2009年9月29日 (火)

文樂三昧

 今月の文樂東京公演は3部に分かれている故、時間の遣り繰りもたいへんである。

 第2部前半、《伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)》の〈沼津の段〉は三大仇討ちのひとつ、荒木又右衛門の仇討の裏側で敵味方に分かれてしまった家族の悲劇を描いてゐる。
 住大夫の名調子、それを支える錦糸の太棹三味線と息の合った演奏に、蓑助の十兵衛は凛としてをり、勘十郎の平作はほんたうにお爺さんで、ここから驅け寄り肩を貸したくたくなる程。それぞれ人形たちが生き生きとしてゐた。

 それに続く《艶容女舞衣(はですがたおんなまいぎぬ)》の〈酒屋の段〉は嶋大夫の語るお園のクドキが切なく、悲劇の世話物の深い味はひがあった。女房があり乍ら、遊女三勝に入れ上げた擧げ句に子供なでなした半七は、身請け話の縺れから誤って人を殺し、下手人となつてしまふ。死への別れの前に實家に子供をあずけ、外から樣子を伺ふものの子供に逢ふこともできず、別れて行く。お園を演じる文雀の細やかな藝も鮮やかであつた。

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2009年9月28日 (月)

シェイクスピア

 文樂東京公演第三部《天変斯止嵐后晴(てんぺすとあらしのちはれ)》を觀ゆ。坪内逍遙譯のシェイクスピア原作『テンペスト』を中世の日本に舞臺を移し、義太夫節を附け、人形淨瑠璃にしたもの。

 第一幕〈暴風雨〉では、舞臺正面に六人の太棹三味線猛者が並び、十七絃琴と共に厚い音量を奏で、御簾からは樣々な効果音を用いて表す。大海の孤嶋より、阿蘇左衛門藤則(あそさえもんふじのり=プロスペロー)の術に因りて大嵐となり、敢へ無く御座船は沈没し、自らを陥れた弟の刑部景隆(けいぶかげたか=アントーニオ)、隣國城主、筑紫大領秋實(つくしのたいりょうあきざね=アロンゾー)、嶋流しの際に情けを掛けてたる恩人、日田権座衛門(ひだのごんざえもん=ゴンザーロー)が流れ附く。呪術を使ふ阿蘇左衛門の策略で、娘美登里(ミランダ)と筑紫大領の嫡男、春太郎(ファーディナンド)は戀に落ち、仇討ちではなく改心させて皆幸福なる結末を迎へる。

 チャリ場では携帶電話も出て來るし、力持ちの話では朝青龍の名も擧がり、家族連れ、子供向けの仕上がり。されど、音曲に無理多く、努力は認めるも古典に親しむ者には疑問に思ふことあり。千歳大夫は顔ばかりで聲枯れて聞き取れず悲惨、呂勢大夫は清治の援護にて好演、久し振りの文字久大夫はそつなく、抜きん出でたるは咲甫大夫の美聲なり。人形遣ひは主遣ひも顔出さず、全て黒子。愉快とも言へぬものの、樂しめり。

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2009年9月15日 (火)

辯慶&牛若丸

 今月初めての文楽東京公演は《鬼一法眼三略巻》。辯慶、牛若丸の若い頃の話を五條橋での出會ひまで描く。讀み書きもできず、預けられた寺では暴れん坊であつた鬼若丸が得心して出家する二段目〈播州書写山の段〉の奥、津駒大夫&寛治はノリもよく、歯切れのいい語りを聞かせてくれた。鬼若丸は乳母に折檻されるが、その後の「安宅の關」で上司を助ける爲に義經を叩く史實の伏線となつてゐる。

 〈清盛館兵法の段〉は遠近法を活かした遠くに清盛が座り、鬼一法眼から兵法書を取り上げるやうに命令をするところ。その後の「菊畑の段」は元は源氏方の鬼一法眼が平家方に附いてゐるので、牛若丸も兵法書を盗み出さうとすると、實は鞍馬で天狗に化けて兵法指南をしたのが鬼一法眼だと証される。燕三の三味線はビシバシ叩いて激しいものの、咲大夫の語りが眠い。珍しく半分くらいは目が開けてられなかった…。どうも、自分とは相性が惡いらしい。歌舞伎で有名な四段目「一條大蔵譚」はなかった。

 そして〈後條橋の段〉は京都、五條大橋での牛若丸と辯慶の出會ひを輕快に描く。大夫4人、太棹三味線は連れも合はせて7名の大勢が床に並ぶので、左乍らオーケストラのやうな太い音響が響き心地よい。今年、錦糸師匠に弟子入りした、野澤錦吾くんも、姿勢を正して演奏してゐた。

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2009年7月24日 (金)

親子體驗

 親子で樂しむ歌舞伎教室へ下の子を連れて行く。歌舞伎十八番の内《矢の根》と《藤娘》に解説が附と云ふもの。中村亀鶴が花道のすっぽんから迫り上がり、まづは一通り舞臺から鳴り物、衣装、小道具等説明し、演目の解説、立ち回りを見せてくれました。

 そして《矢の根》は、隈取りに車鬢(クルマビン)と呼ばれる「カニパンのやうな鬘(カツラ)」の曾我五郎(男女藏)、科白のない大薩摩主膳太夫(澤村宗之助)、夢枕に立つ兄十郎(亀鶴)と若手の出演です。曾我兄弟の仇討ちは江戸時代のヒーローものですから、殆ど超人扱ひ。荒事と云はれる派手な動きで演じるのは、正月に滅茶苦茶大きな矢の先を研ぎ、寶船の繪をその砥石の下に敷いて枕にし寝て、夢に出た兄を救出に向かふのに、馬に跨つて立ち去る場面です。然も、仁王襷(ニオウタスキ)と呼ばれる、横綱の締め縄のやうな襷を背負ひ、超人としての見せ場なのですねえ。

 踊りの美しい《藤娘》には、初挑戰の中村梅枝。真ッ暗な舞臺から一轉して明るくなると松に藤の花の絡んだ背景に、藤の花の精が踊ります。元は大津繪と云ふ漫畫なので、繪のやうに踊るのがよいのでせう。萌黄色、朱色の早變はり、藤色の振り袖になり、戀人とのほろ酔ひ加減を現し、更に赤い振り袖となつて、手踊りを見せ、最初の持ってゐた藤枝をかざして幕となります。初々しい梅枝の艶やかな踊りが素敵でした。

 娘曰く、馬で立ち去った後の五郎はどうなつたのか、踊りは着物は綺麗だけどテムポが遅くて眠くなったから、解説が一番樂しかつたとのこと。う~ん、小學5年生には些か難し過ぎたのでせうか。自分は六年生で祖母にせがんで《忠臣藏》を觀に連れて行つて貰つたのですが…。

