2009年6月22日 (月)

アルマ

Sh アルミンク指揮、新日フィルをサントリーホールで聽く。マーラーの交響曲第9番の前に、妻アルマの作曲した歌曲《夜の光》が洋琴伴奏によりソプラノが舞臺裏で演奏される。師ツェムリンスキイの影響か、ウィーンの後期浪漫派から無調へ繋がる微妙な立ち位置が曲にも現れ、死を意識した9番に繋がって行く。

 事前に指揮者自ら解説を行つてをり、聽衆に寄り添った演奏會に好感を持つ。テムポ解釈の違ひはあるものの、第一樂章トラムペットのソリで音を外した以外、おおむね事故もなく無事終了。久し振りの生オケで聽くマーラーに感歎。

 但し、樂章の終はりは1分以上静寂が續いたのは立派であつた。併し、聽衆のマナーの惡さに辟易。1階平戸間B席、最後列の1列前の所爲ではあるまいが、演奏中にパリパリ音を立てて飴をしゃぶる。目の前のおばさんは背中に荷物を入れて、前屈みになつてゐるので指揮者が全く見えないばかりか、始終動くので、氣が散り最惡であつた。途中、注意しそびれた自分がいけないのかも知れないが、酷い。折角の演奏が臺無しであつたのが殘念でならない。

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2008年12月15日 (月)

板興し

 1948年3月、戰後初めて倫敦を訪れたフルトヴェングラーはキングズウェイ・ホールに於いて、倫敦・フィルを指揮し、デッカ社に録音を殘してゐます。ところが巨匠はカルーショーの設置した目障りなマイクロフォンを氣に入らず、全部撤去させた爲、デッカらしい音像が録れず演奏自體も餘り評價されてゐませんでした。

 たまたま、學生の折りに演奏したことがある爲、好きな曲のひとつでこのSP盤AK1875/79を3組持つてゐることから貸し出したものが、平林さんの手で新しくCDになりました。協會の板興しには78回轉盤をだいぶ貸して、立派なCDになつてゐますが、如何せん市販されてゐませんので、GRNAD SLAMさんの復刻を樂しみにしてゐました。

 さて、このブラ2は蓄音機で聽く分には、巨匠らしい盛り上がりがあり決して侮れない演奏です。以前、デッカの鐵針でHMV194を通した演奏をステレオで録音したことがありますが、CDではこれとはまた違ふ音像が樂しめます。勿論、針の摩擦音はあるにしても、60年前の豐かな響きが和ませてくれますね♪

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2007年12月10日 (月)

オフ會

 先週の土曜日の夜、kna-parcのオフ會がありました。私も所屬してゐる、指揮者ハンス・クナッパーツブッシュを中心とした話題を提供し合ふメーリング・リスト「kna-parc」の仲間、17名が集まり、蓄音機の音を堪能しました。主催者syuzoさんがわざわざ大阪から足を伸ばして下さり、ワインを片手に、遅くまでワーグナーものを中心に針の種類も替えて、色々試しました。驚いたことに、今まで最高だと思つてゐたPegasus mediumよりも、HMV Loudeの方が音が大きいだけでなく、廣がりもあり、迫力も加はり俄然良いのです。最上位はTelefunkenの鈍色に光る鉛筆型のものです。印度産のHMVは未開封品でしたが、缶からして粗惡品で、開けると中の黒紙も厚く、針は不良品が多くて吃驚でした。テレビ塔のやうに、針先途中に圓形に廣がりがあるものは、とてつもなくどでかい音ですが、品がありませんでした。まだまだ、知らない針が山程あるのですね。因みに土曜日は終電を逃してしまひました。
 それにしも、こんなに多くの方にベルランは愛されてゐたのだと、感慨一入でした。

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2007年10月11日 (木)

バイロイトの第九

 今夏、フルトヴェングラー・センターがバイエルン放送協會で發掘した1951(昭和26)年7月29日のバイロイト音樂祭でのベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調《合唱附》の實況録音のコムパクト・ディスクがなかなかいい味はひです。今まであの髭文字のEMI盤が世紀の名盤と長らく云はれて來ましたが、どうも不自然なところがあるとずっと言はれて來ました。それが今回、編輯者ウォルター・レッグの手の入らない、化粧を施してゐない放送用テープが見附かり、センターがCD化したものです。非營利團體なので一般販賣はしてゐませんが、興味のある方はこれを機に會員になるのも手かも知れません。

 EMI盤に慣れ親しんでゐるのでそちらがいいと云ふ人も居ますし、途中どでかい咳も入るのが氣になる人も居るでせうが、實況録音らしい自然な盛り上がりが良く、當時の空氣や息遣ひを感じます。實況録音をそのままレコードにするのを良しとしない時代ですから、それぞれ違ひを認識して樂しめるので面白さも倍増した感じでせうか。

ベートーヴェン : 交響曲第9番ニ短調op.125 「合唱」Musicベートーヴェン : 交響曲第9番ニ短調op.125 「合唱」


アーティスト:シュワルツコップ(エリザベート),ヘンゲン(エリザベート),エーデルマン(オットー),ホップ(ハンス),バイロイト祝祭合唱団

販売元:EMIミュージック・ジャパン

発売日:2000/06/21
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他にも實は山ほど板興しがあり、どれもが決定版を名乘ってゐます。ご本人たちは大真面目なのでせうが、大掛かりな装置で聽く譯ではないので、その違ひを求めて全部聽かうとも思ひません。今回、實況録音盤が出たことで一石を投じたこととなり、マニアの皆さんは最高を求めて論議が續きます。

ベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]Musicベートーヴェン:交響曲第9番《合唱つき》[バイロイトの第9/第2世代復刻]


アーティスト:シュヴァルツコップ,ヘンゲン,ホップ,エーデルマン|ベートーヴェン|バイロイト祝祭管弦楽団/シュヴァルツコップ/ヘンゲン/ホップ/エーデルマン

販売元:delta classics

発売日:2006/11/25
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2007年7月 3日 (火)

新額

Fw 澁谷の宮益坂に老舗の額縁屋が在ります。幼稚園の頃、此処の最上階にあるお繪かき教室に通つてました。何を描いたとか、全然記憶になくて、描けば褒められ、何か忠告して貰ひ描き足したりしたやうな感じでした。その後、中學の頃、選擇授業だか、美術の時間だか、畫材を買ひに行つたら、けんもほろろ、とりつく島もない感じで、邪險に扱はれたのがショックでした。單に判らないので訊いただけなのに、まるで莫迦にした感じで非常に頭に來て以來、足を踏み入れたことは決してありませんでした。ところが先月、前を通り掛かったら、破格の値段で額が賣られてゐたので、すぐ購入。
 それに合ふ寫眞を探して、贔屓の額装屋へ。最初は昨日のワルターを入れるつもりでしたが、どうにも小さ過ぎるので、それでフルトヴェングラーに落ち着きました。白黒寫眞でも灰色ぽいもの、遠景であつたり、黒い背景であつたり、色々です。幾つも置いてみて、やっとこれに決めました。1953年4月14日と裏書きのある、所謂生寫眞です。燕尾服を着てゐるので、本番當日の豫行練習であつたのかも知れません。惜しむらくはやや焦點がぼけてること。いざ、シャッターを切ろうと思つたところで、突然速度が變はり動いちゃったのか。資料を探ると伯林フィルの本番の日。4月12日と同じ演目で、ベートーヴェンの交響曲第8番、リヒャルト・シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な惡戯》、そしてベートーヴェンの交響曲第7番と云ふプログラム。寫眞から表情は判りません。險しさうな感じですけれども、どんな顔して振つたのでせう。
 

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2007年7月 2日 (月)

額装

Walter 以前、指揮者や演奏家の直筆署名入寫眞を蒐集してゐることを書きましたが、中には署名のない只の繪葉書もあります。そのまま置いてをくのも勿體ないので、額装してみました。丁度、土曜日に樂劇《ワルキューレ》第2幕全曲を掛けるので、ブルーノ・ワルターです。裏にはBruno Walter 1938(昭和13)年ザルツブルクと鉛筆書きがあり、たぶん買つた持ち主が書き入れたものでせう。印刷で確か1936と入つてゐたので、撮影は2年前の筈です。
 伯林のシャルロッテンブルク市立歌劇場(現ドイチェ・オパー)で1920年代活躍したので、ベルランに飾つても違和感はありません。小さい寫眞葉書なので、額装屋に適當にお願ひしたところ、小振りの額に臺紙も小さく品よく纏めてくれました。柱にぶら下げるとやや小さいです。ですので、誰も氣に留めませんが、横向きに灰色の背廣と云ひ、佳い雰圍氣です。

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2007年4月20日 (金)

ジークフリート

 リヒャルト・ワーグナーとコージマの息子、ジークフリートは1869(明治2)年生まれ。ワーグナー56歳の時の子で、当然リストをも祖父に持つ譯ですから、音樂一家に育ち父親に似ず、温厚な性格であつたやうです。當時作曲された歌劇は現在全く忘れ去られてゐますし、指揮者としてのジークフリートの實力も餘り評價されず、單にワーグナーの息子としてしか記憶されてゐません。長寿を全うしたコージマの跡を受けて、バイロイト音樂祭を切り盛りしたものの、1930(昭和5)年に急死したのが何よりも惜しまれます。長生きすれば、妻ヴィニフレートがヒトラーを招き入れることもなかつたかも知れないからです。

Sw 伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、樂劇《ラインの黄金》第1幕より〈ワルハラへの神々の入場〉Odeon O-7550 を持つてゐますが、殘念乍ら氣の入らない平凡な演奏です。偉大な父親の陰に脅えることなく、伸び伸び演奏してゐるのがせめてもの救ひでせうか。

