薔薇の騎士》のやうな豪華さや可憐さがなく、音樂的にも素晴らしいアリアがあるでなし、よくできてゐるが耳に殘らない。

 2010年に初演した時と同じフィリップ・アルローの演出は曲線と青を全面に押し出し、陳腐な森英恵の衣装が全くウィーンを感じさせないのが今更乍ら殘念。

 その上、小粒な歌手たちのアンサンブルはオケの大音響に負けがちの中、マンドリカ役のヴォルフガング・コッホだけが堂々とした低音を響かせてゐた。

|

2014年6月 9日 (月)

ヴェリズモ

 新國の歌劇季節も六月で終はり、七、八月はお休みとなる。新演出の《カヴァレリア・ルスティカーナ》と《道化師》はシチリアに在る古代羅馬の圓形劇場遺跡にしてあるので、街並みはないが、何とも南伊太利の風情があつてよい。

|

2014年4月10日 (木)

GOLD

Photo 東京・春・音樂祭の最も脚光を浴てゐるワーグナーの樂劇《ラインの黄金》、演奏會形式を聽いた。

 今回、N響を振るマレク・ヤノフスキはワーグナーで定評があり、演奏會形式にすることにより、ワーグナーチューバのやうな特殊樂器の他、ハープ6臺、舞臺袖に1臺、18臺の鐵床など、作曲者が求めた条件に限りなく近附くことができ、その上、妙ちくりんな演出に惑はされることなく、純粋に音樂だけを樂しむことができて、とてもよかった。

 特にアルベリヒ役のトマス・コニエチュニーが絶好調で愛を捨て、指環に呪ひを掛ける小人をよく演じてゐた。そして、ローゲ役のアーノルド・ベズイエンも智惠の火の半神を輕快に歌ひ上げ、そして、ヴォータン役のエギルス・シリンスも神々の長としての威嚴と迷ひをよく出してゐた。

 かうしてワーグナーの音樂に浸り、歌に集中できるのはとてもいい。東京文化の三階中央最前列の爲、音の響きもよく、舞臺や字幕もよく見え、堪能できた。

|

2014年4月 3日 (木)

死の都

 新國立劇場の新演出、コルンゴールトの歌劇《死の都》を觀た。今ではすっかり忘れ去られてゐるコルンゴールトだが、神童と呼ばれ、戰前にハリウッドでも活躍してオスカーも得てゐる。その彼の21歳の時の作品。

 死んだ妻が忘れられず、その思ひ出だけにすがる主人公がそっくりな踊り子を見附け、亡き妻の代はりを演じさせるが、結局、生者は死者に囚はれず、自ら生きねばならない、そんな内容。後期浪漫派のリヒャルト・シュトラウスやマーラーのやうな音の響きや、現代音樂、映畫音樂への橋渡しとなる時代故に、ごちゃごちゃした曲も耳には新しい。今回の演出では、主人公にしか見えない亡き妻をパントマイムで演じさせたので、憧憬の愛と現實の肉欲の愛が對比し易く、面白かった。

|

2014年1月30日 (木)

闘牛場

 新国の歌劇《カルメン》を觀た。既にこの演出は過去に觀たことがあるが、露西亞系の歌手たちがきっちり聲が出切つてをらず、やや物足りない。アイナウス・ルビキスの指揮も極めて中庸で新鮮味もなく、かと言つて惡くもない。豫定調和的な進め方で南歐の溢れるばかりの熱氣が感じられず、殘念であつた。
 そんな中では、ミカエラ役の濱田理惠が第三幕で好演してゐた。

|

2013年12月 4日 (水)

吸血鬼

 また、藤村實穂子さんの歌聲が聽きたくなり、マイヤー指揮、新日フィルの演奏会でサントリーホールへ。

 獨逸浪漫派の物の怪が跋扈する世界を描いた歌劇を中心にしたプログラム。

 マルシュナー: 歌劇《吸血鬼》序曲
 マルシュナー: 歌劇《ハンス・ハイリング》より ゲルトルートのモノローグ
 ワーグナー: 楽劇《トリスタンとイゾルデ》より 前奏曲と愛の死
 ウェーバー: 歌劇《オイリアンテ》 作品81 序曲
 ワーグナー作曲(マイヤー編) 《パルジファル》組曲

 ウェーバーの流れを汲む歌劇だと云ふのがよくわかる《吸血鬼》。地底の王樣との結婚を強いられる娘の母親の恐怖を描いたモノローグ、メゾソプラノの藤村さんが實舞臺では決して歌はない美しいイゾルデ、亡靈の出現する歌劇序曲、そして、パルジファル!
 2006年のバイロイトの舞臺を思ひ浮かべ乍ら聽き入ることができた秀逸な演奏。マイヤーの指揮は疾風樣式で滯ることなく、ぐいぐい真ッ直ぐと引ッ張るので緊迫感に溢れてよい。但し、《トリスタン》は1953年のフルヴェン、フィルハルモニアに慣れ親しみ過ぎたので、テムポや捉へ方に物足りなさを感じることもあるが、現代的なので、唯重いだけの演奏より格段によい。また、終演後のカーテンコールでも終始にこやかな藤村さんであつた。

|

2013年9月17日 (火)