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2009年7月17日 (金)

夏祭

 歌舞伎座さようなら公演、七月夜の部へ。演目は「夏祭浪花鑑」と泉鏡花原作の「天守物語」。

 「夏祭」では海老蔵や獅堂の大阪弁がどうも下手ですが、成田屋(海老蔵)は大立ち回りのやうな派手な男役を得意とするので、喧嘩の場面での見榮や、諸肌脱いで入れ墨(布地に柄)に赤い褌姿は似合ひました。この上、科白が上手になれば、名人でせう。

 白鷺城(姫路城)の天守閣は100年以上、人が入らない魔界とされていたと云ふ「天守物語」。これは玉三郎の當たり役だけに、鏡花の幻想的な世界を繰り廣げてゐました。玉三郎は相變はらず美しく、その上、聲がさいのによく通ります。それに比べると、若手は息が多いのか、聞き取り辛い。實直な侍役は海老蔵には似合はないものの、横顔が如何にも侍らしい顔立ちなので雰圍氣が出ます。

 かうして、歌舞伎も連續して觀るやうになると、席によつてもかなり、感じ方が違ふことが判りました。それぞれの良さがありますね。この時は15列、真ん中横通路のすぐ前、1等席の一番後ろでしたから、舞臺がやや遠いものの全體を見渡すことができました。歌舞伎の舞臺はやや横廣なのですが、この寸法、もしかしてNHKホールも同じではないかと思ひます。それであすこはクラシックに向かいないのかも知れませんね。

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2009年6月29日 (月)

千穐樂

Sajiki 土曜日の和蘭GPでは、MotoGP級のヴァレンティーノ・ロッシが通算100勝目、250cc級の青山博一が優勝して今期二勝目と慶事が續いたと思つてゐたら、石川遼選手の運をも見方に附ける力強い強打に驚きました。自分はゴルフもしないし、中繼放送も見ませんが、深夜の運動報道で脇に二度も反れて9打の後、立て直して深芝からポールに當つて入る快打で優勝。全英選手権出場権を自らの手でもぎ取った17歳に沸きました。

 さて、この土曜日は歌舞伎座さやうなら公演、6月晝の部。仁左衛門の一世一代の《女殺油の地獄》。皆から大事されてゐることをいいことに、好き勝手放題の油問屋河内屋の若旦那、與兵衛。仁左衛門の大當たりと云ふだけに、輕やかな大阪辯も心地よく、惡事を働き、家族、親族に大迷惑を掛け乍ら、どこか憎めない奴を熱演。
 これ以上の演技はないと云ふ程の集中力。もう二度と演じないと云ふ強い決意と、千穐樂で誰もがこれで見納めだと云ふ觀客の氣持ちがひとつとなり、凄まじい舞臺となつた。幕が閉じても殆ど誰も立ち上がらず、拍手の嵐に應へて、幕がもう一度開くと云ふ嬉しい珍事。友人の招きで初めての桟敷にも感激。一生に殘る大舞臺。嬉しいことの續いた週末でした。忘れられません。

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2009年6月 5日 (金)

人形寫眞

 國立劇場で貰つたチラシを手に、河原久雄寫眞展へ。亡き吉田玉男さんの遣ふ人形を始め、只の人形の筈が、主人公の息使ひまで聞こえるやうな感じ。それと、人形しか寫つてゐないのに、主遣ひの顔が浮かんで來るから不思議。簑助さんの艶やかさ、和生さんの優しさ、勘十郎さんの嚴しさだとか人形を通じて出てゐる。

 寫眞機を構へてゐて、息するのも忘れる程集中することがあると、ご本人の辯。それで目も霞んで、一瞬寝てしまふこともあると云ふ。上手から撮った方がお好きだと云ふ通り、締まった表情が寫つてゐる。下手は出て來たばかりで、人形遣ひの氣持ちが前に出すぎてると云ふ。つひサイン本を買ってしまふ。人形なのに、主人公苦惱や、迷ひまで出てるのが、どうして寫眞で傳はるのか。奥が深い。

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2009年5月29日 (金)

さやうなら公演

 五月夜の部、歌舞伎座さやうなら公演へ。既に入り口には建て直しまでの秒讀時計が設置され、名殘り惜しい人々でごった返してゐました。

 《恋湊博多諷》(こひみなとはかたのひとふし)=毛剃(けぞり)=
 《夕立》
 《神田ばやし》
 《鴛鴦襖恋睦》(おしのふすまこいのむつごと)=おしどり=

 《恋湊博多諷》
博多の海賊毛剃(團十郎)の船に乗り合はせた京の商人宗七(藤十郎)。江戸の荒事と上方の和事の咬み合ひが面白く、傾城小女郎(菊之助)は初々しさは無くなったものの藝に深みが出ました。

 《夕立》
長屋住まいの七之助(菊五郎)が奧女中滝川(時蔵)に戀をして、ストーカーのあげく、夕立で置き去りにされた駕籠から滝川を力づくで抱いてしまひます。今なら犯罪ですが、芝居なので、男氣に惚れて仲良く二人で去る話です。二人の息の合った踊りは円熟の極みでした。

 《神田ばやし》
長屋の庶民を描いた世話物は、家主(三津五郎)の念佛講の金が無くなり、桶屋留吉(海老藏)の仕業だと早合点され濡れ衣を着せられるが、祭りの当日疊の間から見附かり疑ひが晴れると云ふ話。
三津五郎の人情味溢れる演技に比べると、鬼氣迫る惡役の海老藏に見慣れている所爲か、職人役だと科白回しが上ッ面だけで下手さがモロに出てしまったのが殘念です。

 《鴛鴦襖恋睦》
着瀬川(菊之助)と雄鴛鴦の精(海老藏)、股野五郎(松緑)の若手の踊りが艶やかで歌舞伎らしい華やいだものでした。

 名作目白押し故、閉館までにまた觀たいです。

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2009年5月27日 (水)

ひらがな盛衰記

Bunr 文樂東京公演第二部は『源平盛衰記』を平假名のやうに判り易くした《ひらがな盛衰記》の内、二段目と四段目の上演。宇治川の先陣爭ひに敗れて勘當の身となつた板東一風流男と言はれた梶原源太と、この源太に尽くす傾城梅ヶ枝(腰元千鳥)の献身を描いてゐます。
 住大夫の次に好きな豐竹嶋大夫が〈神崎揚屋の段〉の切り場初挑戰を聽き、年輪の幅と共に感嘆。髪を振り亂し、質入れした「産着の鎧」を取り戻す金300兩が欲しいと半狂亂になる樣、勘十郎の操りも鬼氣迫り、芝居の頂點でした。