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2007年4月19日 (木)

ムック

 吉田真さんの解説による「SP期に於けるバイロイト録音」の準備でバタバタしてゐますが、ジークフリート・ワーグナーの時代に、共に活躍したにカール・ムックと云ふ老練指揮者がゐます。戰後1950年代、60年代のバイロイトで《パルジファル》と云へば、ハンス・クナッパーツブッシュでしたが、戰前はカール・ムックの十八番でした。細かい演奏記録を見ないことには、正確なことは判りませんが、1901~30年まで振つてゐたらしいです。近衛秀麿著『シェーネベルク日記』 一進堂書店(昭和5年發行)の中、「大指揮者の横顔」としてムックのことが書かれてゐます。

 ムックが大戰中米國に留つてボストン・シムフォニーの指揮者の位置に居た事と、米國の參戰後獨探の嫌疑を蒙つて抑留され、大戰の終結と共に、米國を痛罵して故國に歸つた其頃までの消息は知られて居る。

 ひえ~って感じで、今では全然知られてゐません。寧ろ忘れ去られた指揮者の横顔でせう。第一次世界大戰の頃、亞米利加に居て、スパイ容疑で掴まつてゐたとは… 1923(大正12)年に近衛がハムブルクで聽いたムックの印象が續いて記されてゐます。背が高く「痩型で特徴のある額と顎をもつた、無髯(ムセン)の稍(やや)蒼白い顔の持ち主」が拍手の渦の中で、ややもすると冷たい感じで指揮棒を持つと、瞬く間に場内をひとつにして「人は先其演奏の清楚さと其の統率の正確さに醉はされ始めた」さうです。リヒターにしろ、ニキッシュにしろ、顎鬚(アゴヒゲ)やモミアゲ髯の多い時代に、髭無しは却つて注意を引いたのでせう。巴里からの歸へりで、尚更ゲルマン的な實直さも感心してゐる近衛さんですが、聽衆だけでなく、演奏者からも尊敬と暖かい目で迎へられ、紡ぎ出す音樂の素晴らしさは今に傳はつてゐません。

P4130174 1927(昭和2)年に伯林國立歌劇場管絃樂團と共に入れた、《パルジファル》第1幕への前奏曲(Electrola EJ226/27)が、稀有な雄大さで我々を深遠な世界へと誘つてくれます。クナの宇宙とは別の次元ですが、するすると自分の世界へと引いて行く力は別格でせう。SP盤を聽いても、その實力の片鱗は傳はつて來ます。 

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2007年4月18日 (水)

テイクの違ひ

P4130170 SP盤の同じ曲、同じ演奏家なのに、何故か國によりレコードの元となる演奏が違ふことがあります。一面一面毎のマトリックス番號を調べると1面だけ違つてゐたりするのです。シャムパーニュは年號の入らないノン・ヴィンテージと云ふものは、基本的に複數年のブレンドですから、行き先の國により同じ銘柄でも味が違ふことが多々あります。かの有名なドム・ペリニヨンも亞米利加の免税店で買つたものと、日本の正規代理店が輸入したものと味が違ふことがありました。昔のレコードも、微妙な匙加減として、國による好みを反映させたのでせうか。
 蒐集家としては、そんなことを知ると、當然違ふ盤も欲しくなります。きちんと聽き比べたことはないので、實際にどれ程の違ひかは解りません。

P4130172P4130173

 例へば、フルトヴェングラー指揮、伯林フィルの1938年の《運命》。DB3328/32Sの獨逸盤(Electrola)、同じくDB3328/32Sの佛蘭西盤(Disque "Gramophone")、それにオートチェンジャー盤DBS8374S/78の英國盤(HMV)を持つてゐますが、黒いレコードに刻印された獨逸盤(左圖)のマトリックスは2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1, 2RA2341-3, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aに對して、海外盤(右圖は佛盤)は2RA2335-3, 2RA2336-3A, 2RA2337-2A, 2RA2338-4A, 2RA2339-3A, 2RA2340-1A, 2RA2341-3A, 2RA2342-2, 2RA2343-2Aとなつてゐて、途中の6面と7面だけ、最後にAが附くか附かないかの違ひがある譯です。畫像は生憎鮮明ではありませんが、紙レーベルには單に2RA2340, 2RA2341としか書かれてをらず、餘り氣にも掛けてゐないのですが、録音の際のテイクの違ひなのでせうか。其の上、4面から5面は1小節重なつて録音されてゐるらしく、謎が多いのも面白いものです。


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2007年4月17日 (火)

マイスター前奏曲

P4130169 ワーグナーの有名な前奏曲は多々ありますが、特に樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲はテレヴィジョンの宣傳でもよく使はれます。SP盤ですと、殆どが1枚兩面に収まり、多くの指揮者が録音してゐます。私にとつても、學生の頃、吹いたことのある思ひ出の曲故、随分とSP盤も手元に有ります。

 立派な演奏の筆頭はフルトヴェングラー指揮、維納フィル盤(HMV DB6942/43)は3面をたっぷり使つたもの。

 あっさりしてるのが、ワルター指揮、ブリティッシュ響(Columbia DX86)。録音オケの所爲かもしれません。

 至極真ッ當なのが、メンゲルベルク指揮、アムコン(Capitol 89-80036)。

 意外にまともなのが、クナッパーツブッシュ指揮、伯林フィル(Grammophon 66698)。

 ベーム指揮、ザクセン(Electrola DB4698)は、壓倒的な3幕全曲に比べると、おとなしくて詰まらない(上圖)。

 起伏もなく平凡で、只演奏してる感じのボールト指揮、BBC響(HMV DB1924)。


 CD復刻版ですと、喇叭(ラッパ)が奧に引ッ込んだ印象を受けますが、蓄音機で聽くSP盤は前面で高らかにファンファーレを歌い上げても、絃の邪魔にはならず、心地よいものです。 

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2007年4月16日 (月)

マイスタージンガー

P4130168 7日(土)の「蓄音機の會」で取り上げた、カール・ベーム指揮、ザクセン州立歌劇場(ドレスデン國立歌劇場)の演奏がよいので吃驚しました。ワーグナーの樂劇《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は4時間を超える大作で、戰後カラヤンがバイロイトでSP盤68枚に全曲録音してゐます。ベーム盤は第3幕のみの録音で、然も私が持つてゐるSP盤は第5場から終幕部分(RCA Victor DM 538 -21/30)の後半部分(Volume II)のオートチェンジャー盤だけです。
 録音状態もよく、溌剌としたテムポで、ぐいぐいと引ッ張る感じで前へ前へと云ふ感じの勢ひがあります。合唱にも力が漲り、ニュルンベルク郊外の野原での歌比べの様子が肌に直に傳はつて來ます。ベーム44歳の時の録音故か、若々しさに溢れてゐます。ベームはフリッツ・ブッシュの後任として、1934(昭和9)年にこのドレスデンの音樂監督として迎へられ、1月7日の就任最初の演奏會でも、この《マイスタージンガー》を取り上げてゐますので、指揮にも餘程自信があつたのでせう。
 威嚴のあるハンス・ヘルマン・ニッセンのザックス、甘い聲のトールセン・フックスのヴァルター・フォン・シュトルツィンク等歌手陣も精鋭が揃ひ、揺るぎのない、自信に滿ち滿ちた中身の濃い演奏です。

 でも、1939(昭和14)年の4月録音を考へると、獨逸軍の波蘭侵攻の5箇月に當たり、前年に墺地利も併合して、誤つた方向に自信を持つて進んでゐる時期でもあります。實はその時代の空氣をも録音してゐるのではないか。そんな氣もして來ますね。

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2007年1月16日 (火)

ベト7

 ドラマが終了してもまだ勝手に盛り上がつてゐる《のだめカンタービレ》ですが、學生の頃は他の大學オケから定期演奏會の招待券が回つて來たりした爲、少なくとも月1回以上、ほんたうによくオケの演奏を聞きました。勿論、1年坊主の頃はまだ青山ではなく、完成したばかりの厚木新校舎でしたから、當然諸先輩方が行つてゐた分、自分が3,4年になり、希望者がなければ、率先して行つたものです。

 ドラマ《のだめ》の中で、千秋が初めて振るのが「ベト7」です。私が最初に買つたLPもこの曲でしたから、ベートーヴェンの交響曲の中でも特に馴染みの深い曲です。ベートーヴェンの交響曲第7番と云ふのが面倒だからか、當時から極端に縮めて「ベト7」と呼びますね。3番、5番、9番のやうに表題が附いてゐれば、そちらを使ひます。「英雄」または「エロイカ」、「運命」、「合唱附」と云ふ風にです。ドヴォルザークだとドボ8(ドヴォルザークの交響曲第8番)だとか、ブラ1(ブラームスの交響曲第1番)だとかですね。さうして喋るのが、とても新鮮でした。

 さて、その「ベト7」ですが、千秋は非常に耳がいいので、誰が違ふ音出すかすぐに判つてしまひます。演奏する側からしてみれば、みんなの前で指摘されずとも、自分が一番よく解つてゐるものですので、合奏練習で指摘されるのは嫌なものです。
 學生當時聞きに行った演奏會の中に、N大オケの演奏が忘れられません。合唱指揮や音樂批評で有名な方が指揮してをりました。指揮者ご本人はいたく真面目に振つたのでせうが、緩急を附け過ぎた、滅茶苦茶なテムポで唖然どころか腰を抜かすかと思ふ程でした。専門家なら絶對に拒否されたであらうテムポです。この曲は自然と盛り上がつて終はる曲ですから、特に4樂章は焦らず、煽らず、程良い速度が欲しいところですが、クレッシェンドと共にどんどん早めて、最後は分解寸前ギリギリと云ふ感じでした。學生オケ特有の勢ひがあつたにしても、あれはやりすぎでした。だから、一番印象に殘つてゐます。