キンダーガルテン

P1040417_640x427 ドレスデンのゼムパー歌劇場ではモオツァルトの歌劇《魔笛》を觀る。

 1987年2月の舊東獨逸時代に旅行した時に、當日券を買ふのに零下15度位の外で小一時間並んで切符が買へず、愈々駄目かと思つたところに小父さんが聲を掛けてくれて、わざわざ遠くから來た日本人ならと一枚譲つてくれた思ひ出の歌劇場。その後も文通してゐるので、小父さんに聲を掛けて、今回は招待してあげた。

 ジンクシュピール故、歌と臺詞劇で構成され、フリーメイソンの影響を受けた内容で、他國の王子が王女を救い出すと云ふ冒險譚。それが、まるで幼稚園兒の落書きのやうな雰圍氣の演出にがっかり。三人の童子は聖十字架教會合唱團に屬
する子たちで、きちんと演技もできたが、王子タミーノ役スティーヴ・ダヴィスリムの聲が通らない。迫力の歌は夜の女王役のクリスティーナ・プーリッツィと王女パミーナ役のエレナ・ゴルシュノヴァであつた。


|

2013年6月14日 (金)

女は皆かうしたもの

 モオツァルトの歌劇《コジ・ファン・トゥッテ》を新國で觀る。舞臺をキャンプ場に移したダミアーノ・ミキエレットの演出も二回目となると、冷靜に見られた。最初は奇抜さに目を奪はれてしまひ、物語を追ふだけであつたが、今回は主役四人のアンサムブルもきちんと聽くことができた。

 イヴ・アベル指揮の東フィルはやや音が大きく歌が消える場面もあつたのが殘念。テムポはごく普通。直前に變更になつたフェランド役のパオロ・ファナーレは1982年生まれの若者で、優男か、上品な貴族役に嵌りさうであつた。これから經驗を積めば、まだまだ、伸びる氣もするが、頭の天邊から聲を出してゐる感じ。今回、一人で歌ふアリアはよいが、重唱となるとかなり消える爲、アンサムブル時に聲量を學んでもらひたいもの。

 歌手の中では、フィオルディリージ役のミア・パーションの聲が一番通り、一寸勝ち氣な長女をよく演じてゐた。そして、ドン・アルフォンソ役、マウリツィオ・ムラーロの低音がよく場面を締めてくれたので、全體としてはまずまずの合格であらうか。

|

2013年6月 3日 (月)

ナブッコ

 ヴェルディの歌劇《ナブッコ》の新演出を新國で觀た。グラハム・ヴィックの演出はリンク先を見てくれれば解るが、かなりの際物。リンク先の動畫を見て貰へばわかるが、古代エルサレムのソロモンの神殿ではなく、高級店が並ひ、エスカレーターの在る明るいショッピングセンターに置き換へられ、ブランド信仰を嘲笑してゐる。しかも、攻めてバビロニア軍はテロリストなので單に薄汚く、バビロニアの宮殿や空中庭園と云ふ場面轉換もなく、物足りない。

 ところが、パオロ・カリニャーニ指揮の東フィルは俊敏様式の輕快なリズムで聽く者を飽きさせず、目を瞑つて聽いた方がいいくらいであつた。ルチオ・ガッロのナブッコはそつない出來だし、豫言者ザッカリーア役のコンスタンティン・ゴルニーもよく歌つてゐたが、アビガイッレ役のマリアンネ・コルネッティの聲量が抜きに出てをり、壓倒的に場を制壓してしまふのには驚いた。明るく透き通るイズマエーレ役の樋口達哉、か弱い乙女ではなく、意思をもった力強い王女フェネーナ役を好演した谷口 睦美など、日本人も活躍。演出さへよければ、素晴らしい舞臺となつたことは間違ひない。一體何を言ひたいのか、舞臺を見ただけで解らない演出はどうなものか疑問。

|

2013年4月22日 (月)

親方

 東京春祭のワーグナー、樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》はN響、指揮ヴァイグレの演奏會形式であつた。奇を衒つた下手な演出よりも純粋に歌が樂しめる演奏會形式の方がいいことがある。歌手は出番に合はせて、きちんと出入りもするし、僅かに身體を傾けたり、表情だけでも演技をしてくれるので、却つて想像力も増すし、今迄に觀た舞臺を容易に思ひ浮かべることができるのだ。

 誰が何と言はうとも、斷突にフォークトのヴァルターの素晴らしさは抜きに出てゐたが、藝達者なエレートの憎めないベックメッサーもとても好感を持ち、威嚴のあるグロイスベックはポーグナーだけでなく、一寸役の夜警もこなしたのが粋であつた。急遽出演の決まつたガブラーのエファも品があって初々しかつた。肝心のザックス役のヘルドは譜面を見すぎて俯き加減で、折角のよい聲が通らず残念。

 ヴァイグレには今後にも期待したい。段々と乘り、特に三幕は觀客をぐいぐいと引き込む演奏を綿密に練り上げてゐたのだ。また、ワーグナーが織り込んだ音樂動機が期せずしてひょっこり顔を出すので、毎回新しい發見がある。今回は 稀にみる好演故に、休憩を入れて五時間半を退屈せず、ほんたうに樂しめた。

|

より以前の記事一覧