 意外と地味な松香大夫も聲の通りがよく、呂勢大夫はまだ力量不足、千歳大夫は汗水垂らして力んでばかりで情が傳はらず、チャリ場の英大夫はそつなく、輕快な場面での咲甫大夫は存分に語つてゐました。色男、源太の和生や母延壽の玉也も好演。次回、9月の公演が待ち遠しです。

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2009年5月22日 (金)

蛇身

 文樂東京公演、5月の第二部最後は《日高川入相花王(ヒダカガハイリアヒザクラ)》。安珍と清姫の道明寺傳説の物語です。安珍の正體は朱雀天皇の弟、櫻木親王なのですが、左大臣藤原忠文に陥れられ都を追はれてゐます。〈真那古庄司館の段〉では都で安珍を見初めた清姫が戀心に燃え、櫻木親王を逃す爲に父親が許嫁だと許可するものだから、おだ巻姫と云ふ妻があるのも知らず、喜びます。併し、追手が迫り、おだ巻姫と共に道明寺へ落ち延びたと知った清姫は裏切られたものと嫉妬に狂ひ、〈渡し場の段〉でつひに蛇身となつて川を渡り、安珍を追ふのでした。

 この嫉妬から蛇になるのに、「ガブ」と云ふ特殊な頭を使ひます。からくりで鬼になる樣はなんとも恐ろしい。紋壽の操る人形が艶やかだからこそ、餘りに一途な女心の恐ろしさと哀れさが強調されて素敵でした。咲大夫の切り場はやや、一本調子で殘念でした。初めて觀る「ガブ」、川を渡る途中突然蛇に樣變はりするのも人形ならではのもの。女は恐ろしい。

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2009年5月21日 (木)

伊勢音頭鯉寝刃

 住大夫&錦糸の語る《伊勢音頭戀寝刃(イセオンドコイノネタバ)》、〈古市油屋の段〉は大勢の語り分けも鮮やかに、特にチャリ場と云はれる笑はせる場面では、仲居萬野の嫌味たっぷりな樣が見所でした。久し振りに澄み切った住大夫の語りの冥利を聽けて幸せでした。

 後半の〈奥庭十人斬りの段〉は主人公福岡貢は主人が遊女に入れ上げた擧げ句に取られた名刀「青江下坂(アオエシモサカ)」と折り紙(鑑定書)を取り返す爲に、遊女お紺に探りを入れさせてゐましたが、取り違へたと氣附いた刀を取り返さうと萬野を打ち附けてゐる内に、鞘が割れて斬つてしまひ、それから取り憑かれたやうに仲居や女郎、遊女を次々と手に掛けて、最後には本懐を遂げて「青江下坂」と折り紙を手に入れるのでした。

 その十人斬りが凄惨を極める殘酷な場面になるのですが、人形なので手足や頭が飛んでも現實的でないのが救ひでした。津駒大夫&寛治も飽くまで物語りとしてゐるので、三味線の描寫も繪空事となり、目を覆ふこともありません。ベテラン揃ひの晝間公演はよいものが續きます。

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2009年1月29日 (木)

相反する感情

 相反する(アムビヴァレントな)感情が交差する人間像を描く文樂、人形淨瑠璃。義太夫節が描き出す物語は、不條理なことが多いのですが、それが却つて人の本質をあぶり出してゐるのですね。
 中本千晶著 『熱烈文樂』 三一書房 は、文樂大好き人間の著者が、思い入れたっぷりにその魅力を觀客の立場で、詳しく描いてゐます。

 太夫は「聲優」兼「語り(ナレーター)」兼「歌手」であり、
 三味線彈きは「ひとりオーケストラ」だと言ひ切り、
 メロドラマ「世話物」は遊女を商家のぼんぼんが戀に落ち、身請けを巡る金錢的トラブルで心中、
 時代劇「時代物」は主君が危機に陥り、忠義の爲に部下が自分の妻子の命を犠牲にするとあっさり解説。

簡單に言つてしまへばさうなのでせう。血液型で分けるなら太夫はB型、三味線はA型、人形遣ひはAB型とか、面白い女性ならではの判斷もあり、細やかな指摘が散りばめられ、初心者には親切な一書。

 また、現在發賣中の雑誌『サライ』にも特輯が組まれてゐます。こちらの方が総天然色寫眞も多く、いいかも知れません。來月は東京公演がある故、豫習のつもりで探したら、色々ありました。

熱烈文楽Book熱烈文楽


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2006年10月20日 (金)

山科

 義太夫節の中でも大曲とされる第9段「山科閑居の段」。師直に賄賂を送り、刃傷に際して判官を抱き止めた爲、逆に由良助以下の者に恨まれてしまふ加古川本藏。然も、娘小浪は由良助嫡男、力彌の許嫁であつた。作者たち(三好松洛、並木千柳、二世竹本出雲)は、ひとつの事件を切掛に下々の者の運命を狂はす程を劇的な本にしてゐます。本藏の妻、戸無瀬と由良助の妻、お石、敵(カタキ)同士となった母と姑、本藏の父として武士としての身の処し方、由良助の思慮、愛し合ふ小浪と力彌。物語は一擧に頂點へと達します。

 現在、京都山科には大石内藏助を祀つた大石神社が在ります。此処には由緒ある品も納められてゐますが、その中に確か内藏助の手紙が殘つてゐました。もう30年位前だかに、行つた記憶しかありませんが、弊社の『今朝百年史』に記録してあります。その中に、京都山科で機の熟すの待つて隠遁生活をしてゐた大石内藏助は、元禄14(1701)年に、江戸に居る堀部彌兵衛の元に、近江の黄牛(アメウシ)を送つたことが書かれてゐました。

  前文御容赦可。然方(サルカタ)より到來に任せ進上いたし候彦根の黄牛の味噌漬。養老品故、
 其許(ソコモト)に御重疊(チヨウデウ)と存じ候。
  倅主税などまいらせ候ては反(カエ)つて惡しかるべし。大笑大笑
  十三日
                                               大石内藏助
  堀部彌兵衛殿
 
 當時の牛肉はく藥食ひと稱して、密かに流通してゐました。勿論、唯一の産地彦根藩に強力なコネがあるか、お殿様からの下がり物以外まづ手に入らない貴重品です。それを内藏助が手に入れたので、江戸で頑張るご老體に滋養の高い貴重なく藥として送つたのでせう。