 専門家の演奏では、遅いとか、色々批評されたベーム指揮、維納フィルに一番慣れ親しみました。ご紹介するのは傳説化したNHKホールでの實況録畫・録音です。まだ、クラシック音樂そのものを聞き始めた頃ですから、當然行つてゐませんし、最後の來日の追加公演はテレビで見たことをよく覺へてゐます。然も、修學旅行中の廣嶋のホテルでした。同室の奴は呆れて、どっか行ってしまつたのですが、食ひ附くやうにして畫面を見入つたものです。



カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1975年日本公演


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カール・ベーム ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1975年日本公演


販売元:NHKエンタープライズ

発売日:2006/10/27

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 今はフルトヴェングラー指揮、維納フィルのSP盤(HMV DB21106/10)を探してゐます。たまに競賣に出ますが、盤質がよくないので未だ手元にありません。

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2007年1月15日 (月)

のだめ

 昨年末、テレビドラマの《のだめカンタービレ》を熱心に見入つてしまひました。懐かしい學生オケの雰圍氣がよく出てをり、配役、脚本も素晴らしく堪能しました。見終はる頃に友人に無理言つて原作漫畫全巻を借りて讀み出したところです。
 指揮者を目指す音大生、憧れの千秋先輩と「のだめ」こと野田恵のドタバタ戀愛が、賑やかな友人と變はり者の先生に囲まれて、音大の日常が描かれ、敬遠されがちなクラシックがごく當たり前のやうに鳴り響く、それはそれは面白いものです。漫畫では更に巴里での留學後も描かれてゐます。漫畫では音がない爲、曲名から、自然と頭の中に曲を浮かべないといけませんが、がドラマでは、はっきりに耳に聞こえるので、曲を知らない人でも十分樂しめた筈でせう。かみさんにせがまれて、ドラマ殘さずハードディスクに録畫なんてことは初めてでした。その上、CDまで買はされましたが、お陰で子供もごく普通にベト7(ベートーヴェンの交響曲第7番を略してかう言つてました)やベートーヴェンの提琴奏鳴曲《春》を口ずさんだりするやうになつたのは、いい影響かも知れません。

 舊東伯林の樂譜屋で買つた指揮者用総譜を引ッ張り出して來て、CDに合はせて指揮してみたり、すっかり氣分は千秋でした。



のだめカンタービレ(1)


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のだめカンタービレ(1)


著者:二ノ宮 知子

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「のだめカンタービレ」オリジナル・サウンドトラック


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アーティスト:TVサントラ

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発売日:2006/12/06

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2006年11月20日 (月)

トスカニーニ

Tosc1 ミラノの日本語ガイド本にトスカニーニの館が地圖に載つてゐました。大聖堂(ドゥオーモ)から歩行者天國の買物通りを歩いて10分程度、地下轍でも一驛の廣場ピアッツァ・レプブリクから、少し歩いた所です。交差點を渡ると「トスカニーニ廣場(Largo Arturo Toscanini)」とあります。廣場はてっきりピアッッツァ(Piazza)だけだと思つてゐましたので、この「ラルゴ」とは何か氣になりました。でも、此処に立つて回りを見渡すと、どう見ても廣場としか譯す言葉が浮かびません。辭書を見ると「交叉する道にできた變形の廣場」となつてゐて、音樂用語の「幅廣く遅く」だけの意味でないことが解りました。でも、この標記が在る建物の地上階はファースト・フード店なのでがっかりすると共に、自分としてはその對比が面白く、トスカニーニが生きてゐたら癇癪を起こすのかなあ、と思ふのでした。

Dh000223 さて、そこから筋を隔てた角を曲がると停留所(フェルマータ)の後ろに石塀に囲まれた屋敷が在りました。どうやら此処がトスカニーニの屋敷のやうです。生憎、鐵柵門は固く閉じられ、記念館となつてゐる譯でもなく、住んでる氣配もなく、只の建物ですが、その昔住んだのでせうか。
 トスカニーニは1898(明治31)年にミラノ・スカラ座の常任指揮者となつた後、辭任した1908(明治41)年までミラノに住んでをり、その後1920年代に戻り、ファシズム臺頭以降は亞米利加へ移住してゐる爲、一體いつ頃住んでゐたのか判りません。單に縁の建物なのか、疑問は殘るものの柵の間から記念撮影。トスカニーニの娘ワンダは洋琴奏者ウラジーミル・ホロヴィッツと結婚したこととか、「休符をも歌へ」と言つたこととか、色々頭を巡ります。彼の鉈(ナタ)でスパッと切つたやうなワーグナーもいいのですが、ヴェルディの《ファルスタッフ》は秀逸です。躍動感、高揚感、そして幸福感が訪れる熱血漢の指揮者の賜物でせう。それにしても、この建物が何なのか、判らないまま立ち去りました。どなたかご存知ありませんか。

 今晩、日本放送局會BS2では、20時より《ルキノ・ヴィスコンティ》と云ふ記録映畫(1999年)があります。



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2006年6月 2日 (金)

《アルチェステ》序曲

 1942(昭和17)年まで、殆どのナチスに関はりのある演奏會は全て斷り續けて來ましたが、いよいよ病欠も通用せず、4月19日、ヒトラー誕生日の前夜祭で〈第9〉を指揮する羽目になりました。そして、演奏直後、宣傳相ゲッベルスが舞臺に驅け寄つた爲、握手させられ、然もその映像が殘されてゐます。只、よく見るとその後、すぐに汚いものに触れたかのやうに手を拭ふ姿まで記録されてゐます。愛想笑ひの下で、どんなに嫌な氣分であつたことか、短い記録映像からもわかります。

 戰前、最後に維納フィルとブラームスの《ハイドン主題による變奏曲》を1943年に録音はしてゐますが、戰爭の激化による爲かSP盤として市販はされませんでした。それ故、前年10月28日に入れたグルックの歌劇《アルチェステ》序曲(Telefunken SK3266)が、戰前最後の録音となりました。この時は、10月25,26,27,28日と伯林フィルの演奏會でこの曲を取り上げてをり、最終日に録音されました。

 勿論、古樂器演奏などない時代ですから、通常の樂器により、大編成で典雅に演奏してゐます。現在のレパートリーには殆ど入らない曲ですが、獨逸の音樂を一人背負つたフルトヴェングラーとしては、ベートーヴェンの前にも立派な音樂家が居たことを示し、率先して紹介したかつたのではないでせうか。愛する祖國獨逸への忠誠心とでも云ふべき心情であつたのかも知れません。當時、獨逸へ殘つた人々に音樂による慰めをどれだけ與へたことでせう。生真面目に演奏する巨匠の姿が思ひ浮かびます。

 戰後の「非ナチ化裁判」で無罪になつたにも拘はらず、戰前戰中を通じてナチスの巧みな宣傳により、ナチス協力者の印象は未だに拭へず、現在でも、巨匠の作品を演奏しようとして抗議を受けることがあるのです。それに比べて、二度も黨員になつたカラヤンの何と世渡りの上手なことか。音樂一筋の不器用な巨匠の演奏は、心に訴へて來るものが、とても大きいと云はざるを得ません。

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2006年6月 1日 (木)

ブルックナーの7番 第2樂章

 ブルックナーの交響曲第7番ホ長調より〈アダージオ〉は、ワーグナーチューバの悲しげな和音で始まります。ゆったりとしたテムポで山を登るが如く上昇音形が續き、頂點を迎へ、また靜かに終はる、私の大好き曲です。初めてフルトヴェングラーのこのSP盤を蓄音機で聽いた時、クナッパーツブッシュの宇宙を感じさせる鼓動に慣れてゐた所爲か、クレッシェンドと共にアッチェルランドしてどんどん早くなる速度の揺れや、針の擦れる音が氣になり、樂しむどころか違和感一杯でした。こんなブルックナーもありか、程度の受け入れ難い解釈でした。

 1941(昭和16)年3月、墺地利のザンクト・アントンでスキーの際、フルトヴェングラーは大怪我をして、17箇所出血し、然も、右腕には神經障害が殘り、8箇月もの間治療とリハビリに専念せねばなりませんでした。墺地利の片田舎で寝てゐると、ラヂオ放送で自分のブルックナーの7番の放送されると聞いたフルトヴェングラーは、繃帶でぐるぐる巻きにも拘はらず、すぐさま、近隣の村々を訪ねて高感度のラヂオ受信機のある家を探しました。そして、普段はダンス音樂を流す店をやっと突き止め、有無を云はさずチャンネルを合はせ、聞き入つたのです。1939(昭和14)年に開發實用化された「マグネットフォン(磁氣テープ)」により、長時間録音が可能となつてゐました。

 演奏が始まると、このテムポでいい、ここはもう少し膨らました方がいい、この歌はせ方ぢゃ駄目だ。いちいち批判し乍ら、この戰時に次回は何時この曲が指揮できるであらう。もっと良い演奏ができるだらうか。色々と思索したに違ひありません。文句を言つてゐた、その場に居合はせた村の人たちも最後には涙を流し聞き入つたさうです。

 そして、指揮活動に復歸した翌年、1942(昭和17)年4月7日、伯林の舊フィルハーモニーホールで録音されました。凄まじいばかりの集中力と、獨逸音樂全てを背負い込んだやうな重い足取りで始まります。慟哭に溢れ、ナチス獨逸政権下の現状、そして將來への不安が如實に現れてゐて、聽く者の心を捉へて離しません。
 ブルックナーがこの2樂章を書き始めた頃、敬愛するワーグナーが危篤だとの知らせを受け、哀悼を込めて書かれたと云はれ、頂點を迎へる邊りで死去の知らせを受けました。それ故、死者の弔ひにも使はれるこの〈アダージオ〉は、皮肉な事にヒトラーが自殺をした1945(昭和20)年4月29日の放送で〈ジークフリートの葬送行進曲〉と共にずっと流されました。フルトヴェングラーは現状の獨逸を嘆き、元通りの獨逸復活を願つて演奏したことでせう。CD復刻版でも、もう聞き流すことのできない背景を知つてしまつた感じです。

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2006年5月31日 (水)

カヴァティーナ

 日本では「紀元2600年奉祝」と國を擧げて祝賀の雰圍氣に包まれた1940(昭和15)年に、東京オリムピックが開催される豫定でした。リヒャルト・シュトラウスの《紀元2600年祝典音樂》に代表される、大日本帝國依頼作品も發表されてをり、前年には、日獨親睦を兼ねて、伯林フィルが「ツェッペリン伯2世號」に乘つて、東京へ來る計畫すらありました。この邊りは 横田庄一郎著 『フルトヴェングラー幻の東京公演』 朔北社 に詳しく書かれてゐます。殘念乍ら戰爭の為、來日公演や五輪は延期されたのです。唯一、ヒトラーユーゲント青年團が來日した位ですが、それでも大歡迎されてゐます。

 この年から1942(昭和17)年までの間、唐突に獨逸の國策電器會社テレフンケンに3曲、フルトヴェングラーは録音をしてゐます。然も、今我々が聽くやうな十八番ではなく、〈カヴァティーナ〉〈アダージオ〉〈アルチェステ〉序曲と云ふ選曲が不思議でなりませんでした。これらの原盤は戰爭の混亂により原盤は失はれ、非常に貴重なSP盤です。40年の9月1日に、ナチス獨逸軍は波蘭(ポーランド)へ侵攻し、すぐに戰爭となつた爲、一部チェコでプレスされた以外、獨逸國外には出回らず、殘つてゐるのが奇跡とも云へるのです。

 1940年にフルトヴェングラーは伯林フィルの演奏會で3月17,18,19日と、このベートーヴェンの《絃樂四重奏曲第13番變ロ長調》より〈カヴァティーナ〉を取り上げてゐます。録音(Telefunken SK3104)は、40年10月15日に、伯林の舊フィルハーモニーホールで行はれました。此処は元スケート場の爲に建てられたものですが、音響の素晴らしさに定評がありました。今、聽しても奥行きのある非常に豐かな響きが感じられます。

 もし、此処で《エグモント》序曲とか、《マイスタージンガー》前奏曲等を吹き込んでゐたら、國策に則り「偉大な獨逸」の宣傳の爲に録音したと誰もが思つたことでせう。それで、フルトヴェングラーは一寸考へて、餘り有名でないけれども、獨逸人の持つ精神的氣高さを表す爲にこの曲を選んではないかと思ひます。滋味溢れる曲作りは、とかく重くなりがちは演奏に變化を與へてくれます。連戰連勝の行け行けの雰圍氣の中で、國威掲揚を強制されても、ひとり冷靜に立ち向かった、孤獨な指揮者の後ろ姿が垣間見えます。




フルトヴェングラー幻の東京公演


Book

フルトヴェングラー幻の東京公演


著者:横田 庄一郎

販売元:朔北社

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2006年5月30日 (火)

交響的協奏曲

 1937(昭和12)年10月26日、伯林フィルの演奏旅行の際に、ミュンヘンで初演された、フルトヴェングラー自作の《洋琴(ピアノ)と管絃樂の爲の交響的協奏曲 ロ短調》。ピアノはエドウィン・フィッシャーでした。1936(昭和11)~37年の秋冬の演奏會季節に、ヒトラーの許可を得て、作曲に勤しんだフルトヴェングラーは《提琴奏鳴曲(ソナタ)第1番 ニ短調》と共にこの《交響的協奏曲》を書き上げてゐます。

 ヒトラー政権下、どっぷり影響を受けざるを得ない中、必死に抵抗し、多くの猶太人を護つたにも拘はらず、海外から見ると事情が大きく異なりました。國家社會主義勞働者黨(ナチス)の宣傳は巧妙を極め、まるでナチス獨逸の看板指揮者のやうに扱つて報道した爲、それを讀んだり聞いた諸外國から見ると、どうしてもナチスに協力してゐるやうにしか見えませんでした。

 1936年の2月27日にヴェネツィアから船に乘り、休暇を埃及(エジプト)で過ごしてゐたフルトヴェングラーの元に、紐育フィル監督就任要請が届きます。既に、「ヒンデミット事件」で無冠の巨匠は何も縛られるものがないので、快諾の旨を亞米利加に向け電報を打ちました。すると、亞米利加では「いよいよフルトヴェングラー」も獨逸を脱出して、ナチスに闘ふものと讃へられ、非常に好意的に受け止められました。

 併し、それを知つたゲーリングは本人の承諾なしにデマ情報を伯林から發して、獨逸國内に殘るやうにし向けたのです。それは、「伯林國立歌劇場監督に復歸」と云ふものでした。埃及でのんびりしてゐるフルトヴェングラーの元には何の知らせも届きません。亞米利加からは非難の嵐が巻き起こり、ナチス御用指揮者のレッテルが貼られ、フルトヴェングラーに確認の電報が寄せられますが、本人は何のことだかさっぱりわかりません。「伯林に復歸しない」と言つたところで、政府の大々的發表の影に隠れて真意が全く傳はりません。つひには紐育から辞退して欲しいとの知らせが届き、「政治的論爭に巻き込まれたくないので契約を延期」と打電します。すると「やっぱり、ナチスの御用指揮者」だと誤解を重ねるだけでした。遠く埃及に居た爲、正確な情報も傳はらず、ただただ、音樂に奉仕しただけなのに、それ以外のことに無頓着なフルトヴェングラー。今から見ると、時代に翻弄された姿が浮き彫りになりますが、本人の心痛はたいへんでしたでせう。

 その休暇の間に、この曲は書かれてゐます。全曲録音も少なく、ましてSP盤(Electrola DB4696/97S)では二樂章だけなのですが、フルトヴェングラーは此処で自らの苦惱を吐露し、結晶化させてゐます。録音は1939年4月25日、伯林のベートーヴェン・ホールです。悲痛な心の叫びだと思ふと聞き流せません。

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2006年5月29日 (月)

戰中のフルヴェン

Furt42 5月20日(土)にフルトヴェングラー・センターとの共催で「特別演奏會」を開きました。題して、『戰中のフルトヴェングラー』。
 巨匠のスタジオ正規録音は戰前に38曲、SP盤として發賣されましたが、特に1937(昭和12)年から1942(昭和18)年の間の9曲を選んで掛けました。この演奏會の模様は録音、録畫しましたので記録DVDとして後程頒布するつもりです。

 フルトヴェングラーのSP盤はレーベル違ひの重複はありますが、全部で130曲位は手元にあります。バラバラにして仕舞つてある爲、詳しくはわかりませんが横に並べると延べ1米位はあると思ひます。レコードは文化遺産であり、後世に是非傳へねばならないもと思つてをります。ですから、その途中一時期だけ、私の手元にあるものだと理解してゐます。だからこそ大事に扱ひたいのです。さうすると、貴重盤故ひとりで聽くのも勿體なくて、大勢集めて何か演奏會でも開かないと單にレコード傷附けるだけで終はる氣がします。

 特に、今回はフルトヴェングラー自身の作曲による《交響的協奏曲》の第2樂章(Electrola DB4696/97S)、戰中のテレフンケン録音の3曲も含まれてをり、これらは私の蒐集盤の中でも5本の指に入る貴重盤ばかりです。今週はこれらの曲のことを書きませう。

 以前は神保町の中古レコード屋位しか、SP盤を手に入れる場所はありませんでした。ところが、10年位前からインターネットを利用した海外の競賣や、通信販賣が氣輕に利用できるやうになり、思ひも寄らぬレコードが手に入るやうになりました。然も、國内市價の半分位ですので、利用しない手はありません。只、金錢的な問題で躊躇つたりすると、もう10年位はお目に掛からないことも多く、何処までにするかが問題です。そして、好きな曲ですと、どうしても幾度となく掛けるので、どうしても保存用に1組、普段用に1組、そして豫備に1組欲しくなるのは蒐集家の性と云へませう。

 それに、SP盤は割れ易いのが玉に傷。回轉臺(ターンテーブル)に置く時に手を滑らせて、蓄音機の縁に落としただけで、もうヒビが入ります。折角、苦勞して手に入れても、一度でおじゃんになることも珍しくありません。どうして、こんな手間も金も掛かるものを趣味にしてしまつたのだらうとその一瞬は思ふのですが、これも運命と諦めざるを得ません。

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2006年4月21日 (金)

悲愴

 〈アダージオ〉のゆったりした音に見る深淵なる世界が、こちらの氣持ちを穏やかにしてくれますが、 この〈アダージオ〉表記の樂章は意外に少ないのは、それだけ特別なのでせう。