 「山科閑居の段」では、逆勝手と呼ばれる家の出入り口が上手に來る珍しいものでもあります。雪持ちの竹を使つて雨戸を外す工夫を見せる演出でもあり、後半の見所でせう。文樂では「高家討ち入りの段」りは省略されて、最後は11段目「花水橋引揚の段」となります。そこがまたしっとりとした感慨を殘すことになりませう。 

 史實と比べて行くと、芝居と違ひ腑に落ちないことも多いものです。松の廊下の刃傷事件にしても、殿中で刀を抜くことは死罪を免れないのは解り切つてゐた筈なのに、わざわざ京都から勅使の來たハレの日を選んだものか。この邊りのことを詳しく調べてゐるHPを見附けたのでそちらをご覧ください。


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2006年10月19日 (木)

一力茶屋

 京都祇園の昔乍らの犬矢來(イヌヤライ:犬よけ)のある町屋が連なる家並みが觀光客には旅情を誘ひますが、その代表が四条花見小路角に立つ「一力」でせうか。此処で大星由良助は遊興に耽り、仇討ちの素振りも見せず、敵の目を欺きます(第7段 祇園一力茶屋の段)。
 さて、この茶屋ですが上方ではただの食事処ではなく、客の爲に藝者や遊女を呼んで遊ばせた家を指しました。そして、藝者や遊女は管理してゐる置屋(オキヤ)にお願ひしなければ、差し向けて貰へません。この仕組みは今も變はらず續いてをり、藝者に直接お願ひすることはできません。聞くところによれば、藝者をお座敷に呼ぶだけで、一人10萬圓の覺悟は必要です。勿論、そんな甲斐性もなければ、お座敷遊びも知りませんので、行つたこともありませんが、是非一度は行つてみたいものです。ベルランのお客さんに神樂坂の本物の藝者さんがいらっしゃいまして、何時でもお待ちしてをりますと聲を掛けてくれてはゐますが…

 由良助はこの一力を貸切同然で遊び呆けてゐるのですが、一體どこからその金が出たのでせう。これは不思議でなりません。以前、歌舞伎では吉衛門演ずる由良助を觀たことがありますが、何とも酔つた千鳥足や臺詞回しが粋で、さすが役者が違ふと感心しました歌舞伎では1場面構成なのですが、文樂では玄関先、座敷、二階座敷と分けて變化を附け、鹽谷家中、元足輕の寺岡平右衛門は大夫も同じ柄の肩衣で、然も下手に假床(カリユカ)を造りそこで謡ひ、登場する人形も多い分、華やかで立体的な舞臺です。

 また、由良助が息子力彌の届けた顔世御前からの書状を讀むのに、敵方に寝返つた斧九太夫は床下から、遊女となつた勘平の妻おかるは二階から鏡で盗み見るスパイ行爲も面白くしてゐます。只、草書の手紙を2階の手鏡に寫つたもので理解できるのかどうか、大いに疑問も殘りますが、これは飽くまで人形芝居ですから、氣にしてはいけません。

 老舗料亭は今も「一見さんお斷り」として、客にもそれなりの品格を要求してゐますが、由良助はどうだつたのでせう。遊蕩三昧と云ふのですから、拂ひもよく、さぞ氣持ちの良い客であつたことでせう。

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2006年10月18日 (水)

通さん場

 《假名手本忠臣藏》の大事な場面では必ず自殺があります。第4段「鹽谷判官切腹の段」、第6段「早野勘平腹切の段」、それに第9段「山科閑居の段」では娘の結婚の爲、忠義の爲に自ら刃に掛かる加古川本藏と、命を懸ける人々を描いてゐます。第4段と第6段では、「切腹」と「腹切り」と同じ割腹自決でも呼び名が違ひます。「切腹」はこの場合、武士に科した死罪であり、検死役の前で、作法に則り儀式として自ら腹を切り、本來は介錯人が首を斬り落とすものです。出血多量で死ぬまでかなりの時間があり悶絶する爲、痛みを和らげるやうに首を落とすのだとか。逆に「腹切り」は自分で責任を取る形で自發的に自害することです。

 鹽谷判官は殿中で刃傷事件を起こし、トドメを刺す前に加古川本藏に後ろから抱き止められた爲、高師直殺害には至りませんでしたが、領地没収、切腹を言ひ渡されてしまひます。大名の切腹故、品格が必要で、緊迫感のある舞臺の爲、開演後は「通さん場」として客の出入りを一切禁じてゐます。ヘンデルの聖譚曲(オラトリオ)《救世主(メサイア)》の〈ハレルヤコーラス〉で觀客は故事に習つて立つて聽くとか、ワーグナーの舞臺神聖祝典劇《パルジファル》第1幕の後拍手をしないとか、知る人ぞ知る約束事は結構あるものです。

 今回の公演では竹本住大夫(重要無形文化財保持者)の語りで、それはそれは情緒豐かに、判官の無念、上使の横暴さ、顔世御前のすすり泣き、國元より驅け附けた大星由良助の決意を演じ分け、聲色の妙を表してくれました。文樂では、段ごとに太棹の三味線と太夫は背景の屏風ごと、ぐるりと一回轉して人が代はります。また、「トザイ、ト~ザイ」の呼び出しの後、大夫は始める前に臺本を拝むやうに頭の上に掲げ、終はるとまた掲げて、本に敬意を示すのでせうか。見てゐても気持ちの良いものです。聲高に話すのはお殿様、惡役は低音で、オペラの主人公がテノールで、敵役がバスやバリトンとなるのと似てゐますね。お姫様役の時は更に裏聲となり、一人で語りから役柄まで演じるのはたいへんなことでせう。歌舞伎では役者を見るのに、文樂は大夫の聲を聽きに行くものなのかも知れません。それ故、人形なしの「素淨瑠璃」と云ふのも時折演じられてゐるやうです。

 史實で1701(元禄14)年三月に、赤穂藩主、浅野内匠頭長矩が江戸城内松の廊下に於いて、吉良上野介義央に対し刃傷事件を起こした際に、現場に居合はせた梶川與惣兵衛の直系の末裔がベルランのお客さんに居らっしゃいます。それ故、「忠臣藏」は餘計に身近に感じるのでした。

切腹に就いてのHP

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2006年10月17日 (火)

蘭奢待

 《假名手本忠臣藏》第1幕では、序説に當たる「鶴が岡兜改めの段」から始まります。新田義貞を滅ぼし、京都室町に幕府を開いた足利尊氏から、1338(暦應元)年、鎌倉に鶴が岡八幡宮造營を機に、新田義貞の兜を八幡宮の藏に奉納させよとの命令が下りました。義貞は清和源氏の流れを組む嫡流故、その兜は後醍醐天皇から拝領された由緒ある品でした。併し、戰場から持ち歸へつた兜は47もあり、どれだか判りません。そこで、以前後醍醐天皇の女官であつた鹽谷判官の妻、顔世御前(カホヨゴゼン)が呼び出されて、どれだかを告げるのでした。

 さすがは家柄のよい義貞のことは、顔世御前の記憶にもしっかり殘つてをり、蘭奢待(ランジャタイ)の薫りを常に焚きしめてゐたので、薫りが今も僅かに殘る、見覺へのある龍頭(タツガシラ)の立派な兜を選びました。この蘭奢待とは、沈香木のひとつ、正式には黄熟香(ワウジュカウ)と呼ばれる長さ156糎(センチ)、最大徑43糎、重さ11.6瓩(キロ)になる巨大な香木で東大寺正倉院寶物のことです。これを日本では「東大寺」の名を隠し入れた雅名「蘭奢待」と呼んでゐます。

 最古の記録では595(推古3)年に淡路嶋に香木が漂着したと云ふもの。『日本書紀』にも、漂着木片を燃やしたところ、非常によい薫りがした爲、朝廷に献上したと書かれてゐるとか。「蘭奢待」は、鎌倉時代よりも前(一説には奈良時代)に漂着したのか、日本に入つて來てからは時の権力者たちがこれを切り取つてゐます。室町幕府8代將軍の足利義政、織田信長、明治天皇のお三方の切り取り跡には附箋が貼られてゐる爲、使つたことが判ります。近年の研究では38箇所の切り取り跡があるさうです。天皇の許可がなければ、きっと試すこともできないでせうから、どんな薫りがするかわかりませんが、最高級の「伽羅(キャラ)」の親玉故、さぞかし凄いものなのでせう。
 因みに信長は1寸四方を2個を切り取つた、と東大寺の記録に記されてゐますが、附箋のない足利義政以前のことですから、新田義貞が使つたとしてもおかしくはありません。信長は、一片を正親町(オオギマチ)天皇(1517 - 1593)に献上し、もう一片は1574(天正2)年4月3日、相國寺の茶會で焚いてゐます。燃やさないと薫りを發しませんが、同席した筈の千利休はその時どう感じたのでせうねえ。

 近松半二の淨瑠璃に《蘭奢待新田系圖(ランジャタイニッタケイヅ)》1765(明和2)年作と云ふのもありますので、この「蘭奢待」と云ふ御物は『太平記』を通じて江戸時代、既に一般に知られてゐたのかも知れません。また、幾ら兜が47あると云つても、敵方の大將が一目見て判らないやうな粗末なものを被つたとは、とても思へませんが、美しい顔世御前が此処で登場することで、鎌倉の執権、高師直が見そめ、失戀の腹いせに「鮒侍」と判官を罵り、つひに刃傷事件へと發展してしまひます。現物として今にも殘る「蘭奢待」を入れたり、デートの斷りを新古今和歌集の歌で返す等、氣が利いた臺本だとつくづく感心します。

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2006年10月16日 (月)

人形淨瑠璃

 無事に伊太利から歸國し、本日より復歸。食べ過ぎ、飲み過ぎで太りました。そのうちに寫眞も整理して、ご報告致します。

 さて、9月の國立劇場小ホールでは、人形淨瑠璃「文樂」、通し狂言《假名手本忠臣藏》が上演されました。だいぶ前に觀た時は朝から晩まで、文字通り通しで座つたので、疲勞困憊、苦行に近く、後半は集中力にも欠け、見終へた充實感だけが殘りました。日本版《ニーベルングの指環》みたいな感じです。きっと、昔は辨當持參で、食べ乍ら、飲み乍ら、相撲の枡席のやうな、至つてのんびりとした鑑賞方法であつたことでせう。谷崎潤一郎の『蓼喰う蟲』にはセックスレス夫婦の主人公が妻の父と、その若い愛人と一緒に淡路嶋に文樂を見に行く情景が細かく描いてありますが、上演中に食べる愛人の作るお辨當や食べさせ方の描寫が妙に氣に掛かりました。

 さて、今回は國立劇場開場40周年記念の一環のひとつで上演され、前後つ2つに分けるのではなく、3部構成にした爲、朝・晝・晩と分けたのに合はせて、3日に分けてじっくり觀ることができました。

 粗筋はどなたもご存知の通り、主君の仇討ちを遂げる47士の物語です。討ち入りのあつた1702(元禄15)年12月14日から、47年後にそれまでに演じられた淨瑠璃、歌舞伎、芝居等から趣向や名場面を取り入れ、云はば義士ものの集大成として上演されたのが、この《假名手本忠臣藏》です。勿論、生々しい事件を直接扱ふのがまだ憚られる時代でしたから、時代を元禄から室町時代に移し、舞臺も江戸から鎌倉にして、淺野内匠頭を鹽谷判官(エンヤ ハングワン)、吉良上野介を高師直(カウノモロナホ)、大石内藏助を大星由良助(オオボシ ユラノスケ)としてゐます。併し、誰が見ても元の事件が偲ばれます。歌劇でもヴェルディの《假面舞踏會》は、17世紀に瑞典(スウェーデン)國王グスタフ3世暗殺事件を扱つてゐますが、こちらも矢張り物語りを亞米利加のボストンに移して上演されてゐますね。

 意地惡、刃傷事件、切腹と急展開を見せる第1部、おかると勘平の悲話(第2部)、そして心理劇(義と情の對立)に仇討ち本懐までの第3部とまとまりもよく、ふと日本人でよかったと思へた公演でした。今週は忠臣藏に就いて。



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蓼喰う虫


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岩波文庫版は一寸高いけれども、小出楢重の挿絵がいい!