 チャイコフスキイの最後の交響曲第6番ロ短調 作品74《悲愴》には、のっけから〈アダージオ〉で始まり第4樂章もまた〈アダージオ・ラメントーソ(緩やかに、悲しく悼んで)〉で始まり、孰(いづ)れも悲劇的な要素が、遅いテムポにより更に強調されます。ただ、初演を任されたナプラヴクニが自筆譜の〈アンダンテ〉を追悼の意味を込めて、〈アダージオ〉に書き換へたと云ふ話しも傳はつており、真相はわかりません。

 チャイコフスキイとしては極めて獨創的な内容ですが、それは最初の暗さにも表され、更に第2樂章のスラヴ獨特の五拍子のワルツも、只聞いてる氣になりませんが、譜面を見ると吃驚します。その上、チャイコフスキイの死因は「コレラ」ではなく、同性愛による秘密裁判で自殺を命じられた、または自ら惱んで死を選んだのか、わかりませんが、隠れゲイとして生きる道を絶たれたことは確かなやうです。現實世界に絶望して筆に託したなんて、簡單に論じる譯にも參りませんが、謎を含み、樂章毎に表題も附けなかつた以上、我々はその點に留意しつつも、ありの儘に受け入れ、性差は別として傑作であると誰もが認める筈です。

 SP盤では、フルトヴェングラー、伯林フィル(HMV DB4609/14)、メンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウ管(Telefunken SK2214/18)、それに珍しい若きカラヤン、伯林フィル(Gramophon 67499/504)が手元にあります。1937~39年に録音されたものばかりですが、非常に個性的で違ひもはっきりしてゐるので面白いです。特にフルトヴェングラーとメンゲルベルクは日本で發賣されると、どちらが良いかで喧々囂々の大騒ぎになりました。それに比べると、カラヤンは若々しいと云ふよりは、青臭い演奏です。

 最近の録音では、西本智実が露西亞で活躍する切掛ともなつた、この《悲愴》は評判いいですね。



チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」


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チャイコフスキー:交響曲第6番「悲愴」


アーティスト:西本智実

販売元:キングレコード

発売日:2002/04/24

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2006年4月20日 (木)

エロイカ

 ベートーヴェンの交響曲の〈アダージオ〉としては、《第9》の第3樂章〈アダージオ・モルト・エ・カンタービレ〉が心に刻まれます。これは、第4樂章の「歡喜の歌」へ行く前の安らぎとでも言ふのか、一歩留まるところです。併し、交響曲第3番《エロイカ(英雄)》第2樂章も、味はひ深いものです。

 「葬送行進曲」としても知られ、お偉いさんの弔ひでも使はれますが、學生の時に演奏した思ひ出深い曲です。本番は第1樂章で高音のハイCの音がきちんと當り、氣持ちよく第2樂章に移ることができました。但し、録音ではティムパニーに消されて、何だから判らずがっかりしたものです。
 〈アダージオ・アッサイ(非常に緩やかに)〉と云ふ指示通り、嚴かに彈かねばなりません。かと言つて引き擦るやうでは、足取りが止まるので、それもダメです。展開部へ移ると、力強く明るい調子で進み、打樂器と一緒の動きで喇叭も盛り上げます。頑張り過ぎると音が割れて、指揮者に睨まれますから、ほどほどにしないといけません。ずんずん歩んで行く、力強さと昂揚がいいんですなあ。併し、そのまま突っ走らずで歩みを止めて、仕切直して第三樂章のトリオへ進むのです。

 ウラニアのエロイカとして知られる、フルトヴェングラー指揮、維納フィルの1944年12月19日の實況録音は、LPからCDへの復刻盤も様々あり、情熱的な演奏のひとつの完成形として有名です。SP盤では1947年11月に入れられたHMVDB6741/47Sが、スタジオ録音ではありますが定番としてあります。但し、これは後にオートチェンジャー盤にこの第2樂章冒頭の5枚目分が入らないからと、その面だけ入れ直したものがあり、マトリックス番號が2種あります。もともとの2VH7074-2、そして氣乘りせずにフル編成でないオケで入れ直した2VH7074-5です。聽き比べたことはないのですが、元の方がいい筈ですが、SP盤として貴重なのは實は後者なので、蒐集家としては兩方手元に置いておきたくなります。

 晩年のクナッパーツブッシュなら、もっとおどろおどろしい感じがするのでせうが、1953年12月17日のミュンヘンフィルとの共演は素晴らしいです。遅くなりすぎず、高貴な感じに溢れた名演です。

スタジオ録音 


Music

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」


アーティスト:フルトヴェングラー(ウィルヘルム)

販売元:東芝EMI

発売日:2002/06/19

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クナッパーツブッシュ大全集 (DVD付)


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クナッパーツブッシュ大全集 (DVD付)


アーティスト:クナッパーツブッシュ(ハンス)

販売元:キングレコード

発売日:2006/03/08

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2006年4月19日 (水)

ブラ2

 悲壮感漂ふブラームスの交響曲第1番に比べると、2番は力まずに書いた所爲か、明るく伸び伸びしたところがあります。冒頭からして、ホルンの獨奏はおおらかで牧歌的です。そして迎へる第二樂章が〈アダージオ・ノン・トロッポ〉、「緩やかに、度を超さずに」と云ふ速度指定が附いてゐます。

 物憂げな感じでチェロが歌ひ出し、寂しさが滲み出ます。そして木管旋律が對するやうに響き、息の長いホルンの膨らみ、絃樂器の優しさが加はります。二つのアレグレットの明るさに挟まれた、一時の陰りなのですねえ。この沈みがないと變化が附くことで、陰鬱な北獨逸の冬を私は思ひ出します。いつも曇りがちで、禿げた木々の寒々しさが、一段と零下の氣温を思はせ、遠くの家屋から立ち上る練炭の匂ひ、やるせない感じがすぐに浮かびます。

 學生時代にやりましたが、私は降り番でしたから、袖口で総譜を見乍ら聽きました。練習に比べて、本番のノリは良過ぎて、滑つた獨奏もゐましたが、學生らしく、若々しさに溢れた演奏でした。勢ひだけで押したとも云はれるかも知れませんが、仲間としては良い思ひ出です。

 私はブルックナーの7番2樂章なら單獨で聽いても何ら問題ないのですが、このブラームスの2番の第2樂章の場合は、このまま終はるにはちと辛いです。第3樂章で生氣を取り戻すことが判つてゐるからこそ、安心して聽けるのであつて、後がないとどうも居心地が惡いですね。

 SP盤では、またまたフルトヴェングラーですが、伯林でもなく、維納でもなく、倫敦フィルを振つたものですDecca AK1875/79。山崎浩太郎さんの名譯『レコードはまっすぐに』によるとプロデゥーサー、カルーショーの意に添はない録音でした。通常と違ふマイクロフォンの數と位置に苛ついたフルトヴェングラーがみんな取り去つてしまつた爲にデッカ社らしい音ではないと半ば嘆いてゐるものです。どうして、どうして蓄音機で聽く分には、そんな感じはせず、幾分響きが少なく演奏會場ではなく、スタジオの雰圍氣が傳はるものの、十分樂しめます。

 CDでは、小澤征爾指揮、齋藤記念オーケストラが、なかなか重厚な音がして宜しい。設立當初は松本まで追つ掛けたこともあるオケです。盛り上がるところで溜めないのが小澤さんが好きになれない原因ですが、そんなことを感じさせない流れがあります。



ブラームス : 交響曲 第2番 ニ長調 作品73


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ブラームス : 交響曲 第2番 ニ長調 作品73


アーティスト:小澤征爾

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2000/04/26

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レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想


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レコードはまっすぐに―あるプロデューサーの回想


著者:ジョン カルショー

販売元:学習研究社

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2006年4月18日 (火)

アルビノーニ

 アダージオで最も有名だと思はれるのが、トマゾ・アルビノーニ(1671~1751)の《アダージオ ト短調》だと思ひます。確か、オーソン・ウェルズ監督の映畫「審判」で使はれてから、尚更有名になりました。ウェルズは脚本も主演もし、共演アンソニー・パーキンスの冴えない顔が忘れられません。何だかひたすらこの曲ばかり流れてゐたやうな氣がします。

 アルビノーニは決して一發屋ではないのですが、バロックに疎い私はこれ切りしか知らず、他の曲は聽いたとしても全然覺へてゐません。《オーボエ協奏曲》はいいらしいのですが…。
 ヴィヴァルディと同じ頃に、ヴェネツィアで活躍したアルビノーニの原曲は作品番號の入らない《トリオ・ソナタ ト短調》の斷片的な手稿でした。通奏低音とたった6小節の2つの旋律だけでした。それをドレスデンの圖書館で發見した、伊太利の音樂學者レーモン・ジャゾットがそれっぽく絃樂合奏とオルガン用に編曲して、瞬く間に廣まつた由。チェンバロの低音より、オルガンの方が嚴かな感じがしますので、そこが良かったのでせうか。ただ、20世紀の香りが附いて、やらせっぽさが殘るのが玉に瑕(キズ)。 靜かで悲しげで、然も瞑想的な感じがドラマ向けなのか、テレビでもよく耳にします。

 さうすると、誰にも受け入れ易い、ただひたすら綺麗な演奏がいいと思ひますから、カラヤン盤をお薦め致します。



アダージョ・カラヤン・ベスト


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アダージョ・カラヤン・ベスト


アーティスト:カラヤン(ヘルベルト・フォン)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2002/09/25

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2006年4月17日 (月)

アダージオ

 オペラの中で夢を語らふ場面はゆったりとした速度で歌はれます。音樂の速度標語に「Adagio(緩やかに)」と云ふのがあり、これがゆったりとして心安らぐものです。以前、カラヤン死去後、すぐにアダージオ曲ばかりを集めた、その名もずばり『アダージオ』が爆發的に賣れたものです。クラシックに餘り興味のない人でも、何処かで聞いたことがあるのか、癒し効果を狙つたのか、わかりませんが、兎に角大騒ぎになりました。もう廢れましたので、今週は〈アダージオ〉を選んでみませう。

 私の一番好きな〈アダージオ〉はブルックナーの交響曲第7番の2樂章です。これとマーラーの9番のCDだけは、必ず車に積んでます。あとは家族のCDばかりで、自分が運轉する時にしか掛けられません。それでも、疲れた時に、或ひは氣分が昂揚し過ぎた時に一歩下がつて物事が考へられ、後半部の上昇音型に勇氣附けられる氣がするからです。

 ワーグナーの死去が近いことを知り乍ら、この〈アダージオ〉を書き始めた爲、深い嘆きと祈りの思ひが託されてゐる氣がします。4本のワーグナー・テューバの短調の響きと、弦樂器の流れるやうな第2主題が對立して絡み、うねりとなって伽藍を築くやうに頂點を迎へます。そしてこの邊りまで書き進めたところで、ワーグナーの訃報に接したと云はれてゐます。その所爲か、祈るやうなコーダも心に響きます。

 SP盤で有名なのは戰中録音のフルトヴェングラー指揮、伯林フィル(Telefunken SK3230/32)でせう。このレコードはこの2樂章だけの單獨録音です。ヒトラー自殺の日に終日ラヂオ放送された曰くもあり、珍品盤として知られてゐます。大枚叩いて競賣で落手した時に、餘りに嬉しくて、うっかりかみさんに話してしまひ、幾らしたのか問ひ正され、しどろもどろで大汗をかきました。
 雑音は多いのですが、ちっとも安らかな感じがせず、フルトヴェングラーのブルックナーは合はないのか、不思議な演奏です。だからこそ、録音時の状況、極限状態下の緊迫した雰圍氣を思ひ起こさせます。これは5月20日(土)の「特別演奏會」でお掛けします。

 では、CDとなると、ギュンター・ヴァント指揮、伯林フィルが奥深く、深遠な祈りを感じます。グッドオールやジュリーニも聞きますが、最終的に戻るのはヴァントになつてしまつてます。




ブルックナー:交響曲第7番


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ブルックナー:交響曲第7番


アーティスト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

販売元:BMGファンハウス

発売日:2000/03/23

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2006年4月 7日 (金)

9番の迷信

Mahler グスタフ・マーラーは諸先輩の作曲家が交響曲を9番までしか殘してゐないことが多く、自分も9番を書いた途端に死んでしまふのではないかと危惧してゐました。確かに、ベートーヴェン、シューベルト、ドヴォルザークにブルックナーは9番までしか書いてゐませんが、ハイドン(104番)やモーツァルト(41番)は多産でしたし、マーラー以降のショスタコーヴィッチ(15番)だけ多く、シベリウス(7番)、プロコフィエフ(7番)、ニールセン(6番)は9番まで書いてゐませんので、この説は全く當て嵌まりません。併し、マーラーは真劍で、9番目の聲樂附き交響曲を《大地の歌》と名附けて敢へて9番を避ける程でした。
 《大地の歌》を書き始めた1907(明治40)年には愛娘マリアを亡くし、それまで水泳やスキーまで樂しんでゐたマーラー本人も心臓病を宣告され、突然死と隣合はせになつたからでせう。その年の暮れには維納宮廷歌劇場の音樂監督を辞め、紐育(ニューヨーク)でメトロポリタン歌劇場の指揮者として、又紐育フィルの指揮者として過ごしますが、夏は歐州に戻り、恒例のトブラッハの別荘で作曲に勤しんだのです。そこで《大地の歌》や9番、そして未完の10番が書かれました。交響曲第9番ニ長調は09(明治42)年から書き始め、翌年の4月1日に紐育で完成させてゐます。
 そして第10番に取りかかりますが、こちらは未完に終はつてゐます。圖らずも迷信通りになつてしまつたのは皮肉なものです。

 1911(明治44)年、51歳の誕生日を前にしてこの世を去つたマーラーは實際9番の演奏を聽くことは叶ひませんでした。調性音樂を最大限に廣げ、瓦解する寸前まで進めたこの作品は「死」が主題で、事實、終樂章は「死ぬやうに」と云ふ注釈が附いてゐます。
 初めて聽いたのは、大學4年のことで一級下の後輩が「青少年音樂日本聯合(JMJ)」の審査(オーディション)に通り、ジュネス交響樂團でマーラーの9番をやるので事前に勉強しろと、カセットと小型総譜(ポケット・スコア)を渡されたからでした。このオケは嚴しい審査があつて優秀な學生や個人が集まり、専門家の指揮で、NHKホールを舞臺に彈けるので人氣がありましたが、2001(平成13)年に活動を休止してゐます(少子化の爲?)。その時は提琴の部分譜面(パート譜)を製本したり、総譜を勉強したり、萬全の體勢で本番を聽きに行きましたが、正直何だかよくわかりませんでした。混沌としてるだけで、全然耳に馴染んで來ません。勿論、これは指揮者の井上道義さんの所爲ではありません。まだ、マーラーが染み込んでゐなかつたのです。

 併し、これが切掛となつて、マーラーばかり聽くやうになり、次第にまた嵌つて行くのでした。當時は廉價盤のLPがぞろぞろ出てゐましたから、學生でも氣輕にお小遣ひで買へました。混沌として、何でも詰まつてゐるところが、現代人の惱みを代辯してゐるやうにも感じ、伯林へ行つてからは、以前書いたやうに、伯林フィルで幾度も聽く機會も得て、ますます好きになりました。一流の音樂家による生演奏は強烈な印象を刻み込んでゐます。特にこの9番の思ひ入れは激しいと云へませう。

 さて、日本で聽いたアバド指揮、伯林フィルの演奏が忘れられないと書きました(2月8日)が、同じ組み合はせの實況録音が現在聽ける最高の演奏のひとつだと思ひます。
Mahlers9 併し、何と言はうと一番のお薦めはブルーノ・ワルター指揮、維納フィルによる1938年1月16日のSP盤(HMV DB3613/22)です。獨逸國家社会主義勞働黨(ナチス)により墺地利が併合される直前の演奏です。ユダヤ人ワルター告別演奏會であると、ワルター自身も樂團員も、お客さんも知つてゐて、もう二度と聽くことができなくなると心の中で思ひ描いて會場に向かつたことでせう。さう云ふ極限状態での緊迫した演奏が、鬼氣迫る迫力を生み、死の恐怖と現世への憧れが凝縮してゐます。そんな前置きを知らずとも、心に訴へ掛ける力に滿ちてゐると思ひます。CD復刻盤では迫力に欠けますが、SPならではの力強さに溢れたこの10枚組は私の寶です。




マーラー:交響曲第9番


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マーラー:交響曲第9番


アーティスト:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 アバド(クラウディオ)

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:2002/05/22

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2006年4月 6日 (木)

遺作

Bruckner 19世紀も後半になると、垣根を越えた作品や巨大化した交響曲が生まれます。その點で云へば、アントン・ブルックナーは長大で、意外に單純な構造が敬虔なカトリック教徒らしく、オルガン奏者の経験が生かされた伽藍のやうな見事な音の構築物がよく、森を彷徨うやうにして始まります。興味のない人にはどの曲も似たり寄ったりでひたすら長く、延々と續いて終はりが見えず疲れるだけなのでせう。併し、一度この魔力に陥るとワーグナー同様、何処までも好きになるやうです。それに金管奏者は活躍の場が多いので、ひたすら休符が續くよりパッパラ吹けるので嬉しいものです。

 ブルックナーはこの交響曲第9番ニ短調を1887(明治20)年9月21日に書き始めたのですが、8番に對するヘルマン・レヴィ(指揮者)の否定的な意見に惑はされて改訂を始めました。それは8番だけに止まらず、1番、3番、4番にまで及び、9番の完成が伸び伸びになつてしまひます。1894(明治27)年に入ると、體力の衰へも著しく、毎日寝臺の上で筆を持ち書き續けました。そして、1896(明治29)年10月11日の午後3時に亡くなる日の午前中まで病床で第4楽章に取り組んでゐたと云はれてゐます。それ故、途中までしか草稿のない4樂章の代はりに《テ・デウム》を終樂章の代用としても良いと生前語つてゐます。

 通常は3樂章のアダージョまでで終はりです。第1樂章は「原始霧」とよく云はれるブルックナーらしい絃樂器のトレモロから始まり、壮大な響きが導かれます。第2樂章は以前(1982年の夏頃封切られた)邦畫の主題歌に使はれてゐました。スケルツォは荒々しいリズムで刻まれ、ガンガン鳴り響きます。そして、第3樂章は天上の世界を思はせる彼岸へ淨化して行くやうな、美しく荘嚴な感じが素敵です。強音(フォルテ)で始まる提琴(ヴァイオリン)のG線の主題は、聽き手をぐいっと引き込みますが、ブルックナーが意圖したものはさうでなくて、その後を書き續けてゐたのだからと考へ、補完復元する人も出て來ました。
 1934(昭和9)年にオーレルが終樂章の遺稿を整理して發表してから、これを完成させやうと多くの人が試みてゐます。92(平成4)年にサマーレ、マッツーカ、ジョン・A・フィリップの共同作業で復元完成されたものは、オーレル以降に發見された素描(スケッチ)も加へて練られてゐるので評判はそこそこで、アイヒホルン指揮、リンツ・ブルックナー管絃樂團により録音されてゐます。また、ニコラウス・アーノンクールは維納フィルを使ひ、4樂章の斷片を解説を交えて演奏する試みをしてゐます。