 

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2006年5月12日 (金)

猿樂

 「芝居」は文字が示す通り、「芝生の上に居」て藝能を鑑賞したので、この名が附いたらしいですね。猿樂だとかを寺院や神社の境内で興行し、それを見物した人や場所を指したと云はれてゐます。

 明治になつて、西洋技術導入の爲、岩倉具視を使節團を亞米利加と歐州に2年間の遣はしてゐます。即ち、1871(明治4)年に11月12日に横濱を發ち、桑港を皮切りに、亞米利加を横斷し、大西洋を渡り歐州各地を巡り、632日掛けて、1873(明治6)年9月13日に歸國した壮大な西洋文明調査旅行でした。木戸孝允、大久保利通、伊藤博文等我が國の重要閣僚、お附きの人も含めて総勢100名を越す使節團がこぞって行つてしまつたのは凄いことです。似た道程でジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が同じ頃に(初版1872年刊行)書かれてゐますが、こちらは岩倉使節團の八分の一の長さです。

 この大旅行を記録した『米歐回覧實記』なるものが殘されて、歴史に埋もれることなく現在の我々に、岩波文庫で簡單に知ることができます。もとは「不平等條約」の改正交渉を主眼にしてゐたものの時期尚早と判斷され、云はば挨拶廻りでした。舊幕時代に結ばれた條約締結國の元首に國書を奉呈する外交儀礼に則つたものですが、久米邦武の記録は、客觀的な文明批判も的確で、彼等の心意氣と現實感が傳はつて來ます。

 どうして、芝居のことで岩倉使節團のことを取り上げたかと云ふと、伯林へ赴くと外交使節として鄭重に扱はれ、皇帝ヴィルヘルム1世に謁見する前日に招かれて、一行は歌劇を鑑賞してゐます。岩波文庫版 III 314頁に

 夜、皇帝ノ劇場ニ赴ク 〈是ヲ「オヘラ」ト云、諸種ノ芝居中ニテ最上等ナルモノ猶我猿樂ノ如シ〉

「最高の芝居と云はれるオペラを觀た」とあるのですが、その喩へが「猿樂の如し」と云ふ箇所が笑へます。我々としては、オペラと猿樂自體が全然結び附かないのですが、苦肉の説明なのでせうねえ。詰まらなかつたと見えて、題名を記してゐません。そこで伯林國立歌劇場に問ひ合はせたりして、何を觀たのか判明したのですが、ヴェルディ協會會報に寄稿したので、それが發行されたらお知らせすることに致しませう。

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2006年5月11日 (木)

耳なし芳一

 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)没後100年に當たつた2004(平成16)年に記念行事として、行はれた怪談狂言《耳なし芳一》も忘れられない芝居のひとつです。
 その年の6月に逝去した狂言師、野村万之丞演出によるもので、よくぞ本人なしでも、國立能樂堂で上演されたものです。以前ベルランでも演奏して下さつた薩摩琵琶奏者、友吉鶴心や、異色藝術家デーモン小暮閣下出演と聞いて初日に驅け附けました。

 初めて訪れる千駄ヶ谷の能樂堂は表通りから一歩入つた閑静な住宅街に在り、山の手を感じさせます。和風要素を取り入れたコンクリートの建物は玉砂利の奥に位置し、蝉時雨を抜けて行くと、能舞臺を囲む客席は程良い傾斜が附き、ふかふかの絨毯張りにまづ驚かされます。

 暗闇の中、靜に奏でられる音樂と共に和尚に扮したオペラ歌手の松本進と、芳一役の俳優及川健が和蝋燭を燈して行きます。鶴心の琵琶に、韓國の打樂器奏者朴根鐘と雅樂奏者稲葉明徳が加はり幽玄の世界へ誘ひます。
 この物語も餘りに有名ですが、人の側から描くのではなく、黄泉の世界から進みます。壇ノ浦の合戰で幼くして入水した安徳天皇(デーモン小暮閣下)は刺激のないあの世で永遠と云ふ暇を持て餘し、心の穴を埋めるべく家來に氣晴らしを求めます。京劇の張春祥、狂言の野村万禄、舞踏家大坪光路それにカメルーン出身サミュエル・ンフォー・ングアの扮する家來たちが藝を披露しますが、すぐに飽きてしまひます。そこで噂に聞く芳一の琵琶が聞きたいと迎への者を使はし、演奏を頼むのでした。

 人の本心が聞こえてしまふ芳一も心の穴が埋まりません。幼い頃の記憶のない芳一と、八歳で崩御された安徳天皇とは繋がつており、生きては辛い世の中、死して尚辛い世の中だと嘆く二人は表裏一體、何処の世界も同じなのだと云ふ普遍性を訴へたのは見事でした。
 
 新鮮な解釈は各方面の専門家が集まつただけに、分かり易さと、樂しさが倍増し、21世紀に生きる我々の意味や人生に就いても考へさせられました。デーモンは例の白塗りの化粧で常に觀客を沸かせ、壇ノ浦の段を語る鶴心の薩摩琵琶は平家の哀れを歌ひ、特記すべきは畑違ひとは云へ、バリトンの松本の太い聲は何処までも響き渡り、發聲方法の違ひや鍛錬の違ひを感じさせましたね。
 樂屋口に鶴心さんを訪ねたところ、本番後とは思へない程元氣で、貫禄が附いた氣がしました。遠くに化粧を落とさないデーモン閣下が普段着で居る姿が何とも異様で、舞臺裏らしさを醸し出してゐました。

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2006年5月10日 (水)

コクーン歌舞伎

 歌舞伎座や國立劇場で行はれる昔乍らの歌舞伎ではなく、澁谷の東急文化村に在る「シアターコクーン」で上演する〈コクーン歌舞伎〉も面白い芝居です。こちらは3月末に觀たばかりです。

 鐵筋コンクリートの建物の中に在るのですが、江戸時代の芝居小屋の雰圍氣があります。それは、平戸間前の方が椅子席ではなく板の間に座布團となつてゐて、然も場内で飲食可能だからです。さすがに、演じられてゐる最中にボリボリ煎餅を頬張る輩は居りませんが、幕間に膝の上に幕の内辨當を載せて、ぺちゃくちゃお喋りをする大勢のおばさん方を見掛けました。相撲の枡席のやうな枠こそありませんが、座布團一枚と前の僅かな空間が一人分故、長時間の胡座(アグラ)は、しんどかったです。時折、正座をしてみたり、足を崩したりして、居住まひを直すのですが、疊の上から遠離つた生活の方がもう長いのだと今更乍ら氣附きました。でも、決して不快ではありません。舞臺にも近く、花道がない分、通路を役者さんが幾度も通り過ぎるので舞臺の中に座つてゐる感じがします。

元々このコクーン歌舞伎なるものは、中村橋之助主演の歌舞伎をやることが決まり、その演出を頼まれた中村勘九郎(現勘三郎)が、自分も出たいと言ひ出し、二人の主演で毎年續けられてゐるものです。

 演目は四世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》です。1994(平成6)年の第1回にも演じられたものの再演(南番)と、滅多に上演されない場面を加へたもの(北番)とを晝夜交互に掛けられました。初演と同じ串田和美の演出により、平成の歌舞伎として再生してゐる爲、粗筋を知らない人でも理解し易く工夫されてゐます。勿論、衣裳は江戸時代のものではありますが、單純に長唄の伴奏ではなく、効果音や鳴り物、椎名林檎、それに鼓弓やモンゴルの喉歌(ホーミー)のやうな聲藝が加はつてゐます。

 また、南北が1825(文政8)年に初演した際は《假名手本忠臣藏》と二日掛かりで全編を見せた故事に習ひ、「赤穂浪士の仇討ち」との因果關係も明らかにした演出により理解が一層深まります。

 封建時代には耐えることしか出來なかった「お岩様」が幽靈になつて凄まじい怨念で復讐する劇ではありますが、恐ろしいだけではなく、日常生活に蠢く人間の本性を描いてゐます。元を正せば民谷伊右衛門は鹽冶判官(淺野家)家中の浪人であり、お家没落の際に公金を横領した輩。そして伊右衛門に一目惚れした伊藤喜兵衛の孫、お梅は高師直(吉良家)の家中で羽振りの良さが鼻に附く隣家でした。然も婿に欲しさから、産後の肥立ちの惡いお岩さんに血の妙藥と偽り毒藥を送つたことから、復讐劇が始まるのです。産後の肥立ちが惡くて、家事もロクにできないお岩さんに冷たい伊右衛門。泣き聲が五月蠅いとどなる伊右衛門。親父になつたばかりで自覺がないのです。そんなのお父さんとして、當たり前のことなのですがねえ。江戸時代の家庭崩壊を描いてをり、鹽冶浪人であり乍ら仇敵の高家へ仕官を望む不忠の伊右衛門が、怨念に苛まれて破滅する芝居なのですねえ。

 勘三郎のお岩(恐ろしい)、橋之助の伊右衛門(嫌味な獨りよがり男を好演)、そして七之助のお袖(やや狐目なれど美しい)、それに歌舞伎俳優ではない笹野高史の起用が膨らみを持たせ、時に諧謔(ユーモア)が生まれ、現實感を與へてゐました。勘三郎は他の役もこなして、3役もやつてましたが、どれも減り張りがあつて、さすがだと思はせる説得力が備はつてゐます。
 それにしても、〈髪梳き〉の恐ろしいこと、〈戸板返し〉も恐ろしいこと、〈提燈割れ〉の不氣味なこと、懐の深いこの芝居も評判通り見應えがありました。

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2006年5月 9日 (火)

近代能樂集

 三嶋由起夫は能舞體を新しい戯曲として捉へ『近代能樂集』として脚本を執筆してゐます。その中で比較的よく上演されるのが、《葵上》《卒塔婆小町》でせう。作家と関係の深い美輪明宏主演による、2002(平成14)年にパルコ劇場(再演)は秀逸でした。

 ご存知の通り、《葵上》は『源氏物語』の〈葵の巻〉が基となつた芝居です。大企業の御曹司、若林光(光源氏)は、妻の葵(葵の上)が原因不明の病氣に罹つたことを知り、慌てて出張から戻り、病院へ直行します。すると、結婚前に附き合つて、もうとうに捨てた年上の女性、六条靖子(六條御息所)の生き靈に取り憑かれてゐた、と云ふ話です。

 舞臺正面に葵の眠る寝臺が在り、其の背後には羽織が掲げられ、光琳の流水紅梅圖の掛布團。葵が夢の中で闘つてゐるからか、病室のソファーがダリの描いた超現實主義(シュールレアリズム)の歪んだ時計であつたりして、象徴的な装置が渾然一體となり、既に怪しい雰圍氣が醸し出てゐます。

 看護婦たちは「毎晩、夜中になると必ず現れるお見舞ひの人が氣味惡い」と噂して、其の人の車の光が病室から見えると、それを合圖にして皆下がつてしまひます。病人の他、一人殘された光(宅麻伸)が仕事か旅の疲れからか、病室のソファで寝入ると、背筋をすっくと伸ばした真っ黒い衣装の六条靖子(美輪明宏)が現れます。客席中央上手の扉から何時の間に現れたのか、客席の間を、しずしずと舞臺へ上って行きます。客席の非常灯も落とした真っ暗闇の中で、衣擦れの音だけが響きます。そして通り過ぎてから、服に焚き込めた香の薫りだけが漂ひ、恐ろしさが突然込み上げて來るのです。視覺だけに頼つて生き靈を見てゐたつもりが、突然、嗅覺を刺激され、其の壓倒的な存在感に一氣に呑み込まれて行きます。これはもう、テレビでは絶對に味はへない演出の妙でした。
 自分の服に香を焚き込むなんて、如何にも舊家のお金持ちの未亡人と云ふ感じもよく出てゐます。そして、最期には、葵はこの生き靈に殺されてしまふのです。途中の回想場面で、ハチャトゥリアンのバレヱ《スパルタカス》より〈スパルタカスとフリーギアのアダージョ〉の音樂が情感たっぷりに盛り上げます。

 一方〈卒塔婆小町〉は小野小町と深草少將の悲戀物語が基となつてゐます。舞臺は現代に移され、公園に居るホームレスの醜い老婆(美輪明宏)に興味を持つた詩人(宅麻伸)が尋ねます。すると、百歳を越えた老婆が、實は昔、舞踏會の華と慕はれ、「小町」と呼ばれた美しい女性だつたと云ふのです。皺苦茶でぼろを纏ひ、惡臭ただならぬ老婆からは全く想像できないものの、昔話を聞くうちに夢の世界に引き擦られ、何時しか絶世の美女に戻つた老婆と華麗なワルツを踊り、百夜通ひを成し遂げられず死んだ深草少將と同じやうに、最後には「君は美しい」と言つてしまひ、息絶えて行きます。このワルツもハチャトゥリアンの組曲《假面舞踏會》から取られ、しつこい旋律の繰り返しが頭に附きます。一瞬通俗的にすら見える其の奥で、たいへん計算尽くされた世界だ、と氣附かせない技が光ります。

 誰もがそのベンチに近寄ることすら憚る、臭さの根元であつた老婆から、微かにコロンの香りも心地よい、素敵なドレスに身を包んだ淑女への早變はりは吃驚しましたね。美輪明宏さんは只者んぢゃありません。鼻と耳の記憶に殘る芝居でした。以來、ハチャトゥリアンは普段聽く曲の仲間入りです。




ハチャトゥリャン: 管弦楽作品集 ~剣の舞


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ハチャトゥリャン: 管弦楽作品集 ~剣の舞


アーティスト:ラザレフ(アレクサンドル)

販売元:ワーナーミュージック・ジャパン

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近代能楽集


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著者:三島 由紀夫

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2006年5月 8日 (月)

お芝居

 オペラや映畫の他に、歌舞伎や文樂も好きですが割に頻繁に行くのが實は「芝居」です。友達の役者さんが出る時は、可能な限り小屋へ足を運ぶやうにしてゐます。10年以上の附き合ひがあり、20代の頃から見てゐるので、段々とレベルアップする様と、配役が變はつて來たのがわかりとても面白いものです。