クナッパーツブッシュの怪演も好きですが、今のお氣に入りは1998(平成10)年9月の伯林藝術週間でのギュンター・ヴァント指揮、伯林フィルとの實況録音です。ゆったりとしたテムポがだれることなく凝縮し、透明感のあるスケールの大きい演奏となつて、會場全體に響き渡り、音が空間を埋め尽くすやうなところに幸福感を得ます。第二樂章の三連符の刻みも魔神の軍隊が攻めて來るやうな迫力があり、第三樂章の深淵な森の底から沸き上がる泉やうな澄んだ佇まひが素晴らしく、何度聽きても飽きません。
Bruckners9  SP盤ではハウスエッガー指揮、ミュンヘン・フィルの1938年録音(Victor 15784/90)が手元にありますが、こちらはまだ聽いてゐません。


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ブルックナー:交響曲第9番


アーティスト:アイヒホルン(クルト)

販売元:カメラータ東京

発売日:2002/06/20

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ブルックナー:交響曲第9番


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ブルックナー:交響曲第9番


アーティスト:アーノンクール(ニコラウス)

販売元:BMGファンハウス

発売日:2003/09/25

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ブルックナー:交響曲第9番


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ブルックナー:交響曲第9番


アーティスト:ヴァント(ギュンター)

販売元:BMGファンハウス

発売日:1999/05/21

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2006年4月 5日 (水)

新世界

Dvorak アントニン・ドヴォルザークの交響曲第9番《新世界より》も慣れ親しんだ曲の一つでせうか。2樂章の一部が《家路》となり、小學校の下校時間に流され、刷り込まれた方も大勢居らっしゃることと思ひます。
 最近ではチェコ語の發音に近いドヴォルジャーク表記も増えて來ました。よく知られる通り、この曲は亞米利加は紐育の私立ナショナル音樂院の院長として招かれた時(1892~95年)に、黒人靈歌や亞米利加先住民(ネイティブ・アメリカン)たちの歌を聞き、故郷ボヘミアの響きと似てゐると感じ、歐州への音樂便りとして1893(明治26)年に書かれた爲、《新世界より》と云ふ副題が附いてゐます。引用としては黒人靈歌《Swing Low, Sweet Chariot》の旋律は一部そのまま使はれてゐます。音樂に著作権はありますが、引用や主題として自由に使はれますね。現在の法律では、もしかすると厄介な問題に發展するかも知れませんが、この旋律があればこそ、曲も盛り上がると云ふものです。

 ワインの世界ですと日本人は佛蘭西ものばかりを珍重するところがありますが、「新世界(new world)」と云へば、歐州以外の亞米利加や豪州或ひは南米等新しい産地を指し、ラベルに品種名を記載した爲味はひが想像し易く、價格もお手頃なものが多いので人氣があります。

 餘りに有名なので、逆に敬遠されるかも知れませんが、所謂、「定番」として一聽をお薦めします。どの樂章も親しみに溢れた名曲ですから、幾度も聞くうちに耳に殘ります。LP時代は大抵外袋に自由の女神や紐育の摩天樓が描かれてゐましたが、音樂としてガーシュインのやうな都會の喧噪や猥褻な世界が繰り廣げられる譯でなく、《家路》そのままの田舎の田畑や緑の山の印象です。ドボルザークはきっと故郷ボヘミアを描いた筈ですが、日本人の私としては、青々とした田圃や茅葺き屋根の農家が思ひ浮かべます。
 個人的には、高校ブラス2年生の時、文化祭で4樂章のみ吹奏樂に編曲されたものを演奏しました。當時は弱小ブラスでしたから、人數も少なく、10名前後でこぢんまり綺麗にまとまり、學校の講堂で靜かに盛り上がりました。現役の後輩達は東京都の競奏(コンクール)に優勝する等人數も多く、隔世の觀があります。我々が3年になつた時に、新入生が急に増えて樂器が足りず、豫算を附けて貰ふのがたいへんでした。通常吹奏樂は幾人かで一組(パート)なのですが、人數が少なく殆ど一人で一組でしたから、きっちり吹くかないと旋律が聞こえて來ません。それで練習の際に、力んで汚い音を出すと、指揮者によく睨まれたものです。

Neuwelt SP盤ではカルロスの父、エーリヒ・クライバー指揮、伯林國立歌劇場管絃樂團(Grammophon 66909/13)が1929年録音とは思へないシャキッとした素晴らしい音です。演奏はとても現代的で清々しさがあり、生氣に溢れてゐます。當時の獨逸科學技術が如何に高かつたか、このポリファー録音は物語ってゐます。
 LPではベーム指揮、維納フィル盤で、耳にすれば、殆ど旋律を諳んじることができる位まで聞き込んだものですが、棚を見ても、現在《新世界より》のCDは一枚も持つてゐませんでした。
 實況録音では1937年のジョージ・セル指揮、チェコ・フィルが有名で、評判がいいものはヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコ・フィルによる1993年12月11,12日に録音されたものです。《新世界より》初演100周年記念演奏會の模様を録音したもので、冒頭からノイマンの同郷作曲家への優しい氣持ちが溢れたものらしいのですが、生憎、孰れも未だ聞いたことがありません。
 推測ですが《新世界より》は《第九》の次に交響曲として録音が多く、少なくとも50種類以上ある筈です。指揮者で選ぶもよし、絵柄で選ぶもよし、クラシックの入門編として聞くもよし、色々な樂しみ方があると思ひます。



ドヴォルザーク:交響曲第9番


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ドヴォルザーク:交響曲第9番


アーティスト:ノイマン(ヴァーツラフ)

販売元:コロムビアミュージックエンタテインメント

発売日:2004/12/22

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2006年4月 4日 (火)

グレイト

Schubert 年代的に見ると、ベートーヴェンの次に交響曲を9曲書いたのは、フランツ・シューベルトになります。以前は7番と呼ばれてゐましたが、これはロ短調の「未完成」が發見される前に初演された爲です。現在では國際シューベルト學會の提唱により「8番」とされることも多いのですが、どうも最初に覺へた「9番」が自分には一番しっくり來ます。

 この交響曲第9番ハ長調 D944は、當時の交響曲の概念を越える演奏時間の長さ、規模の大きさから、1838(天保9)年に自筆譜面を發見したシューマンをして「天國的な長さ」と稱され、第6番ハ長調と區別する爲、こちらを〈大交響曲(Die grosse Sinfonie)〉と呼んだものが、英語でThe greatとなり、日本では〈グレイト〉の名で通つてゐます。
 1825(文政8)年の夏から書き始められ、シューベルトの亡くなる年の28(文政11)年3月には書き終へたやうですが、生前に發表されることなく遺品のひとつとして、實兄フェルディナントの家にほったらかしにされてゐました。それをシューマンが發見し、1838(天保9)年3月21日にメンデルスゾーンの指揮により少し短縮して初演され、今では後のブルックナーを豫感させる廣がりを感じさせる爲、人氣があります。

 第一樂章はのんびり牧歌的に始まり、樂しげでわくわくし、三部形式の第二樂章は絃樂器の刻みの上に現れるオーボエの旋律が美しく、第三樂章では絃樂器の刻みが細かく増え、その上に生き生きとした木管が旋律を奏で揺れ動きます。終樂章は階段を力強く登るやうな力と沸き上がる推進力により、前へ前へと輝かしく前進して頂點を迎へて健康的に終はります。作曲の技倆的にはもう少し推敲も必要でしたでせうが、この盛り上がりがいいですね。

Gross フルトヴェングラー晩年の1951年11月27,28日、伯林フィルと共に伯林のイエス基督教會で録音されたものが、SP盤(Deutsche Grammophon LVM72153/56)にあります。併し、これはLP發賣を控えた時代で從來のSP盤よりもLP並に溝が細く片面で10分程、凡そ倍は録音が可能なヴァリアブル・マイクログレード(Vaeiable Micrograde 78)に入れられてゐて、通常の蓄音機では掛かりません。無理に掛けるとすれば、鐵針ではなく、タングステン針や長時間針を使はないとレコード盤を傷附けるだけで終はつてしまひますので、電氣再生に適してゐます。これは、その上正規録音ですから、理性的で落ち着いてゐますが、本番の演奏會ならきっとオケを煽つてさぞかし盛り上がつたことでせう。

 實況録音で擧げるとすれば、カール・ベーム指揮、ドレスデン國立歌劇場管絃樂團との〈グレート〉でせう。1970年代後半、日本では絶大な人氣を誇つたベームもやや忘れられた存在になつて來ました。派手なカラヤンに對する對抗馬として獨逸系の中で年長のベームが押し出されたのかも知れません。私はベームの生演奏を聽きそびれた爲、ベームのLPを集め、彼のレパートリーと共に自分の好みの曲も廣がりました。




シューベルト : 交響曲 第9番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」


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シューベルト : 交響曲 第9番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」


アーティスト:ドレスデン国立管弦楽団

販売元:ユニバーサルクラシック

発売日:1999/03/03

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2006年4月 3日 (月)

第九

Beethoven  一期一會のライブ、即ち生演奏の實況録音となると途端に燃える指揮者がをります。スタジオでの正規録音では餘り熱が入らないのに、觀客の居る演奏會そのものを録音となると、生氣が漲(みなぎ)り、溌剌とした演奏をしてくれます。