 連休前の4月後半に、 劇團フライングステージ第29回公演『ミッシング・ハーフ』を觀に行きました。この劇團フライングシテージと云ふのは、ゲイの人々がカミングアウトして「ゲイ」に拘つてゐる面白い集團なのです。臺本・演出・出演と全てを関根信一さん中心に芝居する團體です。今回は3人芝居と云ふことで、この関根さんの他に森川佳紀(この方が友人)、それに大門伍朗さんだけの芝居でした。

 物語は何と「戰前の上海」が舞臺。私はこの時代、凄く好きなんですよ。當時の軍人みたいな偉さうな髭を生やしてるからぢゃなくて、現在の閉塞感とは違ひ、共産主義であつたり、軍隊であつたり、皆方向性は違ふにしても、必ず明るい未來があると信じられた時代ですから、最終的に戰爭に突き進むにしても、滿州に未來を求める者、上海に逃れる者も、誰もが束の間の自由を享受できた時代ですね。

 それにうちの店には當時の蓄音機も有るし、ツェッペリン飛行船の料理は勿論のこと、以前『満鐵「亞細亞號の料理」再現』なんて會も開きましたし、渡邉 はま子の《蘇州夜曲》(Nippon Columbia 100063)や李香蘭の《赤い睡蓮》(Nippon Columbia 100101)、それに淡谷のり子の《別れのブルース》(Nippon Columbia 29384)等のSP盤もあるし、とても身近です。また、いよいよ今月は『戰中のフルトヴェングラー』と題して、蓄音機による特別演奏會もあり、昭和初期の日獨に就いての調べものも多く、とてもよい機會となりました。

 また、この芝居を觀る直前、ケーブルテレビで篠田正浩監督作品『スパイ・ゾルゲ』(2003)を觀たばかりで(映畫そのものとしては駄作ですが)、前半上海が舞臺であつたり、多くの歴史的事件を扱つてゐて説明過多になり過ぎなのですが、今回の芝居と重なる部分が多くて私には刺戟的でした。食ひ入るやうに最前列で觀ました。

 地下鐵、新宿御苑の驛から程近い「サンモールスタジオ」は新しいビルの地下に在り、座席數九十程の小さな小屋ですが、後ろの方はパイプ椅子なのに前の方は長椅子に座布團。隣の觀客と肩や膝が触れる狭さが、何とも芝居小屋ぽいです。

 さて、物語は昭和初期、女形として映畫に出演してゐた川野万里江(関根信一)は、トーキー映畫と共に失業し、北京に渡り宦官の手術を受け、本物の女性として上海で映畫デビューすることを夢みてゐた。其処へ兵役逃れの大江卓哉(森川佳紀)が現れ、誤つて万里江に實彈を打たれることから、物語は始まるのでした。

 二階の一室の洋間、正面奥には佛蘭西窓にバルコニーが在り、下手に扉、上手に支那風衝立、中央に長椅子。壁紙、窓枠、孰れも昭和の初めの頃の雰圍氣がよく出てゐました。そして、効果音の使ひ方が抜群です。雷鳴、拳銃、霧笛、車の音、見えない部分での演技として、群を抜いてゐました。素晴らしかったです。

 関根さんの女形はすっかり女性に成り切つてゐたので、文句の附けやうもありません。金もなく着た切り雀と云ふ設定だつたかも知れませんが、豫算に餘裕があれば、途中で幾度も妖艶な服装に着替へると、もっと盛り上がつたことでせう。折角の上海ですから、チャイナ服姿も見たかったです。只、時々臺詞を噛むので、勿體なかつたです。それと、附け睫毛が途中で、ヒラヒラ外れたのが非常に氣になりました。

 時代背景を相當勉強されたのでせう。有名人物や出來事をさりげなく臺詞に入れ込む小技もよく、實在の人物を登場させることで、リアル感を持たせる臺本も素晴らしい。『來たれ!満映へ』なんてビラまで小道具で出して來るところも憎い演出です。万里江は、最初の主演作のオリヂナルを大江の手違ひで映畫館ごと燃やしてしまつた爲、一作も現存してゐない映畫女優として、そしてそこへ突然現れた若者大江が、實はその犯人とも云ふべき映寫技師である、と云ふ因縁めいた設定にも不自然さがありません。そして、万里江の憧れのヒロイン、ディートリヒの主演作、映畫『モロッコ』を言葉だけで描き出し、大江との関係を自分と重ねるクライマックスへの持つて行き方もよかったです。一度はテレビで見た映畫の筈ですが、また見たくなる説得力がありました。

 森川さんは、映寫技師、即ち勞働者階級の出で、一寸した手違ひで兵役逃れになつてしまつた男の感じがよく出てゐました。臺詞回しも下町育ちぽく妙に勢ひ附いたり、舌打ちするところがリアルで吃驚しました。そのうちに手鼻でもかむんぢゃないかと思ふ程に決まつてゐました。脅へ、反撥、親しみ、嫌惡、友情と徐々に感情が變化し、最後には自己犠牲により万里江を救はうと云ふ流れが、減り張りがあつて、非常に説得力がありました。

 演技だけに關して云へば、大門さんには絶句しました。全て實在の人物であり乍ら、大門ワールドが出來上がつてをり、凄すぎです!執事の孫輝庭(宦官の手術もする)、甘粕正彦(ご存知満映社長)、それに四世澤村源之助(サイレント映畫に女形として出演後、歌舞伎に戻つた)はピカ一!ほんたうに歌舞伎の女形役者が出て來たかと思ふ程。和服の襟の抜き方、歩き方、座布團への腰掛け方、臺詞の抑揚、氣ッ風の良さ、完璧でした。知り合ひの日舞の師匠にもそっくりで唖然とした位です。
 それで居て、ふと息抜きに笑はせるタイミングも絶妙で、藝達者とはかう云ふものだと認識しましたね。大門さんの參加が、芝居に深みを與へ、幅を廣げた感じがします。あと一番吃驚したのは、大きな聲で臺詞を言ふ前に深呼吸をしたり、スッと息を吸ふ音もなく、突然腹の底から聲が出て來るのには、吃驚。普通、最前列でなくても、ブレスの息の音がばっちり聞こえるのに、全然しませんでした。プロ根性を見せ附けられた氣がしました。うむ、『キル・ビル』に出演してゐたと云ふのでこれは是が非でも見ないといけませんね。

 今回は三人の出演者たちの息も合ひ、絶妙な舞臺でした。是非、また三人の芝居を見たいと思ひます。

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