 まづ擧げられるのは、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーでせうか。以前書いた通り彼が1951(昭和26)年、バイロイト音楽祭の開幕に際し演奏したベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調〈合唱附き〉作品125は語り尽くされた觀がありますが、實況録音の良さが出た白熱した演奏で知られてゐます。

 フルトヴェングラーは〈第9〉が餘程好きであつたのでせう。斷片録音や部分は別として全曲盤は11組殘されてをり、何か執着と云ふより執念のやうなものを感じます。然も皆實況録音ばかりです。最も古いものから順に擧げれば、

 ①1937(昭和12)年5月1日 伯林フィル 倫敦(ロンドン)録音
 ②1942(昭和17)年3月23~24日 伯林フィル 舊フィルハーモニー録音
 ③1942(昭和17)年4月19日 伯林フィル 舊フィルハーモニー録音
 ④1943(昭和18)年12月8日 ストックホルムフィル 瑞典(スウェーデン)録音
 ⑤1951年(昭和26)年1月7日 維納フィル 樂友協會録音
 ⑥1951年(昭和26)年7月29日 バイロイト祝祭管 バイロイト録音
 ⑦1951年(昭和26)年8月31日 維納フィル ザルツブルク録音
 ⑧1952年(昭和27)年2月3日 維納フィル 樂友協會録音
 ⑨1953(昭和 28)年5月31日 維納フィル 樂友協會録音
 ⑩1954(昭和29)年8月9日 バイロイト祝祭管 バイロイト録音
 ⑪1954(昭和29)年8月22日 ルツェルン音樂祭管 ルツェルン録音

 ①は英國國王ジョージ5世の戴冠式記念に招かれたもので、ビニールの78回轉盤19面に試驗的に録音されただけで發賣はされず、LP時代になつて復刻されました。②は進駐して來た蘇聯軍に親盤(マスター)テープが接収され、蘇聯のメロディア社からLPが發賣されました。③はヒトラーの誕生日の前日にも録音され、一部記録映畫に殘つてゐます。宣傳相ゲッペルスとの握手後、手を拭ふ巨匠の姿が寫つてゐます。④は戰中に招かれて指揮したもの。⑤から戰後録音となり、維納フィルとの録音が増えます。⑥が有名なバイロイト録音。⑦はザルツブルク音樂祭の録音。⑧と⑨は維納フィルと入れたもので、⑩は病後のバイロイトで、⑪はルツェルンでの第9最後の録音です。

 この《第九》は、第一樂章から力強い旋律が現れ、齒切れが良く躍動感に溢れる第二樂章、非常に穏やかな第三樂章、終樂章は苦痛に滿ちた回想から「歡喜」の歌が登場し、彌が上にも盛り上がつて合唱が重なり、頂點を迎へます。徐々に速度を速め、やや煽るやうにして迎へる絶頂(クライマックス)は良くも惡くもフルトヴェングラーらしさが一番出ます。

 各演奏批評は既に多くの方がされてをり、好みもあるでせうから、參考までにフルトヴェングラー鑑賞記を擧げておきます。各社CDにより聞き比べをされてゐます。生前は日の目を見なかつた録音も入つてゐるのですが、他にこれ程録音してゐるのはカラヤン位なものです(17種)。

 歐州では師走の風物詩なんてことはなく、何かの節目に演奏されますが、日本の場合、戰後のひもじい樂團員が年を越せるやうに、客入りのよい〈第9〉が12月に演奏されました。テレビ宣傳にも使はれ、最も馴染みの深い〈ダイク〉です。勿論、他の作曲家にも〈交響曲第9番〉がありますので、今週は〈交響曲第9番〉に拘つて書いて行きませう。




ベートーヴェン:交響曲第9番


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ベートーヴェン:交響曲第9番


アーティスト:フルトヴェングラー(ウィルヘルム),シュワルツコップ(エリザベート),エーデルマン(オットー),ヘンゲン(エリザベート),ホップ(ハンス),バイロイト祝祭合唱団

販売元:東芝EMI

発売日:2004/12/01

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2006年3月23日 (木)

往年の指揮者

Dirigent 現役の指揮者なら幾らでもサインを貰ふ機會はありますが、既に彼岸の向かう側の住人では致し方ありません。併し、誰かが生前貰つてゐるものです。代替はりした際に、それらは興味のないご遺族の手から離れて競賣に出て來て、高値で取引されてゐます。
 只の肖像絵葉書(ポートレート)ですら取引されてゐますが、其処に實筆署名が入ると突然桁が上がります。色紙やプログラムもそこそこ値が張りますが、寫眞があるとないとでは雲泥の差出す。ここに掲げたものでは、左上奥の絵葉書から、ニキッシュ、ワルター、カラヤンそして下段にトスカニーニと並んでゐます。ニキッシュの寫眞左下に撮影した人のサインが入つてゐますが、本人のものはありません。ワルターの場合、裏に鉛筆で書かれてゐるものが、實筆のやうですが確証はありませんでした。カラヤンはデッカ社録音時代の珍しいもの。そしてトスカニーニは葉書に1934年11月20日と日附まで書いて貰つてゐますので、尚更價値が高くなります。

 珍しいと思ふと尚更力も入りますが、どうせこんな金額では無理かと思つたものが、案外簡單に落札できたり、途方もない値段が附いて、諦めざるを得ない時もあり、運任せです。これを「一期一會」と云ふ他なく、ご縁がなければ仕方ありません。

 手に入れば順番に額に入れたいのですが、なかなか資金も續きません。かみさんに自慢氣に見せた途端に、顔が曇り「そんなものどうするの」「死んだら全部賣るから、仕入れ代金書いて置いてね」と、いとも簡單に言はれた時は、さすがに「ワルハラの神殿」が崩れるかと思ふ程の衝撃を受けました。これらは一箇所にまとめてはあるものの量も増えて段々整理整頓も上手くできません。自分で自分に呆れてゐます。

Autgram  特に好きなフルトヴェングラーになると、自らの蒐集努力の結果の筈ですが、自然に増殖したのかと感じる程、矢鱈と増えました。他にもサインは入つてゐなくとも著作やプログラム等もありますから、どうしますかねえ。蒐集も量が増えると、置き場所にも困り、盗難の心配やら地震や火事の際にどうするかも真劍に考へねばならない筈ですが、どうも、かう云ふことには無頓着なので、いけません。

Cascol 指揮者だけならよいのですが、歌手や演奏家もありますので、どんどん増えます。これはまだ髪のある若きカザルスと、ドン・ホセに扮したコレルリです。限界とか切りと云ふものがありませんので、現實問題として、もう手放すことも視野に入れていかないといけませんが、なかなか難しいですね。それが蒐集家の諦めの惡さでせう。

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2006年3月22日 (水)

指揮者たち

 來日公演の指揮者たちは、客が大勢押し掛ける爲か、長旅の疲れか、明日の移動のことで頭が一杯なのか、無愛想で尊大な態度の人が多くてがっかりさせられます。或ひは、混亂を避ける爲、こっそり裏口から歸へられることもあります。

Photo_2 80年代後半の歐州では、割に簡單に裏口に入ることができました。伯林のフィルハーモニー(ホール)の場合、下手階段途中に小さな扉があり、そこを潜れば舞臺袖に出て、直ぐに指揮者及び獨奏者控へ室前へと、出られます。それに、日本人演奏家に會に行く顔をして行けば、入れてくれたものです。これはクラウディオ・アバドとマウリツィオ・ポリーニから頂いたものです。
 2003(平成15)年9月に行つた際は、既にサイモン・ラトルに音樂監督も替はり、演奏會季節初日と云ふこともあつてか、警備員がゐて招待状のある者だけしか、入れてくれませんでした。

Photo_3 伯林フィルの中でも當時フィリップス社にマーラーの交響曲録音を續けてゐたベルナルド・ハイティンクのマーラー演奏は随分聽いたものです。1番、4番、5番、特に6番の減り張りの利いた、繊細でゐて豪快な演奏は忘れられません。日本では今ひとつ評價されてゐない氣がしますが、職人氣質の指揮者として、オケに信頼されてゐる様は演奏に現れてゐました。

Photo_4 それが、リッカルド・シャイーになると、全然別のオケかと思ふ程音の表情が違ひました。カラヤンの指揮豫定でした1989(平成元)年9月30日の演奏會は、7月16日に突然鬼籍に入られたので、追悼演奏會として急遽シャイーが呼ばれ、曲目もマーラーの9番に變更されました。併し、この伊太利の指揮者がどんなに力を込めて振つても、唸つたところで、オケはまるでお茶漬けをサラサラ食べるがごとく、反應せず、冷靜に自分たちの音樂を奏でてゐたのです。9月12日にブラームスの2番を振つた際は、おおらかな演奏が素敵でしたが、この時のマーラーは緊迫感はあるものの、普段の伯林フィルの表情とは全く違つたので記憶に殘つてゐます。

Photo_5 もう伯林を離れることも決まつてゐましたので、精力的にこの「伯林藝術週間」はフィルハーモニーへ通ひました。ブルックナーの9番を振つたカルロ・マリア・ジュリーニも忘れられません。最前列にご贔屓筋なのでせう、真黒く正装した伊太利のマフィアかと思ふやうな軍團が陣取つてゐたのには、吃驚しました。時折唸り聲も低く響いて來て、老大家らしく悠然とした指揮振りだけでも説得力があり、納得し乍ら聽きました。この時はこの交響曲一曲切りでしたが、内容も濃く奥深いもので、何ら他の曲を必要としませんでしたね。彼も昨年6月14日に亡くなりました。

 舞臺の上だけでない、指揮者のファンに接する時の普段の姿が見られるのも、サインを貰ふ時の樂しみのひとつです。

 

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